多民族・多文化共生の未来を開く
     
日本の学校の中の朝鮮文化と在日朝鮮人の教育とは
    
2001年8月30日 全朝教大阪(考える会)発足30周年
         
記念集会のよびかけ
 

 教職員・教育関係者のみなさま、保護者のみなさま、そして在日朝鮮人のみなさま。 「全朝教大阪(考える会)」は「日本の学校に在籍する朝鮮人児童生徒の教育を考える会」として1971年に発足して以来、ここに三十周年を迎えることになりました。

 三十年前の夏、朝鮮人生徒は「一般に利己的、打算的、…情緒不安定、わがまま勝手、ふしだらな傾向」と決めつける大阪市立中学校長会文書を前にして、その思想を自らに投げかえし、それを乗りこえるために集まった人たちによって、この会は作られました。

 1971年9月24日の集会の最後に採択されたアピールは、次のように述べています。

 「本日この研究集会に参加した約350人の教育関係者は、在日朝鮮人子弟(ママ)の教育を徹底して考えることが、いま日本の教育にとって緊急の課題であることを確認しあいました。それは日本の教育がいま大国主義的な国家主義的な方向で再編成されていることの意味を深くつかまえるためにも決定的な課題です。」 

 それ以来、確かに状況は大きく変わっています。阪神淡路大震災では朝鮮人と日本人が連帯して苦難を克服し、外国人登録の指紋押捺制度は廃止され、朝鮮半島の南北和解が進む一方で、私たちの日々の活動では大阪市外教、大阪府外教が大きな力を発揮しています。日本教職員組合の教育研究集会でも常に深い論議が交わされています。

 しかし、本名問題に見られるように、日本の学校の中の在日朝鮮人児童生徒の状況は、じりじりと改善されつつも大きくは変化せず、社会的にも、ボクシングの世界チャンピオンの本名すらそのままで通用しにくい現実があります。しかも、その上に、「日の丸」「君が代」の問題や中学校社会科教科書に見られるように、在日朝鮮人の歴史性を消し去り、近代の朝鮮・日本の朝鮮植民地支配について「見て見ぬ振り」と「言い訳」だけを押しつけるような教育が立ち現れてきています。

 また、多数渡日する外国人労働者の子どもたちをどう教育するのか、のみならず、3万人の外国人情報技術者が連れてくる子どもを満足に受け入れるだけの教育インフラ(施設、制度)がそもそも日本にあるのか、と問われる事態が到来しています。

 「戦後」に私たちの社会が生み出してきたもののうち、何を引き継ぎ、何を改革しなければならないかが、問い直されている現在、1972年以来の「在日朝鮮人教育」が生み出してきたもの、また、実は、在日朝鮮人自身が自らの力によって1950年以降日本の学校の中に守り通してきたもの、この「民族学級」という制度が、未来の日本社会のすべての学校の基本的な教育制度の一つとして新しい意義を帯びる時代が来たのではないでしょうか。さまざまな民族の文化を互いに学びあう教育とともに、その民族自身の教育の場を必ず設け、民族教育の権利を保障することによって、「自分を大切にするとはどういうことか」「他者を尊重するとはどういうことか」を実際に身をもって子どもたちに示すことが求められているのではないでしょうか。

 30年間の大阪や全国の教育運動と教育実践をふまえて、未来の教育を切り開く鍵は何なのか、学校改革の真の課題は何なのかを明らかにしたいと思います。自立した、自由な議論の輪を広げるために、みなさまのご協力をお願いします。


    2001年7月10日 
                     全朝教大阪(考える会)事務局
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