池田正枝さんから届いたお便りの一部(池田さん、すみません)を、新聞記事とともに紹介します。なお、その中の「国際シンポジウム」は「2001年東学農民革命学術会議」で、5月31日から6月3日まで韓国全州リベラホテルにおいて開催されます。
 詳細は http://eastasia.cside.ne.jp/ で。(編集委員会)
 

母ちゃんピストル上手
                             池田正枝
 
 秋の終わり、箱いっぱいの柿が届いた。私の生地、韓国全羅北道古阜からだった。生後一年だけ住んだ家は、今も昔のままで、そこに住む韓国の方が送ってくれたものだ。
 次に移り住んだ鴨緑江に近い国境の町では、日本人の入植で中国に追われた朝鮮の方々が祖国に帰ってこれないようにするため、日本人女性はピストルの練習をさせられていた。私が二歳の時に病没した母への言葉で、唯一記憶に残っているのが、「母ちゃんピストル上手」だった。
 その後、私は朝鮮の子どもの学校の教師になった。日本人教師は六割の加俸付き。創氏改名を強いられた子らに、歴代天皇や教育勅語の暗誦をさせただけでなく、軍の命令で六人の教え子を挺身隊に送った。
 敗戦後、うち五人はすぐに帰ってきたが、最後の子どもの消息を知るまで、私は46年苦しんだ。日本の現状には心痛むことが多いが、光州事件二十周年で出会った女性は「市民同士が手をつないで政治を変えていくのよ」と語った。この、21世紀への希望の言葉を胸の中でくり返しながら、生地の柿を味わった。     (2000年12月31日毎日新聞)
 



 (前略)「むくげ」163号も有難く頂きました。コンサートのことでも、いろいろお世話になったままですまないことです。おかげ様で100万円は北朝鮮に持参できそうです。クリスマス頃との予定でしたが、いろいろ都合があって、三月頃になりそうで、私はほっとしてます。「電力がないがいいか」という問い合わせがあり、OKと返事をされたとのことですが、学生さん達が全然火の気のないマイナス30度の体験は、北朝鮮の印象をわるくするからです。朝鮮半島で生まれ育った私でも、暖房のないマイナス23度の体験はきびしかったものです。思考が停止しました。……
 私がしたのと同じように、日本人教師が軍需工場へと送り出した朝鮮人少女達が性奴隷にわけられ、それを拒否した為、虐殺されていたということを、96年のピョンヤンの旅で知りました。学校から集められたということは表には出てませんが、91年に尹貞玉さんのお家に伺ったとき、一番はじめに頂いた言葉がそうでした。今はお聞きしても「さあね」と言葉をにごされますが、国交の関係でしょう。年齢から考えて私は確信します。その少女達を闇の中から少しでも出すことが今の私が考えてる唯一つのことです。このことにのみ専心していきたく思ってます。誰もおっしゃらないからです。でも、北朝鮮と国交がないと無理です。このことだけでも、私は国交を望みます。…… 
 今、身体を大切にしていますのは、この五月の全州での「東学党の国際シンポ」に何とかして参加したいのです。私は古阜の生まれ、小学校の教科書に一行だけ東学党の名前が載ってたときの嬉しさ。三年前、思いがけなく出会った生家は私の生まれたときのまま、誕生後一年だけしか住んだことのない生家ですが、ここで両親の歴史を知りました。何とか身体の動けるうちに国際シンポ、夢のようです。

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