青丘笑話(第二回つづき)
印藤 和寛
   1 「檀君の遺骨発掘」「固有民族文字の発見」はなにを意味するか。  1995年
   2 北朝鮮の国境協定締結と人工衛星打ち上げ  1999年
   3 楊靖宇と「朝鮮の戦友」  2000年
   4 「金日成は日本人」「金日成は中国共産党員」  2001年
   5 北朝鮮の電力事情  2001年
   6 チェコ式機関銃と朝鮮独立戦争  2003年


4 「金日成も日本人だった」
  「金日成は中国共産党に属していた」
    「金日成はソ連軍将校だった」

      
――だから、朝鮮独立運動など、どこにもなかった……

 「北朝鮮おたく」は言った。

 かつて1994年春の、北朝鮮のいわゆる「核疑惑」については、今ではドン・オーバードーファーの『二つのコリア』も翻訳され、日本でも実状が明らかになっている。われわれの知らないところで、アメリカは北朝鮮への戦争発動の寸前にまで至っていた。

 当時、それに伴う民族学校生徒への暴言暴行、さらに、朝鮮総聯大阪府本部と京都府本部に対する各府警本部の強制捜査が起こったが、それはいざとなれば一般的常識論をすら無視する日本国家の権力のあり方の一端を見せた。総聯生野西支部への強制捜査の翌朝、つくづく思ったことは、たとえもう一度「阪神教育闘争」のようなことが起こったとしても、日本人は孤立無援の朝鮮人に対して、45年前の当時の「民主勢力」以上のどのような連帯ができるだろうかという疑問の思いだった。

 朝鮮人全体を潜在的な敵と見なす国家の思想。権力が差別する。それはやはりそのときに限って、なるほどやむを得ないと思わせるだけの正当性も持ちあわせる。戦前から現在にまで一貫する日本人の朝鮮人差別の本質は、これである。「民族差別と闘う」ということは、これと闘うことにほかならない。そして、その上で、民衆が差別する。権力の犯罪行為の核に迫るために、私たちが目の前で克服しなければならないものは、これである。

 1994年7月8日の金日成死去に伴うマスコミ報道の中で、目立ったことの一つに、「北朝鮮人」、日本にいる「北朝鮮の人」という言葉の使い方がある。この言葉が異様だということを、誰が指摘しているだろう。(1992年の「外国人登録法」の「改正」論議に際して、「特別永住」を「韓国」籍に限定すべきだと主張する政党もあった中で、「韓国」「朝鮮」を区別する法的な根拠がないことは法務省によって確認された。)もう一つ、金日成の生涯や抗日戦争、独立戦争体験については無視して、もっぱら金正日の後継者問題に焦点を当てる問題設定の仕方がある。

 要するに、私たち日本人は勝ち誇っている。

 日韓基本条約に際しても「もはや無効である」として「併合」条約の有効性を確保した。それはすでにサンフランシスコ平和条約で確認済みのことであり、韓国側はあいまいな形でこれを決着させた。率直に言えば、大韓帝国、朝鮮という国は消滅していた。文句がありますか、かつての亡国の民のみなさん、というわけである。
 細川首相以来、村山首相に至る「謝罪」の言葉も、このような法的関係の根本を変更するものでないことは当然だ。かって、金丸・田辺訪朝後、北京で日朝の国交回復交渉が始まった当時、北朝鮮側が、太平洋戦争中の「交戦団体」として承認するよう要求したことが新聞に出ていた。その後その要求は取り下げられたわけではなく(金日成が「日本人」であったと、どうして認めることができようか)、日本側は無視し続けている。

 しかし、私たちにとってみれば、上海臨時政府も、間島の独立軍も、ほんの一握りの「不逞鮮人」の一味がなんと名のろうと、そんなものは夜郎自大、日本の朝鮮支配を揺るがすようなものであるはずがなかった。「交戦団体」だと。「金日成よ、お前もかつては日本人だったではないか。」(日本人は皆本当はこう主張していることになる。)金日成は当時「日本の」犯罪者であった。朝鮮という国はなかったのだから、1945年に日本が手放したそれらの地域の住民に対して、日本側はせいぜい寛大かつ恩恵的な態度で望むのが当然である。

 日本と韓国の関係は、韓国民衆の突き上げに動かされる面はあったにせよ、そのようにして推移してきたことは周知のところだろう。 しかし、韓国民衆を含んで、朝鮮人全体の意識からすれば、これもまた当然のことながら、彼らの祖国朝鮮は、常に存在したのである。(皇国臣民となり、創氏改名した、多くの「悲劇」があったにせよ。だからこそ、8・15を迎えた朝鮮人は、抵抗の主体を喪失し茫然自失した日本人とは、違っていた。朝鮮人は強制連行地ですら労働運動の先頭を切り、日本共産党幹部を多摩刑務所におしかけて出迎え、また、朝鮮内部においては、日本の統治機構は各地で一夜にして朝鮮人による自治組織(人民委員会)にひっくり返ったのであった。)朝鮮人の総意は、明確に、「併合」条約は法的に無効、植民地化は強制に基づいており法的に間違い、従って、朝鮮という国は、外面的に日本の支配下にあったとしても、当然、潜在的にしろ存続してきたというにある。

 ひょっとすると、それは個々の朝鮮人の心の中だけの局面もあったかも知れない。金沢に連行されて銃殺される尹奉吉(ユン・ボンギル)の、心の中の朝鮮、旅順監獄で衰弱絶命する申采浩(シン・チェホ)の、心の中の朝鮮、福岡刑務所で死に行く尹東柱(ユン・ドンヂュ)の、心で歌われる詩の中の朝鮮、北間島、そして、白頭山麓の雪の中を討伐隊と戦いつつはいずり回る中国の抗日連軍の朝鮮人兵士の、心の中の朝鮮。日本に対する独立戦争を戦い続けた「朝鮮」。

 日本人はそれを無視抹殺してきた。今も、そうしている。歴史学者も、在日朝鮮人までが、表面的に中国やソ連側の史料に引き寄せる「実証主義」を通じて、これを抹殺しようとする。何しろ、「朝鮮」としての記録がない。しかし、だいたい、そんなもの、あるものか。(橋爪大三郎などは、このことをもって、金日成の権力の正統性が欠けていることが北朝鮮の政治の特質を作っていると言う。自分の頭の中の無知を相手に投影して、日本国家の立場の宣伝に転落している。これほどのすばらしい学者でさえ、朝鮮についてはこのありさまで、『こんなに困った北朝鮮』の対談でもエズラ・ヴォーゲルの「こんなに困った橋爪大三郎(日本人一般でもある)」という苦笑が見えるようだ。)

 韓国はその国家の誕生からして、独立運動、大韓民国臨時政府の法統の直接の継承ではなく、国連決議を根拠にして成立している。北朝鮮の「交戦団体」認定の要求はこのことと関わる。よく朝鮮民主主義人民共和国に唯一影響を及ぼしうると期待された中国の外交筋から、当時、逆にしばしば伝えられてきた、「彼らは誇り高い人たちですから」「主体思想の国ですから」という言葉もそのことを意味する。

 第一、朝鮮側の主張にそのまま従うと1909年の日清協約も当然無効になって、中国にしてみれば、間島への朝鮮側からの領土主張に根拠を与えることになりかねない。

 大阪の総聯の幹部も言う、(総聯の指導者たちも、今や、奇妙な言い方だが、生粋の「在日」朝鮮人である)「なんやかんやいうても、そら日本にきちんと植民地支配に対する補償要求やってるのは、共和国だけやおまへんか。北朝鮮がなくなったらどないなりまんねん。南がやりまんのか。だれもやりまへんやろ。」 そして、北朝鮮がこのように要求できる究極の根拠が、(日本も、アメリカも、国連も、今やロシアも中国もそれをそのまま認めてはいない「主観的」なものであったとしても)白頭山麓の雪の中で落命した多くの、また、かろうじてウスリー江の氷上を渡って脱出した少数の、朝鮮人パルチザンの心の中の現実にあることは明らかだ。金日成神話を暴くというたぐいの多くの本によって、逆に明らかになるのも、このことにほかならない。

  また、私たち日本人が、どれほどこれを過小評価したい誘惑に駆られるとしても、また、経済的関係によってそれが表面に出にくくなっているとしても、少なくとも潜在的な朝鮮人の総意がどこにあるかは、認識する必要がある。多くの日本人研究者が冷笑する(在日朝鮮人の研究者までそれに同調する人が多い)北朝鮮の歴史の「偽造」(金正日が白頭山密営で生まれた、など)は、少なくとも日本が朝鮮植民地支配の過程の歴史を偽造し、朝鮮独立戦争の歴史を闇に葬っていることと等価なのだと言うことができる。そのことを日本人はどれほど自覚できるというのだろう。

 「朝鮮学校は、そら学費が高い。みな親が負担するのやからそうでっしゃろ。府からの補助金でも知れたものや。その上定期券まで差別しよる。要するに兵糧責めや。朝鮮学校がつぶれてしまうのを日本の国は待ってるわけでっしゃろ。昔は力で弾圧しよった。今はスマートに裏の手を使いよる。」(JR定期券のこの点は、1994年に改善されたのを知っている。この話を聞いたのはそれ以前、大阪府警の強制捜査以前のことだった。) 朝鮮人学校がつぶれてもかまわない、自分達とは関係がないと(言葉では言わないにしても)思う在日朝鮮人がいても、それはそれだ。日本人が全体としてどちら側に立っているか、このことも明らかだ。

 日本における朝鮮人差別が、このような日本国家と亡国の民およびその子孫との根本的関係に基づき、独立運動への徹底的な抹殺と同調する(朝鮮人全体を潜在的に「不逞鮮人」とみなす)ものであることを確認した上で、私たちは日本人自身の課題としてそのような関係性を変革していくために努力しなくてはならないだろう。これはまた、私たちが、「朝鮮植民地化」そのものについても、主観的にはどうあれ、結局は現在なおそれを認める立場をとっていることの表れである。(だから私たちは、教室で通名を呼んでも平気でいられる。教科書も、なるほど「植民地支配に伴う日本側の行為」は書かれるようになったが、日本と朝鮮の根本関係は揺らいでいない。このような歴史教育からは、「配慮」や「思いやり」を生み出すのがせいぜいのところではないだろうか。)この現実をふまえて、私たちはどうすべきかを選択する。

 在日朝鮮人の中で、南北の祖国とは切り離した形で、もっぱら「在日」の立場からの「民族差別と闘う」運動が成立するのも、彼らからすれば何のあてにもならぬ、このような日本人の根本的立場に存在根拠をもっている。しかし、日本人自身が「民族差別と闘う」というのはどうすることなのか。「処罰を求める」にしろ、「民族差別と闘う」にしろ、私たちは朝鮮人とはまた別の立場と論理を持つのであり、日本社会固有の論理の中にその回路を作り出すことができなければ、結局は「情緒」や「感情」、「正義感」や「倫理」を伴った立場移行の問題にとどまってしまうことになる。

 朝鮮人の同伴者ではなく、連帯する者となること、統一、補償、権利確立を朝鮮人自身の力で目指すように、日本人自身の力で日本人の課題を貫くこと、私たちは困難であろうともそれを目指したい。 

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