たくましくユーモラスに描かれた底辺民衆像

「日本三文オペラ」(開高健)

田宮美智子

毎日、京橋から鶴橋の環状線に乗って通勤している私は、夕方疲れた頭でぼんやり窓外を眺めているとき、いつも浮んでくる情景がある。それは「日本三文オペラ」(開高健)に描かれているアパッチ族と呼ばれる朝鮮人をはじめとする底辺民衆のたくましく悲愴でエネルギッシュでユーモラスな生のありさまである。作品が書かれたのは1959年であるが、私が作品を読んだのはそれから十年も後であろう。その頃でも京橋から森の宮の城東線の線路ぞいに、つぶれそうな小屋が、がむしゃらにへばりついた格好でまだ存在しているのを見て、ああ、これがアパッチ族の残党だなと微笑を禁じえなかったものだが、今はもうすっかり姿を消してしまった。

夏になると日本の原体験ともいえる戦争の体験が語られるが、その度に京橋の爆撃の悲惨さが語られる。この作品もこの爆撃に関係していて、作品の舞台は旧陸軍砲兵廠の跡の廃墟である。戦争中、日本には7つの兵器工場があったが、これはその中でも最も莫大な兵器工場であったそうで、敗戦の時は7万人の人間が働いていたといわれる。京橋の爆撃はこれらのものを一挙に土の中に眠らせることになった。アパッチ族というのは、この広大な廃墟に眠っている屑鉄を、彼らの言葉でいえば、笑う(盗む)泥棒集団のことである。

この作品は作者がアパッチ部落に実際に潜入して取材して書いたといわれるが、はじめ部落の中へ入ろうにも入りようがなくて困っていたところ、ある新聞社にいる友人の友人が、この部落のある班の親玉を呼んでくるからと紹介されたのが詩人の金時鐘であったそうで、これには作者も驚かされたと語っている。

さて、この作品を読んで、誰もが笑わずにはおれない。その愉快さ、痛快さ、健康さといったものはいったいどこからくるのであろうか。盗むという行為は常識的には悪と考えられようが、この作品はそのような観念をふっとばしてしまうのである。生きるために盗むことが正当化されるかどうかという問は、芥川龍之介の作品「羅生門」を思い出させる。盗まねば飢死する。死を選ぶか盗みを選ぶかというぎりぎりの極限状況におかれた下人が生きていくために盗みを選んでいく。命と引きかえにすれば盗みは許されるという観念は理解できても、作品を読んで、私達は下人の行為を決して肯定できない。それは下人が盗みを働く対象が自分と同じような極限状況にあかれた老婆であるところからきているのかもしれない。しかし私達が下人を肯定できないのは、下人が生の存在理由を己れの内部に持っていないということである。死人の髪の毛を抜いて売ってかろうじて生をつないでいた老婆が、この死んだ女(髪の毛を抜かれている)も生きていくために蛇を四寸ばかりに切って干したのを干魚だといって売っていた。この女も生きていくために仕方なく悪いことをしていたのだから、仕方なく悪いことをしている自分を許してくれるだろうという。下人は「ではおまえも恨むまいな」と老婆の着物を剥ぎ取り、老婆の自己合理化の論理を逆用し、自己の存在理由としていく。下人は生の証を外側に求めて生きていく。たとえ下人が生物的な命を生きながらえたとしても、決して真に生きたことにはならないだろう。芥川龍之介は自己合理化という他律的な生、主体を欠如させ.人間を堕落させていくものは何なのかを追求し描こうとしたのであろう。それだけに、この作品は生きるか死ぬかという極限状況におかれた下人を感じることができないのである。真の命の大切さを知っているものは、極限状況におかれた人間の主体そのものであって他者ではない。そのような極限状況におかれた時、下人の意識のようなプチブル的な余裕は生まれてこないのではないだろうか。

アパッチ部落の人間たちは、今日一日を食うために真に生きるのである。そのために全力投球するのである。彼らは今日一日を食うために命をかけて盗む。彼らは盗むことを“笑う”といい、“笑う”ことは“食う”ことであり、“歌う”ことなのである。笑う−食う−歌う−生きることを妨害する警察とも命がけで闘わねばならない。作品の中にこんなところがある。

警察署へいってみると、すでに逮捕されたアパッチ族が何人も取調室で訊問をうけていた。……取調室には重量計がおかれ、警官が何人も汗みずくになって押収したブツの重量を計っていたが、その土まみれ泥まみれの50貫、70貫という、途方もない古鉄の団塊はいったい誰が掘り起こしたものか、さっぱり見当がつかなかった。もちろん指絞の検出は不可能である。第一、まつ暗ななかで仕事しているさいちゅうに不意をおそわれたものだから、発掘人の当人のアパッチ族自身が眼の前にならべられたブツを見わけることができないのだ。アパッチ族の大男たちは、みんな頭をかき、小さくなってブツを見ていた。警官たちはシャツ一枚になって、ブツと格闘していた。うっかり落すと手や足の骨をたちまち砕いてしまいそうなほど兇暴な重量にブツは充満して、警官たちはあちらへよろよろこちらへふらふらさせながら廊下から取調室に入って秤にのぼり、秤からおりると、ふたたび大騒ぎを起しつつ、陰気な顔つきでゆっくり廊下へでていった。警官たちは額に血管を走らせ、ありとあらゆる呪咀の言葉をつばや汗にまぶして叫びつつ、必死のへっびり腰で廊下を往復した。

その騒ぎを見ていた刑事が、うんざりした顔つきで、

「やい、おまえらこんなゴツいもんどないして運ぶつもりやった。」

と聞くと、アパッチ族の一人は、明るみのしたにさらけだされた獲物の大仰さと不恰好さにわれながらげっそりした表情で

「……へえ、まア、なんとなく」

といった。

刑事はめんどうくさそうに調書を鉛筆でポンポンたたき、

「まともに答えたら、どや」

といった。

「こんなえげつないもんがなんとなく運べるかいな。まともにいうてみ」

[精神でおま」

「なめたら承知せんぞ」

[いや、そんなつもりは毛頭ないんです。わしらはなんせ貧乏やさかいブツ運ぶちゅうても体のほかにテがないんですわ。そこをなんやしらん夢中になってやりよりますよってに、その、どういうか精神一到。つまり、ああ、これがないと飯(まま)食えんねんなア、と思たら、つい思いもかけん力(りき)がでよりまして、やっぱりこらア、精神一到ちゅうこって]

人を食ったような大阪弁の面白さも手伝ってこのアパッチ族の精神一到一生の前には、国家権力の手先といえども、彼らの姿は滑稽でしかないだろう。このアパッチ部落の朝鮮人キム親分に云わせるとルンペンほど軽蔑すべき情けない存在はない。西成のジャンジャン横町で塵拾いをしても食い物にあずからずふらふらしていたフクスケが、キムの女房に.拾われて連れてこられたとき、キムが「ここは寄合い世帯や、ええか、住んでる奴は朝鮮、日本、沖縄、国境なしや。税金もないし戸籍もいらん。南鮮も北鮮もないのや。金庫破りもいよるし、自転車泥棒もいよる。指名手配も密入国した奴もいよるし炭坑で赤旗振って首になった奴もいよる。……しかしやで、ここにはルンペンがひとりもおれへん」と自慢する。フクスケは「つまり、あんさん、みんなルンペンやからやないかいな」と云うと、キムは度しがたい馬鹿の顔を見たといった表情をした。キムにとって他人から生を保障されることを待つ乞食やルンペンほど軽蔑すべきものはない。自分のおまんまは自分の手で稼がねばならない。それが自分に責任をもって生きるということだ。このアパッチ部落に集まってくる人間は、キムも語るように、いわゆる職業も女房も家族もなく名前も戸籍も分らない。いわゆる社会的な属性をすべて失った人間、朝鮮人や沖縄人、障害者など社会的に役立たずとされ差別され抑圧された人聞ばかりである。名前もゴン、タマ、ラバ、オカマ、自転車、笑い屋、金庫、ちんば、片手、腰ぬけ、もうろくといった調子である。差別語だなどと云ったら彼らから笑いとばされてしまうだろう。

このように差別され役立たずとされた者の集まりであるアパッチ族が、真夜中になると、暗闇の中でヤブ蚊の巣であるススキや雑草の繁茂した35万坪の密林の中で大活躍するのであるから、警官も辟易せざるをえない。それには彼らの集団の力と規律が必要であった。それは規則正しい分業制と分け前の平等性であった。例えば、彼ら全体を指揮する親分、ブツが見つかったら警官の監視の眼をくぐりぬけて土中から堀って運ぶ先頭部隊、そのブツを平野川を伝馬舟で運んで渡す、渡し屋である6女や子供やとしよりやちんばや片手は昼間、匙で土をほじってブツを探し廻ったり、なにげなく警察のまわりをうろついて警官隊出動の動静をさぐり知らせるシケ張りなどをした。それらは先頭部隊におとらず大切な役割とされ、すべて平等の分け前にあずかった。彼らはどんな切れっぱしのような人間もうまく利用し活用させたのである。

ある日アパッチ族のうわさを聞いて実に情けないとしよりがやってきた。頭がどこか狂っているうえに、右手は指は五本ともなくなり、左手はかろうじて三本、おまけに足はびっこで、狂気が運動神経まで犯したらしく手足の動作はきわめて脆弱といったありさまである。ところがこのとしよりは中核行動隊の附属物として戦場に送りこまれた。三本の一升瓶に水をつめ、首からつり下げさせ、紐でくくって獲物を堀って喉のカラカラになった先頭部隊に、水を売って歩かせたのである。

このような能力に応じた分業制がとられるなかで、彼らは思いもかけない力を発揮し、それが彼らに自尊心を抱かせ、みんなの賞賛になることも多かったが、沖縄人のタマの活躍は一きわ目立った事件であった。

アパッチ族が獲物を堀って伝馬舟に積みこんで平野川を渡すのはかれこれ夜あけになるのであるが、そんなとき警官隊におそわれることになると、彼らはブツを積んだ舟をわざと惜しげもなくひっくりかえしてしまうのである。この平野川は犬の死骸や野菜や機械の油、尿、空缶など重く粘っこく沈殿腐敗していて、アパッチ族といえども、さすがにすくんでしまうのである。逃げおくれて飛びこんで死んだ者も多かったが、死んだアパッチが解剖されたとき、メスを入れると血は一滴もでず、絵具のチューブをおしだすように練られた泥がでてきたというのである。

ところが、肺の自慢のタマはこの平野川に沈んだブツに挑んだのである。彼は胸を二、三回こすって深呼吸しながら河岸っぷちに歩いてゆくと、全住民の注視のうちに、こともなげに悪臭の液のなかへとびこんだ。川の厚い機械油の虹膜はいやいやながら穴をあけて彼の体をのみ、腹だたしげにふるえて騒ぎそれから悪相で穴を閉じた。タマは泥のなかを這いまわりさがしまわりあっちへ浮いては

「ロップ!」

と叫び、こっちへとびだしては

「チェンブロック!」

と叫んだ。叫ぶたびに彼はきまってまつ黒な水を口から吐いた。岸では彼の指図どおりに男たちがかけまわり、丸太ン棒が滑車をぶらさげて川のうえへつきだされた。泥んこのイルカはロープをもって液のなかにもぐり?むと、しばらくあわただしげに浮いたり沈んだりしていたが、やがて虹膜をやぶって跳ねあがり、

「ひけ!」

と叫んだ。

タマは川を泳ぎわたると、岸に這いあがりしばらく死んだようにじっと眼をつむってたおれていた。キムの女房がかけよって、

「どや、どや、だいじょうぶか?」

と肩を叩くと、全身泥まみれで見るもむざんなありさまになった美貌の帝王民族は、まつ青な顔をしてうめいた。

「酎(ちゅ)っコ、持つち来(こ)」

キムの女房は笑いながら部落へ走った。彼女は焼酎の一升瓶を抱えて走りもどってくると、もともと瓶詰の瓶だったコップを二、三回金錆だらけの指でぬぐってから、なみなみと注ぎ

「さあアキュウッと…」

といった。

タマは鼻さきにコップをつきつけられたので、ようやく体を起し、草のうえにあぐらをかくと肩であえぎながら焼酎をひと息あおった。彼は仰向いて、眼を閉じ、のどをごろごろ鳴らせてから、パッと焼酎をはいた。それはまつ黒であった。二、三回くりかえすうちに焼酎の色はだんだん黒から灰から薄ねずみとかわり、やっと透明になったところでタマは大きなまつ黒な疲を苦心してのどの奥からしぼりだし、ひとこと

「歌(うと)たと!」

といって膝をたたいた。

この部分を読んで私は何度も感動を覚えた。これは美しいといっても良い情景である。それはなぜであろうか。それは「敵たと!」と添ったタマの意識の持ち方かもしれない。誰のためでもない自分でやり、やり切った自分に純粋に満足しているタマの精神が美しいのだ。ここには己れの命を支えるために仕方がないからやったのだといった他律的な甘えの気持は少しもない。

さて、このような生き生きしたエネルギッシュな集団、アパッチ部落も、やがて崩壊する時がやってくる。その原因の大きな理由は勿論権力によってこの広大な土地が整理.されていくことであるが、しかしその前に、彼らの集団そのものの規律や統制が失なわれていったことに原因がある。それを考えてみると、現代の人間の病理にも通じていて面白い。

このアパッチ部落の活躍ぶりが新聞に報道され、世間の注目をあびてくると、世の失業者や浮浪者がどんどん部落の中に入って来る。部落の人口が増え、下宿屋が増え、獲物をあさる者が多くなっていった。必然、獲物のありかを探すあたり屋も競争になってきた。しかもあたり屋は情報をどの組に売ってもよいわけである。そのうちキム親分に売った情報を別の組にも売って二重取りするあたり屋もあらわれてきた。警察の動静どころかこちらの動静を警察に売る者も生まれ、もう誰が見方で誰がスパイか分らなくなっていくのである。

そのうち一人のあたり屋がこ銀板50キロ入換と書いた箱が見つかったという情報を流しその獲物をめぐって、部落の人間は、まるでパニック状態を思わせるねずみのように、非在の銀の幻想に向って行動を開始するのである。誰もが銀をひとりじめにしようとして直接行動を始めるのである。分業制は完全にこわれ、組織の信頼関係や連帯も崩れていくのであった。今日一日を食うために命をかけていたアパッチ族たちも、身体を使わずに楽をして、多くのものを所有しようとする、いわば人間らしい欲と知恵を持つやいなや、それが彼らを堕落させ破滅させていったというのは、修身のお話のようだが、しかしまさに現在の状況を考えるとき、深く考えさせる真理がある。食うためにみんなが力を合わせていくことが崩壊し、欲にとりつかれ、人間がお互いの不信の中で、多くの獲物を自分のものにしたいと眼をギラギラさせながら銀の幻想にとりつかれている悲しいアパッチ族の終末は、まるで私達現代の人間の病理そのものではないか。いったい、キムやタマ、原住民アパッチたちはどこにいってしまったのであろうか。

『むくげ』76号1981.10.15より 

     
inserted by FC2 system