「つくる会」の教科書を読んで
信太一郎 

 これほど読むのに苦痛を感じる本も珍しい。「つくる会」としては、修正要求に応じて、合格実績をつくれば今年の目標は達成できたのかも知れない。「つくる会」が修正要求に応じ、文部科学省が字面の変更でよしとしたために、教科書にはふさわしくない、捨てぜりふのような後味の悪い終わり方をする文章が多くなっている。

 「朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地をもたない島国の日本は、自国の防衛が困難となると考えられていた。」(市販本p.216)の下線部の検定前の原文は、「困難となる」のあとに、「この意味で、朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器となりかねない位置関係にあった。」と続いていた。位置関係など、今も変わるわけがない。今でも「凶器」だとでも言うのだろうか? 武器を帯びて戦うのは武士の名誉であり特権だったので、徴兵制度は士族から特権をうばうものとして反発を買ったとしたあとで、平民からは「若い労働力を提供する負担が苦痛であるとして不安を生んだ。」として、両方に気くばりをしたようなポーズをとっている。現実の歴史の叙述としては、後半だけで十分であろう。それも「労働力」とせず「生命」とすべきである。しかも、そのあとに平民出身のラッパ手木口小平の例をあげ、「武勲とは縁のなかった平民に新しい時代が訪れた。」と結んでいる。平民にも士族並みの栄誉の機会が与えられたとでもいいたげである。

 天の岩屋の神話(と一応断っているが)の記述では、アメノウズメの命が「腰の衣のひもを陰部までおしさげた」とか、将軍徳川家斉のところでは40人の妾と55人の子どもがいたなどという記述まである。なんでこんな記述が必要なのだろう?

 こんな教科書で誇りを持てる日本人が多くはなってほしくないと改めて思った。

信太の個人サイトにある「つくる会」の歴史教科書を読むも御参照願います。

むくげ165号目次へ


inserted by FC2 system