中国出身生徒にかかわって

アイデンティティーを保障する取り組み

平野区瓜破中学校  中村浩三

平野区長吉六反中学校 井上泰雄

 1 はじめに

 大阪市の東南端に位置する平野区は中国出身生徒が多い。そのほとんどが「引き揚げ」関連の生徒たちである。私たち二人は3年前、平野区の学校にそれぞれ転勤した。かたや「帰国した子どもの教育センター校」(以下、「センター校」)であり、かたや大阪市では中国出身生徒の多数在籍校であった。目の前の子どもたちは、一方は日本語のまったくできない子どもであり、他方は日本語の日常会話はほとんど支障がない子どもたちであった。私たちは知り合ってすぐ「平野区・東住吉区中国出身生徒のつどい」をはじめた。子どもたちは在籍校では孤立している場合が多かったからだ。長吉六反中の3年生は重度の胃潰瘍を経験し、不登校気味だった。

 私たちが接した子どもたちを取り巻く問題も3年間に少しずつ見えてきた。中国出身生徒を取り巻く問題は様々だ。学力問題から、日本人生徒との関係、親子関係、そして、アイデンティティーそのものに深い影を落としている。

 大阪の在日朝鮮人教育の豊富な経験と輝かしい歴史は「同化」と「排外」に対する闘いの歴史であった。しかし、ここ3年間で見えてきたことは、やはり「同化」と「排外」は厳然として存在していることだった。中国出身生徒は在日朝鮮人に例えると一世にあたる。「中国へ帰れ。」と言われた子どももいれば「中国語も日本語もだめな私は、今、何人?」と自問する子どももいる。

 日本語が上達した中国出身生徒が「うまく適応できて、特に問題はない」と見えるとき、知らないうちに「同化の教育」をしていることにならないか。本レポートでは幾つかの個別の例をあげながら特に「同化」の問題に焦点をあて、奪われようとするアイデンティティーを保障することを目指した試行錯誤の取り組みを報告したい。

 

2 中国出身生徒が多数居住する地域

 瓜破中学校や長吉六反中学校のある平野区は、大阪市の中でも中国出身生徒が多い地域である。

 表の上の段の数字は「引き揚げ」関連の生徒の数だ。「引き揚げ」関連というのは、いわゆる「残留婦人」や唱留孤児」の帰国に関連して来日したという意味である。中学校に通学しているのは、ほとんどがそのお孫さんにあたる。大阪市では同じ中国出身の生徒と言っても、いわゆる「残留婦人」のお孫さんより「来日」の生徒の方が多くなっている。「来日」というのは、保護者が企業の経済活動の一環として日本に来られた場合や、教育文化的な活動、たとえば大学で教えるために日本に来られた場合等を指す。その他に、国際結婚で日本に来られたというケースもある。経済的には比較的安定している所帯が多い。一方の「引き揚げ」関連は、日本に来たばか りの頃は経済的な基盤がないので、生活保護を受ける所帯が多い。しかし、それも2年程度で打ち切られる。生活保護を受けている2年間で日本語を習得し、就職先を探すことになっているようだ。しかし、大人が2年間で日本語をマスターするのは難しい。そのために就職も思うようにならなくて、多くの場合厳しい条件の職場で働くことになる。

 大阪市全体では「来日」の生徒の方が少し多いのに、平野区では「引き揚げ」関連の生徒が圧倒的に多くなっている。平野区に府営市営の住宅がたくさんあるからだ。瓜破中学校でも校区に府営、市営の住宅がたくさんあり、「引き揚げ」関連の生徒は全て府営、市営の住宅に住んでいる。大阪市の「引き揚げ」関連の生徒の1/2が平野区に、その1/3が瓜破中学校に通っている計算になる。

 しかし、一口に中国出身の生徒といっても、日本に来た時期や、置かれている環境によって、取り巻く問題は様々だ。

 

3「ぽくよりいじめられたやつはおらんで」

 瓜破中学校2年のH君は、いわゆる「残留婦人」のお孫さんだ。6才で日本に来て、すぐ保育所へ入り、翌年小学校に編入された。彼が瓜破中学校に入学して来たとき、中国出身の生徒であるということで声をかけた。もちろん、彼の成績が学年で最下位であることは知っていた。「いっしょに勉強しようか」と言うと、彼は、「勉強は全然わからんで。やっても無駄やで。」と答えた。H君の話では、小学校就学前に日本に来てから、特別に日本語を教えてもらった事は一回もなかったそうだ。H君は日常生活の中で、自力で日本語を習得したのだ。自力で習得したということは、体系的に文法を学習していないという事で、実はわからないことがいっぱいあったらしい。基礎から教えてもらうことに比べると、日本語を覚えるのに要する時間も長くかかっている。日常会話がわかるようになってきたのは1年生の後半くらいからだそうだ。授業で先生の話すことがわかるようになったのは2年生位からだったと言う。結果的に、小学校1、2年の授業内容はほとんど理解できなかった。学習というのは、小1で習ったことが基礎になって小2、小2で習ったことが基礎になって小3というように積み重ねていくものだ。H君の場合は、小学校1、2年がいわば一種の「空白」の期間になっていて、その間に当然身につけなければならないことが、すっかり抜けてしまっていたのだ。ところが、自分の生い立ちを語ったり、自分が興味のある事柄について話すのを聞いていると、実に理路整然としている。頭の回転が非常に早い。この生徒の成績が、なぜ学年で最下位なのか、どうしても理解できなかった。

 原因はおそらく、小学校1、2年生の「空白」の期間にあると思う。小学校1、2年の基礎がないので、3、4年の授業内容がわからない。3、4年のがわからないから、その後の学習もわからなかった。やがて興味を失って、勉強をするのがきらいになった。そして現在があるのではないか。ここに大きなポイントがある。

 H君は、また、保育所や小学校ではひどいいじめにあった。「ぼくよりいじめられたやつはおらんで」と、彼は表現する。日本語がわからないために、からかわれたり、だまされたり、池にはめられたりしたそうだ。あまりのひどさに、H君はとうとうお母さんに自分がいじめられていることを話した。お母さんは担任の先生に相談に行ったのだが、お母さん自身も日本語が話せない。当時は通訳の派遣制度も整っていなかった。結局担任の先生にうまく伝えられなかったそうだ。日本に来たばかりで不安な頃、自分の子どもがひどくいじめられた。そのことを先生に伝えようとしたが、伝えられなかった。子どもがこれからどうなるのか、さぞ心配されたことだろう。やがてH君は日本語がわかるようになった。友だちができ、いじめられることもなくなった。

 しかし、お母さんの悩みはこれで終わったわけではない。実はこれからもっと大変になるのだ。今、H君は日本語が上手だ。日本語で困ることはほとんどない。しかし、日本語を獲得したのと引き換えに、中国語がまったくわからなくなった。もちろん、日常会話のごく簡単な中国語は理解できる。しかし、自分の意志を伝えるような中国語の力は、H君にはない。

 一方、H君の保護者は、ごく簡単な日常会話は別として日本語がほとんどわからない。H君はこれから思春期、青年期を迎える。保護者と真剣に話をする必要に迫られることがきっとあるだろう。しかし、H君のところでは、親と子の気持ちを通じさせることばがない。日本に来たときは、自分の息子の気持ちを先生に伝えられなくて悔しい思いをしたお母さん。今度は、自分の息子に自分の気持ちを十分に伝えられない事で悩まなければならない。

 H君といろいろ話し合った結果、中国語を1から勉強しようということになった。親と話をするときに必要なことばだからだ。去年の11月から、月2回、学校の授業がある土曜日に、中国人留学生の向敏さんを講師として招いて、瓜破中学校の取り組みの一環として中国語の授業を始めた。この授業、最初H君は、あまり乗り気ではなかった。まず、授業中に抜き出し指導をするのだから、クラスの生徒に説明して教室を出て来なければならない。その照れ臭さが一つ。また、中国語といっても勉強には違いない。無理やり覚えさせられるのではないか、全然わからないのではないか、という不安もあった。

この授業にはH君より1つ年上で、H君のいとこにあたる3年生の女生徒も一緒に参加することになった。中国人の先生と1対2の授業だ。先生に授業中じっくり話を聞いてもらえるという経験は、通常の授業ではあまりできない。初めての授業で、H君は自分の今までの生活から趣味に至るまでを延々と話し続けた。次の回からは、登校するとすぐ日本語教室に先生の顔を見に来た。「今日は(授業が)あるんですかJと声をかける。うれしい気持ちの現れだ。意欲的な中国語の学習が今も続いている。この10月に、カラオケのビデオを使って中国の歌を練習した。H君はとても熱心だった。それ以来、昼休みになると日本語教室へ来て、ビデオを見ながら練習している。

 また、平野区は中国出身の生徒が多いので、中国出身生徒のつどいを何回か開いている。H君は中国語の勉強を始めたばかりでほとんど話せない。つどいに集まる生徒たちは、もちろん中国語で話す。H君はとてもついていけない。一緒につどいに参加しても、H君にとってはあまり面白くないはずだ。しかし最近はつどいをすると必ず参加するし、自分から希望して受付などの係を担当している。こういう様子を見ていると、もう数年前に帰化してしまったH君だが心はやはり「中国」にあると言える。

 

4 「中国人が中国のことを知らないのは恥ずかしい」

 瓜破中学校は、「センター校」でもある。「センター校」には日本語教室があって、瓜破中学校の生徒だけではなく近隣の学校からも生徒が来て日本語の勉強をしている。「センター校」の日本語教室の卒業基準は日本語検定試験の3級に合格することだ。この日本語検定試験の3級がどれくらいのレベルかというと、だいたい漢字を三百字程度読み書きでき、語彙が千五百語程度あり、簡単な日常会話が理解できるレベルということになっている。特別に早い生徒は半年位、多くの生徒は1年程度で卒業していく。

 では、日本語教室を卒業したら中学校の授業がどの程度理解できるのだろうか。これが実は、「先生の話が全然聞き取れない」「教科書をバッと見ても、さっぱりわからない」という位のレベルだ。かなり良い成績で日本語教室を卒業した生徒でも同じだ。「先生の話が聞き取れない」という最大の原因は、先生の話すスピードが早すぎること。日本に来て1年位では、普通の会話のスピードについていけない。もし、日本に来て間がない生徒が教室にいたら、できるだけゆっくり話してほしい。これを常に心掛けてほしい。簡単なようだが、日本語にまだ慣れていない生徒の学力保障にかかわる大きなポイントだ。

 次に、「教科書を見てもわからない」の原因は、絶対的な語彙が不足していることだ。文部省の委嘱を受けた調査で、算数の教科書の中に、日本語指導の先生が日本語を学習し始めて半年程度の生徒に、生活レベルの最重要語として意識的に指導している語彙がどれくらいあるか(簡単に言えば、算数の教科書の中に日本に来て5〜6カ月の生徒がよく理解できる語彙がどれくらいあるか)をまとめたものがある。

 ある算数の教科書に出て来る1366の語彙のうち、生活レベルの最重要語彙として日本語指導の先生が意識的に指導しているのは466語だけだった。全休の約1/3でしかない。言い換えると、日本語を初歩から半年程度学習した子が、算数の教科書を読んだときに理解できる語彙は、全体の1/3ということだ。学年別では、1年の教科書では86%が理解できる語彙だ。しかし、学年が上がるに従って理解できる語彙の割合が減って行く。6年の教科書では、実に3/4がわからない語で占められている。

 中学校の日本語教室を卒業する子どもは、知っている語彙も1500位で、この子たちの3倍以上ある。しかし、中学校の教科書で使われている語彙はもっと多いはずだ。しかも、「算数」の教科書はどちらかと言うと語彙が少ない方で、他の教科ではもっと語彙が増えるのではないだろうか。

 高校の入試で、一般的に中国出身の生徒たちが得点しにくい科目は社会と理科だそうだ。高校の先生の話では、ほとんど一桁だという。一番の理由は中国出身生徒の語彙が不足しているからだ。センター校に通っている生徒の例でも、社会や理科の教科書は、たった1ページを読むのに、辞書を片手に1時間も2時間もかかる。それが普通だ。これはもう、社会科の勉強ではない。大学入試のときに英文解釈というのがあって苦労した経験があるが、それに似ている。彼らは社会科の勉強をする前に日本語の勉強を強いられているのだ。

 社会科や理科の目的は何だろう。年代や生物の名称を覚えることも必要だが、本当はそれを材料にして考えることが一番の目的ではないのか。論理的な思考を経験することが大きな目的ではないのか。しかし、中国出身の生徒たちが日本で覚えた日常会話の語彙では、抽象的な概念は理解できない。では、何年も日本にいて時間がたてば語彙も増えるから、抽象的な概念や思考の言語も理解できるようになるのだろうか。決してそうではない。

 言語臨界期ということばがある。小さな頃に日本に来た子どもは、特別に日本語を教えてもらわなくても、日常生活の中で日本語を覚えることができる。先に述べたH君の例がそうだ。しかし、ある一定の年齢を過ぎると母語の影響が大きくて、新しい言語(ここでは日本語)で考えることが難しくなるのだ。日常会話は時間が経てばいずれ覚えられる。しかし、学習言語、つまり思考の言語を新しく身につけることは非常に難しいのだ。言語臨界期を過ぎて日本に来た外国人生徒が、日本語で論理的、抽象的な思考をすることは基本的に不可能だと考えた方がいい。通常の授業で、日本語を使って地理や歴史を学習しても、理解できない可能性が高いのだ。

 さて、中学生という時期は、「論理的な思考」「抽象的な思考」を身につける時期ではないだろうか。言語臨界期を過ぎて日本に来た生徒が、日本語で「論理的な思考」「抽象的な思考」をするのが無理なら、彼らに本当の意味での「考える力」をつけようと思ったら、「論理的な思考」「抽象的な思考」が必要な科目は、母語でやる必要があるということだ。科目によっては母語で教えることが必要なのだ。(すでに、いくつかの教科についてはこの観点から中国語と日本語の対訳の教材が作られている)

 このようなことを職員会議で話し合った結果、瓜破中学校では、中国出身の生徒たちが中国語で中国の地理や歴史を学ぶ時間を設けることになった。講師は先程の中国人留学生の向敏さんにお願いした。中国語で授業をするのだから、中国語をしゃべれる人ならだれでもいいという訳にはいかない。幸い、彼女は中国で高校の先生をしていたので、適任であった。

 

資料 瓜破中学校での「中国語による授業」の目的

@ 教科によっては、日本語で教えても理解できないことがある。そのため、必要な部分を中国語で教える。

A つまずいている点やわかりにくい部分を中国語で教えることによって、理解を深め られるようにする。(日常会話に不自由しない生徒でも、学習言語の習得は十分ではない場合が多い)

B 中国語の力の保持・伸長をはかる。また中国人として当然知っておくべき事柄を中国語で教える。

C 指導の全休を通して、中国出身生徒の精神的なバックアップを行う。

 

 この授業では、@やAのような学力の面だけではなくて、Bの中国語の力を伸ばすことや、中国人としての常識や、最新の情報を得ることも目的の一づになっている。また、Cのように、「民族講師」としての役割も果たしてもらっている。

 この授業は非常に好評である。初めの頃は2〜3人の参加だったが、一回見学に釆た生徒は次から必ず参加するようになった。知的な刺激を受けられるからだ。中国語で授業を受ける生徒の表情は美しい。今では瓜破中学校の生徒だけで9名が参加している。この授業は何回か公開していて、たまたま見に来た隣の学校の校長が、次から自分の学校の生徒を参加させたいと言い出したという例もあって、他校の生徒が4−5名参加している。

 

資料「中国語による授業一中国の地理と歴史」の生徒感想文

A(中1・女) 日本に来てからは日本のことばかり勉強するので、全然わからなかった。自分は中国人だから、少しでも中国の事を勉強できて、とてもうれしい。(小4で来日)

 B(中1・男) 日本に来て中国のことを勉強できてうれしい。中国人が中国の事を知らないのは恥ずかしいことだから。(小5で来日)

 C(中3・女) 中国にいたときは地理や歴史が好きじゃなかった。今は勉強できてうれしい。(中1で来日)

 

 ところが、この中国語の授業は、中学生の普通のレベルの内容だ。日本に来て長い生徒ほど、最初は授業の中国語のレベルについて行けない。小学校の4年位で日本に来た生徒などは、この授業に初めて参加したとき、先生の話す中国語が半分位しか理解できなかった。でも、何回か参加して行くうちに、中国語で考えることができるようになり、理解できる部分が多くなっていく。中国語を取り戻していると言っていいだろう。

 ただ、家庭の事情等で、中国であまり学校に行ってなかった生徒も複数いる。その生徒たちは、基礎的な学力が不足していて、この授業でもついて行くのがしんどい。日本語でやる通常の授業はもちろん、中国語でやる授業も理解できないのだ。もっと、それぞれの子どもの力に応じた、きめ細かい指導が必要になる。

 

5 「わたしは、今、何人?」

 この授業に他の学校から参加しているZさんは、去年来日して小学校の6年に編入された。現在中学校の1年生だ。Zさんは日本語の日常会話をすぐに覚え、日本の生活にもうまく適応した。Zさんの通っている学校では、「特に問題はない」と言われている生徒だ。彼女は、「センター校」の日本語教室を優秀な成練で終了した。その後、瓜破中学校の中国語で中国の歴史を勉強する授業に参加することになった。その最初の授業で、Zさんは動揺した。先生の話す中国語が半分しかわからなかったのだ。日本に来てたった1年で中国語を忘れていたのだ。中国でもかなり優秀な成績だったZさんは、中国語がわからなかったことに、自分自身大きなショックを受けた。普段、親との会話は中国語で行うが、全く不自由しないので気がつかなかったのだ。中国語でものを考える力が極端に低下していた。「日常会話」と「学習言語」は別のものなのだ。Zさんの中国語の力、特に「学習言語」の力では、中学生レベルの授業についていくのが難しい。つまり、Zさんの中国語の力は、日本に来たときのままと言うより、それ以下になっていたのだ。では、Zさんの日本語の力はどれくらいか。Zさんは「センター校」の日本語教室をかなり良い成績で終了した。しかし、それは、あくまでも日常会話のレベルだ。中学校の教科書を読んで、すらすら理解するのは難しいだろう。Zさんの日本語の語彙・読解力は、小学校の低学年程度なのだ。中国語の力も、日本語の力も小学校のレベル。Zさんは、中国語での授業を終えたあと、「中国語も日本語もだめな私は、今何人?」と苦笑した。Zさんが直面しているのは、単なる言葉の問題ではない。自分が一体何者なのか。中国人なのか? 日本人なのか? これから自分をどう確立して行くのかという、まさにアイデンティティーの問題なのだ。

 中国語がわからない、親と話ができない、中国のことを知らない生徒が増えている。これらの生徒のほとんどが、日本人の教師には「うまく適応できて、特に問題はない」と見える。これは知らないうちに「同化の教育」をしていることにならないのか。中国出身の生徒たちが、仮に高校や大学に進学できたとして、それを卒業したあと、社会に出て行くときにどんな展望があるだろうか。日本で就職するとして、中国出身であることが有利かというと、決してそうではない。ことばや習慣の面から考えると、日本ではむしろ不利なことの方が多いのではないだろうか。日本で自分たちの将来の展望がどうか、子どもたちはよく知っている。保護者も知っている。だから、一部の生徒は成績に非常に関心をもつことになる。中国出身生徒の保護者が自分の子どもに、「中国人と付き合うな」と言う現実がある。一部の生徒は展望を失ってやる気をなくしたり、荒れたりする。

 この子どもたちが自分の力を十分発揮して働ける場所はどこにあるのか?具体的な仕事の内容まではわからないが、それはやはり、中国と日本の間に立つような仕事だろう。将来、この子どもたちにそういう所で活躍してほしいと思う。しかし、彼らのほとんどが、日本語のレベルも中国語のレベルも非常に低い。特に、日常会話はわかるが、その上のレベルの中国語がわからない。中国人と中国語で意志の疎通ができない。中国人なら当然知っておかなければならない中国人としての「常識」を知らない子どもが増えている。中国出身の子どもたちがどんどん日本人になっていく現状がある。私たちは知らず知らずのうちに「同化の教育」をしているのではないだろうか。

 今回、大阪市外国人教育研究協議会(市外教)主催で中国語の弁論大会を計画している。どれ位日本語がじょうずになったかを競う「日本語」の弁論大会ではなく、どれくらい中国語の力を保持しているか、どれくらい中国語の力を高めているか、中国人の社会で通用する発言力があるかを競う、言い換えれば、本当に中国と日本の間に立って活躍できる力をつけるために、あえて、「中国語」の弁論大会を計画した。

 大阪は、在日朝鮮人の教育について豊富な経験をもっている。成果もあげて来た。それは決して「同化の教育」ではなかったはずだ。在日朝鮮人の生徒と中国出身の生徒では条件の違う部分が多い。しかし、在日朝鮮人の教育の成果から学ぶべき部分も多いはずだ。

 瓜破中や長吉六反中、あるいは平野区近隣の学校の生徒は、中国出身生徒の数が多いので、何回も通訳の方に来てもらえる。場合によっては中国語の授業も受けられる。仲間が多いから情報も得やすいし、中国語を使う機会も多い。しかし、どこでもそんなことができるわけではない。孤立無援に近い生徒もいるはずだ。

中国出身の生徒が少数(または1人)しか在籍していない学校では、学習言語はもちろん、日常会話でも中国語を使うことがほとんどなないだろう。今回は、大阪市の全部の中国出身の生徒に、中国語で話す機会を設定しよう。日常会話の中国語ではなく、思考の中国語を使ってもらおう。中国語で論理的な思考をしてもらおう。大勢の中国人の前で、反応を確かめながら自分の考えを話すという経験は、中国人としての自分を作って行くいい機会になるのではないか、という思いが背景にある。11月16日(土)に大阪市立平野同和地区解放会館で行う。はじめは、5人位出場者が出れば大成功かなと考えていたが、出場希望者数は、あっと言うまに20名になった。高校生や大阪市以外の生徒の参加希望もあった。大阪市内だけで見ても、実に中国出身生徒の9人に1人が出場することになる。小学校1年生の子どもの保護者が、中学生の大会だいうのを承知の上で、どうしても自分の子どもを参加させたいと直接電話をかけてこられた。原稿も保護者が書いて、発表の指導も自分でされるという。相当な危機意識をもっておられるのだ。この「中国語」弁論大会という方向が間違っていないということを確信すると同時に、中国出身生徒たちのたくましさを感じた。先述のH君も、一生懸命中国語の練習をし、弁論大会に出場する。

 

資料  「’96 夏のつどい」感想文

 8月7日は、日本に来て一番楽しい日でした。このつどいで、私はたくさんの中国の友だちに会って、一緒に話したり、遊んだりしました。高校に進学している中国出身の先輩が、日本に来てからどんな困難を休験したかそしてどのようにして高校に進学できたかを話してくれました。みんなにとって大きな援助になったと思います。今までは、勉強やその他の事について、私だけがとても困っていると思っていました。今回のつどいで、他の生徒も私と同じだということが分かりました。これからも、このような活動がたくさんあるといいです。 (平野区 中1 女 原文は中国語)

  

『むくげ』152号(1997.5.13)より  

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