2002年11月24日                                  

おめでとう

    長橋小学校民族学級三〇周年!!

 

 11月24日(日)、会場の長橋小学校講堂の壁には、梅南中、松之宮小、鶴見橋中など周辺の民族学級から寄せられた祝賀の寄せ書きが美しく張り巡らされ、心づくしの簡素なテーブルがしつらえられていた。地域の民団、総連、解放同盟はじめ、市教委、市外教、府外教、市教組など教育関係者ほか、なによりも過去長橋小学校に関わった多くの教職員、民族講師、地元地域の人々など、多くの参加者がその席を埋めた。

 1970年代の「解放教育」にふれた学校長太田清和さんの感動的なあいさつに始まり、長橋小児童・鶴見橋中生徒によるそれぞれの演技もよかったが、特に、卒業生の「フィマンファ(希望花)の会」の青年たちによる迫力のサムルノリは圧巻だった。また、アボヂ・オモニ会の手作りの料理もすばらしかった。

 創設以来の民族講師朴正恵ソンセンニムへの花束贈呈と現在の民族講師の紹介もおこなわれ、正面にずらりと並んだ晴れやかな講師のみなさんの姿が印象的だった。金東勲さんはご自分も30年前の最初の民族講師の一人だったことをあいさつで話されていた。朴正恵さんのあいさつでは、地域の中でも「ウリナラ」の歌声が響くようになった現状への長い道のりと大きな成果を話された。

 しかし、記念誌の中に記された多くの過去の民族講師の名簿を見ながら、今日なお民族講師の制度保障を十分には果たすことができていない現状と、考える会で幾度となくおこなわれてきた議論が思い返された。そこには、司会でも触れられた菊地鉄亥さん、三宅都子さんら故人の思い出も含まれる。こうして長橋に関わった日本人教職員の意思は、在日朝鮮人全体との真の連帯を、確立することができただろうか。

  金光敏さんのあいさつでは、もう一人のこの民族学級の恩人チョウ基亨さんのことを振り返っておられた。そして、朝鮮奨学会の奨学金を受けて苦しい高校時代を過ごし、母国に留学して「ウリマル」を学んで帰った時、チョウ先生から逆に感謝の言葉を言われて感激したことを語られながら、涙されたのだった。その姿を見て、日本の学校での教育が、朝鮮人の自立に向けた教育とどう交差し、真の連帯関係をどう築くことができるのかを思っていた。多くの人々の努力は、このこのことの正否に関わるものなのだろう。

 長橋小学校30年の民族学級実践とその現状については、10月の大阪教組教研集会を受けて、この1月に奈良で開かれた日教組教研(国際連帯の分科会)で発表された。

 1月26日(日)に猿沢池そばのホテルで開かれた分科会で、松本智之さん・チョゴリ姿の柳晴実(リュ・チョンシル)さんの報告がなされ、各地の発表者からも「自分たちの日本語学級、国際学級が直面する課題は大阪の民族学級と変わらない、大阪や奈良から学びたい」という声が出された。助言者の一人稲富進さんが言われたように、「ここ数年、新たな渡日の子どもの教育の課題も、民族的アイデンティティを尊重しなければ成り立たないという点で、30年来の在日朝鮮人教育の課題と重なることが共通理解されるよになってきた」のである。会場の全員には統計資料とともに、大阪市「在日外国人教育基本方針」(2001年)や「生駒市(奈良県)外国人住民教育指針」(2000年)も配布された。大阪からも大勢の教職員や民族講師がかけつけて超満員の会場の外の廊下では、長橋小学校民族学級のカリキュラムや自主教材がまとめられた冊子『ウリマルを返せから30年』や、大阪市民族講師会のカリキュラム・指導案・教材集『共に創る―民族教育の充実をめざして―』(ともにA4版、1000円)が飛ぶように売れていた。(編集委員会)

 以下、記念式典当日の司会で活躍されていた小泉さんの文章を掲載します。

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