多文化共生の民族教育こそ平和の礎
「備えるほど、憂いばかりの有事法」
 
 去る6月22日、「50年目の証言・吹田事件とわたし」シンポジウムの際、朴政権下で19年もの獄中生活を闘った徐勝(ソ・スン)さんの発言が印象的でした。「私が囚われの身の時、常時、スピーカーまで使用して獄内に響き渡っていたスローガンがあります。”有備無患(ユビムファン)”、つまり”備えあれば憂いなし”という小泉首相お得意のスローガンです」と。権力者が民衆を欺く手法は、どこでも同じということでしょう。

 南北対立の緊張を高めて国内の独裁体制を維持するための「有備無患」が、やがて2000年6月の平和統一を目指す歴史的な南北共同宣言の前に雲散霧消せざるをえなかったということは、誠に象徴的です。たとえ曲折はあっても、分断・対立の中で一触即発の危機に曝されていた朝鮮半島が、平和的統一へ向けて動き始めている時、逆に「武力攻撃事態」を呼号し「有事」という戦時体制で民衆を包囲しようというもくろみは何事でしょうか。

 政府も認めるように、今、日本への直接攻撃など想定できないとすれば、有事法制の目指すものは、米軍の戦争に対する自衛隊の参戦と、それに伴う国内総動員態勢の強化でしょう。かの「悪の枢軸」論によってブッシュが、小泉が、イラクや朝鮮民主主義人民共和国への挑発や臨戦態勢を画策するとすれば、かつてのような民族学校への襲撃やチマ・チョゴリ事件の再発、それに抗議する心ある日本人や在日朝鮮人への迫害の危険性も心配されます。

 吹田事件シンポジウムでは、「有事法制は、日本の朝鮮支配、朝鮮戦争に継ぐ第三の犯罪」とさえ論じられました。戦前、「国民徴用令」など戦時動員体制下に創氏改名が強行された事実や、戦後、朝鮮戦争前後の阪神教育闘争、吹田・枚方事件など日朝連帯に関わる歴史を省みる時、今ほど在日朝鮮人教育の大切な時はないと言えます。

 平和は、守るものではなく、創るものであるとすれば、多文化共生の民族教育こそ、その中核を担うべきでしょう。
(内山一雄)
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