民族学級の存続を求めて
1986年度大教組教研民族教育分科会レポート

市教組東部支部北鶴橋小分会 法蔵美智子

1.はじめに

民族学級は、1948年、GHQ及び日本政府の強制発動により、朝鮮人学校閉鎖という歴史的経緯の中で設置された。民族学級の灯を北鶴橋小学校にともし続けて35年、民族講師、金容海先生は、このほど(863)定年退職をむかえられることになった。が、後任講師の措置に対し、府教委の回答は、「時間給講師」の設置であった。

閉鎖令に基づき強制的に日本政府の手によって集団入学させられた朝鮮人児童・生徒にとって辛うじて守り得た最後の一線であるところの「民族学級」の灯が、今又、行政の手で消されようとしている。35年もの長い間幾多の苦難を経ながら、民族講師達の手で営々と取り組み続けられてきた「民族学級」の継続に対し、府教委は指針を殆んどもち合わせることなく、目然消滅を待っている状態である。

金先生の教室は、単に「三階の東の端にある部屋」ではない。韓国・朝鮮人にとってまぎれもない「目分達の教室」なのである。その教室の中で子らはクゴを学んだ。自国の歴史を学んだ。そして韓国人朝鮮人として生きることの自覚と誇りを持ち合った。北鶴橋小民族学級への熱い想いは祖父母から父母へ、父母から子へと確実に引き継がれている。

'863月、第34回修了生(35年間に送り出された修了生は1616人にのぼる)を送り出されて、金先生は退職された。しかし、益々明々しく燃える民族への想いを胸に、金先生は、今も尚、「非常勤嘱託」として、その灯を北鶴橋小で、ともし続けておられる。

「民族学級の存続」を強く訴えたい。

2.民族学級のあゆみ

@民族教育の意義

人間は生まれながらにして平等であり、いかなる差別もあってはならないことは、社会生活を営む上に最も基本的かつ大切な事柄である。だれもがみな平和で明るい豊かな生活を等しく求める権利を求めている。しかし現実にはこのような民主主義的ルールは十分徹底しているとはいえない実情にある。だれしも自分の名前を正しく言えることが、人間としての自立のはじまりであるのに、ひとり在日韓国・朝鮮人だけが本名を名乗りにくい状態におかれていることがそのあらわれである。

差別をなくすということは日本人を日本人として、韓国・朝鮮人を韓国・朝鮮人としてみ、その民族的なちがいには何ら優劣はなくたがいに尊重しあうということである。今日に根深く残る民族的誤解や偏見は、日本の生活伝統だけを価値判断するところからおこっている。しかし本当はさまざまな尺度が存在しており、その多様さを知ることが国際化の第一歩として必要である。

在日韓国・朝鮮人は歴史的・社会的に一般外国人とは異なるが、日本人的にみなしてしまおうとしたり、外国人であるという部分だけを拡大してみると、一般論に流れてしまって、日常生活の中の姿を見失う結果になりかねない。いまもなお在日韓国・朝鮮人は就職や結婚という人生の節目において民族差別に直面しており、はなはだしくは生きる希望さえ喪失してしまうことさえある。しかしその難関にたちむかい、のりこえていく時、民族的自覚とともに人間として成長をとげていく。

その過程においてまず必要なことは、自らの歴史的・社会的位置を知ることであり、いいかえれば祖国の歴史である。自立して歩むことの第一歩として「本名」があり、本名を名のることは、自分の進むべき道を確めることだともいえる。自分に偽りのない生き方こそのぞましいとすれば、韓国`朝鮮人であることをかくそうとすることほど、侮しい気持はない。民族学級は、韓国・朝鮮人としての自己を見い出し、自覚する場として重要な意義をもっている。民族教育とは具体的に在日韓国・朝鮮人がどうして生きていけばよいのかという問題を一つ一つ解きほぐそうとするとりくみである。民族教育は生活実感に根ざした、民族と個人の尊厳をじくとする「人間教育」である。

A民族教育の目標

1.自分が韓国・朝鮮人であることを自覚、認識することによって人間としてのほこりと責任感をもつ。

1.民族の一員として、民族の歴史の中で自分の位置を貝定め、助け合い共に向上しようとする気持ちをもつ。

1.日本社会の一員として、ひらかれた差別のない社会をつくることに参画する国際性をもつ。

学習内容

1.母国語 2.地理 3.歴史

4.生活習慣 5.民族の歌など                                         

→曜日
↓時限
5年   5年 4年 6年  
放課後 6年 6年   4年 5年  

6時限 (14301515)

放課後  (15201610)

※担 任 金容海

B本名使用について

大阪市教育委口会は、人間尊重の教育を推進することを目指し、昭和46年〜48年度において小・中学校の指導要録の全面改訂をした。その中で、特に「学籍の記録」欄の記載事項について、従来外国人子女の氏名・通名とまちまちであったのを改め、外国人子女の場合は本名で記載し、また卒業証書においても、指導要録と同じ取扱いに改めた。

これは学校生活における「外国人子女の人権を尊重する教育jと「民族的自覚とほこりを高める教育」の推進を願う教育的配慮そのものである。

本名を名のることによって、問題が解決されたと考えてはならない。むしろ本名を名のることによって、それまで隠されていた問題が掘りおこされ、これによって多くの問題が起こる可能性もある。その問題に対応できるための、日常よりの教育実践の積み重ねが必要である。したがって、本名の問題は民族的自覚とほこりを持たす教育とともに、社会的な差別構造を取り除くための出発点であるということを認識しなければならない。

本名使用については、地域・父母の実態・願いの上に立って、民族的自覚に目ざめ、本名を自ら名のることができる指導の徹底が必要で、そのためには学校生活全体の場で、科学的認識に基づいた指導の過程が大切であり、民族的主体性を確立するための教育でなくてはならない。(大阪市教育委員会発行「学習資料」より)

C歩み

1945{1815日 独立

第二次世界大戦の終結とともに、祖国の解放を迎えた在日韓国・朝鮮人は新しい国づくりに貢献しようと意気高く、多数が帰国した。当時、二百数十万人といわれた在日韓国・朝鮮人の人口は一挙に六十万程になり、残された最も大きな問題は「民族教育」であった。

ただちに、全国各地で講習会形式の教育活動が燃えあがるように活発になった。19464月には、歴史・地理や理数科などを母国語で教える学校形式に発展。「子どもたちが朝鮮人としての教育を受けられるかどうかということは、独立した朝鮮人の一人としての内容と資格を備えうるかの分れ目となる。」

19469月現在、初級学校525。中学4、青年学校12、の学校網で母国語の教科書による教育。

194710月、初級学校541、中学校7、青年学校22、高等学校8へと発展。

「過去において日本語のわからない祖母と朝鮮語を使うことをはじとして教えこまれた孫娘の間に、肉親としての愛情すら失っていた。そんな事実が無数にあった。子どもが朝鮮語をもって朝鮮人として教育されることは人道の問顕であり、人間的な愛情に関する問題である。」

1948312日閉鎖

1月に在日韓国・朝鮮人子女に日本の教育を受けるように義務づける通達が出され、民族学校が存続できないようになった。在日朝鮮人の大規模な抗議運動とこれに対する取り締まりはのちに「阪神教育事件」とよばれるようになった。たびかさなる交渉の結果64日、大阪府知事と大阪府朝鮮人教育問題共同闘争委員会との間に「覚書」がかわされ、教職適格者試験が行なわれ、正規授業の時間外に民族教育(母国語、歴史、地理)を行うことで今日の民族学級が生まれた。当初はそのための教室もなく。講堂を区切って数百もの児童を相手に教えるという、今では信られないような状態であった。

1952428日 講和

この日、サンフランシスコ講和条約の発効により、在日韓国・朝鮮人は「日本国籍」を離れ、「外国人」となった。つまり義務教育の対象でないことになり、在日韓国・朝鮮人は学校へ行けなくなるのでないかという新な不安がかもし出された。しかし一方で、祖国の統一をねがい、夢みながら安定を求める教育へのとりくみが開始される。

19591214日 帰国

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への帰国運動は民族意識を高め民族教育の熱意を飛躍的に向上させた。帰国の前提として母国語の習得も必須のことであった。また民族に対するほこりと自信も次第にわいてきた。

197274日 声明

劇的ともいえる南北共同声明は、永い間の希望であった祖国統一が大きく近づいたとの印象をだれもがもつようになった。そこから祖国に対する関心が高まり、民族教育の内容もかつてなく充実するようになった。北鶴小では「すべての人を人間として尊重し、いささかの差別も許さず、しないことを目標とする人間教育」が掲げられ、全校的な問題としてとりくむようになった。1973年度には「民族差別をなくするための教育課程」が作成され、すべての学年にわたって、教科を通して具体的な学習指導計画が編成された。

1974.915日 出版

北鶴小における民族教育の歩みと現状を記した「本名は民族のほこり」を出版、各方面から大きな反響があった。民族教育に対する関心が高まるにつれて、そのための資料が切実なものとなり、「差別をなくしほこり高い人格形成を本名を名のることの意義を通じて考える (19738) 「明日の希望を目ざして」本名を名のることから出発 (19751)「日本の学校に在籍する朝鮮人児童のための教育課題」(197610月)「在日韓国・朝鮮人の法的地位と民族教育課題」(1976)「なぜこんなに多くの韓国・朝鮮人が日本に住むようになったのか」(19771)等のパンフを「外国人子女教育研究部会資料」として次々に発行した。このころより、府下の小・中・高校で民族教育に関する講演も多数行った。

19851130日 発表

民族学級の交流・発表は従来、他校民族学級との間でドッジボール、ソフトボールなどの競技を通して積極的に親睦と連帯を深めてきた。7年前より大阪市外国人教育研究協議会の主催による「子ども民族音楽会」が開かれるようになり、北鶴小も5年参加している。1983年は「石屋さん」、1984年は「島の伝説」、1985年は「フンブとノルブ」を劇にして発表した。また198626日には校内において民族学級発表会を行ったが、これを参観した一世の中には感激のあまり涙をこぼす人さえあった。人間教育としての民族教育の一つの成果といえる。

以 上

大阪市立北鶴橋小学校 民族学級 発行 「民族学級のあゆみ」より

3.1985年度分会のとりくみ


11月 大阪市・大阪府教育委員会宛で署名活動
   (
民族学級の存続を求める緊急要求署名4,468名提出)

1210   対市交渉  (民族講師からも強く訴える)
        ・回答……民族学級の意義は認めるが、講師問題については、府教委とのかねあいもあり、               単独では認められない。 
129    
対府交渉 (部落解放大阪府共闘会議)
                (民族学級の存続を求める緊急要求署名15,923名提出)

        ・回答……○財政措置は講じる。
               ○採用試験制度の導入により、合格していない講師の採用はできない。
2月6日    北鶴橋小民族学級発表会
          ・民族学級授業参観(教師も参観)
          ・父母会……父母と管理職との話し合い
2月26日   
対府交渉
          ・回答(父母も参加)
            @ 民族学級の存続は必ずはかる。
            A 具体的措置を行う。
            B 日本人教師は配置しない。
            C 外国人教師の 教員を配置しない。
3月25日   
対府交渉
          ・回答             

当面

@民族学級については1948年の覚書をふまえ、その存続を認める。

A民族講師の定年退職にともなう講師の後任については措置する。

現講師の承任が得られるならば非常勤嘱託員として引き続き民族学級の担当をおねがいしたい。

B教育課程外の活動ではあるが、新たな制度として、非常勤講師(13時間×6=18時間122,400)1年間措置する。

C本人が希望する場合は契約を続行する。

D将来的にこの非常勤講師が採用テストに合格し、正採用になって後任としてあたるのがのぞましい。教員加配制度を有効にすることとあわせて民族学級の講師を措置するよう努めたい。

43日    対市交渉

○府教委の回答内容の確認

○定数内講師から非常勤(時間給)講師となったことについて(身分保障の問題・教育内容〔父母子どもにかかわる時間的な問題も含めての質的な問題、職員会議等、職員交流をはかる保障など〕など府教委回答の問題点を追及し分会の要求を出す。

○後任講師の採用にあたっては現民族講師や教師、父母の声など現場の声を大切にしてほしいとの要望を出す。

○回答内容については、論議のあるところであり、不満なものではあるが、昨年度の交渉が中断したことに比べ具体的施策としての回答を引き出せたことは評価できるのでこれを足がかりに次の目標に向けてとりくむ。

○市教組をはじめ、府下15の教職員組合単組が中心となっている。「部落解放府民共闘教育部」との共闘、更に「民族教育の保障を求める実行委員会」「大阪・日本の学校に在籍する朝鮮人児童・生徒の教育を考える会」「全朝教」などの民主勢力、そして今もなお、多くの苦難と闘いながら、日々がんばっている民族講師達が北鶴橋小分会を囲み、力を結集、主体的な闘いが組めた成果は何よりも大きい。

○分会内にあっては存続の危機に際し、もう一度自分とのかかわりの中で民族学級について教職員や父母、子どもたちが真剣に考え合ったことの意味は大きい。


4.民族学級の子どもの作文

差別のない日本に

 わたしは、どうして韓国人朝鮮人は、差別を受けなければならないのか、法律上では、国民主権は国民が国の主人公となったのに選挙権もない、どうしてかわたしは、わからない。日本人とおなじ税金をはらって韓国人朝鮮人は選挙権がない。

その他に、自分のいきたがる学校・会社にもいけない人もいっぱいいる。どうしてでしょう。おなじ人間でただこくせきがちがうだけで会社とかでも差別される。もしいい会社に就職できたとしても課長とか係長とかせきにんのかかった仕事にも上がらせてくれない。

もし、日本人の立場が逆だって外国人登録書に日本人がしもんをおしていやな気持にならないでしょうか。それといっしょで韓国人朝鮮人もいやいやしもんをおしている。だから韓国人朝鮮人は指紋押捺に反対するのあたりまえだと思う。それに他の国は、外国人登録書には、しもんをおさない。日本は外国人登録書はあってもいいけどしもんだけは、やめてほしい。

日本人、韓国人朝鮮人は仲よく差別のなくなるようになってほしい。

差別のない日本

  私は、日本人です。でも、四年生のときに韓国、朝鮮人のみんなといっしょに民族学級にはいりました。

始めは、いいかげんでしたが、今はちがいます。それは、すぐとなりのくにのことをいろいろ学ぶということは、とても大事なことだと、金ソンセニムの教えでわかったからです。

今、日本には、韓国・朝鮮人への差別がたくさんあります。韓国・朝鮮人の人は、この差別をこえなければなりません。でも、この悪い差別さえなければ、苦しい思いもしなくてすむのです。

これからの若者、私達が、団結して少しでも差別という悪いものをなくしていきたいと思います。そして、日本人、韓国・朝鮮人も関係なく、人間みんなが平等であってほしいと思います。

金ソンセンニムは、差別にたちむかう勇気とほこりを3年間かけて、じっくり教えて下さいました。

だから、私達の友達、韓国・朝鮮人の人はその勇気、ほこりを大事にもって社会に出てがんばってほしいです。

私達、日本人はそっと応援したいです。

本名と民族学級

  ぼくは、この学校に四年の二学期にてんこうしてきました。

ぼくは、むこうの学校には民族というものがなかったのに、ここの学校は、民族学級というものがあった。

ぼくは、どんな勉強をするのかなと思ったらかん国ちょうせんの歌や、国語・地理・れきし。

いろいろなこと、その中にも一番心にのこったのは、本名のことだ。

ぼくは、まだつう名で名のっている。

けど本名は、名のってみたい。民族の子の三分の二が本名を名のっている。

本名を名のるのは、たいへん、勇気がいることだ。と、金先生がいっていた。

けれど、ぼくは本名を名のって、人にへんなあだ名をつくられたり、しないかなと、思うときがあるし、それによって、いやみをいわれたりしないだろうか。

ときどき考える。本当に、三年間よくかん国ちょうせんの言葉、全部とはいかないが、

すこしでもおぼえることができて、大人になったら、かん国人のぼくは、日本でそだったがかん国語の、子音と母音を、おぼえた。

とても、おぼえるのにくろうした。

金先生にのこされてやったこともある。ぼくは、本名を名のったことは、民族学級でしかやっていない。

これから本名を名のってみたいと思います。

「民族学級に入って」

  ぼくは、五年になって北鶴橋小学校へ転校してきました。この北鶴橋小学校は、前の学校とちがって民族学級というのがありました。そこでは、韓国・朝鮮人が集まって、韓国語・朝鮮語、歌や歴史などを学んでいました。

ぼくにとって始めての授業で、読み書きはできませんでしたが、金先生がハングルの基礎、子音と母音を教えてくださったために、ハングルを読み書きできるようになりました。そのほかに、おおむかしから現在までおこった歴史、朝鮮半島の島や山、町など教えてくれた地理・韓国朝鮮の独得な美しい歌など、教えてくださいました。

一番よく教えられたのは、韓国・朝鮮人に対しての差別でした。名前で遊ばれたり、韓国・朝鮮人だといって人なみにあつかってくれないことやいろいろありました。ぼくも、おぼえた子から帰っていいと言うので一生けん命おぼえようとしてもなかなかおぼえられずにいつも帰るのは最後の方でした。

けれど楽しい時もいっぱいありました。

だけどもう私達は卒業です。金ソンセンニムも私達といっしょでこの学校から出ていかなければいけないのです。私達はぎりぎり最後まで教えてもらえてうれしいけれど、今の五年、四年これから民族学級に入ってくる人達がかわいそうです。ソンセンニムの話ではこのまま民族学級は残るみたいだけれど、金ソンセンニムの後につぐ先生がいないのです。

もし民族学級がなくなってしまったら、韓国・朝鮮人だと言われいじめられる子も何年かしたらでてくると思うし、それだけじゃなく、韓国・朝鮮人のほこりをなくしてしまうと思う。これからも民族学級を続けて一人でも自分の国の言葉をしゃべれる子をふやしてほしいと思います。

名前で遊ばれた事は何回かありました。でも、ぼくは差別に負けないで、ずっとがんばってきました。

どうして、ぼくたち韓国・朝鮮人が差別されなければならないのか疑問に思います。でもこんなことに負けていたら、民族学級に行ってるねうちがないと思い、差別に負けない韓国・朝鮮人としてのほこりをもって、大人になって社会に出てもこのことを心に打ちこんでがんばっていきたいです。

『民族学級の思い出』 34回民族学級修了生文集(19863.11発行)より)



5.民族学級を民族学級の核にすえた学校としてのとりくみ

 外国人子どもの教育を取り組むにあたって

1986530

大阪市立北鶴橋小学校

外国人子どもの教育部会

1.本校の実態

学年 在籍者数 外国人児童数 割合 本名を名のっている人数
1年 75人 31人 41% 男1人
女3人
4人
2年 63人 31人 49% 男3人
女6人
9人
3年 78人 32人 41% 男6人
女5人
11人
4年 79人 31人 39% 男4人
女6人
10人
5年 83人 29人 35% 男9人
女1人
10人
6年 73人 25人 34% 男4人
女3人
7人
合計 451人 179人 40% 男37人
女24人
51人

(イ)民族学級4年生以上の外国人児童が入級し、韓国・朝鮮語、歴史、音楽等週3回学習している。〔少数の日本人児童も入級し、学習している。〕

2.外国人教育のめあて
○日本人児童差別をしない、させないとともに仲間をささえあう教育。
○外国人児童−民族の自覚と誇りをもたせる教育。

3.研究の進め方

外国人子どもの教育部会が中心になって進めていく。

4.教員研修

1学期年間のとり組みについて。(年間指導計画や家庭訪問について)

2学期映画会等

3学期実践交流会(本年度の反省と来年度にむけて)

5.民族学級とのかかわり

民族学級入級式、終了式、民族音楽発表会などつねに職員が民族学級とかかわりをもつようにしている。

6.家庭訪問について(本名を名のるとりくみの一つとして)
          保護者の声をきき全体会をもつ。

学校を一歩外に出れば差別もたくさんある。保護者は今までの経験からそのことはよく知っている。そのため本名を名のっていない児童もいる。しかし我々は、差別しない。させない、差別に負けない強い児童を育てていかなければならない。そのため家庭訪問等で保護者と本名について、話し合う機会をもつ。

(話し方の例)「本校では、以前より、日本人・外国人ともにささえあって差別をなくし、そのため外国人児童に堂々と本名を名のれる教育を全職員が学級・学年・学校で取り組んでいますが、○○さん(本名を名のっていない家庭)は本名を名のるについて、どのように考えておられるかお話を聞かせてください。」

指導目標「正しい韓国・朝鮮を認識させる」

 ○ささえあい、たすけ合う集団の育成。

 ○本名の使用

 ○日本と韓国・朝鮮とのかかわり

 ○韓国・朝鮮の人たちの生活や文化

1○友だちどうし、なかよく助け合い、はげましあう気持ちを育てる。

    ○名前の大切さを知らせる。

    ○韓国・朝鮮の民話を読んで、日本のものと相似点を見つけさせ、
    親しみをもたせる。

    ○韓国・朝鮮の遊びを知らせる。

2○相手の気持ちをよく考え、友だち同志仲よく助け合い、
    はげまし合う気持ちを育てる。

    ○本名の大切さを知らせる。

    ○日本や韓国-朝鮮の物語を童話をみんなの前で話すことによって、
    お互いの国を理解させる。

   ○校区にある韓国・朝鮮の品物を売る店のようすを知らせる。

3○みだりに他人に動かされないで、自分でよく考えて行動する
    自主的な態度を育てる。

   ○韓国・朝鮮の人々の中には名前が二つあることを知らせる。

    ○校区や生野区のようすを知らせる。

    ○韓国・朝鮮民話を読むことによって、韓国・朝鮮に親しみを深め、
    視野を広げさせる。

4○人種・民族は異っていても、みな同じ人間であることを知り、
    ヒュ一マニズムの尊さを感じとらせる。

    ○韓国・朝鮮の人々はなぜ、二つの名前を使うのかを考えさせる。

   ○日本には、多くの韓国・朝鮮の人々が
    なぜ多く住んでいるのかを知らせる。

   ○韓国・朝鮮民話を読むことによって、韓国・朝鮮に親しみを深め、
    視野を広げさせる。

5○強い信頼によって結ばれた友情の美しさを感じとらせ、
    お互いに信頼しあい、助け合うことによって、
    友情を深める気持ちを育てる。

    ○本名を名のることの大切さを理解させる。

    ○地域の工業生産に従事する人々の生活を通して、
    地域のようすを考えさせる。

    ○韓国・朝鮮に日本と同じような伝統工業があること、
    また、それらの伝統工業の中には、韓国・朝鮮文化の影響を
    うけているものがあることを知らせる。

6○強い信頼によって結ばれた友情の美しさを感じとらせ、
    お互いに信頼しあい、助け合うことによって、
    友情を深める気持ちを育てる。

   ○基本的人権の意味を考えて、
    本名を名のることの大切さを理解させる。

   ○日本は古くから、韓国・朝鮮とどんな関係があったかを知らせ、
    地理的な理解とともに、正しい韓国・朝鮮を認識させる。

   ○韓国・朝鮮の人たちの生活や文化を知らせる。

『むくげ』108号1987.4.13より

     
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