大阪私学の在日朝鮮人教育

             大阪府私立学校同和教育研究会   

             在日韓国・朝鮮人教育研究委員会有志

 

 大阪考える会30周年にあたって、私学からの報告もという要請がありました。本来はもっときっちりと討議をしてまとめるべきでしたが、時間的力量的制約があり、私学同研の在朝研有志という形で、私学同研20周年記念誌にまとめた文章を基本に、必要な資料を追加しながら、その後の私学同研ニュースをまとめる形で報告させていただきます。きわめて異例の報告になりますが、その責任は全て石井(大体大浪商高校)にあります。

 

在日韓国・朝鮮人教育研究委員会  歩みと課題

 在日韓国・朝鮮人教育研究委員会(在朝研)は、81年10月から3回の準備会を経て、82年3月に発足した。69年の私学同研発足、71年7月「日本の学校に在籍する朝鮮人児童・生徒の教育を考える会」(大阪考える会)、72年2月「大阪市外国人教育研究協議会」(75年市外協から市外教へ)の再出発@、79年第一回在日朝鮮人教育全国集会、などの動きを考えれば、正に遅ればせながらの出発といえよう。先駆的な個別の取組みA(浪花女子高・樟蔭東高B・住吉学園高・大阪高など)、部会での論議、課題別研究会C(第一回は浪商高の朝鮮研究会の報告)、外国人教育研修会など、発足以前の「前史」については、後日、適当な人と機会に譲りたいと思う。

@この時の大阪の在日朝鮮人教育の一断面を記録した教育実習生の記録がある。紙面の都合で、後日掲載したい。

A大阪私学では、天王寺・清水谷・汎愛等公立高校の仲間を中心とした日朝教研に集う人々による実践、朝鮮奨学会につながる何校かの実践、高槻六中の実践に始まる浪商の実践、そして大阪考える会につながる樟蔭東の実践が、混沌とした状態で存在したようである。

Bここには田宮美智子、吉田和子の先駆的な取組みがあった。1981,3.6、第四部会年度末研究発表会で「部落研、朝文研の活動をどのように保障してきたか」という樟蔭東高の発表があり、1985.3.7・8、同じく「樟蔭東高校朝文研活動11年を省みて」という田宮美智子による報告がある。樟蔭東高校朝文研の創設は74年ということになる。しかし、在朝研との接点はなかった。

Cこの研究会も、前記中澤による私学同研の体質を変えようという志から計画されたものである。1978.2.28、「在日朝鮮人生徒の個別指導の道筋」という浪商・石井の報告があった。それによると浪商の朝研は75年の準備会を経て、76に発足している。


発足前後の私学同研の状況

 この頃、私学同研とは?という問いが個々の実践に関わる仲間の間で問われ始めた。私に限って言えば、大阪私学教職員組合という教組運動との両立、そして「獅子身中の虫」たらんとの想いから、指導員の働きかけもあり、同研へ撃って出るということになる。

準備会の論議から

 設置要項2.目的・事業の「正しい国際理解を深める」をめぐって、「たとえ日韓・日朝の正しい国際理解が深まったとしても、在日朝鮮人差別はなくならないのでは」という問いかけがなされる。充分深まったとはいえないが、本国の状況に大きく左右されるとはいえ、「在日」の個別的状況はあるのだという今の「在日」論や、結局在日朝鮮人問題は日本人の問題なんだ、という指摘に相通ずる論議であった。

在日朝鮮人教育実態調査をめぐって

 在朝研では、当初の目的を“在日朝鮮人生徒の実態を把握し、各校の個別的な実践を堀りおこし交流する”と定め、商大付高の「民族文化研究会」、箕面自由学園高のL.H.R.実践、追手門茨木高の朝研の萌芽にいたる生徒との関わり、大阪私学唯一の、おそらく全国私学唯一の浪花女子高の外国人教育推進委鼻会の取組み、などが報告され、在日朝鮮人教育実態調査がなされる。

 調査そのものに
(イ)国籍を調査することそのものが問題ではないか
(ロ)被差別部落出身の子弟が調べられるような書類をなくす運動がある一方で、在日朝鮮人がだれかを明らかにする運動は、何か矛盾を感じる
(ハ)本校では、生徒個人の国籍・本籍を調査していませんので、不明です。過去一切差別はありませんでした。真に人間尊重の立場で、積極的に取り組む(ニ)このようなアンケートは非常に迷惑であった(以上82年調査)
(ホ)韓国・朝鮮籍などに関係なく教育指導しており(84年調査)
(へ)国籍による区別をせず、日本人と平等に指導しているので(84年調査)などの声が調査すること自体にだされていた。

それに対し
 
☆外国人として自然に働きかけることをせず、「日本人として」「人間として」「善意で」かかわっているのであるが、その「善意」は日本の敗戦前の皇民化教育と紙一重ではないだろうか(83夏期研)。
 
☆それは朝鮮人を日本人として教育していることであり、朝鮮人ととしての違いを認めず、日本人化させる教育をしていることになり(同化教育)、また朝鮮人が日本社会で被差別状況下にあるという現実に対して、意識的にか無意識的にかを問わず、目をそむけることであり、差別を容認する立場に立つことであり、差別を温存する教育であり、差別教育である(83夏期研)。

と反論されている。しかし、在籍ゼロ・不明・未回答の学校は、今も相当数存在する。

 これは、住民票・外国人登録済み証明書の提出をめぐってのやりとりともかかわるものである。
 第一部会での、
「外国人登録済み証明書を提出する時の子供の思いを考えたことがあるのか」「では、本籍欄を空欄にしたり大阪と書いてくる子供の思いは」
というやりとりを経て、88年の夏期研のテーマとなり、大阪女学院高・梅花高・浪商高の報告をもとに深める場がもたれる。

☆外国人を把握するということが日本人を把握するということにつながり、教育において、外国人が外国人であることを確認し、日本人が日本人であることを確認することが大切(梅花報告)。

☆”純粋に人間という形でかかわればよい”という意見があった。朝鮮人生徒を朝鮮人として見ず、日本人生徒と同じようにみなすこと、その善意が、日本の同化政策に加担することであることを私たちは確認したい。又、”本人の気持ち次第”という意見も、生徒の気持ちを尊重するという善意の中で、何故そのような気持ちが形成されてきたかをみない、又、そのことについての我々日本人(教師)の責任を回避した意見であろう。“浪商へ行ったら白紙になるという生徒の気持”を容認してはならないし、そのように眠り込もうとする生徒を立たせる取組みを、そしてその取組みの中から提起されてくる朝鮮人生徒の声を我々の教育課題としうる実践を模索しなければなるまい。(浪商レジメ)

 これらの指摘をふまえ、住民票の写しの提出にあたっての配慮(本籍等の不要)、それに基づく指導要録(学籍簿)の記載およびその扱いなど、かつての指導要録改訂運動にも学びながら、各校での更なる論議の深まりに期待したい。

 「本名名を呼び・名のる」こと87年度の調査で1,779人(1.28%)の在日朝鮮人の子供達が確認されている。そのうちわずかに34名(2.0%)としか「本名を呼び・名のる」というあたり前の日本人と朝鮮人との関係をつくりえていない。91.2%が通称名のままであり、把握出来ていない朝鮮人の数を加えれば、この率は更に上がるだろう。初回調査での通称名と日本語読みの「本名」との混同という事態はほぼ克服できたとはいえ、119名(6.9%)の日本語読みの「本名」、209名の国籍不明という数字は継続して存在し、更には、本34名のうち14名が国籍不明という事実がある。教師からの語りかけが殆どなされていない現状が、継続的・固定的に露わになり、「本名を呼」ぶ側の日本人教師の生き方のあり様が問われている。各校の自主活動の停滞や、子供の姿のあまりででこない状況などもあり、重い課題である。 在日朝鮮人教師の交流初年度報告された6名の在日朝鮮人教師で交流を試みるも、集まらず。現在8名が報告されているが、未だ。

研究会とニュース

 初年度の実態調査から、在日朝鮮人のおかれている現実から直接学ぼうということで、84年度は、講演とそこから学んだことを情宣しようということになる。第一回は「私学に学ぶ在日朝鮮人生徒達は、そして私学で教える私達は」というテーマで高槻・むくげの会の李敬宰(イ・キョンジェ)さん(私学同研ニュース第52号に特集)、夢二回は『イルム……なまえ』の上映(同研で購入)と「映画製作にあたって思うこと」で聖和社会館の金徳煥(キム・トックヮン)さん、第三回は安中同胞親睦会の徐玉子(ソ・オチャ)さん(84.8.5在朝研ニュース)、第四回は清教学園高の韓国修学旅行の報告。一定の啓蒙的役割は果たしたと思う。

 韓国修学旅行について「一つ気になることがありますので記しておきます。それは、朝鮮人の子供達が通称名のまま韓国旅行をしはしまいかという危惧です。現在大阪の私学の中で本名で通学している在日朝鮮人生徒は極めて少数です。圧倒的多数の子供達が自らの出自を隠して通学しているのです。このことへの取組みがなされず、従来の修学旅行の行きづまりのなかで安易に韓国修学旅行が組まれていくならば、日本の学校の張本君が韓国の張(チャン)君と日韓親善をするという、深刻な「喜劇」が生じてくるのではないでしょうか。故国の土を踏み人に触れて民族の想いを深めるという可能性もありましょうが、まず問われているのは、各々の学校で「本名を呼び・名のる」という関係が創り作り出せているのかという、私達の在日朝鮮人教育の中身だと思います。」(前出「在朝研ニュース」編集後記)

 今、国際交流ということがあちこちでいわれている。上記のこと、及び、日本の学校は「多国籍学校」なんだという視点を忘れてはならないと思う。

公欠問題

 この84年度は朝鮮人生徒の集い、夏期研での在日朝鮮人教育分科会など、はじめての分野に取り組むことが多かった。85年1月12日には、役員会での討議をふまえて、
@外国人生徒の登録事項確認申請に伴う欠席等は公欠にすること、
A上記の事柄を該当生徒に周知徹底すること、
B外国人生徒、特に朝鮮人生徒が外国人として生きうるように「本名を呼び名のる」事の意味を実践的に明らかにしていくこと、
の三点についての配慮・討議を各校に要請する(大私同案77号・私学同研ニュース第59号)。

 @については回答82校中68校が公欠扱いとしているが、なお9校がせずであり、Aについては42校と落ちこみ、知らせていないが32校、ましてBについては……、の状況である。
 関連して指紋押捺拒否の問題で映画『指紋押捺拒否』を上映、在日韓国基督教会館(KCC)の金成元(キム・ソンウォン)さんより問題提起をうける。親指の指紋がとられ顔写真と共に常に携帯しなければならないという韓国の現状とも併せ、「ひとさし指の自由と、おや指の自由を、共に」というまとめで終る(私学同研ニュース第59号)。

差別投書

 85年虔は建国高等学校へ差別投書が郵送され、それに対するとりくみが主となる。指紋押捺拒否者李相鎬(イ・サンホ)さんの逮捕(5/8)、富田大阪府警外事課長差別発言(5/10)などのかさなる五月初めの、自称東大生によるB4裏表9枚17頁にわたる、執拗なまでの差別投書であった。在朝研では、この事実をすべての学校に報告し、その持つ意味を共に考えようと、86.1.24付私学同研ニュース第65号にアピールを出す。「各々の学校において、在日韓国・朝鮮人の子どもたちが差別投書に象徴的にみられるような蔑視・中傷にさらされていることを想起し、ともすれば、日本の子どもたちが誤った認識のもとに加害者の側に追い込まれていることを認識し、共に生きる社会をめざして、在日朝鮮人教育の更なる取組みと日々の教育活動の点検と変革を強く訴えます。」

帰化そして呼称のこと

 86年度には、京都のサークル「在日(チェイル)」・朴実(パク・シル)さんとの出会いがある。日本社会の差別構造にからめとられ帰化を余儀なくされた氏の民族名を取り戻す闘いが報告される。帰化については、83年の夏期研において、大阪高の「帰化するなと教えるべきなのか」に対して、委員会代表より次のような指摘がなされている。「私はそういう問題の立て方をしない。帰化している事実を否定するとか、帰化しようとする気持を否定するとかいったことは言えないと思う。基本的なことは、帰化しているいないにかかわらず、これは部落出身の場合も同じと思うが、自らの出生に背をむけない、自分の出身や、親やじいちゃん・ばあちゃんの生き方に背をむけないような生き方を要求する。またそういう生き方をできるような場を保障することが必要だと思うのです。ただ、知らないで、しまったと思うことがあります。例えば、日本と朝鮮の関係を知らなかったが故に安易に帰化を考えていったとか、帰化にまつわる屈辱的な手続きを、知らなかった故に、しまったと思う。そういう事柄については、われわれはいろいろ話を聞き学習して、子供や親に伝えることは必要だと思うのです。けれども、最終的に善とか悪とかいった話はできないと思うのです。」(同報告集)事態はやっと数が報告されているのみで、「うちは帰化を考えていますので……」という親の「拒絶」にも切り返しえていない。

 朴実(バク・シル)さんとの出会いのなかから、私達は在日韓国・朝鮮人という呼称にこだわっている。82年の第三回在日朝鮮人教育研究全国集会以来のこの日本籍の在日朝鮮人との出会いから、国籍で表現するなら在日韓国・朝鮮・日本人となってしまうことの奇妙さに気付き始めた。とすれば韓国籍・朝鮮籍・日本籍の在日するすべての朝鮮人生徒に関わる教育として在日朝鮮人教育という呼称が要るのではあるまいか、もちろん「混血」の子供たちをも視座にいれて。加えて、この呼称に分断克服の願いをもこめることができるのではあるまいか。

 この年度の夏期研の在日朝鮮人教育分科会では、金賛汀(キム・チャンヂョン)の『故国からの距離』を土台に、建国高の金忠一(キム・チュンイル)さんから発題をうけ、討議を深めるという新たな試みをする。

(詳細は報告集を)

作風のこと

 87年度は、私学同研の作風の問われた年といえよう。M高問題である。この年の夏期研で、「社会問題研究会」という形での地道なすぐれた在日朝鮮人生徒との出会いが報告された、その学校でのことである。校長の生徒を前にしての「朝鮮征伐」発言に端を発し、その後の学校としての対処、その間明らかになった同和教育推進体制、西暦記述の出張届を認めないという事実(やむなく半休をとって在朝研に参加)、卒業証書の西暦記入問題、88年度当初担任・学年付きからもはずされ、公募制の在朝研委員への応募を学校としては認めないという事実、この間の、私学同研事務局の対応、役員会での討議の質など、現在進行中のことではあるが、在朝研の在り方や、私学の在日朝鮮人教育、ひいては、大阪私学の「同和教育」の質が、ラディカルに問われている。これは、85年度の演劇『燃えたぎるもの』をめぐっての討論をどう受けとめるのか、ということにも共通する、作風上の問題であろう。

 内から外と今へ

 88年、作風上の問題が継続して厳しく問われながら、民族差別と闘う連絡会大阪全国交流集会に運営協力という形で参加、外との連携の芽が生ずる。さらに、1・7や2・24の天皇問題にあたっても、各委員の思いや実践が交流でき、弔旗・「日の丸」・元号・自主登校など、創意有る取組みが実現する。89年第一回の在日朝鮮人教育研究会での、在日韓国人「政治犯」・康宗憲(カン・ジョンホン)さんからの今の情勢への提起もふくめ、大阪私学で在日朝鮮人教育に関わりを持つ私達が、外とどう関わり、今とどう切り結ぶのか、それが問われている。内の問題と共に課題は山積している。

(文責 大阪体育大学浪商高  石井 宏)

 

*樟蔭東高校についての記述、私学同研ニュースの資料などをふくむ
完全版はむくげ166号冊子を直接ご参照下さい。(HP製作委員会) 

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