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大阪市教育委員会が発表
在日外国人教育基本方針
−多文化共生の社会をめざして−
 
 昨年から準備されてきた「国際人権都市」大阪市の新しい教育方針が、この6月ようやく発表され、7月には全学校園に配布されます。オリンピック誘致をめざした市政の一環ではあるのでしょうが、市議会での保守系議員や最近の右翼勢力の働きかけを打ち破って、今日このような「方針」が確定したことは、私たちにも勇気を与えるものです。

 大阪市では、「学校教育指針」の中に、1970年になってはじめて「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)の幼児・児童・生徒の教育」の項が設けられ、次第に拡充されてきました。それは、私たちの30年間の教育運動の歴史そのものでもあります。今回ついに市の「方針」として確立することになったわけで、直接文案を担当された方々はもちろんのこと、努力された方々すべてに心から敬意と感謝を表明したいと思います。

 内容を見ると、まず、「国籍の如何を問わず」「民族として生きる権利を保障する」国際条約の精神に従って「多文化共生社会」を実現しようとする課題を立てています。その上で、民族学校閉鎖と70年代以降の「民族講師たちの自主的な活動や献身的協力のもと、民族学級・民族クラブをはじめ在日韓国・朝鮮人の子どもの民族的自覚を高める取り組みが広がってきた」経過をふまえて、新たな今日的課題に対応するためにこの方針を確定したと述べています。

 特に、「これらの課題を克服するためには、学校教育における在日外国人教育の明確な位置付けが必要であり、特に在日韓国・朝鮮人の子どもの教育においては、民族学級・民族クラブと指導にあたる民族講師の役割と意義をより明確にし、指導体制の充実を図ることが重要である」と明記されたことの意義は今後重大なものになることでしょう。

 私たちは、この「方針」を喜ぶだけでなく、これをもとにさらにこの取り組みを前進させるため、努力したいと思います。(K)
 *全文を、次号「むくげ」(30周年増刊号)に掲載する予定です。(編集委員会)
 


大阪教組教研 李仁夏さん講演
 
民促協・民権協公開セミナー
国際社会の声はいかされるか
国連人種差別撤廃委員会で損議された在日韓国・朝鮮人の人権・教育
 
 7月7日(土)、森ノ宮府立青少年会館で大阪教組の教研集会全体会があり、李仁夏さん(在日大韓基督教会川崎教会名誉牧師)の記念講演が行われ、Identity Buildingの教育の理念とともに憲法と表裏の関係にある教育基本法のもつ普遍的な意義を訴えられて、最後に大阪の在日朝鮮人教育に言及があり、高史明『生きることの意味』の中の、創氏改名の戦時下で本名を問い続けた「先生のやさしさ」で話を終えられました。
 
 この日の夜、アピオ大阪で、上記のセミナーが開かれました。
 講師の岡本雅享(おかもとまさたか福岡県立大学社会部講師)さんは、川崎の青丘社でボランティアをされていた若い学者で、佐藤信行(RAIK在日韓国人問題研究所)さんは日立闘争以来一貫して在日朝鮮人差別と闘う活動を担ってこられました。

 1995年に人種差別撤廃条約に加入した日本政府が昨年提出した報告書に対抗して、NGO合同レポートが作成され(RAIK通信66号)、そこに民族教育の問題も大きく取り上げられました。国連の人種差別撤廃委員会(CERDサード)での審議と結論(最終見解3月20日)では、多くの点で日本政府に改善勧告がなされましたが、政府はこれを強制力がないものとして表面上無視しています。委員の発言では、100万人にもなろうという大きなエスニックグループの教育の要求がこのように無視抑圧されているのは信じがたいことだと言われているのです。

 岡本さんは、国内法の上に位置する「国際人権法」の原理によって、少数者の人権を確立する運動を提起されました。しかし、反面、佐藤さんから話された東京の状況は、目を覆いたくなるようなありさまです。今年2001年3月に、石原東京都知事は再び「不法入国者の卑劣な犯罪」への対処を訴える演説を自衛隊練馬駐屯地でおこない、また5月8日東京の産経新聞一面では「日本よ、内なる防衛を」、また「中国人同士の民族的DNAを表示するような犯罪」に対して「自力で迫りくるものの排除を」と訴えたとのことです。しかも、これに対してRAIKなどがおこなった抗議声明は、親しい記者たちを通じて記事にされかかったところで、すべての新聞社でボツにされたといいます。もはや、マスコミでは反対の言論そのものが封殺されようとしています。昨年の石原発言は、日本政府によって「意図を持ってしたものではないので問題はない」とされました。条約の差別表現への処罰の項目は、かねて日本政府によって「表現の自由に抵触する」との理由で留保されています。これらすべてに、委員会は「懸念を持って注目」しているのです。

 日本を国際社会に堪え、世界のまともなスタンダードに合うものにしなければ、日本そのものがますます落後する、それはその中の私たちの不幸です。日本国内のおかしな風潮と国際社会での常識との間が、ますます広がるばかりです。

 岡本さんによると、NGOと政府との話し合いの席で民族教育の問題が出されました。政府側は、1965年の文部省通達の「民族学校は各種学校としても認可すべきではない」という内容は1998年に「もはや失効」している、また、民族学級については、「学級設置の責任主体は学校」「課程内の民族学級は承知していない」「民族は国籍ではない」との見解を表明したとのことです。

 色濃い悲観的気分の中でも、私たちはこうした一人でも闘える「国際人権法」の視点も武器にして、手を取り合って進んでいかなければなりません。 (I)
 
歴史を歪曲する教科書の採択を許さない!
                       在日コリアン緊急集会 6月10日

ヨンデ・ネット大阪(日朝・日韓連帯大阪連絡会議)
歴史の歪曲−教科書の改悪を許さない6・13集会


7・1大阪集会実行委員会(呼びかけ岡村達雄、空野佳弘、土方鐵、李清一さんら9人)
子どもたちに渡すな!あぶない教科書
7月1日
 どこでも危機感を持った人々の熱気が渦巻き、その中心には、在日朝鮮人がいました。6月13日の集会でも東大阪の民族講師朴玲煕ソンセンニムがご自分の生い立ちと重ねて、日本の教科書記述の犯罪性について訴えられていました。上杉聡さんのわかりやすいお話を聞いて参加者はみな確信を持ったことでしょう。各教科書展示場への働きかけなど、やることは山ほどあります。 (K)


大阪教組ニュース号外01.6.25 職場討議資料
高松塚も難波の宮も存在しない歴史を教室に持ち込むのか
検定を「合格」した「つくる会」の歴史教科書
歴史よりもっとこわい「新しい公民教科書」

 高教組の冨井恭二(東淀川)・妻木靖朗(桃谷)さんをはじめとする人々の努力によって準備されたこれらの冊子に基づいて、7月11日には高教組の学習会ももたれました。的確な指摘で、一般向けの上杉さんらの本とは別に、教員の立場からの根本的な批判になっています。

 中でも、「問題は、扶桑社の教科書だけではないのだ。私たちは、今回の社会科教科書採択にあたって、その「後退した教科書」の中でも、「よりましな教科書」とは何なのかという厳しい作業も行っていかなければならない」という言葉とともに、韓国「併合」・中国侵略についての各社教科書比較一覧表が掲載されています。朝鮮民族の独立軍の記述があるのは教育出版と大阪書籍の二社の教科書だけであることがわかります。

 公民教科書については、「北朝鮮や中国にたいして、仮想敵国的な印象を持たせる」写真やカットが多用されていることが指摘されています。また、歴史教科書に対して歴史学会、歴史学者達がさまざまな声をあげているけれども、公民教科書に対して「法律学者は現在どういう動きをしているのだろうか」と問われています。人権を制限し、自衛隊を理想視し、家父長制度にとらわれた、憲法の精神を無視するような特定の思想に基づいた教科書がよいのなら、唯物史観にのっとった教科書も当然現れてしかるべきだとは、妻木さんの学習会での言葉でした。教科書検定制度そのものが新しいものに変質したととらえるべきなのかもしれません。

 いずれにしても、高校での地歴・公民科の科目が一部を除いて必修ではなくなり、選択制の大幅な導入、総合学科・総合選択制がすすめられている今日、高校ではもはや一般的な歴史教育は成り立ちにくくなっているのが現状です。その意味で、中学校での歴史教育、公民教育が10年後20年後を考えた場合、決定的な重要性を帯びていることを「彼ら」も自覚しているのでしょう。日露戦争後の不景気と社会的行き詰まり感の中から、南北朝正閏論争を経て国定教科書と戊申詔書の家族国家観のもとでの二宮尊徳式勤勉教育が開始され、それが1930年代に「花開いた」ことを思い返すならば、将来を誤らないために何をなすべきかを長い時間を見る視点で考える必要があるのでしょう。

 自分の高校生の頃を思い返して見れば、検定に不合格となった上原専録らの「日本国民の世界史」で勉強することが流行していましたし、他方で、「大東亜戦争肯定論」を読んで数日間は感動し、「昭和史論争」でも「唯物史観派」の無味乾燥な経済史的歴史には違和感があって、トインビーの「文明史観」を理想視していました。そして、大学を卒業するまで、朝鮮に「歴史」があるなどとは思ってもみなかったのでした。

 今、政治経済や現代史の授業で、必ず押さえている点は次のようなことです。――第二次世界大戦で日本とアメリカはなぜ戦争したか。日本とアメリカは中国を取り合いして戦争になった(ハルノート)。アメリカが勝って、中国はアメリカのものになったか。中国はアメリカのものにならず、中国自身のものになった。その後アメリカは中国を長年封じ込め、二度にわたって東アジアに攻め込んだ。この朝鮮戦争とベトナム戦争でそれぞれどちらが勝ったか。アメリカは朝鮮に勝てず、ベトナムには負けた。アメリカは、日本には勝ったのに。このことから、もし日本が朝鮮、中国、ベトナムと戦争するとしたらどうなるか考えよ。

 平和主義は、理念ではなく、現実によってそれしか成り立たない事実であり、朝鮮(南北)との関係正常化は、日本が生きるための前提なのではないでしょうか。それとも、中国ともう一度戦って降伏する道を選ぶのか、また、朝鮮ととことん戦って負けることによってしか植民地支配の清算ができないのかもしれません。 (印藤)
 

ちがいを豊かさに −多文化共生社会を切り拓く子どもたちの未来を−

 6月15日の全体集会は森ノ宮府立青少年会館で開かれ、記念講演の李節子さん(イ・チョルヂャ東京女子医科大学看護学部助教授)のお話が好評でした。
 思い返すと25年前、府立勝山高校には当時鍵谷桂子先生がおられて朝文研が活発に活動していました。文化祭に見学に行った生徒が感動して帰ってきて、勝山高校の朝文研をお手本にして自分の学校での展示に乗り出していったものでした。

 6月16日の分科会は、門真小学校でもたれました。第1分科会の豊中ハギハッキョキャンプ実行委員会の報告の中の、21回に及ぶハギハッキョの実践を通して中学生のつどいが生まれ、卒業生たちがチング、親友としてつながりはじめている姿は感動的でした。小・中学校での地道な取り組みを、高校でも引き継げるような体制をどのようにしてつくることができるのでしょう。以前に桑名清さんからもせめて「朝鮮奨学会の紹介くらいは」と言われていましたが、進路開拓討論集会など中高の連携をプライバシー論を越えてどのようにつくっていくのか、まだ、高校側の課題は残されたままです。

 もう一つ大阪市立小路小学校松村喜美子さんの報告は、「本名」を教室で4月の最初に呼ぶことが巻き起こす生徒や周囲の反応をめぐるもの、そして、南北トップ会談の翌日、このチャンスを逃したくないという願いから合同国際理解の学年集会を開き、民族講師から「ウリエソウォン(私たちの願い)」の歌を教えてもらって合唱したことが、どのように生徒の心に刻まれたかのお話でした。「本名を呼び名のる」実践のもつ力を感じさせられました。

 会場では、堺のハギハッキョ、チュギハッキョについて発言も出て、全校生に案内を配布しても朝鮮人を原則とするハギハッキョと日本人生徒も積極的に参加させるチュギハッキョの紹介がありました。

 他の会場でも、カンヒョユさんの「二人でも民族学級を」の守口市での実践報告、高槻六中、八尾高美小、東大阪市「朝鮮文化に親しむ東大阪子どもの集い」18年の足跡など、この間の実践の総括と今後の方向性をめぐっての報告が目立ちました。「教育改革」と時代の雰囲気がその背景にあるのでしょう。 (印藤)

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