第52次日教組全国教研(奈良2003.1.25〜28)感想

 太田利信(運営委員)

 (はじめに)

 大阪教組教文部からのアンケートに答えるかたちで、この文章をまとめました。
 その後、三月六日に全朝教大阪のシンポジウム「中国からの子どもの退去強制問題と学校現場の課題」が行われ、東大阪市教組のとりくみに見られるように、子どもたちのアイデンティティを大切にする学校現場での実践を踏まえての退去強制反対の運動の視点を学びました。
 この運動論・実践論が、奈良などの一部の人々と私たちの手法の違いでではないかということを強く感じました。また、日教組・大阪教組の運動と深く結びつきながら進める運動であるからこそ、より組織的に、より大衆的に、そして学校現場での教育実践に根ざす強固な運動ができるのだと確信したのでした。
 運動と実践とを統一的な視点から進める大阪からの発信を、さらに追求しなければならないと考えています。

 

(1)「全体会」なだいなださん講演について

  「名医でないヤブ医者であるわたしにかかった患者であったからこそ、自分で自分の体を大切にし、養生して自らの力で病を治すことができたのでしょう」と語られたなだいなださんの言葉が印象的であった。そのように患者に接し、患者自らが考え、行動する力を生み出させたなださんは、まさに名医であったのだろう。
 わたしたちが子どもたちに接し、人とのつながりを求めようとする時の、教訓とすべき言葉ではなかっただろうか。

 

(2)「国際連帯の教育」分科会の報告と討議について

  三重や滋賀の「帰国・来日の子どもたち」への教育実践において、日本語教室のとりくみを、日本語指導や日本での生活のための学習などだけにとどめるのではなく、子どもたちの民族的アイデンティティを大切にし、自覚を育てながら、一方で、日本での生活に生かす日本語・文化の学習を進めたことを、高く評価したいと思う。
 報告者自身が言っていたように、「日本語教室」と呼んではいるものの、その内容は、大阪などで取り組まれている「民族学級」実践からも学んだものであるとのことであった。
 十年余りの分科会討議の蓄積が、また、大阪からの粘り強い問題提起が、ようやくにして実ってきたことを強く感じた。

 奈良と京都の報告は、十分な実践報告になっておらず、子どもの姿が見えてこないものであった。県外教の歩みや交流会のようすを語るにしても、それぞれの学校、教室でどのような営みを行い、どのような子どもの葛藤があったのか、また、その中で、子どもたちも教職員自身も、どのように成長し、あるいは成長しきれなかったのか、そのことをこそ語るべきである。

 熊本の、中国からの子どもたちが強制送還されようとしている状況が語られたことについては、日本社会がまだ共生社会として十分成長していないこと、政府や入管当局の不当性を明らかにしたという意味において、大阪ではどうなのかと考えさせられた。東大阪や門真、そして大阪市内においても同じことが起こっているからである。
 しかし、教研分科会の場で、執ように日教組執行部への不信を煽りたて、「分科会決議」や「分科会アピール」を採択して日教組中執につきつけるべきだと主張する一部の人々には辟易した。「教研分科会は中央委員会や大会などの場ではないし、わたしたちはそのような決議をあげる代議員権を与えられているわけではない」と発言し、多くの参加者の支持を得ることができて、また、共同研究者や司会者たちの賢明な判断によって事なきを得たが、それにしても、と感じた。

 

(3)大阪のレポートについて

 長橋小学校民族学級三十年の歩みをもとに、総合学習などの課程内学習と民族学級実践とを結び、日本人教員と民族講師が共同で報告した内容は、さきの三重県の報告者の発言にもあるように、全国からの参加者に多くの感銘を与え得た。
 そこでは、朝鮮人の子どもたち、ダブルの子どもたち、その保護者たちとともに、実践を進めつつ感動したり苦悩したりする教職員や民族講師の姿が鮮明に浮かび上がっていた。また、互いのアイデンティティを尊重しあいながら多民族共生の視点を大切にし、そうした社会を創り上げようとする営みが反映されていた。そうした実践報告であったからこそ、であろう。

 

(4)日教組・大阪教組への要望

 今後も、大阪から「在日朝鮮人教育を基底としつつ、さらに、帰国来日の子どもたちへのとりくみを示す報告」を続けて行くべきである。そのためには、一県一報告という制約をなんとかできないものだろうか。大阪だからこそ在日朝鮮人教育にかかわる報告を代表レポートとしたいが、同時に、多くの帰国来日の子どもたちにかかわる実践も府内各地でとりくまれていることを考えると、どうしても、二つの報告を提起したいところである。

 

(5)「子どもフォーラム」について

 子どもたちの声は、日本社会の冷酷さ、目を向けてくれない友人や教職員への不満と糾弾を表すものとして率直に受けとめたい。
 しかし、フォーラムに参加した人々はそれらの発言から何を学んだだろうか。打ちひしがれ、挫折する子どもたちばかりではないだろう。それらを経て、自らのアイデンティティを芽生えさせ、自らの生き方を見つけだしつつある子どもたちも少なからずいるのである。そうした子どもたちの発言を含めてのフォーラムであればこそ、苦悩する子どもたちも教職員も、展望を見出し、これからの生きる道を歩み始める契機となるのである。
 悪しき糾弾主義の手法にはもうかびが生えている。大阪での実践は、今ではそれらを克服しつつある。この点で、一部の人々が意図したであろうフォーラムの限界も感じた。

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