〔報告2



小中高の連携と在日朝鮮人児童生徒の進路

府立外教事務局 印藤和寛


 失礼します。住吉高校の印藤と申します。府立外教は高校などの外国人教育の研究会ですけれども、その事務局をしております。今日の集まりに関しては、わたし自身は期待していまして、このようなかたちでやりたいなと思っていました。と言うのも、考える会として、"本名を呼び名のる"実践をずっと進めてきたわけですけれども、それが、府立外教、府外教などが結成されてきたことによって、小学校から高校までを見通して、その実践がどういう意味を持つかとかどういう関連性があるかとか、そういうことが、初めて議論できるようになった。わたし自身も、高校生のようすを見ていまして、その生徒それぞれの小学校のときのこと、中学校のときのこと、これがあったからこうなったのかなあということを、しばしば感じることがあります。だから、そういうものを、具体的につなげていくことを、組織的にやっていけるような、そういう場、それがぜひ必要だなあと思い続けて、今日のような場が持たれることを期待していました。

もうつは、昨年初めて、府立外教で全部の所属の高校、養護学校に関して、アンケート調査ができまして、実際に数字として、朝鮮人に関わる教育の内容を出すことができたわけです。したがって、小中高の連携が、具体的な数字をともなって議論できるようになったわけです。

ただ、高校のレベルで言いますと、先程花峯さんがおっしゃった中高の接点、そういうところも含めて、高校からの見方と小中からの見方とでは、少しずれるなあと、私は思っています。そういう点がたくさんあると思いますので、そこを率直に議論できればなあと思います。

今言いましたアンケート調査の結果ですけれども、お手元にあります府立学校に在籍する在日朝鮮人生徒についてのアンケートというもので、今年度の5月にありました府立外教の総会で、前年度の事業報告という冊子の中の一部に掲載したものです。

たとえば、その中に、府立学校卒業生の進路が出ております。その中の就職の部分ですが、韓国・朝鮮人のところで314人。これは府立学校の韓国・朝鮮人卒業生の80%の数字です。他の外国人卒業生を含めて326人。これだけを把握できました。そして、彼らの就職した具体的な企業・事業所の名前を聞いておりましてそれがわかるのが250ぐらい。それだけは、実際に、朝鮮人卒業生がどこに入ったかということがわかったわけです。それをここで、みなさんにお見せできればいいのでずが、府立外教の中でいろいろ議論がありまして、そういう企業リストというものが悪用される可能性があるということで、研究会内部でも、3月の研究集会のときにその場の出席者100名ほどに回覧だけして、回収しました。

そこで、別の資料ですが、大阪のある高校で、10年以上にわたる朝鮮人生徒がどこに行ったかという資料です。これがわからなければ議論にもなりませんので、今からお回しします。概要だけ見ていただいたらいいと思います。ある高校の朝鮮人生徒がどんなところへ就職したかということの1つの例です。ざっと見て回してください。

1.中学校から高校へ

3月初め出願

受験票に名前をどう書くか

下旬 合格者登校

学校で呼ぶ名前の確定

4月入学式

a)出願 書類志願書、調査書、家族調書、住民票または外国人登録済証明書

1974 大阪市立の高校

名前をどうするか聞け(指導要録へ本名記載)

1990 大阪府立高校

出願時には名前をどうするか聞くな

志願書に本名のみなら本名を使う意思、本名(通名)なら通名を使う意思と見なせ→学校でどちらを使うかは、学校で指導すればよい。

1994 大阪府立高校

指導要録改訂にともない本名記載を徹底

b)本名指導、

c)朝鮮人生徒・保護者の集まり

〈現状〉通名が圧倒的多数

〈提言〉「受験票には、志願書をそのまま写す」ではいけないのだろうか。

 それでは、レジメにしたがいまして話します。高校の立場で話しますので、中学校から高校へのところが始まりになります。

先程も話がありましたが、3月の初め、中学生たちが出願に来ます。ここで、わたしたちの側から言いますと、受検者一覧表に名前を載せる必要が出てくる。学校として、一番最初に、入ってくる生徒の名前をどう書くかというかたちで問題が出てくるわけです。

試験がありました後、下旬に合格者発表がありまして、ほぼその時期に、学校で呼ぶ名前を確定します。ですから、このときが一番のヤマになります。後、入学式以降も、個々のクラスで指導が続く。

出願に際しては、志願書、調査書、家庭の調書、日本人の場合は住民票、外国人の場合は外国人登録済証明書を用意します。

それで、皆さん方ご存じと思いますが、1974年、考える会、全朝教大阪の前身の時代で

すが、その運動によりまして、初めて、大阪市で指導要録への本名記載が実現しました。そのとき、大阪市教委の指導下にあります市立高校においても、指導要録の本名記載が実現しました。高校現場では、それほどの運動があったわけではないのですが…。その際に、市教委の方からは、今までなら自動的に通名になっていたのを、、ちゃんと入学式の前にどちらにするか聞きなさいという指導がなされました。これがそもそもの出発点でした。

大阪市立の高校では、基本的にそういう体制が現在でも続いていると思います。90年、この年に、民促協の交渉だったと思うのですが、大阪府立高校では、「出願するときに名前をどうするかは聞くな」、その意味は先程の花峯さんの言われた理由からですが、そういう指導がされます。実は、大阪市の小中の運動に派生して、府立高校の先進的な一部の学校では、出願時にあえて名前を聞いていたわけです。そのことによって、以降の在日朝鮮人教育の1つのきっかけにしようということです。それが、90年からは聞くなということになった。それでどうするのかというと、願書に「本名」のみを書いていたら、それは本名を使う意思があると見なす。「本名(通名)」と書いてあったら、通名を使う意思だと見なせ。そのことは中学校によく指導してあるから、高校としてはそれなりの対応をしたらよろしいという府教委指導となったわけです。わたし自身は、2年前でしたか、疑問に思ったことがありまして、府教委に質問しますと「学校でどちらを使うかは、入学後学校で指導したらよろしい。したがって、受験に際しての名前は、本名なり通名なり願書を見て判断しなさい。」ということでした。住吉高校でも胸に本名の名札をつけた中学生が、「本名(通名)」の願書を持ってやって来るということがありました。わたしは、彼らに対して機械的に「通名」の受験票を渡したわけです。冷汗が流れましたけれども。情け無い話です。なお、府立高校では、94年に指導要録改訂にともなって、やっと、指導要録への本名記載を徹底せよということになりました。94年までは、指導要録への通名書きがいっぱいありました。やっと、94年から、それに対応する入学説明会の指導などが、それぞれの学校で考えられつつあるということです。

どのようなかたちで、その指導が行われているかという具体的なことに関しては、住吉高校の朝鮮語講座のリャン先生がお見えですので、後で今年度の合格者登校のときのようすを話していただけたらありがたいと思います。

さらに、朝鮮人だけの生徒・保護者の集まりを、入学後、できるだけ早い時期に持つという課題があります。

ここで提言をしたいと思います。住吉高校でもそうですが、通名が圧倒的多数です。後でいろんなときに作文を書かせたら、「次には本名にしたいなあ」とか「卒業のときには何やかや言わんでも証書に本名を書いてもらうから」などと、そういう子もいる中で、しかし、入学のときは、みんな警戒して圧倒的に通名であるという状況です。そのようになってしまうことの1つに、初めて訪れて渡される紙切れ、受験票ですね、それが願書が「本名(通名)」であるからということで、自動的に「通名」の受験票を渡されてしまうという、よっぽど本名でやないといややという生徒はまだまだ少ない、朝鮮人の大多数の生徒たちは「本名(通名)」ですよね、そうするとそういう対応になってしまう、そんな対応の仕方の中に問題があるように思います。それで、受験票には願書をそのまま機械的に写すというシステムではいけないのか。「本名(通名)」だったらそのままその通りに。意思をどう見なすとか、見なさないとか、そんな主観的なことではなくて、願書には当然中学校の方で「本名」か、「本名(通名)」かを書いてくるわけですから。そのまま写すということができないのか。そんなことをまた議論していただければいいと思います。

以上が高校入学のときの問題点です。

2.高校卒業時
 卒業生台帳
 卒業式次第
 卒業証書
 卒業式での呼名

 次が、高校卒業の時の問題点です。

これも、小学校・中学校と同じような問題があります。卒業生の台帳、式次第、卒業証書、式での呼名などですが、昨年度の住吉高校の例で話したいと思います。

卒業証書に関して、生徒の方から「氏名をハングルで書いてほしい」と要求がありました。生年月日も発行年月日も西暦でと。それについて、職員会議で議論が行われまして、結局は校長の壁を破れなかったわけですけれども。発行年月日は元号。生年月日は、日本人の子どもも含めて、希望どおりに西暦でも元号でも、どちらでもよい。氏名に関してはハングルは一般的に読めないのでダメ。ただハングルと漢字との併記ならば可。ということになり、その生徒にも、ハングルと漢字を併記して渡しました。

卒業証書に関して、いろいろ状況を聞いてみますと、一般的には校長裁量の問題ですから、どんな方法でも出そうと思ったら出せるのでしょうが、住吉高校ではハングルのみの記載を認めませんでした。

次に3番目、就職・進学に関して。主に、就職のことになります。

75年に、わたしが勤めておりましたある学校で、合格者登校のときに、朝鮮人生徒を集めて「ぜひ、本名でいってほしい」と話していました。次の年に、校内の議論のときに、それを続けるかどうかをめぐって、進路指導の教員と対立しました。「本名やいうても、それで就職できるわけやない。就職する、飯を喰う。これがほんとに一番大事なことや。何が何でもそれを実現せなあかん。だから、本名指導てなことは、もうやめてくれ。」そう言われるのです。本名指導というのは、必ずしも学校全体の原則とはならずに、学年などで自主的にやっているというレベルになってしまったわけです。

ついこの間、624日に、同胞保護者連絡会の就職セミナーというのがありました。そこで、お2人のオモニから、大学生のお子さんが就職で悩んでおられるという話を聞きました。わたしは正直言って愕然としました。すなわち、「今まで本名できた。いよいよ大学を卒業して就職や。就職先を探している。通名に変えたい言うてる。通名でいったらいけそうに思う。どっちがいいでしょうか。」もうお1人の方は東京におられて、「教授を通じてみんな決まってきている。うちだけ決まらない。場合によって、国籍、名前、全部通名で隠していって入ってしもたらどうか。いったん入ってしもた人間、まさかやめさすわけにもいかんやろ。」そういうお話が出ておりました。

高校と大学のレベルのちがいはあるでしょうけれども、在日朝鮮人にとっての就職について、どの点が変わったのか、変わっていないのか。その辺のところを、わたしたちとしては、きちんと分析していかなければならないなあ、そのように痛感しました。

そこで、レジメの「20年間の推移」の部分にいきます。

日本人教職員の立場でどういうふうに就職指導を進めてきたかという問題、運動団体の立場でどのように切り拓いてきたかという問題、それらとは関係なく、要するに、日本の経済構造が変化してこうなったという問題というように、大まかに分けて3つの視点があると思います。

20年前、朝鮮人生徒の就職先はほとんどなかった。あったことはあったのですが、多くのところで、「自分で勝手に探せ。そやないと知らんぞ。」そういうところがあったように聞いています。それで、指導としてはそのままで、経済状況の変化はあったわけですが、現在でも「自由に受けろ」、それでまあ通った、というようなところもたくさんあります。

ところで2番目、そういう状況は非常にひどい状況だと考えて、いくつかの府下の先進的な学校で、必死になって企業を回って、朝鮮人生徒を就職させる努力が行われた。進路開拓が行われた。そういう学校の実践の延長線上には、生徒を指導して、今までずっと太いパイプを通じさせてきた、そういう企業に生徒を押し込むというか、そのような進路指

導があったように思います。実は、この最も熱心に在日朝鮮人教育を担ってやってきたそういうやり方が、ここ数年来、いわゆる"あてはめ方式"ではないかと批判を受けてきたということで、なかなか灘な問題を引き起こしているわけです。

就職差別がそのように普遍的でありながら表面化しなかった状況で、初めてある1つの就職差別事件を表面化させて、それを糾弾したということが87年に起こりました。これが東淀川高校の杉山先生が告発された"沖電線就職差別事件"です。高校では一番最初の事件です。

その後、日本経済の状況の変化にともなって、どんどん朝鮮人生徒が就職するようになった。特に、工業高校ではそれ以前からその状況があったように思います。

こうして5番目、どこでも積極的に受けさせる。どうかなと思って、ヒヤヒヤしながら受けさせたら、びっくりするようなところへ通った。そういう一時期があった。

そして現在。去年ぐらいから不況下で、特に今年、求人開拓のために、これは朝鮮人生徒に限りません。必死になって高校教職員は企業訪問を行っている。それが現状です。

全体としてまとめますと、採用先は確かに広がっている。これには、先程言いましたように、民族団体の就職差別に対する取り組み、これによって広がった側面、あるいは、高校教職員が足を棒にして企業を回って、それによってパイプを作って、そこに朝鮮人生徒を送り込んでった、そういう側面、それらと関係しながら、経済状況の変化で国際化していった、そういう側面、こうしたことで採用先が実に広がっている。先程言いました今年の春の府立高校の朝鮮人生徒の卒業生250人の就職先に関しましても、たとえば泉南の空港関連とか、そういう新しいところを含めて、いろんなところに、日本人生徒、朝鮮人生徒どうこうなしに、同じように就職しています。

ただ、企業の数は無数にありますので、採用実績のないところは今でもたくさんある。小さいところほどそういうかたちで残っているわけで、未経験であったに過ぎない場合もある。そこが差別して採ってないということもあるかもしれませんが、単に今まで朝鮮人生徒の採用が未経験であったという企業もたくさんあるでしょう。国内的な企業の場合は特にそうです。ある程度外国との関係のある輸出産業なんかでは、外国人労働者とか韓国との関係とか常識ですから、どこの企業でもそういう点は学校現場よりも進んでいると思います。

ですから、問題は現在のところ、こんなところになってきていると思います。一般的には、普通の会社は正面きって、何もわからん会社は別にして、差別はしてきません。「どうぞ受験させてください。」と言います。府立外教と府外教の共催で進路開拓研究集会をやりましたときに、西成高校の教職員がおっしゃったのですけれども、「各企業を回ると何年か前までは、「どうぞ受けさせてくださ.い」言うてても、心の中では、「ウチはいらんぞ」と言うてる企業があったように思うんやけれども、この数年はそれもない。だいたい基本的には採る意思があるようだ。」ということです。

けれども、いろいろな高校のようすを聞いてみると、中には、受けさせて黙って落とす、何故落としたのか明らかにさせることはできませんから、そのように隠蔽したかたちでの

差別が行われているケースがあるようです。

もう1つは、これも差別の本質の問題でありますが、朝鮮籍の生徒は就職が難しい。韓国籍の生徒はどこかへいける。そういう問題もあります。

いずれにしましても、現在のところは、何らかのかたちで、言わばシッポを出した企業、正面きって「ウチは採りません」などと言った企業に関しては、運動団体を中心に、さまざまなかたちで対処はできる。しかし、企業がそう言ったときに、運動団体とは別個のかたちで学校の教職員が、あるいは学校が、どういう体制・対応ができるのか。なかなか学校単位では、企業との対応は難しいところがあります。この辺が、問題を考える場合に、どういうイメージで、どうなっているのか。1つのシステムと言えばシステムですが、そのことがいよいよ問題になってくる。高校の研究会もあるわけですから、作ろうと思えば作れるわけですけれども、実際にどういうものが作れるのか。そんなところについても、この場でヒントが得られればと思います。

b)近畿統一応募用紙(履歴書)改訂問題

1,府立外教での議論

本籍欄が削除された場合、学校が作成する調査書の氏名欄をどう書けばよいか。

〈現状〉

就職用調査書は例外措置として「通名」』で書くことが可能。

進学用についてはすべて指導要録に基づいて書く。

〈提起〉

調査書に本名を書くことに伴う問題点を整理する必要がある。

・本人の問題(履歴書に自分の名前をどう書くか、どう指導するか)

・就職差別との関係

2.民聞違の見解について

「あてはめ方式」などは職業安定法違反を学校現場が起こしていると言えます。
…学校現場のあり方への提起と受けとあなければならないが、「あてはめ方式」の定義、範囲に疑問が残る。朝鮮人の先輩の行っている会社を薦めること、郵便外務職を薦めることなど。
 日立就職差別から20年以上たった今現在でも在日韓:国・朝鮮人を排除する社会構造は変わっていないのです。
…変わっている面と変わっていない面を考えなければならない。差別の本質論の問題。しかし朝鮮人側から見て「変わっていない」と見えてしまう事を深刻に受けとめるべきだろう。「差別されるのではないか」という恐れをどう受けとあるかという、わたしたちが日々の学校の実践の中で直面しているのと同じ問題。

 ○本籍欄に国籍を記入することが、就職差別の格好の材料になってしまっている現実があります。

○通名を名のって本籍欄を隠せば就職差別から逃れられるという考えは全くの誤りです。…このことから、本籍欄は、あれば差別の材料になるが、なくしても差別がなくなるわけではない、すなわち本籍欄削除が朝鮮人の就職差別をなくす問題とは直接の関係がないことがわかる。
○仮に本籍欄が削除され、国籍を記入する必要がなくなればどういう事態が予想されるでしょうか。…それは、露骨な差別事件となって私たちの前に現れてくるはずです。私たちはむしろ、それを就職差別を根絶するためのよい契機にしていけるものと思っています。
…この運動体としての判断を評価することは難しい。

最後に、近畿統一応募用紙の改訂問題にふれます。

ご承知のように、と言いましても小中の教職員の方は、あまりご存じないかもしれませんけれども、部落差別を初めとして、さまざまな差別を排除するという目的で作られました。高校から就職する場合には、その資料の中にもありますように、履歴書・身上書、学校側からは調査書、これらを持たせて企業の方へ受験に行くわけです。履歴書・身上書に氏名欄、生年月日欄、本籍欄があります。ずっと以前、本籍欄は都道府県市町何番地まで書かせておったのを部落差別を排除する目的で、都道府県名のみに変えました。いわば、今は盲腸のようなかたちで残っております。外国籍の生徒の場合は、ここに国籍を記入するわけで、朝鮮とか韓国とか書く欄になっています。

そのことの意味、これが今回、問題になったわけです。その経過に関しては「府高同研情報No.6」に掲載されています。93年、一昨年この間題が大阪の中でも大きな課題となりまして、この年に、近畿高等学校進路指導連絡協議会(=近進協、大阪・京都の府立、市立、私立、兵庫、和歌山、滋賀、奈良、計10の進路指導研究会)で近畿統一応募用紙を作っていますので、そこで議論された。現在は、大阪などは「本籍欄削除」を始め、いくつかの方針を決めておりますが、他府県でまだ足並みが揃わないので、一応そのままになっている、というのが現状です。

「府高同研情報No.6」の次の部分です。

「その論議の中で、特に“本籍欄”削除について、在日外国人教育の観点から『自らの民族性を否定して日本人を装う“同化の流れ”に手を貸す結果になりはしないか。また。そういった進路指導が行われるかもしれないのではないか』等の懸念が出された。同時に、学校現場でのより一層の在日外国人教育や進路保障の取り組みの推進が必要であることが議論された。」とありますように、この件に関しては、府高同研でも、全朝教大阪でも、また、先述の引用の「その論議」とあるのは大阪進保協の事務局会議のことですが、そこでも議論がありました。全朝教大阪では、93年の運営委員会での論議を踏まえての見解を『むくげ』132号に掲載しました。

その年の夏、府立外教の一泊研修でも議論しました。議論の中での大きな特徴は、本籍欄を削除して企業が差別できぬようにして、通名で就職できれば、それによって朝鮮人生徒の進路保障につながる、そういう考え方があったのですが、府立外教の議論の中では、結局、本籍欄削除自体が朝鮮人生徒の進路保障につながるものではない。本籍欄が削除された後で、通名で就職試験を受けていくことは、積極的なものではなくてやむを得ないものだ。それをやむを得ないものと認めるのかどうか、それでもやっぱり、本名で行かせるべきだ、そこの議論ですね。府立外教では、そこに焦点が絞られたわけです。

何故そうかと言うと、実は、進学用の調査書に関しては当然、指導要録にしたがって書くというふうに決まっているわけです。ですから、必ず本名を書きます。ところが、就職用の調査書に関してはちょっと前までは、当然、原則的に指導要録に基づいて書かれていたのですが、それが変更になって、必ずしも本名でなくともよいということになったわけです。調査書ですね。だから、生徒が願書に通名で書いた場合に、調査書の方もそれに合わして通名を書いておく、そういうケースがあります。何とかして朝鮮人生徒をどこかへ入れたい、だからそういうことがやむを得ないという立場、結局は、最初言いました「御飯を食べる、生きる、そのことが大事なことである」そのことと、人格の一部としての名前、本名の尊厳ということと、それらは、決して矛盾するものではないと思いますが、どんなふうに整理して考えるか。その問題がここにも関わってくるように思います。したがって、提起としてこんなふうにあいまいに書かせてもらいました。調査書、これはあくまでも学校が書くものです。これに本名を書くことにともなって、どういう問題点があるのか。それを本人の問題、就職差別との関係、こういうことについて、もっともっと整理された議論が必要だなあと思います。わたし自身、もっと整理して提起できればよかったのですが、結局こんなものになりました。

あと、民闘連の見解の中のいくつかの問題に関してふれて終わります。

「あてはめ方式」、これは、わたしたちが今まで経験のある、朝鮮人生徒を採ってくれそうな企業へ、次から次へと押し込んでいくという方式です。それ自体が自動的に破産してしまうようなやり方なんですけれども。ただ、これもいろんなケースがありまして、学校にとっては、非常に重要な、ある意味ではお得意先、それぞれの学校がそういうものを持っていますし、あるいは、そこに朝鮮人の先輩がおるとすればそういうつながりというのも、また、大事なものになる可能性もあります。朝鮮人生徒に、どこへでも受けろと言って、自由に受けさせることだけが指導ではないと思いますし、この辺も、差別をなくしていく立場と、学校教育としての立場とを、微妙なところで、互いに検討していかねばならない問題があると思います。

もう1つ、在日韓国・朝鮮人を排除する社会構造、就職差別の構造が、これはさっきからもくり返して言っていますように、実際にどう変わったのか、バブルの時期、国際化の1時期、これらをもっともっと資料に基づいて検討しなければならない。しかし、そういうリストそのものを表面へ出せないということになると、結局、話そのものが抽象的なものばかりになってしまう。ぜひ、具体的なところでそういう議論ができればと思います。20年前とどう変わったのか。現在残っている差別とは、どういう性格のものなのか。どういうかたちで発展していく可能性を持つものなのか。従来の差別が新しいかたちで……。在日朝鮮人生徒を排除してきた差別が、これから、新たな渡日者の子どもたちも含めてどうなるのか。もっともっと分析しなければならない。問題提起ばかりで恐縮ですが……。

次に民闘連の見解の「○本籍欄に国籍を記入することが、就職差別の格好の材料になってしまっている現実があります。」「○通名を名のって本籍欄を隠せば就職差別から逃れられるという考えは全くの誤りです。」の部分です。ここから見られるように、1つ、根本の考え方として合意できる点として、ベースになるのは、本籍欄というのは、あれば差別になる、なくしたら差別がなくなるかと言うとそうじゃあない。したがって、本籍欄削除という問題と、朝鮮人の就職差別をなくす問題とは、直接の関係はない。そういうふうに考えられるのではないかと思います。現在解放教育の流れの中で、関係者の長年の努力で築いてきましたように、もともと削除されるべきであった本籍欄、これがようやく、完全に削除される方向へ進みつつある。そのことの問題と、在日朝鮮人教育の課題と、別個にきちんと考えてやらなければならないんではないか。

最後に、露骨な差別事件が現れてきた場合に、それをよい契機にしていけると言う点。これは現在の日本社会全体の評価の問題に関わってくると思います。

正直な、率直なところで意見を言いましたので、みなさん方の忌憚のない意見を聞かせて頂いて、たくさんの側面を整理して、具体的な実践に役立てていければと思います。

         

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