見えないのは拍手の側の眼の構造のせいだ

−「見えない人間」ラルフ・エリソン著−

岸野淳子

ラルフ・エリソン著「見えない人間」T・II

これはある黒人青年の、Invisibleman(見えない人間)としてのアイデンティティの確認にいたる物語であり、同時にそのプロセスにおいて、黒人を「見えない人間」にしている構造を照らしだしているという仕組みになっている。

黒人文学の上からいえば、抗議文学の旗手として一躍有名になったリチャード・ライトの、「アメリカの息子」(1940年、むくげ74号参照)が出てから12年後、ジェイムズ・ボールドウィンの「山に上りて告げよ」が発表される1年前の1952年、ラルフ・エリソンの「見えない人間」が世に出て大きな反響をよんだ。この小説は、1950年代後半から始まった黒人解放運動に先だって、黒人の存在を深いところで表現し、いま読んでみても、およそ被抑圧の立場にある人間のありように示唆を与えていると思う。

主人公の僕が不可視人間であるのは、ひとが見ようとしないだけのこと、つまり〈拍手の人間の内的な眼の、構造のせいなのだ〉が、そのことに気づくには、投げた期待がブーメランのように自己にかえってくるにがい経験を味わわされた長い期間が必要であった。さらに僕は自分の不可視性を発見するまでは、生きていたとはいえなかった、と漸く気づいた次第で、その間、人生の主調音のように、何かにつけて思い出されたのは、元如隷だった祖父の言葉だった。彼は死の床についた時、自分の一生は戦いで、敵の国にひそんでいたスパイみたいなものだった〈・・ハイハイと言って、奴等(=白人のこと 筆者註)の手も足も出せなくさせ、にやにや笑いで奴等の足の下を掘り崩し、なんでも言うことに従ってやって、奴等を死と破滅に導き、わざと呑み込まれてやって、奴等の腹が裂けるか、お前を吐き出すしかないようにしてやるんだぞ〉と言い残したのだ。

まず最初は、白人の期待する黒人像としての僕。高校を優秀な成績で終了した日、町のおもだった白人たちの集まりに招かれて演説をした。それは彼らの拍手喝采をうけて、僕は黒人大学の給費生資格書を与えられ、白人の期待にそう黒人青年としての前途が約束されたのだ。

その美しい大学で、僕はアルバイトとして、大学の理事である金持の白人の運転手となった。ある日、会議前のあき時間を、理事の望むまゝにドライヴし、学園の近くにある昔ながらの丸太小屋で、老黒人の"娘をおかした"話を聞く。ショックをうけた白人はウィスキーを所望し、やむなく帰途の賭博場で車を止めた結果、僕がもっとも恐れていた事態、つまりそこの乱痴気さわぎにまきこまれてしまう。このことが、いままで白人の期待どおりの人間になろうとして脇目もふらずに走り続けてきた僕の予期せぬつまづきとなった。僕は黒人総長から、学校に測り知れない損害を及ぼしたということで放校処分を言いわたされた。

この黒人総長というのは、もとはといえば僕がなりたいと望んでいた手本であるが、僕を「見えない人聞」にする構造の一部として重要な存在である。貧困から身をおこし、2台までもキャデラックを持ち、一総長にとどまらず黒人の指導者としで最高の権力を手にいれた典型であった。彼は僕のことを〈君は教育を受けても馬鹿な黒人〉だといい、また〈君は何者でもないのだぞ。君は存在していないのだ君はそれが悟れないのか? 白人はあらゆる人間にどう考えるべきかを告げるわしのような人間だけは例外だ。…〉つまり、誇りだの威厳だのというものは白人にまかせて、けっしてさからわず、その蔭で白人の力を利用することこれが、自らの不可視性を逆手にとって成り上がった黒人総長の教訓であった。

自分の不可視性にまだ気づいていない僕は、学園復帰に希望をつなぎながら、総長から与えられた有力理事への紹介状をたづさえてニューヨークにいく。まだ走りつづけていたといえる。ところがその紹介状は仕事口の依頼などではなく、持参する青年の放校処分を告げるものであった。僕はその時、信じられない気がすると同時に、こうしたことがそっくり以前にも起きたような気もした。さすがの僕も、黒人総長を殺そうと決心して夜を明かすが、次の日見つけた働き口の工場で大怪我をし、電気ショックの治療の過程で自分の名前がわからなくなってしまう。一体自分は誰なのだ? この一時的な身元の喪失感は、僕が、見えない人間としての自己確認にいたる一里指標としての意味をもつだろう。

このあと僕は怪我の補償金で、ハーレムに暮していたが、あの病院にいた時にとりつかれた自分の身元についての強迫観念がぶりかえしていた。〈今迄の生活条件が僕の頭の中に作らせていた、感情を凍結させる氷の層のどこかでのほうで、一点の黒い憤りがカッとほてり………強烈を極めた熱い赤光を投げ上げた〉。要するに、放校以来の出来事によって氷が溶けかゝり、その洪水で僕は溺れ死にそうになっていた。

こんな時、僕はハーレムの歩道で売っていたヤムイモの焼ける匂いに突き刺されるような郷愁をおぼえる。それは貧しかった過去の常食で、生まれつきのアザみたいなものだった。僕はイモをかじりながらぶらぶら歩き、突然強烈な解放感に圧倒される。この時始めて悟ったのは、〈自分自身のしたいことではなくて、ひとから期待されていることだけをしょうと努力したおかげで、僕はずいぶんいろんなものを失ったのではないのか? なんという浪費、なんという無意味な浪費だろう!〉ということだった。この解放感も、自己確認のプロセスで、あきらかに一つの前進を示すものである。

この直後ハーレムで、家の明け渡しを迫られた黒人の老夫婦が寒空の下、荷物ごと街路に追い出されたというところに出くわした。僕の内部で何かが激しく動いて、それは子供の頃、両親の涙を見て、おびえと同情から、自分も泣きたくなったと同じようなまきこまれ方で、僕は立ち去ることができなくなった。白人巡査との衝突があわや起ころうとした時、その暴力の光景が僕のうちにひそんでいる何かを解放しはしないかという不安から、僕はわれ知らず演説を始めて黒人群衆を立ち退き反対のデモに組織されてしまった。このアジテーションの効果を見ていた"兄弟愛団"のメンバーから、僕は演説要員として入会を誘われた。

兄弟愛団とは白黒の両人種の兄弟たちから成る社会変革のための政治結社である。僕は運動の趣旨に賛成というよりも、駅のポーターの仕事につくよりも得意な演説をする機会がありそうだというぐらいの気持で、入会の誘いを受けいれた。与えられた新しい名前での新しい生活ここでは白黒は完全に協調しているように見えたし、おのれの前に突然ひろがった運命に最善をつくそうと決心した。それは偉大でもあれば重要でもある何事かをなしとげる可能性のある道、しかも、生まれて始めて、自分が種族の一員である以上の存在になれる可能性のある道のように見えた。僕は熱に浮かされたみたいに活動し、ハーレムの民心をとらえて、僕の新しい名前は普及しかかった。

こんなふうに、僕が生まれて始めて、白人が期待するのとは違った、自らの道と思える活動に本気で打ち込むようになった、ところ、政治組織の定石ともいえる意見の対立、戦術転換にぶつかる。いつの間にか組織から姿を消した黒人活動家が路上で白人警官に射殺された時のことだ。その光景を目撃した僕は、兄弟愛団と連絡をとれないまゝ、大衆葬を組織して予想をはるかに上まわる大成功をおさめた。つまり個人的責任において、黒人群衆の内部の奥深い感情に表現の機会を与えたわけだ。ところがこの行為は組織から糾弾されるところとなり、僕が〈演説をするために雇われている〉こと、思考し指導するのは組織の委員会であるというこの規律を受け入れなければ、組織を出るよりほかないと申し渡される。僕には幹部たちが、まるで、"白人のだんな"であるように思えるが、いまの生活が、自分にできる唯一の歴史的意義をもったものである、という考えから兄弟愛団から脱け出すことはやはり出来ないでいた。

ところが路上で、僕の立場を、奴隷つくりの白人の雇われ者と非難する黒人の戦闘的な別のグループとのごたごたにまきこまれ時、僕は彼らの目をくらませるために"黒眼鏡"をかけることにした。変装の効果はたちまちのうちにあらわれた。黒眼鏡をかけた僕は、宝くじ売り、賭博師、贈賄者、愛人、牧師、とその場その場で間違えられ、僕は何が実体なのかわからなくなってしまう。少くともこの変装は僕に、現実の新たな部分を開いて見せてくれた。〈いったい表面に現われている物事の奥に何がひそんでいるのだ? 色眼鏡や白い帽子くらいで僕の身元がかき消せるとすると、実際には誰が何者なのかわかりはしないではないか?〉と思うのだ。僕はハーレムのネオンサインの十字架が輝く教会でビラをもらうが、そこにはつぎのような言葉が連ねられていた。〈見えざるものを見よ/お、主よ、あなたの意志ははたされん!/われはいっさいを見、いっさいを知り、いっさいを語り、いっさいを治癒せん。汝らに未知の不可思議を見させん。…………〉

ともかくも僕の担当地:域であるハーレムは、別の戦闘的な黒人グループとのゴタゴタで危機的状況にあり、さらに、個人的には黒眼鏡の体験からおちいった湿地から抜け出すために、僕は兄弟愛団の理論的指導者との話し合いに出かけた。

そこで明らかになったことは、新たな社会が構成されるまでは、時に分体のうちの一部分が犠牲になることを是認する論理で、それが僕には、弱者は強者のために犠牲にならなきゃならない、その弱者はとりもなおさず自分たちの民族であると思われた。この時、兄弟愛団の幹部たち(白人)が、以前自分を走らせ続けた白人たち(もちろんその構造の中には黒人総長も含まれる)と重なりあう。つまり彼らにとっては僕の娘に物事がどう映っているかは問題ではなく、僕は単に利用すべき原料、天然資源にすぎない。とにかく僕は存在していて、しかも人の眼には見えないという根本的な矛盾、おびえさせられるような事実は、以前も今も変りないし、たゞ自らの不可視性をはっきり認識した点をのぞけば

このあと、自分が見えない人間であることを受け容れた僕は、亡き祖父の忠告を試みてみようとしたりもするが、ハーレムで人種暴動が起こり、その混乱の中でマンホールに落下してしまう。地下生活の冬眠の中で、僕は、次の一歩を踏み出すために、祖父の忠告の意味を考えたり、またこうした事態の責任、病弊が自分の内部にもあることにも気づいてあれこれ模索する。ともあれ、見えない人聞としての自己認識こそ、とりもなおさず、地下室脱出という次の一歩をうながさずにはいない。僕は古い皮膚を落しかかっている。(だが、そのあとの方向は読者にはさだかに伝わってこないが……)

いまから30年も前に書かれたこの小説は、アメリカにおける一黒人の身元(アイデンティティ)の発見として意味をもったもので、その後の現実の歴史は、次の段階の諸相を展開してみせている。おそらく自らの苦闘をあがなって書かれたこの小説は、作者の被抑圧者としてのアメリカ黒人の体験が色こく反映していると考えられるが、いまなお、それぞれの状況で、被抑圧の立場におかれている人間の、もっとも基本的な疎外の形を表現したという点で、その普遍性は色あせていない}

(訳文は「見えない人間」T・II橋本福夫訳・早川書房刊から)
『むくげ』77号1981.12.20より

     
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