−「負の再生産」今こそ断ち切ろう
 
数千人を前に「本名宣言」

高用哲


 職場の電話が鳴った。
 「もしもし、高島さんですか」。よくある融資のセールスだ。威勢よく答える。「そんな人いませんよ!」
 「え?! おかしいな」と戸惑う声を聞く間もなくガチャリと切ってニヤリと笑う。そう、もはや自分は「高島」ではない。「高用哲」なのだ…。
 高さん(42)は大阪生まれの在日二世。生野区で二十余年間ヘップサンダル作りに携わってきた。
 「よし、通名を捨てるぞ!」と決意したきっかけは今年の4月だった。在日の子らの教育を考える「民族教育ネットワーク」が主催したシンポジウム「だれもが本名で暮らせる社会を」に参加したとき、同胞は積極的に本名(民族名)を名乗ろう、という呼びかけに胸がうずいた。

 別に、出自を隠そうとしてきたわけではない。6年前、大阪市生野区の中川小学校外国人保護者会に誘われたときから、会合の場では本名を使うようになった。祖国や在日の歴史を知るにつれて、活動にも力が入り、3年前には会長に推された。2人の息子は小学校入学時から本名で通わせ、民族学級にも参加させている。なのに自分が通名を使うことに違和感がなくもなかったが…。

 シンポジウムから数日後、古書店で1冊の本が目に留まった。『本名は民族の誇り』(金容海著、碧川書房)。長年民族講師をつとめた著者の体験談を何度も読み返すうちに腹が決まった。

 「これまで真剣に本名のことを考えたことがなかったんですね。本を読んで、やっと本名を使うのが当たり前とわかったというか。第一、子どもに本名を使えといっておきながら、自分が使わないのは異常ですからね」
思い立てば行動は早い。最初の標的は外国人登録証だ。「トウロク」には、本名の次に、かっこ付きで通名が記されている。さっそく区役所に出向き、「通名を省いてほしい」と申し入れたところ、「それじゃ破損扱いにして作り直しましょう」と、拍子抜けするほど簡単に通名のないトウロクを得ることができた。

 表札はもちろん、印鑑証明、通帳、運転免許証などすべてを作り直した。知人にも「本名で呼んでくれ」と知らせた。だから何かが変わった、というわけでもないが、本名に踏み切ることができた自分自身に喜びを感じるという。
学校の保護者に、「子どもに本名を使わせよう」という話をすると、「子ども自身の考えも聞くべきだ」と主張する母親がけっこういる。高さんは「それは話を避ける口実ですよ」と言い切る。

 「子どもの考えは、どういう風につくられたんですか。親が正しいことを教えてあげなかったからです。中には子どもが民族学級に触れて、本名を使いたいというようになったのに、母親が止めさせることもあるんです」
かつて親自身が民族的コンプレックスにさいなまれて育ったため、子どもにまで出自を隠させようとする負の再生産が続いている。そうした親に対し、「確かにあなたは以前、差別社会の被害者だったかもしれないが、いまは自分の子どもに対して加害者になっている」と指摘するのは言葉が過ぎるだろうか。

 朝鮮人は、植民地時代の1939年、「創氏改名」によって名前を奪われ、日本名を強要された。以来、在日同胞は祖国解放後、半世紀が過ぎた今なお、9割の人々が日本名をつかっている。その第一の原因は、日本社会の根深い差別と偏見にあるが、同時に同胞自身の生きざまも問われなければならない。

 私も参加している「民族教育ネットワーク」は、ごく自然に本名を名乗れる環境づくりをめざし、8月から本格的な「本名キャンペーン」を開始した。国籍を問わず、広く賛同人を募っているので、ぜひ署名にご協力を。

「異郷暮らし(タヒャンサリ)」より  むくげ165号目次へ
民族教育ネットワークのサイトにもっと詳しい記事があります

     


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