全朝教事務局の「全外教」移行論についての疑問

全朝教大阪(考える会)運営委員 田村孝

〈はじめに〉

95年春以降、全朝教事務局は、全朝教大阪(考える会)に対して、全国運営委員会への参画を拒否してきた。今日、97年の奈良大会に向け、「全朝教」から「全外教」への名称変更問題が新たな課題になっていると聞く。藤原会長を先頭に現事務局は「全外教」への移行が既定方針であるかのように、その条件づくりを急いでいるように見受けられるが、全国運営委員会において、これまでの全朝教運動のあり方がどう検討され、どのような議論が積み重ねられた結果として名称変更が意図されているのか、枠外におかれたわたしたちには伝わってこない。

むしろ、問題は名称変更そのものにあるのではなく、全朝教運動のあり方やその目指すところのスタンスに関わる問題であるように受け止めるべきかも知れない。95年の兵庫大会は、前会長の内山氏の退任挨拶もなく、突然、藤原会長が登場するという異例さぶりが示されたが、それに止まらず、運動の基調に大きな変化が見られた。その95年以降の運動の基本路線の変換の中にこそ、現在の名称変更につながる問題があり、奈良大会の細分化された課題別分科会の設定も「外国人教育」=「多文化共生」を強く意識したものになっている。

〈疑問その1

その第1は、95年以降の基調報告から、在日朝鮮人教育の原点とも言える在日朝鮮人自身の手による民族教育・民族学校問題が抹消されていることである。阪神・淡路大震災をうけての95年兵庫大会では、兵庫の在日朝鮮人、中国人等に焦点が当てられたにもかかわらず、兵庫県内の民族諸学校の被災問題や復興への支援の課題は、一言も提起されなかった。また、民族学校の教育と連動して日本の学校の中で取り組まれてきた民族学級・クラブの実践をめぐる議論も低調になってきているように思う。これらのことは、ずっと受け継がれてきた活動方針(「当面の活動」)の「民族学校助成並びに日本の学校における民族学級等の制度的・財政的保障を求める在日朝鮮人の取り組みに連帯する。」の項が残されているとはいえ、有名無実化されていると言わざるを得ない。

事実、96年福岡大会の基調報告においては「多文化共生教育にむけて」という項が大きなウェイトを占めており、「在日朝鮮人教育運動の成果を多文化共生教育に生かしていきましょう」と言い、「戦後処理は終わっていません」と言いつつも、子どもたちのアイデンティティ形成に関わる具体的実践である民族学級や民族学校の課題には全く言及されていない。また、在日朝鮮人にとっての戦後補償に関わる阪神教育闘争など民族学校弾圧と民族教育の制度的保障の課題も明示されていない。

もう一つ、「全朝教通信」誌上で気になっていること。9611月に横浜で開かれた「第1回多文化共生教育を考えるシンポジウム」の実行委員会報告(通信51号・無記名)の一文である。「私たちも、これまで『朝鮮人教育』という言葉を使ってきたが、そしてこれから『外国人教育』という言葉を使うことになることと思うが、その意味をもう一度とらえ直す必要があるのではないだろうか。日本の学校の『国民教育』の裏返しとして朝鮮人生徒に朝鮮の『国民教育』を、外国人の子どもたちにそれぞれの国の『国民教育』をしていくことではなく、いろいろな民族や文化の違いを認め合いながら、あるがままの自分を輝かせていくという『多文化共生教育』が必要なのであると思う。」と。前後の文章を紹介せずに、これだけを取り出すことに問題は感じるが、やや、短絡的ではないか。わたしもこのシンポジウムに参加させて頂いたが、実行委員会がこんな総括をしていることに驚きを隠せない。「朝鮮人教育」から「外国人教育」への移行の必然性も、その前後の文章からは理解できないし、在日朝鮮人にとっての民族学校・民族教育の意味を、単に日本の「国民教育」批判と同列に処理する傲慢さに怒りすら覚える。また、「多文化共生教育」の概念も甚だ歪められているのではないか。これらの総括が「全外教」への移行の論理構築過程の一つとされることに疑問を感じるのはわたしだけであろうか。

さらに、もう一つ。「通信」52(97.5.15)の「関西発多文化共生教育の今に参加して」という奈良の教員の参加報告文の一部。「最後に、多文化共生教育は、子どもたちがそれぞれの違いを尊重し、個に応じた自己実現を支援する中身であること、そのために、私たちは今までの在日韓国・朝鮮人教育の遺産を継承しながら、開発教育や国際理解教育等とのネットワークを広げ、教材づくりや学校改革までを考えていかなければならないこと、そして、地域や行政への働きかけが同時に急務であることが確認されました。」と。もう、ここでは在日朝鮮人教育は「遣産」を残すのみとなったのか。在日朝鮮人教育をめぐる教育行政と学校の構造的改革の課題は、多文化共生を目指す重要な柱の一つであり、その成果はまだ端緒についたばかりであると言わざるを得ない。決して、過去の実践の成果とか、遺産とかという形で位置づけられるものではないと思う。また、改革や行政要求の闘いの必要性は同感だが、それを担っていく広範な力をどう作っていくかの運動が問われている。

漠とした印象だが、今の全朝教事務局の周辺の人々にとって在日朝鮮人問題は、今や教育運動の中心課題でなくなりつつあるのだろうか。

〈疑問その2

その第2は、活動に関わるさまざまな状況におかれた、決して多数派ではない全国の仲間の幅広い結集の意味を変質させている点にあるのではないかということである。副会長を擁してきた北九州・在日朝鮮人の教育を考える会の仲間が、2月時点で全国運営委員会から離脱・退会することを決めたと聞く。全朝教が課題に掲げる在日朝鮮人教育への日本人としての関わり方は、全朝教運動においては日本と朝鮮半島との歴史的な関係を抜きにあり得ないことは自明のことだが、新渡日の外国人が増加する現象の中で、そのことへのこだわりが、軽視とは言わないまでも、散漫になってきているのではないかと思われる。北九州の仲間が指摘するように、日本人の側からの「在日朝鮮人教育は教育における戦後補償と思う」というとらえ方は、全朝教運動において重要な視点であると思う。

藤原氏の「福岡大会を終えて」(全朝教通信50号、96.11.1)という文章の中に、「これまでの私たちの教育運動の道筋は、部落問'題に取り組む中で在日朝鮮人・中国人差別問題が見えてき、さらにこれに取り組む中で、時代の国際化の進行する状況下での新渡日の子らの問題が意識され、またその現実に直面するにいたっているということです。(中略) 私たち全朝教は、これまでの教育実践の中から示していけるものと、新たに学んでいかねばならぬものとを明確に抑え、われわれの名称と組織の改編の問題を含めて(傍線=田村)、この21世紀的課題に正面から取り組みたいと思います。」

藤原氏の「運動の道筋」がどうあれ、部落問題と在日朝鮮人問題と新渡日の問題を運動の年月の流れの中に並列し、それを全外教結成への必然的根拠として総括するやり方は理解しがたい。それぞれが大きなテーマであり、通じる部分と異なる部分を持っている。少なくとも、在日朝鮮人教育はその実践と運動の蓄積の中で部落問題と明確に区別されていったものであり、また、単なる「外国人教育」ではないものとして、掘り下げられてきたものである。それぞれの教育運動課題は、今日それぞれが多文化共生教育の構成要素として議論されるべきもので、今必要なのは多文化共生教育の理念と具体化についての論議ではあっても、朝鮮人をそれを包括する外国人に置き換えることで、多文化共生教育を全外教が担うという道筋のものではないはずである。とにかく、充分な議論が必要だと思うが、全朝教に結集されている方々は、どう考えておられるだろう。

〈疑問その3

その第3は、全朝教の構成組織の位置づけ方の転換にあるのではないか。各地域の「公認団体としての加盟方式」を追求しようとする意図が明白である。しかもその団体は行政に認知された団体であることが好ましいとされているのではないか。そこから、各地域に「外教」組織を作りその集合体としての「全外教」構想が出てきているのではないかと思われる。

運動体として教育行政に対して強い影響力を保持し、行政責任としての朝鮮人教育(外国人教育)の保障と支援を要求することは、当然追求すべきことだし、これまでも行われてきたことだが、各地域の行政に金や物を出させる団体をつなぐ全国組織の性格とはいかなるものであろうか。現事務局の藤原氏や金井氏が追求するのは、現存する奈良県外教、兵庫県外教、大阪府・市外教を組織母体としてつなぎ、全国各地にもそれらを結成することでネットワークを作ろうとしているのではないか。その一端として、既に奈良も兵庫も全朝教の分担金を収め加入している。しかし奈良、兵庫、大阪のどれも「外教」の設立過程も、その構成員や構成組織も、性格も、相当の違いを持っている。運動と実践を併せ持つ組織として発展してきた全朝教が、研究団体として行政に認知された「外教」組織をストレートにつないでいくことには、今日時点では相当に無理がある。大阪の府・市外教は1970年代以降の大阪考える会を中心とする在日朝鮮人教育運動や解放教育運動、教職員組合運動、民族団体の運動による行政への要求運動の中で生み出されてきたものであり、その発足後は教育行政の外郭団体である研究組織として現場の教育活動と深く結びついている(全教系の教職員組合からの足引っ張りは常にあるが)。その組織的性格からして、事務局の決定だけで、民間の任意の運動体である(NGO的な)全朝教に加盟できる性格ではない。それは全朝教の結成を呼びかけ、その構成組織としてその活動に参画してきた全朝教大阪(考える会)が現存している事からも明らかである。

さらに考慮されねばならない点は、教育行政の関わりである。全国で教育行政に「在日外国人教育の指針・方針」を作らせる運動は着実に積み重ねられてきた。その要求の核は在日朝鮮人教育であり、「在日朝鮮人」と表記できない行政は、括弧付きで(主として在日する韓国・朝鮮人の子どもの教育)という表現をしてきた事実がある。しかし、国際情勢の変化や在日する朝鮮人以外の外国人の急増の中で、「国際化」、「国際理解教育」や外国人への「適応教育」が教育行政の教育課題として浮上してきた。在日外国人の子どもたちの教育が全国共通の日本の学校の課題とされるようになってきたわけだ。行政が重い腰を上げはじめたのは、私たちの要求が受け入れられて、これまでの在日朝鮮人の子どもたちの民族教育に対する姿勢を根本的に転換しようとするものだろうか。否である。『子どもの権利条約』の批准は、当然のこととして民族教育に対する対応の転換をもたらすものでなくてはならないのに、現状ではその点に変化は見られない。にもかかわらず、「外教」組織等に対する対応は非常に柔軟になってきており、「外教」組織に肩代わりさせることで、行政自身の在日外国人教育の基本方針を問いなおすべき責任を薄める傾向すら見られるのではないか。このズレを誰が指摘するのか。全朝教こそ何をなすべきかが問われている。自立した運動体としての全朝教のあり方が問われている。

〈疑問その4

その第4は、民族団体との関係におけるスタンスの変化である。これまで全朝教に参画する各地の活動は、それぞれの状況の中で、さまざまな民族団体との友好・連帯関係を築いてきた。しかも、日本人の立場から南北統一の視点での教育運動を提起してきた。そのことで全朝教全体としては、幅広い連帯関係と日本人の運動体としての自立性を高めてくることができたと思う。しかし、現事務局の中で、民族団体との協力関係が微妙に変化してきていることが明らかである。全国民闘連の組織改編(分裂)と相まって、藤原氏らが所属していた民闘連の日本人部会の役割が変化した。新たに生まれた「在日コリアン人権協会」との関係がより密接になり、日本人の側から「多文化共生フォーラム」のネットワーク形成を果たすという新たな任務が課せられたようだ。その課題にこそ彼らが指導性を発揮することができるようになった全朝教活動の意味と目的が結びついているのではないか。「全外教」への移行も彼らの意図からすれば当たり前のことかも知れないが、日本人の課題として、日本人の教職員を中心とする市民や労働者がさまざまな民族団体や個人と政治的イデオロギーを越えて、「子どもたちへの教育保障」を軸に幅広い連帯関係を築いてきた全朝教運動のスタンスを歪めることになりはしないかと危惧する。

また、兵庫県外教が兵庫県内の教職員に呼びかけ、神戸韓国教育院(日本の文部省にあたる韓国文教部の派遣教育機関)主催(宿泊費等の援助)で行った12日の「韓国文化研修会」のあいさつで、藤原氏がその肩書を「全国コリアン教育研究協議会」会長としている点である。なぜ、会の固有名詞を変更せざるを得なかったか。その経過は知る由もないが、全朝教に関わってきた者としては愕然とさせられる出来事ではある。藤原氏の会長'としての会の自立性についての認識を疑わざるを得ない。

〈終わりに〉

全朝教運動の中からこそ、新しく来日した外国人の子どもたちや、帰国してきた中国出身の子どもたちの教育課題が見えてきたことは論を待たない。第13回の東京大会から新たに分科会も設定され、全朝教の課題として位置づけられてきた。会の実践と運動の蓄積の中で論議を尽くし、将来的に「全外教」へと発展することも否定されない。しかし、昨年の福岡大会で、事務局長の金井氏があれだけ強調したにもかかわらず、新渡日者の分科会への結集が弱かった事実があり、さらに先に述べたように多くの問題を孕んでいる今日の全朝教の現状があるにもかかわらず、移行論のみが先走りすることを憂うるわけである。在日朝鮮人教育の全課題に対する全朝教の役割の再検討の上に、より幅広い外国人教育の課題の追求と日本の教育改革を推し進める多文化共生教育についての実践と議論を深めることこそが、今求められているのではなかろうかと思う。

全朝教の現状について、私なりの所感を述べたに過ぎないが、個々の課題については掘り下げた議論が必要である。考え方の違う者、異論を差し挟む者を除外することこそ、多文化共生教育の理念に最も反することであることを噛みしめながら……。

『むくげ』153号1997.8.11より

     
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