いのち・愛・人権展

初めての市民参加で感じたこと

寝屋川在日朝鮮人教育を考える会

伊藤和男

 

1213B3日間、市立総合センターで「いのち・愛・人権展」が開かれました。そこで、寝屋川市に移って来て4年目になりますが、じつは今年初めてこんな催しがあることを知りました。そこで、最終日のお昼ごろゆっくりと見て回りました。

1階は《女性問題コーナー》。「破られた沈黙…アジアの「従軍慰安婦」たち」と題するパネル展示です。かつて日本軍の性的奴隷とされたアジアの女性は約20万人といわれています。その大半が朝鮮人女性でした。日本の戦後史が注意深く封印してきた歴史の暗黒を鋭くえぐり出すモノクロの写真が、その事実をいまだに直視できない日本人の不明を象徴するかのように、ロビーの薄暗い証明の下にひっそりと並べられています。そこは半世紀を超えて癒されることのない屈辱を生き続けている無辜の女性たちの叫びに満ちていました。日曜日の昼下がり、小春日和のなかをのんびり歩いてきた私は、息を呑み立ちすくみました。

 

〈思いがこもった在日朝鮮人コーナー〉

2階の《同和問題》、3階《環境問題》・《教育問題》に続いて、4階が《福祉》と、お目当ての《在日韓国・朝鮮人問題コーナー》サブタイトルは「よき隣人として……理解からふれあいへ……」です。31独立運動など日本の植民地支配に立ち向かう朝鮮民衆の闘い、戦後から現在に至る在日朝鮮人の苦闘の跡を点描する廊下のパネルに沿って進むとサムルノリが低く流れてきました。その音のみなもとは第2講義室。「市民の会」「考える会」「チャンゴの会」の面々が1週間かかって作り上げた展示場です。

イ・チョル先生(ハングル講座講師)揮毫の達筆のハングル(「こんにちは。ようこそ1)が入口に掲げられています。その両側を飾る「天下大将軍」「地下女将軍」の二体のチャンスン(脇山さんの苦心の作です。)に迎えられて入った部屋の中央には、色鮮やかな3体のチョゴリ。これを取り囲んで、市民の会、ハングル講座、チャンゴの会、考える会、それぞれの歩みと現在の取り組みを伝えるパネルが壁面を埋めています。どれも、一字一字心を込めて丁寧に書かれているからでしょうか、「文字」に満ちているというより「思い」が溢れているという印象で、引き込まれるように読んでしまいます。

みんなで持ち寄ったチャンゴやケンガリなどの民族楽器、タル()などの貴重なコレクション、それに灰色のカーテンを隠した朝鮮民族伝統の五色の垂れ幕は、殺風景な「講義室」を民族文化の展示場に見事に変身させていました。

 

〈一人ひとりの顔が見える〉

つき並な感想ですが、この部屋に入ってほっと一息つきました。人権の問題は、それが踏みにじられている現実への怒りと悲しみを呼び起こします。それは大切なことに違いないでしょう。けれど、チョゴリの美しさやチャンゴの楽しさ、どんな迫害や差別にも動じることなく生き続けるこうした文化と、それを担う人々の確かな生きざまに触れることでわたしたちが元気づけられ、人への信頼を確かめることも、同時にとても大切だと思います。こころなしか、この部屋に入ってきた人は、一様にほっとしたような声をもらし、目を輝かせているように見えました。まして、オモニやアボヂたちの思いはひとしおのものがあったでしょう。

それからもう一つ。この部屋には、人間の顔がありました。「市民の会」に関心がある人には、高文子さんの住所と電話が分かります。ハングル講座の参加者は、写真入りで口々にその素晴らしさを語りかけています。それに、裕美さんの流麗な舞姿や康さん率いる「チャンゴの会」の演奏シーン。誰もが「さあ、みんな、一緒にやろうよ。」と呼びかけています。これだけは、行政ひとりの力では逆立ちしてもできないことです。サブタイトルのいう「理解」から「ふれあい」への架け橋は、市民の参加によって初めて築かれました。その陰には、朝鮮人市民の長い長い「自前の闘い」があったことを忘れてはならな吟と思います。

 

〈続けたい「市民参加」〉

今年の人権展に対して「参加者が少ない」とか、「廊下のパネル展示が中心で、参観者はただ通り過ぎるだけ」とか、行政内でも反省が出ているようです。それはその通りでしょうし、他にも改善すべきところは沢山あるようです。でも、市民参加で創った在日朝鮮人コーナーについては、私だけでなく参観者のほとんどにとても好評だったと聞きます。

会場でもらった市のパンフレットには、こう書いてありました。

 

「今回、市民グループの協力を得て、ハングルの紹介と民族衣装や楽器の展示などで、市民参加による「いのち・愛・人権展」への第1歩を踏み出すことができました。」

〈第1歩〉というからには、後戻りは許されません。来年、再来年と市民参加が続いていくはず。今年の経験を十分に反省し、来年はよりよいものを作り上げたいものです。そこで、市民と行政の協力の在り方について、気がついたことをいくつか挙げてみます。

 

〈行政の責任をはっきりさせること〉

在日朝鮮人コーナーは、連日57人の市民が、仕事を終えてから夜10時ごろまで文字通り手弁当で作り上げたものです。チョゴリなどの展示品を借りるためあちこち走り回らなければなりません。行政との打合せにも出席を求められます。仕事はほとんど市民がしました。要した実費だけでも10万円を軽く超えています。おまけに後片付けのときに高価なタルを一つ壊してしまいました。ところが市が負担したのは、チョゴリの借料としての3万円、模造紙など事務用品(1万円)だけです。これ以外の実費はすべて市民側の持ち出しになってしまったのです。

市民参加は今年が最初。お互いに不慣れで行き違いがあったことは事実です。でも、人権展は市と市教委主催の行事ですから、行政が「不慣れ」なために市民に余分な負担を押しつけるというのでは道理に合いません。市民のボランティア活動に寄りかかる姿勢が、行政にあったとしたら見過ごせません。

言うまでもないことですが、ボランティアは、行政が責任を果たしたうえで、なお足らざるところを補うものです。障害者や高齢者の介護の場合を考えれば分かるように、行政の責任をはっきりさせないまま無原則的に何でも請け負う市民活動には、これらの人々の「権利」を、ボランティアの「善意」に頼って、ようやく受け取ることができる「恩恵」に落としめてしまう恐れが付きまといます。

今回の人権展の場合はどうでしょう。不当な差別に苦しむ市内の在日朝鮮人が、市民啓発を要求するのは当然の権利です。行政は、市の「在日外国人教育基本指針」に照らしてこの要求に応える責務があります。この仕事を、まるごとボランティアに委ね、必要な経費すら負担しないとしたら、人権展が成功裏に終わったとしても、市が在日朝鮮人に対する行政責任を果たしたと言えるでしょうか。「市民の会」などが実費分の行政負担を求めているのは、じつは「おかね」の問題に象徴される「行政としての責任」を果たすよう問いかけているのです。差別からの解放を求めることは「権利」であって、「善意」や「恩恵」に頼るものではないはずだからです。

 

〈在日朝鮮人の人権擁護に対する行政の姿勢を明確に示すこと〉

もう1つ気になることがあります。先に触れた「指針」を在日朝鮮人コーナーに掲示できなかったことです。「指針」は、先年の差別事件を契機に「市民の会」の熱心な取り組みによって生み出されたものでした。「市民の会」の歩みを知らせるパネルには欠くことのできないものです。そこで、その件を行政に求めたところ、「指針」は市教委の所管であり、別に「教育コーナー」があるから、そこに掲示するのが適当であるなどと、要領を得ない答えが返ってくるばかり。結局、どこにも展示できないまま今年の人権展は終わってしまいました。

「指針」は、本来、あらゆる機会を逃さずできるだけ多くの市民の目に触れるよう努めるべき性格のものであるはずです。市教委の所管云々という言い分は、行政内部の縄張りを、受益者であるはずの市民に押しつける愚かしい議論です。それにどう考えても、「指針」を掲示する場所として在日朝鮮人コーナーより適当な所はないと思うのです。

「指針」は、寝屋川市が他市に誇るべきものであるはずです。「指針」の周知徹底に、市が積極的でないのはどういうわけでしょうか。理解に苦しみます。

終わりに、繰り返しになりますが、市民が作った在日朝鮮人コーナーは行政をふくめて多くの人々に好評を博しました。それは今年の人権展のハイライトでした。何よりも、在日同胞の出会いの場が一つ増えたことを率直に喜びたいと思います。そして、それを生み出した方々の粘り強い取り組みにあらためて敬意を表し、新参の市民としてその掉尾につきたいとも思います。

(在日朝鮮人の人権を考える寝屋川市民の会だより
27号 1995.12.28より転載)

     
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