2001年6月29日

中学校教科書採択にあたって
扶桑社『中学社会歴史』
朝鮮に関わって「見て見ぬ振りの無視と言い訳だけ」の内容、および

扶桑社『中学校社会公民』
朝鮮民主主義人民共和国に対して「単純きわまりない敵意をあおる」内容

に抗議する (アピール)

全朝教大阪(考える会)
                       6・29シンポジウム参加者一同

 
 

   現在、各地で進められている公立中学校教科書の選定にあたって、扶桑社版の上記書籍が一つの候補とされていると聞く。それらには、日本の学校に在籍する朝鮮人生徒の教育についての当然の考慮を少しでも払うならば、悪質な内容が見られ、また、日本人生徒にとっても、将来の破滅をもたらしかねない記述がある。 

   いま、一つだけ、扶桑社版『歴史』から例を挙げる。
    1910年の「韓国併合」の項(p242)の後、1948年(p303)に至るまでの記述で、朝鮮が現れるのはただ一行「一方、朝鮮では、1919年3月1日、日本からの独立を求める運動が始まり、全土に広まった(三・一独立運動)」(p251)これだけである。 「運動が始まり」ということそのものも間違いだが(独立運動は一貫して存在した)、日本の朝鮮支配とそれに対する独立運動、その相互関係についての記述は、「韓国併合」の項に文部科学省での検定の結果付け加えられた「独立回復の運動」「鉄道・灌漑施設などの開発」「土地調査事業」「日本語教育など同化政策」といういかにも付け焼き刃で多くの間違いを含む記述をわずかな例外として、説明は欠けている。
   この『歴史』の最大の特徴の一つは、「近代の朝鮮」についての、このような無視である。大東亜会議やインド国民軍、インドネシア独立軍などについてはわざわざ記載しているにも関わらず、こと朝鮮についてだけは記載がない。

   その一方で、朝鮮植民地支配の言い訳には事欠かない。
    「朝鮮半島と日本の安全保障」の項(p218)で「朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり」と述べ、また、「清は、最後の有力な朝貢国である朝鮮だけは失うまいとし」(p219)と言い、それらの前提として「古来、東アジアには、中国を中心とする中華秩序が存在した。朝鮮やベトナムは、すっぽりその内部におさまって、中国の歴代王朝に服属していた」(p200)と言う。

    朝鮮が、独自の社会、文化の基盤の上に確固として数千年の歴史を経てきたことを無視して、ここにあるのは、日本の安全保障、中国の中華思想の眼から見た、その限りでの朝鮮だけである。これは「韓国併合」当時の、「だから朝鮮は併合されて当然だ」という大日本帝国の国家意思の引き写しであり、そのことを「韓国併合」の記述が裏打ちしている。

   以上の例に見られるようなことは、生徒にとって何を意味するだろうか。
    朝鮮人生徒にとっては、日本における自分の存在そのものが、日本の公教育の中では説明不明、根拠不明なものとなるということであり、日本人生徒にとっては、重要な隣国についての認識の根本が欠落するということである。朝鮮には、教えられるべき独自の歴史の営みなどない、と教えられるということである。

    在日朝鮮人の父や母、祖父母の歴史的存在を無視し、日本人は隣国韓国(朝鮮)がなくても、その存在を無視しても、将来生きていけると錯覚させるのが、この『歴史』である。隣国をさえ正当に認識できない国際感覚の欠落を「国民」に押しつけようというのがこの『歴史』である。自ら歴史の責任を引き受けようとする勇気ある態度を養うどころか、見て見ぬ振りと言い訳だけの卑怯者の態度を養おうというのが、この『歴史』である。

    そもそも「国民」を正確に規定してまじめにその歴史を言うのならば、1910年から1952年までの朝鮮人は、どこの「国民」であったのか。彼らの歴史はどこに消えたのか。このことは、ことさら「国民の歴史」を標榜するこの本を「編集」した人々の最大の弱点が、朝鮮の問題であることを示している。無視は彼らの弱点に対する潜在意識の現れだろう。

    他の教科書が、この点で、すばらしいと評価できるものではもちろんない。しかし、1970年代以来じりじりと改善され、1982年の「教科書問題」を経て「従軍慰安婦」の記載に至った植民地支配の実態についての記述は、少なくとも外交上の約束に従ったものであり、法的な裏打ちを持っていたはずである。そのことは、これからの日本国民が隣国朝鮮なしには、朝鮮の存在を無視しては生きていけない、在日朝鮮人との共生なしには国際社会で生きていけないという事実から来ている。この事実から眼を背けて、そのような努力を根本から覆そうとするのが扶桑社版『歴史』の内容である。

   最後に、扶桑社版『歴史』の白表紙本で「韓国併合は……合法的に行われた」と記述されていたものが、検定後は削除されているという問題がある。このことは、逆に、日本政府の問題関心がどこにあるかを明らかにしている。一番重要な問題はむしろ隠される。
   すべての歴史教科書が、部分的には改善されたとしても根本的に事実にそぐわないのは、日本政府の「併合は法的に有効」という立場を前提にしているからにほかならない。

   扶桑社版『公民』を見ると、朝鮮民主主義人民共和国への、単純で明け透けな敵意の扇動が特徴としてある。国連加盟国188の内、国連外交を基軸とする日本国が、唯一国家として承認していない国が朝鮮民主主義人民共和国であることの真実の意味が、そこでは無視されている。

    私たちはこの日本政府の立場を現場から克服し、目の前の実際の中で改めるために、また、教科書の記述をさらに深めてそれを乗り越えるために、教育現場での努力を続ける。「本名を呼び名のる」教育運動を、すべての学校に民族学級を設置する教育運動を、当然の道理として推し進める。扶桑社版『歴史』『公民』が教育の場に入るのを許さないこととそれは一体の事柄である。

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