疎外
=犯罪によってしか確認されない
アイデンティティの感覚

『アメリカの息子』リチャード・ライト作

岸野淳子

 前号で田宮さんは李珍宇をとりあげて、“異邦人“として存在した彼の犯罪にいたるありようと、その解放を書いていましたが、私はそれを読む度に、彼のことを考えさせられていたのは、アメリカの黒人作家、リチャード・ライト(1908-1960)の『アメリカの息子』(NativeSon=1940)です。主人公の黒人少年、ビッカー・トーマスも、2人の女性を殺して死刑になるのですが、李珍宇が手紙の中で〈罪の感情がともなわない罪の意識、あるいはその意識でさえ漠然としている例として「異邦人」のムルソーや、「罪と罰」の*スウィドリガイロフ……〉をあげていますが、ビッカー・トマスも広い意味でこの系譜にぞくする主人公です。処刑を前にひかえて彼は弁護士に「わたしのひとを殺した理由は正当だったに違いないんです!」と苦悩にみちて言います。

また李珍宇が疎外の状況の中で、夢想の中だけでなく、現実の中で“眞に生きる”ということが“犯罪をおかす”というありようも、ビッカー・トーマスと重なって、.そこのあたりを、私は以前から興味をもっていましたので、『アメリカの息子』をとりあげることにしました。

主人公の父親は、彼が子どものころ、南部の暴動で殺された。.いまはシカゴの黒人街で、母と弟妹の4人暮らし。以前にも問題を起こして感化院にいったことのあるビッカー少年に、自分をとりまく状況はどんなふうにうつっているのだろうか悪童仲間へ彼はいう。(以下引用は、橋本福夫訳、早川書房より)〈「……おれはどうしても慣れっこになれないんだ。そのことを考えるたびに、真赤に焼けた鉄を喉に突き込まれたような気がする。畜生、見ろよ! おれたちはここに住み、やつらは向うに住んでいる。おれたちは黒くて、やつらは白い。やつらは何でも持っているが、おれたちは持っていない。やつらは何でもするが、おれたちにはできない。まるで刑務所に暮しているようなものだ。おれは世界の外にいて、垣の節穴からでも、覗いているような気がすることが多いんだ……。」〉父親を暴動で殺された黒人少年は“世界の外”にいて、垣の節穴から覗いているような思いで毎日を生きていた。これこそ疎外以外の何ものでもない。

福祉事務所の世話で、黒人に理解のある白人の金持、ドールトン家の運転手に雇われることになったその晩、彼はあやまって、酔って正体のない令嬢の首をしめて殺してしまった。それは、気ちがいじみた恐怖のあまりの過失であったが、それからあとのビッカーの心理と行動が、それまでの生活とはうって変って、黒人少年にとって“眞に生きる”こと、をあますところなく語っていると思う。

ビツカーはその翌朝の食卓で、自分のやってのけたぞっとするような怖しい行為を思い浮かべ、つぎのように感じている。〈……今迄の恐怖にのしかかられて過してきた生涯に、初めて、自分と自分の恐れている世界のあいだの防壁がきずかれたような気がした。彼は人を殺し、自分の力で新たな生涯を創造したわけだ。それはすべてが自分のものである何かであり、生まれて初めて、他人の奪うことのできない何かを、彼は自分の手で握ったのだった。〉

そして彼には、自分の犯罪が自然の出来事のように思われ、自分の全生涯がこうしたことを起す方向へ自分を導いていたのだという気がし、恐怖のまじった一種の誇りを感じる。その気分はこんなふうにも表現される。〈氷が割れてしまった今は、自分にほかのことだってやれはしないか? 自分を押し止められるものは何もないのではないか? 食卓に向かって朝めしを待っている間に、彼は長い間辿りつけなかった何かに到達したような気がした。

この日まで、白の恐怖にのしかかられてきた少年は、犯罪という反社会的な行為によって、初めて“自分の力で新たな生涯を創造した感じ”をわがものにし、“眞に生きる”ことの出発点にたった。別ないい方をすれば、犯罪によって初めて、アイデンティティ確認の端緒をつかんだということになる。

 そのあと、犯罪が発覚し、逃亡する時間こそ、この小説の主要部分をなすところの、少年が生涯で生きたもっとも耀しい時間となった。逃避行のあいだに彼が感じたのは、たとえば、〈…だが、その指のふるえは恐怖心のせいではなかった。彼は一種の熱情を、自信を、充実さを、自由を、感じていた。全生命が至上の意味に満ちた行為にまきこまれていた。〉という充実感。あるいは、〈自分の生涯を自分自信の手に握り、自分の好きなように処置できるかぎりは、いつ、どこへ逃げるかを、自分で決定できる限りはなにも怖れることはない、と彼は思った。……彼は今迄に味わった記憶もないほどの、活気を感じた。智力も注意力も尖鋭化し、一つの目標に集中した。〉という彼の高揚感は、刻々と輪をせばめる犯人探しの警官に対する強い緊張感をはらんだものであった。これこそ、具体的には、少年が初めて体験した、白との対等な、かつ徹底的な闘いでもあったのだ。

追いつめられたビッカーは、一緒に逃げている黒人の情婦を、逃避行に邪魔になると殺してしまう。同じ仲間の黒人への凶行に対してさえ、彼は昂然とした気分でつぎのように思うのだ。〈…彼の全生涯でも、この二度の凶行は今迄に起きた最も意義深い出来事だった。今の彼は、他人がその盲目の眼で彼を眺めた場合どう考えようと、真実に、深みをもって、生きているのだった。今迄には、一度としてこれほど自分の行為の結果を生き抜く機会を持ったことはなかった。今度の不安と殺人と逃走との昼夜ほど、自分の意志が解放されていたことはなかった。〉この“眞実に、深みをもって生きること”こそ、誰もが追い求めている“眞に生きる”ことである。

以上の引用した表現にみられるような“眞に生きる”感覚、それは、まさにエリクソンがいうところのアイデンティティの感覚といえるだろう。即ち〈…わたしがアイデンティティの感覚とでも呼びたいものは、鼓舞的同一性と連続性との主観的感覚として、妻にあてたW・ジェームズの手紙のなかに最もよく描写されているようにわたしには思われる。

「人の性格というものは、ある精神的もしくは道徳的な態度のなかにおかれたときに、はっきりしてくるものです。つまり、そのような態度が身に宿るとき、人間は、ものごとに積極的に、しかも生き生きと対処できる自分を、きわめて深く、強く感じるのです。そのような瞬間には、次のように叫ぶ内なる声が聞こえてきます。“これこそ眞実のわたしだ!……、」

こうしたアイデンティティの確認が、殺人をきっかけとして、そのあとにつづく逃避行によって実現したこと、さらにいえば、それによってしか実現しなかったことに、黒人少年のそれまでの恐怖にみちた生活のありようを、陰画として明確に示している。

 その陰画の心理的な内実、いわば黒人少年がアイデンティティを確得する前のありようを、もう少しふみこんで考えてみたいと思う。過去をふりかえって、ビッカーはつぎのように思うところがある。〈時折、自分の部屋や歩道にいる時に、通りは真直ぐであり、壁は四角であるにしても、彼はこの世界が奇妙な迷路のように思え、自分のうちには、それを理解し、分割し、集中させる何かがあるはずだという気がした。ところが、憎悪の強制のもとでなければ、その葛藤は解決がつかなかった…〉したがって、ビッカーが最初に白人の娘を殺した行為は憎悪の強制によって、始めて拳をつきだす行為、小説の中の比喩的な表現によれば、〈盲めっぽうに拳をつきだし手当りしだいの物なり人間なりをなぐりつける〉ようなものであったと考えられる。

こうした黒人少年の精神的疎外の極限状況は、もちろんビッカー・トマスに個有のものではない。かつて、仏領マルチニック島生まれの黒人精神科医、フランソワ・ファノンは、黒人の精神病患者とのかかわりの中から『黒い皮膚白い仮面』という著作をうんだが'黒人の自我の実存的コンプレックスをつぎのように解明している。(引用は、海老坂武訳・みすず書房)

〈黒人が価値喪失感を乗り越えることができるかどうか、恐怖症患者の行動にきわめて近い強迫的な性格を生活から追い出すことができるかどうか、それを知らねばならない。ニグロには、憤怒の感情、自分が卑劣であると感ずる怒り、一切の人間的な交わりへの不能感があり、それらによって堪えがたいまでの孤独の状態に閉じこめられているのだ。〉

在日朝鮮人少年、李珍宇も、黒人少年、ビッカー・トーマスも、堪えがたいまでの孤絶の状態に閉じこめられ、現実との交わりを失っていた。その結果としておこる彼らの非在感のために、殺人のあとでさえ、李珍宇は罪の感情をもつことができず、ビッカーにいたっては、正当だった、とさえ思っていたのだ。

さて、ビッカーは、警官たちの大包囲網の中で袋のねずみとなって捕えられ、獄舎につながれる身となる。そこで弁護士マックスの、ねばり強くあたたかい質問に答えてゆくなかで、少しずつ心がほぐれて、ようやく自分を見つめながら話すことができるようになる。黒人として生まれてこの方の精神の疎外状況と、犯罪によって初めて確認されたアイデンティティの感覚を、彼は自分の言葉としてつぎのように、マックスにいう。

〈「……あの女たちを殺したのは、自分がおびえ、腹をたてていたからでした。ですが、生まれてからずっとおびえ、腹をたてていたのに、あの最初の女を殺してからは、すこしのあいだは、もうびくびくしなくなっていました。」

「…自分のしたかったことを、何かやれていたら、わたしもちゃんと暮せたのかもしれません。その場合は、おびえもしなかったでしょう。たぶん、無性に腹をたてたりも……()マックスとの長い対話のあと、ビッカーは、〈やすらぎの涼やかな息吹きが身体のうちに漂っている〉休息の短い猶予期間を味わい、なぜマックスが、憎悪の白い潮流をおかしてまでも、自分を助けてくれたりするのだろうと考える。さらに、自分をいつもおびやかしてきた、白くそびえたっている憎悪の山が、当然山なんかではなくて、民衆だったとしたらと、自分というものを、ほかの人間との関連において眺めようと試みる。そして、〈彼は、生まれて初めて、自分の足の下に大地を感じ、大地がそこにとどまっていてくれることを願った〉と、あの耐えがたいまでの弧絶の状態から抜けだすことを希求するのだ。

それは、黒人としてのおびえた日常から、監獄の壁によって物理的に遮断され、しかも死を前にした少年に、初めて訪れた希求であった。彼の切実な願いは、つぎのように表現されている。

〈……この手をのばして、ほかの人間にさわれたら、この石の壁を突き抜いて手をのばし、ほかの心臓と連結しているほかの手と触れたとしたら一応答が、ピリッとくるショックが、感じられるだろうか? 彼はべつにそれらの心臓が自分に緩みを送ってくれることを望んでいるわけではなかった。ただ、ほかにも心臓があり、しかもそれが暖いのだと知ることさえできたら! ただそれだけでいいのだった。それだけで充分だし、充分すぎるくらいだったろう。しかもその接触には、その認め合う応答には、結合が、自己確認が、あるに相違ないのだ。〉支えとなってくれる合一が、彼には生涯拒否されていた円満感があるに相違ないのだ。〉

マックスの情熱をこめた弁護にもかかわらず、しかも、ビッカーの手をのばしてほかの人間にさわりたいという願いにもかかわらず、彼は死刑となる。電気椅子にむかう直前、ビッカーはマックスに対して、一番最初に書いたように「わたしのひとを殺した理由は、正当だったに違いないんです!」という言葉につづけて〈……わたしはそのために殺さねばならないほど、せっぱつまった気持になった時までは、自分が本当にこの世の中に生きているような気がしなかったのです……〉とみずからの短い生涯を要約したように、恐怖にみちた目でいう。

 黒人作家リチャード・ライトは、1940年、この『アメリカの息子』によって、抗議文学の旗手として一躍有名になった。この作品を機にして、黒人文学はアメリカ文学の中で始めて正当な位置を与えられ、ボールドウィン、エリソンとと、すぐれた黒人作家があとにつづく。『アメリカの息子』が世に出てすでに40年1960年代後半のアメリカを揺るがせたブラックパワーの運動家たちは、ビッカー・トマスの像にみずからを重ねてこの作品を改めて高く評価した。今日の日本においても、この小説から、犯罪、ひろくいえば暴力によってしか確認されないアイデンティティのありようと、”眞に生きる”意味を考えさせられたという点で、きわめて身近な作品である。

*李珍宇の原文のまま
『むくげ』74号1981.6.15より

     
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