公立学校に在籍する朝鮮人子弟の教育について

 

 私たち呼びかけ人は、平和と国際連帯の立場にたって運動を続けている多数の教育労働者およびその団体によって、「公立学校に在籍している朝鮮人子弟」(以下、「朝鮮人子弟」と略す)が、朝鮮人としての誇りに溢れ、.人間としてゆたかな未来を抱くことができるような教育的な環境と指導が、当面困難であるとはいえ、もっとも真実味と理解ある形でなされるか、もしくは教育界に提起されるように、つよく要望するものであります。

以下、その理由の一端をのべて、私たちの見解にいたしたいと存じます。

日本国に六〇有余万の朝鮮人が、現に人間たるの基本的権利を奪われたまま在住し、また在住せざるをえなかったところの原因にかんしては、今更再説するまでもありません。それは、日本と朝鮮の近代における歴史・政治・社会の状態などをふりかえるならば一目瞭然としている。つまり、日本資本主義は、くりかえし朝鮮を踏み台にしながら、自己を形成し、発展をとげてきました。その過程で、あくことなく、朝鮮の資源を収奪し、朝鮮人民を塗炭の苦しみに追いやったのでした。

朝鮮人民が日本帝国主義の軛から自らを解放していらい、すでに四半世紀を経た今日、日本の支配層によって鼓吹されている大国意識は、この自明かつ重大な歴史的事実を、日本人民の記憶から拭い去ろうとしています。そのあらわれのひとつとして、自己の責任の所在や国際連帯の切実かつ緊要な課題すら、真に問うことなく、曖昧にし、欠落させたまま、逆に罪を上塗りするような行為が日本の教育者および学生によって、最近ひんぱんに行なわれつつあることにかんして、私たちは坐視するにしのびません。先日、一般の新聞紙上に報道されたところの大阪市立中学校長会の「研究部のあゆみ」(昭和四五年度)はその顕著な事例であります。現場の教師を「指揮監督」する立場にある教育行政当局および校長などの管理者が、編集・発行したことで自からの「権威」によって「朝鮮人子弟」軽視の方向に誘導する役割をもつと考えざるをえませんでした。

一方、「東京都内における本年二月から六月二〇日までの日本人高校生・大学生による朝鮮人学生への集団暴行事件三九件(東京朝鮮中高級学校発表)をはじめとして、大阪府を含む全国各地における同質類似の事象か発生していることなどを考え合わせるならば、すこぶる重大な内容をこの文書は含んでいると思われます。公立学校に在籍する「外国人」の学習や生活状態をいちじるしく皮相な角度から一方的に観察し、「予断と偏見」によって「非行生徒」として問題化することは、非教育的であるばかりか、むしろ「治安」に手をかすものでないかと危惧せざるをえません。,私たちは、この文書の触発するものが私たちの心の奥底にまだわだかまっているところの在日朝鮮人にたいする蔑視や偏見に鋭くくいこんでくるだけにいっそうりつ然としないではおれませんでした。これはさらには明治以後の日本が一貫してとりつづけてきたところの朝鮮植民地政策やそれを合理化するもろもろの世論操作を再び明確に追認し、かつ強化する役割を果し国民の批判力を押えるものであると考えます。アジア諸国に対して武力をともなった経済進出を再び行なっている日本の支配者が、エコノミックアニマルの反省を述べ、「愛国心」=排外主義的大国意識の必要を説いている現状を考えますとぎ、この文書は決して偶然的なものではなく、在日朝鮮人の蔑視を再び意図的に組織する役割を客観的にになうものではないでしようか。校長会が「自己批判」をして事足りる性質のものでありません。

ともかく、右の事例は、ただの偶発的なことでなく、まさに氷山の一角であるということです。日常、各所におこっている蔑視や偏見の事象をあげるならば枚挙にいとまがない有様です。

公立の小中学校に在籍している朝鮮人子弟は、全国で約一三万四〇〇〇人、そのうち大阪府下の学校に在籍しているものは、一万七〇〇〇余人に達します。市内の大池中学では、「外国人」在籍率が四一%、玉津中学ではおなじく三二%という数字であり、反対に、「日本人家庭は郊外へ転出」して、その在籍率は漸次減少の傾向をたどっているとさえいわれています。これら多数の(集中した)「朝鮮人子弟」たちは、最近一五年ほどの間に非朝鮮人化しつつあります。

  一三万七〇〇〇有余の「朝鮮人子弟」は、朝鮮人たるの基本的権利、わけても自国語や自国の総体的な歴史・.,理・文化などを知ることから完全に見放され、こばまれています。まさに、基本的な教育権ははく奪されている! ましてや人類の一員として、自民族の文化遣産を真撃に継承発展させながら、力強く国際社会に足をふみだしてゆくことは、大変、困難かつ不可能にちかい事業として厳しく現に存在しています。日本語や日本の歴史・地理・文化など知らない日本人というものを私たちは想壕することができない。そのことをもってしても、「朝鮮人子弟」にとって、今、現におかれている状況というものかいかにきびしいものであるか、充分に説得的であろうと思います。

私たちは、「朝鮮人子弟」にたいして正しい朝鮮人たるの教育が、必ず施されなければならないと主張して一歩もゆずることができません。

またつぎに、私たちはそのことに附ずいして起ってくるだろう間題について、注意をそらすわけにまいりません。それは、即ち、右の朝鮮人たるの教育の問題とともに日本人子弟にたいする教育というものは、いかにあるべきか、いかなる内容と質のものであるのかということであります。おなじ席を並べる朝鮮の学友に朝鮮人教育が施されることを、日木人子弟にたいして正しく適切に理解させ、協力させるところの指導が、公立学校の教育体系に民主的に位置づけられねばならない。そうでなければ「朝鮮人子弟」にたいする教育的保障は確保されないからであります。

いいかえるならば「外国人子弟」にたいして民主的な教育がなされ、同時に平和・友好・平等の教育が日.本人子弟になされ、その両側面がしっかり結合するとき、はじめて互に真実を照らしだし、国際連帯をいっそう深め、人類の偉大な課題に貢献することのできる教育の大目的が達成されるものと信じます。

最後に、私たちはもう一度、もっとも信頼し、友好を重ねることのできる公立学校勤務の教育労働者に以上のことを訴え、かつ積極的にその問題に取組まれるよう切望する次第であります。


一九七一年七月一五日

         公立学校に在籍する朝鮮人子弟の教育を考える会準備会

発起人 石西尚一郎(大阪市同和教育研究協議会事務局)

市川 正昭(大阪市立鶴見橋中学校教諭)    

吉田裕子(高槻市立第六中学校教諭)       


           呼 び か け

公立学校に在籍する朝鮮人子弟の教育をどう考えるか、われわれはこの困難なしかし重要な課題にたじろぐことなくとり組まなければなりません。運動の出発にあたって左記の要領で第一回の討論会を持ちたいと考えます。討論に参加して下さるよう訴えます。

一、問題提起   五島庸一(大教組教文部長)

一、とき     一九七一年七月三一日(土曜日)午後一時〜午後六時

一、ところ    大阪府教育会館(大阪・上六)
 


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