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なお、この記事は、『むくげ』142号から転載したものです。


(田村)

みなさん今晩は。全朝教大阪の運営委員をしております田村と申します。本日の司会をさせてもらいます。本日のシンポの時程については、市外教の花峯から小中高の現場の状況、府立外教の印藤から高校現場の状況を、それぞれ20〜30分程度報告してもらいます。その後、約50分討論。約2時間のシンポですが、最後までご協力をお願いします。

さて、シンポのテーマですが、わたしたちは、これまで"本名を呼び名のる"実践ということで、教室で、課外の民族学級やクラブの中で、保護者とも連携しつつ、子どもたちの学校生活のさまざまな場面で、展開してきているところでありますが、今日の課題は、こういった実践交流についてはおいておきまして、本名を名のる子どもたちが成長する過程で、小中高大や、社会に出ていくという進路過程の中で、こういった本名を名のるということが、どんな形で保障されてきたか、あるいは現在、保障されているのかということについてたどることを、今日の課題にしたいと思います。

小学校にありましては、指導要録や就学に関わる書類、出席簿等も含めて、公簿としてのさまざまな諸帳簿・書類があります。それらの中で、本名がどういうふうに扱われてきたのか。さらには、中学校から高校へ上がる入学願書であるとか、その他の調査書、そういう書類もあるわけですけども、そういった中で、本名を名のっている子どもたち、本名を名のらないにしても、朝鮮人として生きている子どもたちが、どういう形で、名前を呼び扱われるのか。そういったところを、検証していくと言いますか、見極めていきたい。

子どもたちをとりまくハードの部分と言いますか、学校の制度として、きちんと保障されているかどうか、かつ、ハードの部分をめぐって、小中高の教職員が、このように連携してきたといったことについての議論を深めたいと思います。それが一つ目の課題です。

二つ目の課題として、特に高校の現場でありますが、高校を卒業していくときの進路指導、就職指導をするときに、大阪には「近畿統一応募用紙」と言いまして、20年来の部落解放運動の中で作られてきました、就職差別を克服するという視点の中で作られてきたいわゆる履歴書、それを「近畿統一応募用紙」と言っていますが、その改訂の問題の中で、本籍欄を削除するという方向性が、今、提案をされ、論議をされてきました。大きな流れとしては、「もともと本籍欄といったものはいらない」というところで、大方の一致ができるところでありますが、それが在日朝鮮人生徒にとってはどういう意味を持ってきたのか、さらには今後、この改訂の問題がどういう意味を持っていくのかということについて、高校の現場や府立外教の中では、さまざまな議論がなされてきています。その議論を紹介してもらうことで、わたしたちが「近畿統一応募用紙」の本籍欄削除の意味、特に、それの在日朝鮮入生徒にとっての意味について、これからのあり方について考えていきたい。結論は出ないかもしれませんが、その問題点、本質の部分についての論議を深め、認識を深めたいというふうに考えています。

それでは、小中の現場状況の報告ということで、花峯さんにお願いします。


      
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