「民族教育権」を意識した
在日朝鮮人教育の実践を
 

 近年、「同和教育」から「人権教育」への移行の中で、「差別問題(人権侵害)」について学習することよりも、「自己実現」を軸とした人権教育の構想や展開が主張され、今日的な潮流になっている。学習方法についても、「世界の人権教育に学ぶ」として、参加体験型の手法を採り入れようとする流れである。

 これは肯定されるべきものだが、その中で、「部落問題学習」「在日朝鮮人問題学習」などこれまで反差別・人権確立の立場から積み上げられてきた実践が希薄になっているのではないかとの疑念も拭えない。とりわけ「在日朝鮮人問題学習」について言えば、「差別」と「民族」の視点を明確にした実践が深められているとは言えない。国際化が進展する中で、新渡日の子どもの教育課題がつきつけられている教育現場の現状を踏まえ、今こそ、在日朝鮮人教育が日本の教育の何を問い、何をどう変革しようとしてきたかを明らかにした上で、新たな課題に迫ることが求められている。

 日本の学校に学ぶ在日朝鮮人の子どもの多くは今なお民族名を名のることなく、日本人の子どもの中に埋没し、民族的アイデンティティが保障されていない。民族学校に学ぶ朝鮮人の子どもは、「学校教育法第1条」に定められた「学校」ではないとの理由で国立大学受験資格が与えられず、また、民族学校に対する助成金も日本の私立学校にくらべて微々たるものにとどまっている現状がある。これらの問題は、国際人権文書で保障された民族固有の権利の侵害であり、在日朝鮮人の民族教育権の抑圧・侵害であるとの認識が、十分意識化されていない。

 「在日朝鮮人問題学習」は、多民族・多文化共生をめざす日本の教育にとって欠かせない。今日の人権教育の潮流が、1970年代から積み上げられてきた在日朝鮮人教育実践の成果を薄めるのでなく、今日的課題として引き継ぎ発展させることを期待したい。(稲富)

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