様々な人を通して生命を意識していかねばならない

『罪と死と愛と』より

田宮美智子

敗北者の告白

カミュは「自殺は告白である」と云う。それも「人生に敗北したことの告白である」と。また大江健三郎も、「犯罪者の想像力」の中で、「犯罪は社会に対する告白である」と云っている。現在の少年少女の自殺の問題、非行の問題もそのようにとらえられるのではなかろうか。暴走族は人のいない所を走らない。彼らはより目立って注目をあびるスタイルや場所を選ぶ。彼らは人々に存在を意識されたいのだ。いったい彼らは何に対し敗北し、何を告白したいのであろうか。最近ある知人から大学受験中の息子がノイローゼになって、家の窓ガラスを全部たたき破ったと聞いた。それは自分が押しつぶされるのを予感して自己を防禦するためのぎりぎりの自己告白だったのかもしれない。テレビではある人気歌手に、「死ね」という手紙といっしょにナイフを送ったニュースが報道された。一方ではファンの熱狂ぶりに私たちは驚き、またその反対には羨望や嫉妬からくる憎悪のはげしさに驚く。そしてその短絡性におののく。いったい何が彼らを駆りたてているのだろうか。

このような問題を考えようとするとき、大江健三郎の「核時代の想像力」は私たちに多くの示唆を与えてくれる。「犯罪者について我々が関心を持たずにおれないのは、我々が犯罪者と同じことをやりそうだからと考えるというよりは、自分にはとてもできそうにない犯罪者も、自分と同じ人間であるからだ。つまり人間の本質とはその両方をそなえているのだ」と云う。現実から疎外抑圧された子供たちの状況をみるとき、その結果である犯罪について想像してみることは、私たちの在り方を考えるうえで大いに意味があることだ。大江健三郎は犯罪者の問題を考える際に問題なのは、我々が「あれは想像力に欠ける人間、人間的なイマジネーションをもたない人間だからこそああした犯罪をなしえたのだと考えて、そうした犯罪者から自分だけ分離して安心する」危険性について述べ、むしろ、「われわれ自身に犯罪者に対する想像力が欠けている」ことが多い点にあるのではないかと指摘している。私たちは最近の子供たちが実に些細なことで自殺したり、正義のかけらもない理由で衝動的に暴力をふるったりするニュースを見て、その裏側を考えることもなく、彼らの単純さ、短絡性、甘えの精神について嘆く。確かに身の廻りに起っている子供たちの発言や事件を見ても現象的にはそう判断せざるをえないような事柄でいっぱいだ。しかしそのように嘆いている私たち自身が、彼らが何故にそうなったのかについて自信ある分析や想像をなしえていない。また彼らをそのようにした状況とどうたち向って生きているのかについても自信がない。私たち自身もまた単純で短絡して物事を考え処置しているのではないか。

自殺や犯罪、非行が敗北の告白であるとすれば、それが単純で短絡的であればある程、彼らを抑圧し疎外している状況の暗さが思いやられる。そのような状況に私たちが存在して生きている以上、私たちだけが侵されないはずはない。彼らが見えないのは私たち自身が抑圧された結果でもあろう。そのようにお互いが見えなくなった極限状況に非行や犯罪が起るのではないか。

1968年、金嬉老がライフル銃とダイナマイトを持って寸又峡の旅館に人質をとって閉じこもったとき、私たちはそれが単なる一在日朝鮮人の個人的な私利私欲にもとずく犯罪ではなく、銃口は日本国および私たち日本人自身に向けられている告発であることを知ったのだ。あの事件は日本の大衆に在日朝鮮人問題を訴えた大きな衝撃的な事件だったが、私にとってもそれは、在日朝鮮人が具体的に見えはじめ、また見ようとする契機になった事件であった。金嬉老が自己の人生を賭けて、社会の敗北者という形をあえてとったからこそ、私たち日本人は朝鮮人がようやく見え、そして自己が見えだしたのだ。

異邦人、李珍宇

私が同じ敗北者、死刑囚の李珍宇に出会ったのもすぐ後だった。(当時李珍宇は既に処刑されていた)。彼は「異邦人」をはじめカミュの作品を愛し、自己分析をかねて、いく度も、「異邦人」を論じている。彼はムルソーと同じように自分自身を異邦人と感じている。ムルソーはどうしてあのように現実に対して無感動なのだろうか。李珍宇が知りたかったのはそれであった。彼が犯罪を犯したのは結論的には在日朝鮮人差別による抑圧疎外の結果だということになるだろう。しかし私にとって関心があるのは、彼がどのような心理状態で犯罪を犯したのかということである。逆に云うならば、差別抑圧が人をどのような人格にし心理状態にするのかということである。李珍宇の朴寿南さんへの手紙(『罪と愛と死と』三一書房)は、李珍宇が死刑を前にして、なぜに己れが破れていったのかを自己分析し、認識しようとし、また破れた人格をどのように回復していくのかを追求していて、私たちを深く考えさせる。その跡をたどってみたい。

私の頭にいつも残っていた問題は、体験が「夢」のように感じられることだった。

罪の感情がともなわない罪の意識、あるいはその意識でさえ漠然としている例として『異邦人』のムルソーや『罪と罰』のスヴィトリガイロフをあげることができるかも知れない。私はあのような事件を起こしたにもかかわらず、それに対して身近なものとして感じられなかった。私は人を殺したということについても別に嫌悪など感じないし、またその点について云えば、再びそのような場にあっても人を殺すということについて、変った感情も起らないだろうと思われたのだった。

自転車に乗ったまま被害者と共にころげ落ちる間、私はこう思っていたのだった。これは本当のことだろうか。これは夢ではないだろうか、と。このような現象は、二度目の事件にも起った。私は被害者にナイフをつきつけた時、まさかこれは夢ではあるまいかと行動と共に思った。

私ははじめの事件の時、鼻をつまんで被害者と話した。それは彼女に私の声を覚えてもらいたくないためだった。私はそうしながら心の中では一種のおかしさを感じた。しかしそれは心のゆとりを示すものでは決してない。と云うのは、そうしながら私は自分を自分であると共に第三者でもあるような気持を感じていたのだろう。

また私は二度目の事件の時、日が暮れるまで被害者の体に腰をかけていたが、私はその時少しも気味悪さを感じなかった。

 李珍宇は、犯罪を犯しながら現実が「ベールをかぶったように」夢のようで、自分がまるで第三者のようにしか感じられない自分を分析する。罪を犯しながら、悪の意識や罪の意識をともなわない現実遊離感、それはどこから生まれたものであろうか。小松川定時制高校では成績もよく読書好きの文学少年で「従順でしっかりした生徒」と先生たちにも映ったのであったが……。しかし取り調べの警察官でさえも「自分から抑圧した感情がこのように曲った方向に走った」と見る程、彼の精神は抑圧され、むしばまれていた。しかし、彼の犯罪が、急に「曲った方向に走った」といったものであるかどうか疑わしい。根はもっと深いのだ。抑圧、疎外の結果、彼はこの現実を愛することができなくなってしまったのだ。愛することのできないこの現実、自分を排外し疎外する現実でも、なおかつ彼という人間を価値づけ裁断する。自尊心の強い人間なら誰でもそれを拒否する。彼は彼の意識の中で、より普遍的で彼自信の価値をも含み認める価値観にもとずく社会を構成する。彼は現実よりもむしろ、意識の中で生きる。意識の中で逆に社会を構成し見下す。私たちは度々このような生徒を見て来はしなかったろうか。夢想癖があって読書好きで現実を冷ややかに見ていて、それでいて現実に負けている自意識の強い生徒。

私はかって生徒たち(高校生)に好きな作家を選ばせて論文を書かせていたことがあった。朝鮮人の生徒たちには在日朝鮮人作家を紹介した。朝鮮人としての自覚を持って生きている生徒たちは在日朝鮮人作家をまっすぐに選んだ。ところが、朝鮮人であることを強く意識しながら、そのことを真正面から見ることをおそれ、それでいて自尊心の強い在日朝鮮人生徒たちが好んで太宰治を読むのによく出会った。なぜ太宰治でなければならないのかと私ははじめはいぶかった。しかし、私たちの高校生の頃を思い起してみれば想像ができるだろう。どうにも大きくて手ごわい不条理なこの現実・社会(大人社会)に負けないためには、自分がこの社会に身をもって立ち向っていくよりは、この社会を否定する値価を見つけることだ。その価値観に基づいて、逆に大人社会を否定することだ。太宰治を選んだ朝鮮人生徒たちは大人社会の醜い掟を破って生きる主人公の純粋性に心酔する。しかし、自分が朝鮮人であるためにこの現実社会に否定されていることに対する憤りのようなものについては少しも触れず語らないのであった。彼らは自らの弱さを知っているが故に、告発することをもって闘おうとせず、観念で現実を抽象的に超えようとするのだ。

李珍宇も朝鮮人であることを明らかにしていなかった。彼が「金子」姓を名告る朝鮮人であることを「李珍宇を助ける会」の運動を始めた同窓生たちは後で知った。彼は李珍宇であることを捨象し剥奪して生きていたのである。そのためには、朝鮮人李珍宇である感情、苦しみを感じなくすることである。彼自身のことについてさえも彼の意識の対象、観念的世界の素材にしてしまうことが必要だ。こうして彼はこの社会に全くの「異邦人」として存在する。それは社会に対しての無意識の復讐であっただろう。

しかし人はそうして完全に社会との関係を断っては生きていけない弱さを持っている。つまり、切実に社会とのつながりを求めて生きているのである。社会を愛さず無関心を装った異邦人珍宇も夢想の中では社会を憎み、社会に攻撃をかけている。彼は何度も犯罪を犯す想像をし自分が社会にとって悪となる「悪い奴」という小説も書いている。そしてついに珍宇は夢想や誰も見ない小説の中でのみ生きることに終ることができなくなり、現実に生きる、つまり、犯罪を犯すのである。彼は先の手紙の中では、被害者に知られないために鼻をつまんで話したとあったが、その彼が、自分から警察に、「犯人は俺だ」と、暗示的な電話をかけたりする。想像力を現実に生きる力としてとらえる大江健三郎は、李珍宇が想像力をもって生きたのはその時点だと語っている。珍宇が本当の自己、偽らない自己、朝鮮人差別を受けた憤りを持って生きてきた自己を社会に働きかけたのはこの時だといえるだろう。

李珍宇が真に生きるということに賭けた結果が二人の日本人を殺すことになり、死刑囚になってしまうということは非常に悲しく皮肉なことである。しかし、人間はそうしてでも真に生きなければならない、ともいえるのだ。

李珍宇の解放

 李珍宇の真の人間解放は死刑囚になってからだ。そのためには朴寿南さんの愛の力がどれだけ大きかったかがその手紙によって想像される。

珍宇!

 あなたはわたしのまえで自分を偽る必要はないのです。おそらく自分をまもる防禦手段として習性化しただろうあなたの性格を、わたしは同じ習性を負うたはらからとしてよく理解できるのです。あなたに面会した日本人たちは驚いたように言う。「あのあかるさは死刑囚のあかるさか? かれは異常です−。」そして新聞記者たちは、感情を押し殺した顔の演技をみて「罪の意識のない云々」と書く。かれらは見ぬけないのだ。

珍宇!

 あなたは、たった18年しか外で生活できなかった。たった18だ。身体が大きく、少しばかり知能指数がたかいということで、18の珍宇を未成年とは認めないという判断はなんと矛盾とコッケイさがからんでいることだろう。

あなたは知らないことが多すぎる。

 中学校を卒業して、ひるま工員として働き、やっぱり勉強したいと夜間高校一年に入学したばかりのあなたを、そして、自分自身を破壊してしまったあなたを未成年とは認めないとして、少年法の適用をまったく入れなかったのだ…。

ともかく珍宇

 あなたは朝鮮人として物を見、考えられるようになったばかりだ。そして、あの18年間どのように生きてくるべきだったかを知りはじめたばかりなのだ! 何ということ! あなたはやっと入生の扉に立ったばかりだというのに!このまま罪を犯した罰としてあなたは死ぬのだろうか?

朴寿南さんの珍宇への熱い思いの手紙や、「李珍宇を助ける会」の人たちの励まし。珍宇の心は少しつつ開いていく。人々は珍宇に恩赦出願をして生きることを執拗にすすめる。しかし珍宇は恩赦出願を拒否するのである。彼は言う。「恩赦出願とはどういうことかしら? ところがそれを受刑者が選ばなくてはいけないというのです。審かれた人間が自分が恩赦にあたいするかどうかきめるというのです。ここに見られる矛盾はあなたもよく分かるでしょう? それは恰度、君は審かれたが、しかしその責任は別に意識する必要はないと言うと同じことです。

……責任というものは決して軽い意味を持つものではありません。それは生死の問題を越える意味を持っているものです」と、又、朴寿南さんに対しても、「私は朝鮮人の死刑囚なのだ。姉さんが言うように私達は歴史を作るんだ。現代のために未来のために。姉さんが姉さんの仕事を自覚しているように私の立場を自覚している。私は朝鮮人の死刑囚なんだ。だから同胞のために役立とうと考える」「姉さん、どうして珍宇は死んでいいと言ってくれない?……人間は生きなければならないという責任を負っている。けれども私にはその責任は失われて、それを失わせてしまった私の行為の責任が問われる。そしてそこにおいて生と死を見なければならない。それは社会的な義務なのだ。

手紙の中味は朴寿南さんと珍宇のこの恩赦出願についてのやりとりがほとんどといってよいほどだ。恩赦出願や減刑運動をしてきた人の中には、殺害された小松川高校生の両親が含まれている。このことは何よりも私の胸を打つ。「生きて立派に成長してくれれば、娘の犠牲も無駄にならない」と言って、両親は恩赦出願をすすめるのである。そのような朝鮮人や日本人の愛の働きかけの中で異邦人、李珍宇は、苦しみや悲しみや喜びの感情をとりもどしていくのである。彼は、カミュの『ペスト』の中で「共感ということが大切だと述べられているところを読んで非常に身近なものと感じた」と言っている。

珍宇は、犯した罪の責任と義務に生きる、そのためにも死を選ぶと言う。その倫理性が私たちを糺させるが、しかし珍宇がもっと本質的に自己に課して苦しんだのは、その責任ある罪を自己の罪の意識や感情をともなって己れのものにすることにおいてであった。彼が被害者に対して真に悪いことをしたということを観念や法の問題としてではなく自己自身の愛と苦しみとして自覚すること、そうでなければ真に解放にはならない。そう彼は思うのである。彼はそれを所有するために苦しむのである。彼はその感情を所有する実験のために、朴寿南さんに対し愛を恋愛にまで高めようとする。手紙の中で彼は寿南さんに恋人を勝手に作り、結婚させ、嫉妬し羨望し、そのために一層寿南さんを愛そうとするのである。この痛ましい試みは寿南さんにすぐに見破られてしまう。珍宇! あなたはいつわってはいけない! と。寿南さんはそれが珍宇の本質的なものを求める苦しみからくるものと知って、意識的に距離をおいて手紙を書かなかった時期もあった。珍宇はその時のことを後でこう書いている。

私はなるべく感情的にものを見ようとしていた。…私は姉さんたちを苦しめたにちがいない。そして私はそういった自分のやり方が決していいものとは思っていない。けれどもそういう形でしか被害者を自分の心の中に回復させることが出来なかった。…〈中略〉…ただ私が望んでいた通り心の外に感じられた彼女達を自分の心のうちにおいて感じるようになってきたのだった。

李珍宇が被害者を自己の内において感じたのはどのような時であっただろうか。彼は小松川高校の屋上で犯罪を起したとき、誰かが屋上へ上ってくる音がして、あの夢のような意識が破られ、ふと現実にひきもどされた。その時父や母のことを思い絶望的な気分になったが、この時、ちらっと被害者のことを考えた。又、彼がこれまでにない程被害者のことが意識に感じられたことがあったが、それは刑務所で朴寿南さんのことを空想している時であった。寿南さんが怪我をしているにもかかわらず珍宇の家を訪ねていく。途中、バスを停留所をまちがえて一つ手前に降りてしまい、見知らぬ人に自転車に乗せてもらうことになる。これは彼の第一回目の犯罪のときの自転車に乗っている女の人を犯した時のことを思い出させて(珍宇も言っているように、悪いことをすれば空想も悪いことにつながっていくもので)やもたてもたまらなく寿南さんのことが心配になる。珍宇はその時、今までにない程被害者のことが強く感じられたと語っている。

ともかく珍宇は、自分の愛する人たち、父や母や寿南さん、そして減刑運動をする朝鮮人や少数の日本人たちとのつながりにおいて被害者に対する人間的感情と愛情を獲得していくのであった。彼が人間回復していった跡をみれば彼が何故に犯罪を起こすことになったかはあきらかである。

しかし、李珍宇は、寿南さんや減刑運動をした人々の熱意と愛が大きければ大きい程、また生きる意味を知れば知る程、自分の罪の大きさを感じなければならないのだった。彼はついにその苦しみにたえてきれなくなって仙台に押送してほしいと願い出ようとしたりする。その長い矛盾に満ちた苦しみの後で、人々との手紙のやりとりの後で、彼は人々の愛によってついに恩赦出願の手続きをとることを決意する。「様々な人を通して私は自分の生命を意識していかなばならない」と思った。

だが、ここまで人間回復した李珍宇を、日本の権力は無残にも死に追いやってしまった。出願の手続きを完了した翌日、珍宇は何の前ぶれもなく突然に刑場に送られた。恩赦請願した死刑囚を審理の終らぬうちに、刑場に送るという前例はなかったことだ。権力はなぜ処刑を急いだのだろうか。

珍宇の犯罪を犯した心理状態や、人間性回復の経過、そのための執拗な自己分析は、私たちが疎外された人間の心の暗闇を理解していく上に大きな示唆を与えてくれる。

私たちはこの暗闇に想像力をはせ、在日朝鮮人の子供たちのみならず、日本の疎外抑圧された子供たちに対していかなければならない。疎外された日本の子供たちに、どうして在日朝鮮人の子供たちに愛と連帯を感じ、精神的豊かさを持つことを期待できょうか。日本の子供たちにも愛と連帯を示す余裕はないのだ。「様々な人を通して生命の大切さを意識していかねばならない」珍宇が一生をかけて到達したこの言葉に私もまた近ずけるよう努力してみたい。

『むくげ』73号1981.4.25より

     
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