全朝教大阪94年第1回シンポ報告 94.7.7. 府立総合福祉センター 子どもの権利条約と在日朝鮮人教育
国際子ども権利センター 事務局長 浜田進士 この文章は7月7日に行われた全朝教大阪(考える会)の94年第1回シンポジウムの浜田さんの講演のテープから再生したものです。文中わくで囲んだ部分は、当日のレジュメです。(テープ再生の責任は編集部にあります)
みなさん今晩わ。今、紹介頂きました浜田と言います。何回か事前の打合せを花峯さんたちとさせて頂きましたが、今日、その期待にお応えできるかどうか不安なんですけれど、できる限り、お話させて頂きます。1時間お話した後、自由に質問して頂こうと思います。その質問にお答えする形で、また話させてもらおうと思います。 今、紹介頂きましたように、私は、大学の時からユニセフ=国連児童基金ですね、『子どもの権利条約』を準備する際に、国連の機関として窓口になった団体に属していたものですから、どちらかと言うと国際的な視点ということで、この間お話させて頂きました。解放研究所に前川さんという方がいらっしゃいますけれど、前川さんがよく言われる3つの視点があります。 1つは、子どもの最優先ということ。日本の学校にいる子どもの問題を含めて、子どもの最優先という視点からどうやって見ていくのか。 2つは、これは批准の会などがやっていることですが、少数者の保護、あるいは、内外人平等ということ。この地域に住んでいる子どもたち、その管轄下にある子どもたちはどういう理由でも、平等に取り扱われなければならないという視点。 3つは、この『子どもの権利条約』というのは、自国の子どもだけではなく、国際協力の手で守っていくという視点がある。このように3点言われたのですけれど、私は、どちらかと言うと、熊本の全同教のときにもお話させて頂いたのですけれど、国際的な視点から、今言いました3番目の視点が多かったのですけれど、今日、リクエスト頂いたネタというか、落語のそれではありませんが、テーマは『子どもの権利条約』の中で、在日朝鮮人教育という問題がどう関わるのかということを、批准後の問題として話せということで、少し、ニワカ勉強のところがあると思います。と言いますのも、4月まで1年間、バングラディッシュの方へ行っていたものですから、バングラディッシュのことなら2時間でも3時間でもいけるのですけれど……。まあ、この間、子ども権利センターが入手した資料をご紹介しながら、この視点をお話したいなあと思っています。 私も大学に入る前、浪人中に奈良考える会に行ってまして、ハングルの勉強なんかさせてもらった思い出があって、こういう形でまたこんな所に立たして頂いてお話させて頂くのは、すごく、感慨深いなあと思っています。 『子どもの権利条約』を読まれたことがある方は、どれぐらいいらっしゃるでしょう。少しでも見たことがあるという方でも結構です。 それじゃ、まあ、私が作りましたレジュメがありますので、それに沿ってお話したいと思います。『子どもの権利条約』というのができたわけですが、この『子どもの権利条約』というのは、実は、これまでの歴史.の中で生まれてから、戦争あるいは親の離婚、名前の決定に至るまで、今まではずっと、大人の論理によって、大人の考え方によって、決定され、引き起こされてきた社会現象の最大の犠牲者であったということから、こうした歴史の中で子どもが犠牲者であり続けてきたという問題を、この権利と保護の客体から、自分の意志によって決定し、享有する権利の主体というふうに、大人の発想の転換を求ある権利条約なわけです。 『子どもの権利条約』と言いましても、国際とかそういうものがついていると、もう一つピンとこないとおっしゃる方がいると思うのですが……。〈はじめに〉というので質問が書いてあるのですが、これを考えて頂けますでしょうか。 「なぜ、国連という国際機関を用いた人権活動が必要なのでしょうか?」 いくらでも答えはあると思うのですが……日頃、みなさん、現場でですね、子どもたちと向き合っている中で、なかなか国際法というのは、あまり、縁遠いと思われていると思うのですが、じゃあ、今日どうして、こういうことを学ぶ必要があるのか、国際人権法という中で『子どもの権利条約』をやる必要があるのかということを、ちょっと考えて頂きたい。もうしんどいのに、なんで、こんなゼミの質問みたいなことを考えなあかんのかと言われそうですけれど。どうでしょう。たとえば、この在日韓国・朝鮮人教育を取り組むときに、国連という国際機関の中で人権活動が必要なのか。少し、むずかしい質問なのですけれど……。まあ、いろいろ、考えていらっしゃることがあると思うのですが。 ぶっちゃけた話ですね、やはり、日本における人権意識というか、人権感覚があまりにもお粗末である。国際的な基準に照らし合わしてみたときに、非常にお粗末であるということですね。世界的な流れとしては、民族差別、あるいは人権差別というのは犯罪であるという流れ、人権基準の流れができているのに、まだ、日本というのは国民という考え方の中で、この問題を捉えようとする。世界的な流れ、新しい流れとしては、国民から個人へというふうに、人権の捉え方が変わってきていまして、より弱いより少ない、少数者の権利をどうやって守っていこうかという流れが、ずっとできてきたわけです。 『子どもの権利条約』で見れば、こういうふうな流れがあるわけですけれど、特に、一番きっかけになるのは、1948年に世界人権宣言というのができました。これは、ナチスドイツのユダヤ人の虐殺等があったときに初めてそういう国連人権法というような考え方が、世界的に叫ばれ出したのですけれども。と言いますのは、それぞれの国が、もし、間違った方向に行っているならば、いくらその国で人権を守ると言っても守ることはできないのだということで、第2次世界大戦の反省の中から、国だけで人権を守るものではなくて、世界的な枠組みの中でお互いの人権を監視していこうということで、世界人権宣言ができたわけです。
ここで、ちょっと質問ですけれど、世界人権宣言のあと、国際人権規約とか女性差別撤廃条約とか、人種差別撤廃条約、最近で言いますと外国人労働者の人権条約ですとか、そういうものがどんどんできてきたと思うのですが、今までに、数え方によって少し違いがあるかと思いますが、今までに、世界的な人権に関する法律というのは幾つできたでしょうか? 数え方によって2つぐらいズレがあるかも知れませんが……。ハイツ、どうぞ。ヒントは私の年齢よりは下ですよ。幾つですって? ハイツ、ピッタリです。賞品はないですけれど…。25ですね。数え方では23。92年に外国人労働者の権利というのができたと思うのですが、それを入れると25になるだろうと思います。もし、間違っていれば、内山先生に訂正して頂きますが。 そういうふうに、第2次世界大戦の後、世界人権宣言ができて、国際的な取り組みでいろんな人権の立場を守っていこうといったときに、どっちかと言うと、女、子どもは後回しという状態だったのですね。さまざまな市民的権利とか自由権・社会権とか、いろんなものが作られていったのですけれども、なかなか女性と子どもに関しての法的な拘束力のあるものというのはなかったのですけれども、ようやく、女性に関する女性差別撤廃条約ができ、そして、1989年11月2日に子どもに関する世界的な人権の取決めができた。この流れに関しては、年表に書いていますので、見て頂きたいと思います。 特に、ここでトピックとしてあげたいのはポーランドが比較的中心になってやったということと、市民団体が大きな声、発言をあげたということです。ロバチカさんという方がいました。東京にも来られました。ポーランド人で『子どもの権利条約』を策定する準備委員会の議長をしていらっしゃったんです。初めて『子どもの権利条約』を作りましょうという会議をしたのが、ワルシャワというポーランドの首都なんですね。このポーランドというあまり目立たない国が11年『子どもの権利条約』を作っていく中心的な立場になったのです。これは、第1次、2次大戦も含めて、子どもたちへの殺害というのが多かったことから、子どもたちへの関心というのがとりわけポーランドの場合強かったということです。 2つ目の特徴は、アムネスティとか、Defense for Children international とかいう子ども関係の団体とか、そういう民間の市民の団体が、この『子どもの権利条約』を作る上で非常に大きな役割を果たしたということです。特に、児童の性的虐待、あるいは親による暴力の問題、第3世界の声をもっと取り入れうとか、そういうような問題が作成する準備段階から声をあげていって、NGOの50ぐらいのグループがネットワークを組んで取り組んだ。これも『子どもの権利条約』の特徴だというふうに思います。 ちなみに日本は、ほとんど、この11年間の会議に参加していません。1回か2回は出たと思うのですが、余り、発言らしい発言はしていないのですね。ですから、スウェーデンとかポーランドとか、こういうふうに10何年前から取り組んでいる所と、全然準備段階から参加しなかった所では、批准の取り組みも変わってきたということです。御存知のように日本は、158番目に批准したのです。けれども、スウェーデンなどはいち早く批准していると思います。こういう作成段階での関心ということ含めて、このような批准の差もできたのだなと思います。 歴史の話をあまりしていてもおもしろくないので、これぐらいにしておきまして、次に(2)の『子どもの権利条約』の内容という所に移りたいと思います。
御存知のように『子どもの権利条約』の対象になっているのは0才から18才未満まで。18才の誕生日を迎えるまでは、『子どもの権利条約』の対象になっているわけです。ですから、批准しましたらその国内に住んでいる全てのこの年齢の子どもたちが、国籍に関わらず、この権利条約によって守られる対象になるというわけです。当初、胎内、胎児の子どもも認めるかということもあったのですが、胎児の人権まで認めてしまうと、女性の産む、産まないという権利まで侵されてしまうどいうことで、少しあいまいなのですが、一応、お腹から出てから18才未満までというのが、『子どもの権利条約』の対象になっているのです。 この条文見て頂いたらわかりますように、非常にボリュームたっぷりの内容です。他の24個ぐらいの人権条約と比較しましても、条文の内容は非常に多いです。当初は、59年にできた子ども権利宣言、10項目ぐらいだったと思いますが、それに、少し手続き的なものを加えて、これで権利条約の条文を作ってしまおうという提案もあったのですけれども、11年かかってくる中で、あれも入れたい、これも入れたい、この問題もやりたいということから、どんどん増えていきまして、やはり、子どもたちの権利、現段階においてどのような権利が必要とされているかということをできるだけ網羅していこうということから、これだけのものになったわけです。ですから、この『子どもの権利条約』をカタログ的に全部並べているというふうに言っている人もいます。. 1条から5条にわたって基本的な原則というものが書いてありまして、そのあと6条から30何条までが具体的な内容になっています。 1条から5条の原則というところには、まず第1に、子どもにもっといいものを与えていきましょうということが書いてあります。それから、これは在日韓国・朝鮮人教育の問題に関わってきますので覚えておいて頂きたいのですが、最善の利益であり、子ども最優先の原則というのを書いています。 第2に出てきますのが、先程も言いましたように、子どもは自ら権利を行使する主体なのだ、要するに、同じ人間として子どもも認めなければならない。あるいは、人権という体力を早くつけていくために、熟な段階から人権感覚をできるだけ体験させようということから、見方によっては選挙権を除いた全ての市民権を18才未満の子どもに認めていこうという条項になっています。 第3の原則が第2条のあらゆる差別の禁止ということです。これはあとでも触れますけれども、25の差別の禁止の条項の中でも、国際的な基準の中でも、最もレベルの高いものになっています。と言いますのは、ここで初めて、民族差別の禁止、障害による差別の禁止ですね、この管轄内にいる子どもは、あらゆる理由によらず差別されてはならないということの中に、人種・肌の色・性・言語・宗教・政治的意見に加えて、障害者差別・民族差別の禁止が初めて含められたということです。『子どもの権利条約』を日本が批准したということは、国内法の中に取り入れたということになります。 第4に、姓名・名前・国籍を持つ権利というものが書かれてあります。 第5は、ユニセフでは“3つのP”と呼んでいるものです。 1つは、子どもには基本的なサービス、物を与えていきましょうということで、例えば親を知る権利、親と分離されてはならない。あるいは、基本的な発育をする権利、生活水準を維持される権利。教育を受ける権利、それは無償で教科書を受ける、無償で高校教育を受けることが原則というように書かれていますけれども、無償の問題。あるいは、遊ぶスペース、リクリエーション余暇など。これらをProvisionのPというのですが、子どもには基本的な物を与えていきましょうということで、何条にもわたって書かれています。 2つ目のPはProtection。これは従来からある子どもの人権観なのですが、子どもというのは非常に未熟な存在であるということでガラスのコップを落とせば割れますね。子どもというのは社会なり、大人が支えていなければ、もし、有害な物・行為から守られなかった場合にどうなるのかというので、例えばフランスでしたか、17×x年ぐらいに狼に育てられた子どもがいましたね、そういうふうに子どもというのは、やはり、社会なり大人がきっちり、守り育てていかないと、一人の人間にはならないのだということです。ここでは、親からの虐待の禁止とか、あるいは性的虐待の問題、障害者の問題、その他いろんなことが書かれています。 3つ目は、参加の権利(Particlpation)という部分です。これは一番中心になりますのが、第12条の子どもの意見表明権というものです。18才未満の子どもであっても、子ども自身が自分のことがらに関して意見を言う権利があり、それを正当に認められて、聴聞する機会が与えられなければならない、また、プライバシーを守る権利、良心・思想・表現の自由、宗教の自由、あるいは、集会・結社の自由というようなことが述べられています。『子どもの権利条約』はこういうふうに規定しています。この条約は中身によっては、学校の先生方、特に中学校の先生方の集会などに行きますと、「それでなくとも好き放題しているのに、これ以上こんなんを取り入れられると困る。ワシは絶対に校則は変えんし、子どもには権利条約のことなんか教えん。意見表明権なんかとんでもない」と言われるのです。よく言われるのが、(『子どもの権利条約』54条に書いてあるけれども、あの中に子どもがせなあかんこと1つも書いてないやないか。子どもにも義務や責任があるんやから、ちょっとは書かんかい)とね。ホンネでしゃべってくれはったので、非常にわかり易かったのですが……。これは、国が守らなければならない子どもの権利に対する義務なんですね。ですから、子どもがなになにしなければならない、ということは書いていないのです。国が、親とか子どもに対してなさねばならない義務・責任・予算的な措置、そういうものが書かれてありますから、当然子ども側からの義務とかは書いていないわけです。ただ、54条にもわたって子どもの権利が認められるということは、その子どもは他の子どもの権利を守る義務があるという意味では、この『子どもの権利条約』は読み方によっては、全て子どもの義務についての条文でもあるわけです。それは、意見表明権でも、自分の意見を言う権利はあるけれども、言ったことに責任を持つということですね。あるいは、他人に対して意見を聞く義務が生じてくるわけです。ともかく、子どもは権利を行使する主体なのだということが明確にされています。 第6は、親は子どもの養育と発達に対する第1義的責任がある。国とか社会的施設ではなく、まず、親にあるということが書かれてもいます。当たり前の話かも知れないけれど、そこを明確にしてあるのです。ですから、子どもは親から分離されてはならない。これは在日韓国・朝鮮人の再入国権にもかかわってきまずけれども……。まず、親を知り、親に育てられ、そして、親から分離ざれてはならない。親と再会する権利があるということです。だから、親がちゃんと子どもを守れるように、国がそうした予算的措置をしなければならないということです。親がどうしょうもないときがあります。児童の施設なんかで最近よく聞くケースとしては、離婚でお互い子育てを放棄して、父親が引き取らざるを得ないときに、児童施設に子どもを預ける。それが何年か経って、例えば、もし女の子の場合、成長して、それが親が育てる権利があるんだということで、親権が過剰に振りかざされるために、施設は、日本の場合親権が強すぎるために、親の元に返す。ところがそれが性的虐待の対象になっているというケースもよく聞かれます。大阪の場合、大阪方式と言いまして、社会的あるいは客観的に判断して親に戻すことが子どもの最優先の原則・子どもの最善の利益にならない場合は、親の元には返さないことにしています。これを大阪方式と言って、児童養護施設で始めたのです。これが全国的に広まっていまして、ちょうど『子どもの権利条約』に沿った内容になっています。ですから、この関係でいきますとまず、親が第1義的に責任があり、国は親が責任を全うできるように援助する義務があるのだと書かれています。 あともう一つ、第7になりますが、みなさんの質問があると思います。「5月22日に批准されたということは、いったいどういうことなんだ」ということですね。 すみません。私、内山先生の教え子というか、内山先生に教えてもらったので、こういうふうに先生の前で教えるというのは、何か変な感じなのですが、あまり、恥ずかしがらずにやろうと思います。同和教育の時間が結構楽しかったので、いつも、前の席で聞いていたのですが、今日はその逆で……。 民法・刑法いろいろな法律が国内法にあります。その法律体系で、一番上位にあるのが日本の場合憲法です。それで、『子どもの権利条約』を批准しました。女性差別撤廃条約を批准しました。ということは、それらが国内法の中に位置づけられたということになるわけです。政府によると正式には「児童に関する権利条約」ということになりましたが、5月22日からは、憲法と同等、あるいは、このことは前の自民党政府時代に、国会答弁していることですが、政府が国際法を批准した場合に、あらゆる国内法の上位法にあるものと解釈しています。ですから、今、みなさんに読んでもらっている『子どもの権利条約』というのは、5月22日からは、国内法のあらゆる民法・刑法いろんなものですね、出入国管理法とか、そういうものを含めての上位法になったということです。裁判あるいは行政交渉で憲法同等に使っていけるということです。 ただそのときの国会答弁で言っていたことなのですが、「この国連の人権条約を日本が批准したものと、下位にある国内法との間には、一切矛盾するものはありません」としていて、その辺は、またきっちり詰めていくしかないなあと思います。ですから、『子どもの権利条約』というのは、国内法的拘束力のあるものというふうに捉えて頂いたらいいと思います。 最後に第8は、この原則の中では、子どもの権利を国際協力の手で守るということです。これは成立の過程でも、例えば、イランなどから、障害者の権利の中に車椅子とか障害者施設とか、そういう、障害者に関するハウツウなどについて、先進国が援助する項目を入れて欲しいという提案があったわけです。そういうような途上国からの意見もいろいろ取り上げられてきたということです。
3.にいきたいと思います。 冒頭にもお話しましたように、今、国内外を問わず、社会がいろんな矛盾をかかえていまして、内戦・紛争、さまざまな人権抑圧、地球環境破壊、あるいはき商業主義=コマーシャリズム、消費主義など、子どもが売買されていることも含めて、南北に関わらず、さまざまな状況が生まれています。 私がいたバングラディシュでも、アメリカや日本にも来ていますが、Tシャツとか子ども服とかいうものが、ほんとに環境の悪い所で子どもたちの手によって作られているのです。あるいは、昔はカレーにえびを入れて食べていたのが、そのブラックタイガーが、アメリカや日本に来ています。そのえびの養殖場のために、マングローブを切ったことで、台風があったときに大きな被害にあったという例がありました。私たちが食べたり、着たり、暮らしたりしているさまざまな物が、途上国の子どもたちの暮らしとも密接につながっているということです。このことは、最後に時間があれば、くわしくお話したいのですが……。 危機的な状況というのは、南は南、北は北だけで、個別に起こっているのではなくて、非常に、恒常的に関連しながら物事が進んでいっているという状況があると思うのです。ですから、『子どもの権利条約』というのは単に、自国の子どもの問題をはかるものさし、批准ということだけではなくて・関心を払って頂いた人々が、他の国の関心を持って頂く。あるいは、国際協力を推進するという点もあるだろう。この点は必ず押さえておいて頂きたいと思います。 と言うのは、この間、職員会議が「日の丸・.君が代」でもめている学校の同和教育の担当の先生が打合せに来られて、「何とか"日の丸.君が代"の問題に触れてください。これで校長とやりあいますので……と言われたことがあります.それぞれのかかえておられる課題の武器にしたいというのは、それは当然そうだろうと思います・だから、なぜ、これができたのか。あるいは、私たちが大きな視野で捉えながら、個別の問題にどう取り組むのか、というように考えて頂かないと、みなさん方が闘う間でも作戦に失敗するだろう。多様な関係や広がりを作れないママ、1人ぬけ、2人ぬけということがよくありますね。ですから、世界的な視点・相互の関連がどうなっているのか、そういうことを踏まえながら進めて欲しいのです。
4.に移ります。 この『子どもの権利条約』に関わる場合に日本の国内に住んでいる、特に困難な状況下の子どもの問題を、どう保護していくか、どう権利を保障していくかに課題があると思います。おそらく10年前、20年前なら、こんなにたくさん挙げる必要はなかったかも知れません。1つは在日韓国・朝鮮人、中国系の児童生徒の問題、あるいは、中国からの引き揚げ児童の問題、それからベトナム・ラオス・カンボジアなどですね。姫路や八尾にあるベトナムの人々の定住難民センターの子どもたち。ペルー・ブラジルなど中南米や、中国・韓国など外国人労働者の子どもたち。 それから、私たち権利センターが関わっている問題では、フィリピンと日本の間に生ま れ無国籍状態になっている問題。父親はわかっているんですが出てこない。あるいは、そのまま、いろいろな理由でフィリピンに母親と子どもだけが帰らざるを得なくて、生活保障ができないというような状況の子どもたちがいます。ジャパ二一ズ・フィリピーノ・チルドレンというフィリピンと日本の間に生まれた子どもが、1万人はいるだろうというデータが出ています。無国籍の場合は、政府が発表しているのでも、130〜40人ぐらいです。 アイヌの子どもたちの問題で、今、民族学校を作るような動きが出ていますし、被差別部落の問題、沖縄、婚外子、心身の障害者の問題などがあるだろうと思います。
本日の私に与えられましたテーマ『子どもの権利条約』と在日朝鮮人教育」に関連して条文を拾っていきたいと思います。 まず今述べましたように、第2条の問題があると思います。ここで大事なのは、「民族差別」というのが書かれてあることと、「その管轄内にある子ども」というふうに書かれてあるところです。と言いますのは、日本は国連人権規約にジュネーブの人権委員会の検討の中でも「在日韓国・朝鮮人は日本国民ではない」「在日韓国・朝鮮人は少数民族ではない」という言い方をしています。ですから「人権規約の対象にならない」という言い方をしています。前までは、アイヌの問題も国連人権規約に関わるジュネーブの会議でどんどん言われても、少数民族として認めなかったのですが、第3回の委員会の中で、ようやく、「アイヌは日本の少数民族である」ことを認めまし仁。遅すぎると思いますが、それでも、なおガンとして「在日韓国・朝鮮人は少数民族に該当しない」ということを言ってるわけですけれども、ただ、ここで見ますと「その管轄内にある子ども」、要するに、「領土内に住んでいる子どもは、いかなる理由であれ差別されてはならない」というわけですから、まさに、この「在日韓国・朝鮮人の子ども」の問題は入るだろうと思います。. 次に第12条ですけれども、やはり、いろんな行政交渉の中で、あるいは、就職差別の醐の中で、18才未満の子どもが意見を言ったときに、今までは、それは正当には重視されてこなかったと思います・しかし、今回の『子どもの権利条約』を批准したことによりまして、18才未満の子どもであっても、行政的な交渉、裁判所の中でも、この発言が「正当に重視されなければならない」ということが明記されたわけです。そうした発言をする力のない子どもには「聴聞の保障を与えなければならない」ということが第2項に書かれています。 次に第29条、教育の目的というところは、ほんとにいいことが書かれています。これが本来的な教育の目的なんやなと、私は教育課程を受けて単位を落としてしまったんですけれども、ええこと書いてあるなあと思います。一度読んでみましょう。(第29条朗読) ここであのキム・ドンフン(金東勲=龍谷大学教授)さんですね、このことに最近の雑誌(「青丘」20号)の中でふれておられますが、『子どもの権利条約』が批准されたことによって、「民族教育は日本の教育の目的だ」ということが法的に明記されたということです。明らかに、民族学級・民族学校の保障を政府がしていく義務が明確にされたと思います。 第30条に、少数者、先住民の子どもの権利が書かれています。(第30条朗読) 『子どもの権利条約』の大きな柱の中に、少数者の保護というものがあるわけです。 第8条ですが、アイデンティティの保全があります。本名を名のる権利、国籍の選択権に該当するだろうと思います。この「アイデンティティ」というのは、舌を噛みそうですが、「その子がその子らしくある権利」ですね。「自分が自分らしくある権利」というのを守っていかなくてはならないということです。自己同一性というのでしょうか。締約国は子どもが不法な干渉なしに、法によって認められた国籍、名前、及び家族の関係を含むそのアイデンティティを、ですから、その子がその子らしくというのは、その子がどこから来て、その子が何者なのかということを保全する権利を主張することを約束する。締約国は、それの一部、または全部が違法に剥奪された場合には、迅速にそのアイデンティテ ィを回復させるために、適当な援助、及び保護が与えられるということです。 私も大学のときに、授業のないときの自主ゼミで、朝鮮人の渡航史とか、戦後史とかをやっていましたが、その中で、1940年代50年代の中に、ある一つの通達で朝鮮人が国籍を剥奪される、あるときは、植民地時代は日本国籍を強要される、あとは分断の中でどちらを選ぶかを強いられるといった歴史があったと思います。そういう中で、自分が何者なのか、自分がどこから来たのかということの保全がなされなければならない。今もなお、本名を名のれない、本人そのものが、名のりたくないというような差別が内面化していくような状況を日本が作ってしまった。そういう問題はこれによると明らかに違法だ。この8条は、当然、本名を名のる権利というものが政府によって義務づけられる部分だと思います。 あるいは、国籍の選択権ですね、国によっては二重国籍を認めている国があります。日本の場合は、二重国籍状態になればどちらかを選ばざるを得ない。本人の都合によらずに、無国籍状態になったり、剥奪されるということが、日本の歴史の中で、現状においてもあるわけです。この問題に関わる条文なのです。 第9、10条なのですが、ここはポイントになりますので触れておきたいと思います。思想・良心・宗教の自由に関わる部分なのですが、政府は「留保」また「解釈」の宣言をしています。コラ、コラ、コラッと思ってしまいますが、日本の場合は3つ「留保」と「解釈」をしています。 「留保」というのは、ここに書いていますが、条約の趣旨・目的と両立する限りにおいて、その権利を認められているのですね。 「解釈」というのは、条文を読めばいろいろと解釈の仕方があるので、あらかじめ、政府としては「こういうふうにしか解釈しないよ」と宣言をしておくわけです。 ここで9、10条というのは、親子の分離の禁止に関係してきます。 「1.日本国政府は、児童の権利に関する条約第9条1は、出入国管理法に基づく退去強制の結果として児童が父母から分離される場合に適用されるものではないと解釈するものであることを宣言する。 2.日本国政府は、更に、児童:の権利に関する条約第10条1に規定される家族の再統合を目的とする締約国への入国または締約国からの出国の申請を「積極的、人道的かつ迅速な方法」で取り扱うとの義務はそのような申請の結果に影響を与えるものではないと解釈するものであることを宣言する。」(外務省告示第262号) これは、出入国管理法はさわりたくないという本音が出ています。結局、この第9、10条に対して解釈宣言をあえてしたのは、このことによって、出入国手続き上の、特に強制退去とか再入国禁止とかの措置に、『子どもの権利条約』にある「親との分離の禁止」とか「親との再会の権利」の内容は、影響を与えるものではないですよ、と言いたいわけです。これが本音ですね。法務大臣の自由裁量に委ねる現状を変更したくないという意図がありありだと思われます。このへんが、国際化とか国際貢献とか言うのであれば、折角批准したのであるわけですから、ここは、解釈宣言を撤回して、国内法における不服申立制度の整備とか申請取扱の簡略化というものをやるべきだろうと思います。 これについては、2年後にジュネーブに報告したときに、対抗の文書を私たちが送ればそこで質疑応答が行われます。ジュネーブの人権委員に「この解釈宣言を変えなさい」と言わせることもできるわけです。インドネシアでも同じことがありまして、今年の1月に、「表現の自由を何故留保しているのか」とジュネーブの人権委員会で話題になって、結局インドネシア政府が、「いずれ留保宣言を撤回します」と公式に発言しました。ですから運動さえ広げていけば、この解釈宣言は変わり得るんだと思います。 思想・良心・宗教の自由といった場合に、日本の公立・私立の高校に在籍している朝鮮人が、「日の丸・君が代」の卒業式に立ち会いたくないと言ったときに、これは『子どもの権利条約』から見て、学校の行事としての卒業式をどこまで規制できるかわからないですけれども、思想・良心の自由に基づいて欠席する権利は、当然あるだろうと思います。 それから、マスメディアへのアクセス。これの17条d項に「少数集団に属しまたは原住民である児童の言語上の必要性について大衆媒体(マスメディア)が特に考慮するよう奨励する」と書かれています。たとえば、私は"セサミストリート"という番組が好きなんですが、この番組には車椅子の子が普通に出てきたり、いろんな国の人が出てきますよね。まあ、アメリカだからそうかも知れないんですが。たとえば、日本の"お母さんといっしょ"に車椅子の子が出てくるかと言うとそんなことはないです。テレビとかラジオの障害者の番組とかハングル講座などではなくて、普通の番組にそうした少数者に関する言語上の番組が作られるべきではないか。 24条に関して。さまざまな予防接種をいつしますとか、子どもの子育てに関する情報が差別なくゆきわたらなければならないとか。教育の権利でいきますと、高校での無償の問題。通学定期、大学への入学資格。特に民族学校の各種学校的取扱というのは、権利条約違反になるだろうと思います。 指紋押捺の問題は、少しは変わってきましたけれども、個人的にはこれで改正されたのかなと思います。長くなるので今日はやめておきます。 「子どもの権利条約と在日朝鮮人教育」に関わって、最近発表されたキム・ドンフンさんの意見(青丘20号、94年6月)を紹介しておきます。 第1に、民族教育は教育の目的である。国際的な人権基準としてはすでに言われてきたし、今回、日本が『子どもの権利条約』を批准したことによって、ますます明らかになってきた。 第2に、民族教育は文化的な自決権なのだ。 第3に、国際人権基準に照らして、民族教育は、少数者の権利なのだ。(30条) 第4に、民族教育は子どもの基本的な人権なのだ。国際的な基準に照らして、日本の現状は問題がありすぎる。
では、国際的な基準ということが出ましたけれども、外国ではどういうふうになっているのかということですけれども、最初に言いましたように、日本の中では「民族差別というのは心の問題なのだ。知らされない方がいい。」といった発想が、今でもありますが、国際的な流れとしては「知らされない差別は解決されない。民族差別は犯罪なのだ。」といった意識が広がりつつあるわけです。多くの国がいろんな矛盾をかかえながらも、それと闘おうとしている。『子どもの権利条約』以外にも、人種差別撤廃条約、これは翻訳がよくなくて、民族差別撤廃条約と訳した方がいいと思いますが、これとか、あるいはユネスコの教育差別禁止条約というのがありますが、これはもうストレートに民族教育の差別の禁止が書かれています。それから、国連とか国際労働機構=ILOの中にも、少数者・先住民の権利の保障というのがあります。 『子どもの権利条約』を批准したら広報しなければならない。要するに、子どもにも分かり易い形で伝えなければならないといっことで、日本でもいろんな団体がやっていますけれども、政府としては外務省が少しパンフていと'のものを作ると言っていますが、たとえばスウェーデンの場合は、日本円にして6億5千万円の予算を計上して、小中高校別のパンフを作っています。デンマークでも「子どもに権利はあるの」というのを作ったり、エクアドルとか、コスタリカという中南米の国なのですけれども、ここでは、『子どもの権利条約』の中で何が一番問題なのかということをめぐって、子ども投票とか、青年投票、選挙権のない子どもたちが投票をやっています。これはお遊びではなくて、エクアドルでは18万人、コスタリカでは48万人が投票に参加しています。フランスでもこの教材の予算を出していますし、メキシコ、スペイン、カナダでもそうとういいハンドブックを出しています。 『子どもの権利条約』でどう変わったかという前に、民族差別撤廃条約を批准している国が多いのです。『子どもの権利条約』が批准されるまえから、こういうのができています。オーストラリアでは75年に民族差別禁止法が、カナダでは77年にカナダ連邦人権法を採択しています。ニュージーランドでは71年、スウェーデンでは86年に差別禁止法が。 スウェーデンの場合は、オブズパーソンと言いまして、子どもが学校や家庭・政府に抗議できない場合、代理入制度、子ども人権擁護委員、子ども代理人によるオブズマン制度を導入しています。 イギリスの場合は、人権関係法が65年に制定されました。87年に看護学校でマレーシア国籍を理由に研修の受講を拒否した事件で、学校側が補償金として500ポンドの支払いを命じられています。それから公の場で差別発言をしたり、ビラなどをまいた場合は6か月以下の懲役か400ポンドの罰金です。 フランスの場合は、ここも人種差別撤廃条約を批准したあと差別禁止法ができていまして、たとえば、言論・出版による人種差別、そういう本を出した場合、就職差別、アパートの賃貸拒否、こういう場合は重いもので2か月から2年以下の禁固刑・罰金となっています。実際にそういう措置がなされています。 教育の問題について調べてみたのですが、スウェーデン以外は具体例が調べられなかったのです。東京の友人の話では、いくつかの国の事例があることはあるとのことでした。スウェーデンの場合は、75年、移民と民族マイノリティ政策ガイドラインというのを作りました。ここで、公私立に関わらず、幼・小・中で、民族語が週4時間、必修授業になっているわけです。これはみなさんも御存知と思いますが、それを教える人は、そこの民族の出身の人が先生になることになっています。それ以外でも、スウェーデンのガイドラインという法律によりまして、各民族が民族的催しをした場合、政府が補助金を出したり民族文化の保持、保障を奨励している。 ヨーロッパでは、『子どもの権利条約』に関する地域の権利条約、今日のパソコン通信で東京に入っていたそうですが、ヨーロッパ版『子どもの権利条約』というのを作る動きが準備中であるそうです。 実際の法律改正、『子どもの権利条約』に関する総合法律ですね、各省庁が日本の場合分断されていますが、外国の場合は各省庁横断型の政策調整機関となっているのです。 これらが外国の事例です。
最後に私たちの課題というところに入りたいのですが、『子どもの権利条約』をちょっと読むだけでも眠くなりますね。眠られぬ夜に読む本という感じもあります。これは子どもが知るべきなのに読めない。読んでもわからないということがありますので、大人の言葉から子どもの言葉に、みなさん方でぜひ翻訳して頂きたい。それは、最低、在日朝鮮人教育に関わる部分だけでもいいです。少しでも、分かりやすく、子どもが「なんや、国際基準では、もうこんなこと言うてるんや。それが、しかも憲法と同等の条文になってるんや。」ということを、一日も早く、子どもたちに伝えてやって頂きたい。. 個別課題においては、みなさん方、問題ないと思いますが、みなさん方の子ども、僕の場合も、よく、「世界の平和、家庭の不和」と言われていますけれども、自分の子どもとどう向き合っているか、あるいは、自分の子ども以外の子どもとどう向き合っているか。そういうようなこと。今日の新聞にも驚くべきことが載っていましたね。何か、真っ裸でプールを泳がせたというのが、大阪であったそうですね。どういう感覚なのか、と思いますが……。そういうテーマ以外のところで子どもに、一人の人間として関わっていないケースが、私も自分の反省をこめて言っていますが、あるんではないかということで、子ども観の問い直しを、『子どもの権利条約』を読みながら考えて頂きたい。 予算がありましたら、学校・地域の図書館に、『子どもの権利条約』がらみの本がたくさん出ていますから、ぜひ、一冊でも入れて頂きたい。これは絵本とか、童話みたいになったものも出ていますし、最近は小学生版の「ボクたちの権利条約」という、すごく読み易いし、クロスワードパズルが入っていたりゲーム感覚で権利条約を読あるのが出ています。 2番目は、国内法の点検・改正、行政責任としての広報義務ということがあるのですが、長い間『子どもの権利条約』に取り組んできた人達は、ガックリしています』というのは資料にもありますように、批准する前にいろいろ改正すべき点があったわけです。最低、婚外子の差別ぐらいはとか思ったのですが、それすらも変わらなかったということで、ちょっとガックリきているのですが、社会党とか共産党とかの人達と話をしてみましても、「どう考えてもこれは改正はムリだ」「早く批准して、裁判とか行政交渉の中で使っていくようにしよう」というように作戦を変えたみたいですね。それでも158番目になったということです。訳文についても少し問題があるままになってしまいましたが、ただ、これからでも国内法の点検や改正、行政交渉の中では利用できるのではないか。先日、大阪府下のある市教委の指導課長さんと話しました。市名はあえて伏せます。「内申書の自己開示について、『子どもの権利条約』以降、PTAからいろんな要請がきているので、文部省通達がこのように来たけれども、行政として過少評価できないだろう。何らかの対応をせざるを得ないと考えている」と言っていました。市によってはポスターを作ったり、パンフレットを作るように予算措置をしているところもあります。 あとは、オブズマン制度の問題とか、今年から法務省とか文部省が、子どもの人権擁護制度を始めるそうです。法務省が子ども人権擁護委員というのを作るというので、各都道府県にも、6〜7名ずつ作ると言っているのですが、ただ、弁護士側が抗議しているのはどういう基準で選ぶのかが問題になると言っています。よく、民生委員でも、県会議員を2期ぐらい終わられた方が、門標にワッペンを貼っているだけで、あとは、勲5等をもらって終わり、という場合があると思うのですが、やはり、子どもの立場で、子どもが発言し易いような人を選んで欲しいと要請をしています。 2年後の96年に、ジュネーブの子ども権利委員会に政府として、この『子どもの権利条約』の中身をどのように取り組んだかという報告を、各条文にわたって報告しなければなりません。国によっては、政府が作っている準備段階から情報公開をしている国もあります。バングラデッシュでは、政府がジュネーブに報告する前の原案の段階で、実は私も参加できたのですが、民間のいろんな市民団体が参加して、政府の報告がいいかどうか、好き勝手に言える1日の会議があったのです。私は英語がそんなに上手ではなかったので、あまり言えなかったのですが……。バングラデッシュは途上国ですが、少なくとも、情報公開においては、日本よりすごいなあと思います。公開の基準は3段階あります。準備段階、ジュネーブに提出する段階、ジュネーブの会議が終わったか途中か一応公文書になった段階、そうした情報公開の3段階があります。日本の場合は、2か3の段階になる可能性が大きいようです。だから、その場合にここでカウンターレポートということが問題になるわけですが、各条文によって、いろんな市民団体が協力し合って、「政府はこういうレポートを書いているけれども、対抗でこういう文書を書きましょう」ということで、準備会議を東京なんかでやっているのです。女性差別撤廃条約でも、そうとう多くの団体がこういうのを提出しています。 精神病院の問題で、実際にカウンターレポートを出したことで、国際的な調査が日本に入ってきて、法律が変わったこともあります。96年5月に、日本政府が報告するときに「日本の在日韓国・朝鮮人の教育の現状」というカウンターレポートを出せば、もしジュネーブで話題になれば、政府も変わるかも知れませんし、国際的な調査が入るかも知れません。 あと、話したいことはいつぱいあるのですが、例えば、日本の援助が途上国の子どもの人権侵害になっていないかとか、そういうこともチェックしていく必要があります。この『子どもの権利条約』の機会に、人権教育の国際的視点も、ぜひ学習し取り組んでいく必要もあるのではないかと思います。
レジュメの最後に「二つの氷山論」ということで書いているのですが、今日は時間がないのでおいておきます。
補足ということなのですが、こうした問題を学ぶのは、在日韓国・朝鮮人の子どものことだけではないですよね。それをとりまく日本人の子どもも、どういう人権状況にあるのかに、関心を示して頂きたいし、そうしたときに、日本の子どもたちの現状がどうなっているのかを見たときに、やはり、国家主義と商業主義にからめとられて、今、何者かも分からないように浮遊しているような状況があると思います。 ずいぶん、時間をオーバーしてしまいましたけれども、これで終わらせて頂きます。 * * * [質疑応答] (1)民族学級の制度化へ向けての行政闘争は⇒それ以前からでも、日本国憲法にもある程度そういうような内容も書かれているし国連人権規約など今まで日本が批准した条約の中でも、ある一定・一部だがあいまいにふれられている。『子どもの権利条約』は、日本国憲法・国連人権規約をより積極的に語っているが、個別の取り組みに関しては、例えば『子どもの権利条約』が法的には憲法と同等になったとしても、実際には行政への個々の取り組みについては、裁判等で積み重ねていくしかない。5月22日から一つの法律としては使えるようになったが、積極的にそれを攻めていける武器の一つになったが、これで一気に流れが変わるということはないだろう。何かをできるというものではない。積み上げしかない。そういう積み上げの中で国際的なものさしとして、積極的に少数民族あるいは民族教育の問題を取り上げていく条約が、日本も批准した形でできたということは、そういう意味では大きな武器になる。 (2)どう闘いを進めるか? ⇒日本国憲法と同等ではあるが、日本国憲法の持つ弱さもある。具体的な事例に対する具体的な適応が憲法というのはザルである。したがって、細かいふるいを作っていかなくてはならない。それが条例である。部落問題の場合、「大阪府部落差別事象に関わる調査等の規制に関する条例」があるが、これは、憲法14条の法の下の平等で差別されないという条項が土台になっている。実際に起こった差別事件の裁判の判例のもとに、大阪では、運動体がもとになって憲法と差別事件と二つセットにして具体的な府条例を作ったわけである。 条例というのは、地方自治体の法律であるので、『子どもの権利条約』をもとにして、先に見られるような「差別は犯罪である」という条例作りを運動体との連帯で取り組みを早急に進めていかなければならない。具体的には、さまざまな学校教育や社会教育上の問題を捉えて提訴も含めて社会的にアピールしていく。また、特定の自治体でやっていく。 (3)『子どもの権利条約』をどのように子どもたちに伝えていけばいいか? どのように教えていけばいいか? ⇒実践例を集めて、具体的な事例案集を作成している。 (4)(在日朝鮮人教員) 『子どもの権利条約』の学習会に来ると、非常に元気が出るが、残念ながら現実と見比べた場合、いつもカメラのフラッシュのようにパッと明るくなってすぐ暗くなる。その後は、ずっとトンネルの向こうの小さな明かりが少しずつ大きくなっていっているのだろうから、なんとかせなあかんなあと思います。今日もこういう話を聞きながら、国際条約で25も人権に関する条約があると聞いて、それが憲法と同等というか上位にあると聞きながら、一昨年、教員採用の問題で国籍条項が入ったときに、全朝教で文部省交渉があったときに参加させて頂いたのを思い出しました。その席で、文部省の課長がまさにこういうふうに言いました。「当然の法理は、あらゆるものより上位である。国際人権条約よりも、労働基準法よりも。だから、在日韓国・朝鮮人は管理職登用はしないのだ。公務員採用もできない。正式教諭にはできない。」と。こう見ていると、権利というのは勝ち取るものやなあと、つくづく思います。 それで、ぜひここにお集まりのみなさんと全朝教大阪のみなさんにお願いしたいのですが、民族学校に通っている子どもたちがああいう被害にあったり、日本の学校に通っている教職員なり日本人の子どもたちから差別発言を受け、また、民族教育なんかは日本の学校にいらないんだという発想が、まだまだ現場の中にある。民族教育はもうすでに、大阪で20数年にわたって日本の学校で行われてきている。これはまさに、『子どもの権利条約』が出る20年前から、大阪の実践が積まれてきているわけですから、全朝教大阪が中心になって、こうした問題について勝ち取っていくように運動を作っていってもらいたいなあと思います。 問題提起をしたいと思いますが、カウンターレポートは、非常に大きな役割を果たしてくると思われる。日本の学校に通う在日朝鮮人の子どもたちにどのような教育実態があるかということをまとめて頂いて、カウンターレポートとして、全朝教大阪から出して欲しい。 (5)途上国がどういう思いで批准に至ったか? ⇒文部省はこの『子どもの権利条約』は、発展途上国のためにできたもので、批准しても海外の子どもたちには取り組むが、日本の国内法とかを改善する点は一つもないと、よく言ってきた。ほんとうは批准したくないということも、この間、いろいろあった。この『子どもの権利条約』は最初にもふれましたように、いろんな面から途上国にとっても、先進国にとっても、非常に大きな問題を孕んでいますし、解決するべき点が多いと気づかされると思います。 途上国の場合は、非識字者とか医療とか保険あるいは予防接種、教育関係、また多いのは国際的な人身売買=児童売春、そういうようなことが、国内だけでは予防できない。あるいは罰則できないということがありまして、主には子どもの生存権・教育権をどうやって保障していくかを積極的に取り組むために、この権利条約を批准しているんだろうと思います。ただ、アメリカなんかは、「途上国がこれだけ熱心に批准するのは、海外からの資金をやはり呼びたいためだ」と言う人もいます。 バングラデッシュでいっても、政府なりの取り組みというのはやっていますし、あとはいろんな民間団体が権利条約ができた機会に、自分たちで学校を作る運動を始めたり、児童売春・ストリートチルドレン・児童労働がらみの対国際会議を自ら運営し てやったりということを自主的にやっていますので、アメリカのような見方は余りにも穿った見方じゃないかなと思います。やはり困難な状況の子どもをこの『子どもの権利条約』を通して変えていきたいというふうになります。例えば、ベトナムなんかでしたら、子ども関係の法律を積極的に変えたりしています。 (6)いろんな法律があるが、解釈・留保という形で逃げられるが、どういう形が一番近道なのか、いい道なのか? ⇒文部省の方が言った「当然の法理」は、『子どもの権利条約』のいう解釈とか留保には入らないと思います。ただ、『子どもの権利条約』全体としては、個別の国内法が権利条約なり、憲法の精神となんら矛盾しないという態度だろうと思います。ですから、例えば、高校野球とか大阪府の体育大会に一つ参加できるようになる。ボクシングで優勝しましたね、朝鮮高級学校の子どもが。そうした、要求行動、実際の事例に関わる闘い、これが大切なことなのだと思います。 はっきり言って、私もユニセフにいるとき、ひしひしと感じましたが、国内法には一切触れたくないと言うんです。特に、外務省や法務省はなだめるために早く批准したいというのがありありだったし、それ以外の省庁はできたら批准したくないという態度がありありだった。ですから、ユニセフの中でも、こうした発言が陰に陽になかなかでしたけれど、一つ一つ変えていくしかないだろうなと思います。
「児童の権利に関する条約」について(文部事務次官通知) (「週刊教育PRO」94.6.7) このたび、「児童の権利に関する条約」(以下「本条約」という。)が平成6年5月16日条約第2号をもって公布され、平成6年5月22日に効力を生ずることとなりました。(略)本条約は、基本的人権の尊重を基本理念に掲げる日本国憲法、教育基本法(昭和22年3月31日法律第2−5号)並びに我が国が締約国となっている「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和54年8月4日条約第6号)及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年8月4日条約第7号)」等と軌を一にするものであります。したがって、本条約の発効により、教育関係について特に法令等の改正の必要はないところでありますが、もとより、児童の人権に十分配慮し、一人一人を大切にした教育が行われなければならないことは極めて重要なことであり、本条約の発効を契機として、更に一層、教育の充実が図られていくことが肝要であります。このことについては、初等中等教育関係者のみならず、広く周知し、理解いただくことが大切であります。また、教育に関する主な留意事項は下記のとおりでありますので貴職におかれましては、十分なご配慮をお願いします。(略) (1)学校教育及び社会教育を通じ、広く国民の基本的人権尊重の精神が高あられるようにするとともに、本条約の趣旨にかんがみ、児童が人格を持った一人の人間として尊重されなければならないことについて広く国民の理解が深められるよう、一層の努力が必要であること。 この点、学校(小学校・中学校・高等学校・高等専門学校・盲学校・聾学校・養護学校及び幼稚園をいう。以下同じ。)においては、本条約の趣旨を踏まえ、日本国憲法及び教育基本法の精神にのっとり、教育活動全体を通じて基本的人権尊重の精神の徹底を一層図っていくことが大切であること。 また、もとより、学校において児童生徒等に権利及び義務をともに正しく理解をさせることは極めて重要であり、この点に関しても日本国憲法や教育基本法の精神にのっとり、教育活動全体を通じて指導すること。 (2)学校におけるいじめや校内暴力は児童生徒等の心身に重大な影響を及ぼす深刻な問題であり、本条約の趣旨を踏まえ、学校は、家庭や地域社会との緊密な連携の下に、真剣な取り組みの推進に努めること。 また、学校においては、登校拒否及び高等学校中途退学の問題について十分な認識を持ち、一人ひとりの児童生徒等に対する理解を深め、その個性を尊重し、適切な指導が行えるよう一層の取り組みを行うこと。 (3)体罰は、学校教育法第11条により厳に禁止されているものであり、体罰禁止の徹底に一層努める必要があること。 (4)本条約第12条から第16条までの規定において、意見を表明する権利、表現の自由についての権利等の権利について定められているが、もとより学校においては、その教育目的を達成するために必要な合理的範囲内で児童生徒等に対し、指導や指示を行い、また校則等を定めることができるものであること。 校則は、児童生徒等が健全な学校生活を営みよりよく成長発達していくための一定のきまりであり、これは学校の責任と判断において決定されるべきものであること。 なお校則は、日々の教育指導に関わるものであり、児童生徒等の実態、保護者の考え方、地域の実情等を踏まえ、より適切なものとなるよう引き続き配慮すること。 (5)本条約第12条1の意見を表明する権利については、表明された児童のその意見がその年齢や成熟の度合いによって相応に考慮されるべきという理念を一般的に定めたものであり、必ず反映されるということまでをも求めているものではないこと。 なお、学校においては、児童生徒等の発達段階に応じ、児童生徒等の実態を十分に把握し、一層きめ細かな適切な教育指導に留意すること。 (6)学校における退学、停学及び訓告の懲戒処分は真に教育的配慮をもって慎重にかつ的確に行われなければならず、その際には、当該児童生徒から事情や意見をよく聴く機会を持つなど児童生徒等の個々の状況に十分留意し、その措置が単なる制裁にとどまることなく真に教育的効果を持つものとなるよう配慮すること。 また、学校教育法第26条の出席停止の措置を適用する際には当該児童生徒や保護者の意見をよく聴く機会を持つことに配慮すること。 (7)学校における国旗・国歌の指導は、児童生徒等が自国の国旗・国歌の意義を理解し、それを尊重する心情と態度を育てるとともに、すべての国の国旗・国歌に対して等しく敬意 を表する態度を育てるためのものであること。その指導は、児童生徒等が国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を身につけるために行うものであり、もとより児童生徒等の思想・良心を制約しようというのではないこと、今後とも国旗・国歌に関する指導の充実を図ること。 (8)本条約についての教育的指導に当たっては、「児童」のみならず「子ども」という語を適宜使用することも考えられること。 『むくげ』139号1994.9.10より |