かつて1975年11月1・2日の両日にわたって「考える会」・差別と闘う文化会議共催で「民族差別と闘う11月大集会」が開かれ、延べ1500人に及ぶ参加者がありました。この集会に参加された崔勝久さん(当時、在日韓国人問題研究所、民闘連)から、大阪での考える会運動に対する批判、問題提起がなされ(註1)、「考える会」ではこれについて検討し議論を深めました。ここから、日立就職差別裁判闘争の後「朴君を囲む会」を解消発展して生まれたばかりの「民闘連」運動との交流・連帯がすすめられ、この連帯関係が全朝教結成につながったことになります。実際、考える会の多くの人々は、また、民闘連運動にも参加したのです。
しかし、この時に交わされた朝鮮人と日本人の関係についての議論が、その後、繰り返し現れることになったのは明らかです。また他方、日立裁判の総括について、崔勝久さんが「単なる就職差別事件としかとらえていない」日本人教師を批判し、「直接的に差別を糾弾するだけでなく、民族差別をうちから克服するために同胞子弟に民族的な正しい自覚をもたせる教育をすることを含めた総合的な基盤づくり」をめざそうとする時、それを正面から受けとめたものが「民族学級」運動だったと言うこともできます。
当時の「考える会」の様子がよくうかがえる1977年初めの杉谷依子さんの手紙を掲載します。 (編集委員会)
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