現状変革に迫る「共生」の学びを
 
 仕事上、大阪市の小・中学校の実践報告を読む機会が多い。「総合的な学習」で取り組まれている「在日朝鮮人(外国人)・国際理解教育」の実践の多くは、韓国の遊びや歌、食に親しむ活動や、民族講師や地域に在住する在日朝鮮人をゲストティーチャーとして迎え、話を聞いたり、一緒に遊んだりする活動を通して、韓国の文化を学んでいる。また、韓国についてインターネットで調べるなど、さまざまな工夫をこらして取り組んでいる。 このような活動を通して、<互いの文化を尊重し合う態度>や韓国についての<豊かな認識と友好的な関係を築こうとする態度>さらに、<みんな違っていてあたりまえ>という意識も育まれてきている。換言すれば、「異文化理解」を通した「共生」の学びである。

 今日の日本社会には、歴史的背景と経緯により在日を余儀なくされた朝鮮人とそれにつながる人たち、また、いわゆる「残留孤児」の家族である中国人、日系ブラジル・ペルー人、外国人労働者として生きる人たちが生活を営んでいる。在日朝鮮人をはじめ在日外国人には、権利の不平等や権利侵害、民族差別、また、民族名使用に対する抑圧などの現実がある。
 多くの実践に見られる「異文化理解」を通した「共生」の学びが大切なことは言うまでもない。けれども「在日朝鮮人・外国人の現実から学ぶ」という視点を、学習の中に確かに位置づけることが必要である。「現実から学ぶ」ということは、在日朝鮮人・外国人の生活や労働の現実を的確に把握し、思いや願いに共感し、現実に惹起している様々な差別の本質を認識し、それらを学習内容として取り出し、実践することである。

 「現実」を抜きにした「共生」は、道徳的態度に帰着する。現実を見すえ、現実変革に迫る態度を育むことが「共生」の学びである。「異文化理解」と反差別の視点に立つ「現実理解」をつなぐ実践が、今、求められている。 

(中村水名子)
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