日教組運動の中での、
「在日朝鮮人教育運動」との出会い
        
大阪府教職員組合第163回定期大会(2000年5月31日)での討論から
                            太田利信
 

 市教組東部支部中川小学校分会の太田代議員です。

 今、わたしは、この三十六年間、日教組運動とともに歩み得たということを誇りに思いつつ、討論に参加したいと思います。

 「女性部運動との出会いを、日教組組運動にかかわる中でこそ得られた」と、小寺山さんが二月の臨時大会議長降壇のあいさつの中で述べられたことは、まだ記憶に新しいことであります。わたしの場合はと言えば、それは、 「在日朝鮮人教育運動」との出会いでした。

 学生時代、日韓条約反対闘争を闘っていた頃、姜という学友が「執行部方針の”日韓条約は米日韓極東軍事構想の一環であり、日帝による新たな経済侵略の礎である”という位置づけは、単にそれだけでは、どうも納得できない。そこには、われわれ在日朝鮮人の問題、日本の戦後補償の問題への視点が欠落している」と、口酸っぱく言っていたのです。 わたしの不勉強もあったのですが、自治会室で夜明けまで議論しながら、ついに、彼の言いたいことがわからずじまいでした。

 しかし、教職について四年目、わたしが西成区の長橋小学校に赴任したとき、まさに、目からウロコが落ちたのです。三十二名の学級に十一名もの在日朝鮮人の子どもがいる。ここは日本の学校なのに、どうして?

 被差別の地域の実態から学べ!それは、部落解放同盟と連帯して闘う大阪の解放教育運動の大きな教訓でした。子どもたちの背景にある在日朝鮮人のオモニやアボヂたちの生活実態、ふつふつと流れる民族への思い、在日を生きつつも、民族とのつながりは持ちつづけてほしいと子どもたちに託す願い、そうしたものを学んだ仲間たちのつながりによって、長橋小学校での民族学級開設は生まれたと思います。

 今、民族学級は、大阪市内に九十一校、府内全体では百四十校を超える小・中・高校で活動が行われています。

 この四月、阪神教育闘争五四周年集会で、「みんなの名前コンクール」に応募した作文、絵画、書道の作品が一八四〇点もあったと発表されました。大阪教組も後援したこのイベントに、各単組の仲間たちが民族講師の青年たちと協力しつつ、実践に取り組んだ結果でした。

 「民族学級」と「本名実践」との二つの課題。これは、一九七〇年代のあの十五単組の時代、当時、大教組を支配していた日本共産党の諸君と、何度も教研民族教育分科会で論争した課題でした。

 「日本人教師に民族的自覚を育てることなどはできない。」「本名を強制するのはプライバシーの侵害である。」
彼らは、口を開けば、一つ文句を繰り返していました。しかし、それでは、自分たちはどのような在日朝鮮人教育実践をするのかはついに提起し得なかったのです。

 今、民族学級の発想は、朝鮮人の民族学級のみならず、中国の子の、ベトナムの子の民族学級や、東大阪・八尾など、府内各単組のとりくみに生かされていることはご承知の通りです。本名を呼び名のる運動もしかりです。

 大阪教組の運動が府外教を生み出し、府内の各地外教をつないできました。今、日教組の多民族・多文化共生の運動に、大阪からの提起が大きな役割を果たしてきたことは言うまでもありません。それは、この数年、日教組教研国際連帯の教育分科会に、日本人の教員と民族講師が常に連れ立ってリポーターとして発言し、分科会の議論をリードしてきたようすにも表れています。

 さて、そろそろ時間がなくなってきました。

 わたしは、日教組運動の中で在日朝鮮人教育の課題に出会いました。そしてそれは、何よりも、人との出会いでもありました。在日朝鮮人の子どもたち、もちろん連帯しようとする日本人の子どもたち、そして、オモニやアボヂたち、日本人の父母たち、何よりも豊かな出会いを創り得たのは、ともに実践し、ともに運動した組合員の仲間たち、民族講師の仲間たちとの出会いでした。

 組合に入らなくとも、賃金や権利・労働条件は、同じようによくなる、そう未組合員のみなさんは言うかもしれない。しかし、組合に入っていなければ、このようなすばらしい人との出会いは体験できなかった。と言うより、このような人との出会いを体験しようとする意志を生み出せなかったでしょう。日教組は、わたしにそういうアクティブな意志を創り出してくれた組織なのだったと思います。

 新しい仲間たちに訴えましょう。

 日教組に入らなければ、すばらしい人と出会えない、すばらしい出会いを求めようとする自分自身を育めないよ、と。

 長島茂雄は、巨人軍は永遠に不滅です、と言いました。わたしは、日教組は永遠不滅ですと言いたい。来年からは、再雇用専門部でがんばります。

 討論を終わります。発言の機会を与えていただいたことにお礼を言います。ありがとうございました。

 169号表紙へ



inserted by FC2 system