2002年11月22日  大阪市中央青年センター

全朝教大阪(考える会)本年度第1回シンポジウム

「なまえ大賞と学校教育」 

 

 

 シンポジウムが終わった後で、「差別事件の時には毎日一人で敵地に乗り込むような気持ちでした。校門の前で大きく深呼吸し、決心するようにして学校に入っていました」と当時を思い出して話された鄭貴美さん。本名コンクールの作文部門「なまえ大賞」に選ばれ、昨年4月21日の「本名キャンペーンコンサート」で表彰を受けたパクさんの作文の背後には、そんな出来事があったのです。差別事象を真の教育発展へのきっかけにするということは、言うのは易くても、どれほど実際には難しいことでしょう。

 そうした小学校の教職員の努力が中学校に引き継がれ、東大阪市教組、民族講師会を中心にして、またもう一つ新しい中学校の民族学級創設につながろうとしています。中学校側の朴洪奎さんや民族講師朴玲煕さんらの努力が続いています。民族学級の真の意味、「東大阪朝鮮文化に親しむ子どものつどい」が果たす大きな役割について討論がおこなわれ、また、日々の勤務の実態と果たすべき役割とが懸け離れた状況の中で悩み苦闘する民族講師の視点、さらに、討論への保護者の参加もあって、子どもを軸にした親の教育への思い、学校への気持ちなど、議論は白熱しました。
  (要約、文責とも編集委員会。子どもの名前に関わるところは、管理者で変更したところがあります。討論については一部しか掲載できていません。)

 

朴(パク)さんの作文

 

報告T

「本名キャンペーン」のとりくみ

          (元東大阪市立長堂小学校民族講師
    >現在デイハウス「さらんばん」職員

 1  はじめに

 この春まで長堂小学校で四年間民族講師をしていました。

 最初赴任したとき、子どもたちから「ソンセンニムは何年いてくれるの」「ソンセンニムも一年でやめるの」と聞かれました。それまで三年間、一年交代で講師が入れ替わっていたからです。

  長堂小の民族学級ケグリの会は、低学年、中、高学年と三時間、それぞれ567時限に設定されています。他の民族学級で見られるように高学年になると人数が減るようなこともなく、当然のように民族学級でも進級するし、校庭で「アンニョンハセヨ」と私があいさつすれば日本人の子どもたちも当然のように「アンニョンハセヨ」と答えます。ミニバスケットが盛んで、平穏な学校です。

 友人の保護者がいて、私が赴任する時に呼び出され、「どんなことをしてくれるの」と聞かれました。保護者の期待を身にしみて感じました。

 

2 差別事象にとりくんで

  本名で来ていたT君は、家では韓国語が話されているような家庭環境です。10月に差別事件が起こりました。T君が名前をもじられて遊ばれ、怒ったT君が相手の日本人の子どもの胸ぐらをつかんだ時に、「韓国に帰れ」と言われたのです。T君は泣いてしまいました。

 民族学級では、あったことを何でも話しあいます。T君がそのことを話した時、六年生の女の子が「私もそういうことがあった」と言って泣き出しました。ちょうど東大阪朝鮮文化に親しむ子どものつどいに出演する頃でした。子どもたちはみんなで集まってきて、自分たちがもらったおやつをその女の子に持たせてやっていました。見ていて、子どもたちの仲間意識を教えられました。四年生のパクヨンス君もそこにいました。

  やがて六年生が「本名で卒業しよう」という話し合いをする時期、一人の子が「私はこわいから本名を使えない」と言いました。日本の友だちがどう思うか、日本人の親たちにどんな目で見られるか、こわい。笑われるのではないかと思うとこわい、と言うのです。

 これを聞いて、ケグリの会では子どもたちの話し合いが始まりました。そこから、「笑うかどうか、教室でみんなに聞いてみよう」という声が出て、ケグリの会から、六年のクラスで話し合いをしたいと申し出ることになりました。

 話し合いの時間になると、立ち上がった女の子が言いました。「ケグリの会の私たちは、本名で卒業したいと思ってる。でも、みんなに笑われるから本名にできないという人がいる。」ここから、なぜその子がそうした思いを持ったのかを中心に話し合いが持たれました。先生方も、子どもたちの声を出させていこうという姿勢です。子どもたちは「ぼくは笑わない」などと発言します。そうした中で、ケグリの会の子どもも「私も本名で卒業する」と決心することになりました。

 パク君はそういうことを経験してきていました。けれども、保護者の方は、民族学級には期待していない、と言われていました。課外の活動ではかわいそうだ、地域で日本人も一緒に活動すればよいという考えから、民族学級にはきびしい目を向けられていたのです。

  差別を受けた六年生の女の子のアボヂは、「差別事件については、もう終わった」という声に対して、「いや、そのことは終わっていない」と言われました。「学校まかせ、子どもまかせにしないで親も行動しなければ」、「学校にも要求するが、自分たちも協力しよう」というのです。そこから、保護者会が生まれることになります。

 

3  本名指導……民族講師の役割

   あの手、この手を駆使して!?

 

  2001年10月24日「朝鮮文化に親しむ東大阪の集い」(全市行事)

 二学期の民族学級は、東大阪「朝鮮文化に親しむ子どものつどい」に向けての活動が中心になります。舞台発表とパレードですが、東大阪市の繁華街布施のメーンストリートを民族衣装を着て行進し、街の人々に拍手で迎えられるこのパレードは、それ自体が本名宣言の意味をもつものです。

 12月1日 公開授業、オモニたちのチャンゴ発表が好評

 一方、校内では人権教育部会を中心にとりくみが行われます。昨年12月には、はじめて民族学級の公開授業が行われました。日本人保護者にも見てもらいたいということで、50人ほどの参加がある中で、オモニたちのチャンゴ教室の発表もありました。民族学級が、先生方だけでなく、地域の保護者たちの応援もあることを示したかったからです。子どもたちもその演奏を見ましたが、その一人一人の顔を見てみると、皆、自分のオモニをしっかりとうれしそうに見つめていたのでした。

  その後、二時間連続授業の6限に、民族講師の私が授業に入って、看護学校での差別、戴帽式で本名を呼んでもらえなかった友人の話をしました。子どもたちの感想に「かわいそう」というのが多かった中で、一人パク君の「めっちゃ腹立った、くやしかった」というのが目立っていました。家に帰ってオモニにもそう言っていたそうです。

 「一番近い国、韓国・朝鮮」について勉強する時間には歌や遊び、踊りのコーナーも作っていて、従来は先生方が担当されていましたが、二年前からオモニたちがゲストティーチャーをしてくださるようになりました。そうした場所でも、六年生の日本人の友だちがH君を取り巻いて、「おまえどうする、本名にするのか」と話し合いをしています。友だちが本名で卒業するかどうかは自分たちみんなの問題だという雰囲気があらわれていました。

 2月15日 新入生説明会が行われます。そこでも民族講師がきちんと民族学級について説明しました。

 

4 そして、本名で

 卒業生を送る会の時、パク君は「7時間目の授業はしんどかった」と言っていました。しかし、その本名と民族衣装が、ようやく子どもたちの中に溶け込んできたという気がしたものです。卒業式が近づいて、パク君は作文に、本名での卒業について、「一人はいやだしとても悲しい気持ちになってしまいます」と書いてきました。目に涙を浮かべて「これはH君には見せたらあかん」と言います。しかしH君もその気持ちは知っていました。

 卒業式では、結局パク君一人が本名で呼ばれました。家の人も担任も、一人になってもがんばれと励まします。担任の先生は、その気持ちを込めて、一生懸命「パク・ヨンス」ときれいに発音しようと練習しました。こうした大人たちへの信頼がなければ、本名での卒業はなかったかもしれません。卒業式の保護者席では、オモニが涙をこらえられていました。

 

報告U

「長堂小学校の民族学級と日本人教職員」

               杉本由美子(長堂小学校教員)

 

 太平寺小学校から二年前に転勤してきました。ですから、パク君についても直接関わりがあったわけではありません。

 太平寺では、民族学級50周年の記念行事も経験しました。それだけ学校での位置づけはあるのです。それでも、民族学級の中では本名で呼ばれても、クラスでは本名の子どもは少ないのです。学年でもほんの数人というところです。

  長堂小学校では、民族学級の人数は少ないのですが、最初の印象は「濃い、熱い」というものでした。「先生方全員参加してください」というような学校体制が組まれています。

 パク君の担任の山川先生は今年転勤されましたが、十月の東大阪の「つどい」の時にはテコンドの型、「板割り」をするというので指導されていました。パク君には無理だからやめた方がいい、という声もある中で、それでもやり通し、本番では結局失敗して板が割れませんでした。しかし、それを聞いたオモニが、「成功しなかったことでかえって見えてくることもあったのでは……」と言われたということです。そうしたことを通じて、パク君もまわりが見えてきたことだと思いました。

 ケグリの会では料理会もします。教員もそこに参加します。太平寺では、民族学級にあまり来ない教員もいたのですが、長堂では代わるがわるみんなの先生が参加します。六年生の生徒はたった二人でしたが、その内容は学年の中にしっかり入っていたように思います。

 三学期のケグリの会の授業で、なまえ大賞の作文を書くことになりましたが、その結果は卒業後の春休みに学校に知らされたので、知らないままの先生も多く、4.24記念「本名コンサート」にチケットを買って行ってみたらそれがパク君の授賞式だったので驚いたというわけです。

 ケグリの会に入級している子どもは今年は15人で、特に1年生の在籍は一人だけです。今は低学年・高学年の二部制になりました。四年生になると、「ミニバスケット」の方に入る子が出て、参加人数は減ります。

 

報告V

「長栄中学校の在日朝鮮人教育」

   朴洪奎(長栄中学校教員)

 

  今年、長瀬(ながせ)中学校から長栄(ちょうえい)中学校に転勤してきました。個人としては、朝文研活動など、生徒にどう働きかけるかの経験もありますが、それだけではない、いつも「どうすれば朝鮮人として学校がよくなるのか」ということを考えたいと思っています。

  パク君とは、二学期から数学を教えています。授業でもそうですが、「サマースクールどうや」「いやや」という時、本人にいやなものはさせない、という主義で来ました。

 「ケナリ通信」というのを学校の中で発行しています。そこにサマースクールの報告を載せると、校長先生がチェックして、この子は本名で出ているけどいいのか、と聞いてくるような状況です。

  今年の東大阪「つどい」のための練習は、放課後週一回、合計4回ほど朴玲煕ソンセンニムに来ていただいて、カルチュム(剣の舞)をしました。生徒たちは昼休みの体育館の舞台で自主的に練習していました。

 学校体制ということを考えてみると、長栄中学校では、パクヨンス君に対しても特別なことはできていない状況があります。それでも生徒が活動する土壌があるのは、長栄には夜間学級があって、夕方ハルモニたちが学校へやってくると、クラブ活動の生徒たちと時間帯が重なって、いろいろ見聞きすることができるからです。学校のそうした雰囲気があって、それは教員の教育実践によって変わっただけではないと思います。民族学級がないところでは、民族教育に対しての教職員との関わり、仕事としての教職員同士の関係は、どうしてもむつかしいところがあります。

 長栄中はソウル五輪中と交流提携していて、1月に40人が来校する予定です。「本名で生きる」ということは、別にどうってことない、ということを、教職員の意識から変えることができればと思います。

 先日、長堂小学校に民族講師の代わりとして行く機会がありました。低学年の生徒を教えたのですが、民族講師はいい仕事だから中学校の教員をやめて民族講師をしたいと思ったくらいです。しかし、週1回5000円の報酬だけです。それではやっていけません。

  H君の担任をしています。ケナリの会のことも言い続けています。親からは「子どもには言わないでくれ」という手紙が来ました。テニス部に入っていて、心のやさしいこどもです。

 

<討論>

朴玲煕(東大阪市民族講師会)

 長栄中学校では20人以上の生徒が集まっています。特に三年女子の集団の力が大きくて、教えた内容を、毎日の自主的な昼練で自分たちで発展させ作り上げます。あの結集力は何から来たものかとびっくりするくらいです。

 小学校以来の活動の積み重ねを実感します。それに対応する中学校としての受け皿、中学校の民族学級がまだない。今年集まった生徒たちも、一年生の時には「つどい」に出ることができていなかったのです。

 

姜錫子(長栄中保護者)

 学校体制として、民族学級のあるとなしでは大きな違いがあります。民族講師と保護者の協力で、学校の雰囲気を盛り上げたいと思ってきました。

 自分自身は朝鮮学校の卒業で、子どもを日本の学校にやるについては心配がありましたが、ケグリの会があり、とても心強く感じました。子どもが低学年の時は、民族講師にやっとなじんだと思ったら一年で交代する事が続き、残念に思いました。集いの発表会の練習では、楽器も古く、やぶれているのを見て、がっかりしたこともありました。だけど、それから学校やケグリの会に対しての関心が高まり、どれだけ保護者が協力できるかを考えるようになりました。そして保護者会を作ることがとても大事に思えてきました。

 そのうちに、民族講師の先生が新しく変わりました。鄭貴美先生です。講師の豊富な経験を生かし、楽しく授業を展開して子どもを引きつけながら、差別発言などに対しては強い民族意識と差別を許さない徹底した姿勢をもって活動して下さったので、学校としても一体となって真剣に取り組む体制ができていったと思います。

 保護者会ができた今、チャンゴサークルもしています。学校での発表や、ゲストティーチャーなどにも出席しています。そして、中学でも民族学級を作ってほしいと要望しています。

 中一では「つどい」に出演できませんでした。二年目、三年目には参加しました。子どもたちは生き生きしていました。特に今年は、カルチュムを踊るので、昼休みにも一生懸命練習していました。

 校内でチヂミ作りをしました。先生方が自ら作っておられるのを目の当たりにして、感動しました。日本人の先生方も大変だとは思いますが、反面、そうした活動がないと、いじめや差別が横行することになりかねないかもしれないと思うので、共に手をつなぎ、子どもたちに明るい未来を授けられたらと思っています。

 

朴洪奎

 四月に向けて、長栄中学校でも母国語学級を作る動きがでています。中学生が民族学級に集まりにくいのは、運動クラブに行きたがるからです。どうしたら中学生が集まれるのか、いろいろ考えています。

 今やりたいのは、本名で呼ぶ卒業式を実現すること、かっこいい韓国・朝鮮を広めることです。

 それに、現在の拉致問題を通して、一般の日本人がはじめて朝鮮人の強制連行の問題を実感として受け取れるようになるプロセスが始まったと思っています。

 

杉本

 日本人教師の側が常に「自分は朝鮮のことに興味を持っている」ということを示していると、子どもたちの方から色々アピールして来ます。今担当している四年生には本名の子どもは二人しかいません。急いて目標を決めるのではなく、子どもの心に届くよう、気長に発信を続けようと思います。

 

栗田(我孫子中)

 中学生になると生徒が民族クラブと運動部の部活動の間で悩むのは、いつも経験することです。そのなかで色々工夫して、民族クラブへの結集をはかっています。学校体制や教職員の協力が重要になります。

 

宮木(北巽小)

 小学校で子どもをむりやり行かせるから、中学校では来なくなる、と言う声も聞きます。学校の教職員と民族講師の共同作業を進めて、保護者を含むいろいろなネットワークの力を生かすこと、子どもが民族教育を受ける権利を保障するという視点が必要です。

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