(榎井)まず、自己紹介を含めて話していただければ。
(李)私が生まれた一九四九年は、終戦から四年目、朝鮮戦争の一年前にあたる。物心がついた頃から、朝鮮半島の南北分断が在日社会にまで反映し、イデオロギーの対立によって大人の集まるところでは争いが絶えなかった。子どもの頃から、人が群れているところには絶対近づかないと思っていた。争う大人の姿ばかりを見ていましたので、朝鮮人であることが嫌いだった。
結婚して子どもができて初めて考えたことは、自分のコピーを作らないということだった。小学校に民族学級ができ、民族講師と出会ったことが子ども達にとって大きな影響を与えた。子どもにとって民族の先輩としての民族講師は、私にとっても輝くような存在だった。私の子どもが民族学級の修了式のときに、「私は朝鮮人でよかった」と言って、卒業した。これは、私一人で育てても決してできなかったことだ。子どもをめぐる時代や環境もいろいろ変わっているが、少なくとも出自に関わることで、傷つく子どもが一人もいないように願っている。
(葉)私は台湾生まれ、台湾育ちですが、両親は中国内戦の時に、中国から台湾へ引き上げてきた。留学生として当時、一番悩んでいたことは台湾人グループの中に入るときに、自分が一生懸命台湾出身であることを強調して、また中国人グループの中に入るときは、中国に本籍があることを強調したことだ。
自分の心の中で、どういう気持ちで日本で暮らしていけばよいか、すごく考えた時期があった。自己尊重とアイデンティティを持って生きていくしかないとの思いが芽生えたときに、自分自身の気持ちが非常に楽になった。
五年前から東大阪市の盾津中学校で中国帰国生徒の担当として勤めた。今年の3月末で辞め、現在、東大阪市内の三校の中学、太平寺夜間中学、府立高校一校の時間講師として中国帰国生徒の指導を行っている。中国帰国者たちは、永住のために帰国した。日本社会で暮らしていくために日本語学習以外にマイノリティとして豊かな自尊感情や民族的アイデンティティを学習していく機会がない。言葉の学習より大切だと思い、それを子どもたちに伝えていくように努力している。
(野入)私自身は両親日本人で日本国籍だ。アメラジアンというのは、アメリカンとアジアンがくっついた言葉で、アメリカ人とアジア人の両親を持つ子どもたちのことだ。ベトナムに一番多いが、韓国やフィリピン、タイ、ラオスにもいる。日本では在日米軍基地の七五%が沖縄に集中していることで、たくさんの若いアメリカ人と地元の沖縄女性が恋愛や結婚をし、子どもが生まれる。
九八年に五人のアメラジアンのお母さん達が中心になり、自分たちでお金を出し合い、アメラジアンスクール・イン沖縄という学校を作った。これは、民間の教育施設だ。その子どもたちは、自分の学籍を地域の公立学校におき、スクールに通い、スクールから子どもの出席状況や学習の記録を公立学校に連絡するなどしている。そして、公立学校で中学校の卒業の学歴をとる。現在、六〇人の子どもがアメラジアンスクールに通っている。沖縄全体では、三〇〇〇人ほどのアメラジアンの子どもがいると推定される。
アメラジアンスクールでは、アメリカと日本の二つの言葉や文化を学ぶというダブルの教育を行っている。沖縄は米軍基地が集中する島であり、沖縄の人は苦しい思いをしているが、反基地の県民の気持ちが、ときとして外見的にはっきりとアメリカ人の「血」を引いていると分かるアメラジアンの子どもたちに否定的な眼差しとして注がれる場合がある。ときには買い物時に、店の人からつまみ出され、アメリカ人は買い物お断りだと。公園のプールに入れてもらえなかったりとか。
アメラジアンスクールでは、アメラジアンの子ども同士が支え合い、ありのままの自分を受け入れて伸ばしていくという教育を行っている。アメラアジアンの教育権の保障問題は、沖縄社会や日本社会を豊かにしていくために重要な取り組みだ。
(秋辺)このようにアイヌの民族衣装を着ることは、つい一〇年前まではばかられた。もちろん北海道は観光地ですから、アイヌの観光地では、これを着ることが商売と直結するから、いわゆる「観光アイヌ」はむしろ積極的にこれを着る。しかし北海道で観光に従事しているアイヌは、アイヌの人口の一〇%にも満たない。大半は農業や漁業などの第一次産業に従事し、現地の労働者として働いているいる人も多い。
在日朝鮮人との関係については、いつかは正面から話し合う機会がほしいと思っていた。北海道には、在日韓国・朝鮮人が七万人ぐらいと聞いている。アイヌの人口は公式には、二万五千人と言われ、マイノリティ中のマイノリティだ。実際の人口は五万人とも、十万人とも言われ正確な数字はない。北海道では、朝鮮人とアイヌの結婚例が案外多い。強制連行で北海道の炭坑などで労働に従事させられ、なかにはタコ部屋労働などで逃げ回ったあと、最後にアイヌの村に逃げ込む。、命が安全だったと言うこともあり、そのまま住みついて結婚したケースも多かった。
アイヌ自身の伝統的な村はない。完全に倭人の社会と融合してしまった。歴史上は、アイヌは邪魔だから何度も強制移住をさせられた。明治以降の北海道開拓というのは、世界史に稀に見る例だ。一二〇年の間に五〇〇万人の人間が、北海道、千島へ渡っているわけだから。アイヌの人口は江戸末期ですでに、一〇万人程度と言われて、今も変わりない。そこに五〇〇万人を越える人がやってきた。これは圧倒的な数だ。アイヌの結婚する相手は、圧倒的には倭人だ。それは、別に特別な理由はない。アイヌ同士が出会う機会がきわめて少ないからだ。
それでは、アイヌ同士が結婚しなければ、アイヌは滅びてしまうではないか、といういわゆる「血」の問題のことをよく言われる。しかし、アイヌはそうしたことを全く考えない。アイヌというのは、実は「血」ではなくて、自分たちの地域社会に一緒に暮している仲間と言う考え方だ。
北海道開拓というのは、非常に悲惨なものだった。とくに、農業開拓で入ってきた入植者は、大半が失敗する。ひと家族で北海道に入り、子どもが生まれる。そして、生まれても暮すことができず、間引きをする。育てた子どもも、育てられなくてアイヌの村に捨てる。アイヌの村では、誰であれその子どもを育てる。そうした村で育ったアイヌの「血」を引いていないアイヌの人が、たくさんいる。
アイヌの人口構成は、実に多様で単純なものではない。しかし、アイヌは紛れもなく日本の先住民族だ。古い歴史で言えば、中国の後漢書にもあるが、朝鮮半島を渡って島国に行けば女王の率いた四〇幾つかの国があり、その東の大きな山を越えれば、六〇幾つの毛人の国がある。この大きな山とは、富士山のことだ。そこから北に行って六〇幾つかの毛人の国があり、これはアイヌのことだ。七世紀前、日本列島の七割以上のところにアイヌが住んでいたことになる。
一二世紀には、東北のアイヌは「平らげられ」、北海道に追いやられる。千島のアイヌは当時の幕府とロシアとの狭間の中で最後には絶滅する。樺太アイヌは第二次大戦の敗戦後、ロシアから日本へ逃げ帰るように、北海道に渡る。関西は北前船の交易で、ニシンや昆布や鮭やあわびなど、北海道との海産物の貿易で潤ったが、関西の人はあまり気にしていない。関西と北海道とは歴史的上、非常に密接な関係にあるが、普段そうした意識を持つ人はほとんどいない。
アイヌの歴史抜きに日本の歴史はありえない。この点が日本の学校教育のなかで、ほとんど残念ながら触れられていない。まず、足元の学校教育の中に入りこみ、教職員や子どもたちと一緒になって、アイヌと倭人との関係について学んでいくことが大切だ。
明治以降、アイヌがアイヌであることを否定される。一八六八年を境に、突然アイヌ社会は倭人社会に組みこまれてしまう。アイヌの葬式もダメ、アイヌ語もダメ、日本の国籍を与える、苗字も日本風にしなさい、いわゆる創氏改名をアイヌたちにするわけだ。ここ二、三〇年、アイヌ文化の復権、民族復権の運動が盛んになり、また国際交流の中で刺激を受け、さまざまな外からの要因で触発を受け活動をしてきた。
(榎井)三つのポイントからお話を聞きたい。ひとつは、教育を受ける権利について。二つ目は、日本社会に関して感じておられることについて。三つ目は、マイノリティの立場にあるもの同士の接点、連携は考えられるのかという点について。
(李)民族教育権とは、民族的マイノリティの子どもたちが自己の文化を享有し、自己の言語を使用する権利を保障されるものであると謳われている。当然の権利であると思うが、保護者の立場から見ると、一般には広がりきれていない。
民族教育権はあるだけでは意味がなく、それを使っていかなければならない。民族的マイノリティということをマイナスではなく、自分の糧として生きていって欲しい。
日本社会の教育について思うことだが、日本社会はどこに向かっているのか、非常に不安感を持っている。戦後五八年とは、一体なんだったのかと思う。「遠くの出来事に人は優しい。近くの出来事に人は黙り込む。遠くの出来事に人は優しく怒る。近くの出来事に新聞紙と同じ声をあげる」という詩があり、私はこの詩が好きだが、イラク戦争で正しい判断や行動を取った人々が、拉致問題・核開発問題で揺れる北朝鮮にどのような態度や行動を取っていくのか。
最近の日本社会の動きを見ると、めげそうになる。日本の公教育の中で、さまざまな背景を持った子どもたちが自らの出自を明らかにして、机を並べ、ともに勉強した子どもたちが大人になり、はじめて日本は変わるのかなと思う。成長の過程で、なにか重要な判断をする時に、民族教育を受けたことが大きな影響を与えると思う。さまざまな背景を持った人が可能性を発揮できる社会を創ることが日本を国際化していく道だ。
私たちは歴史的な経緯をもったマイノリティとして長く日本にいるから、私たちがその経験を知らせ、広めていくことは大切なことだ。以前、民族学級は「水飲み場」のようなところだと聞いた。喉が乾いて潤す場所に子どもたちが現れ、新渡日の人々が集まり、コミュニティを作り活動しているのを見ると、必要なことを感じる心は、どこでも一緒だと思う。
(豊住)私は民族と教育をくっつけると分からなくなる。民族とは、歴史的に、時間的に、また政治的に出来上がったものだと思う。それが教育とくっつくとステレオタイプ的なものとして私の頭の中では出てくる。教育とは、本来自分が自己実現し、豊かな人間になるため、生まれた社会または生きる社会で活躍できるためにあるものだ。教育とは、その人を中心に考えていかなけれならないものだ。それは、障害をもつ子どもたちや、南米の子どもたちに関わってもそのように思う。子どもがどんな背景を持ったとしても、その人が幸せになって、これから生きる社会に耐え、豊かな人間になり、自分の生きる道をつくっていくものでなければならない。
どうして、私が教育という言葉に民族をつけるのが好きでないかというと、私の体験からきている。私はブラジルで、日本からきた人々がたくさん暮す、小さな村で育った。そこには、沖縄からの人たちが多くて、それ以外の地域からきた人との間で、すごく衝突した。昔の日本の偏見や生活集団の思いの違いから、異国の中でそれが出てくる。ぶつかるわけだ。私は民族が抱えているマイナス面を自分の肌で感じてきたから、その問題にふたをした。
私たちは、南米で日本という母国を大切にしてきた。いま、南米からきた人々は、日本社会で人権侵害を受けることで、裏切られたという気持ちを持っている。私はメンタルケアーの外国語相談のコーディネートをしている。そのデーターを分析すると、「日本に帰ってきたが、自分たちは切り捨ての労働者になっている」と、男女ともに深く傷ついている。今まで、日本人をモデルにして生きてきたが、それが日本に来てみると外国人であり、日本人ではないのだ。これで、心に大きな病を抱える。日本語を話し、日本文化を身につけてきたが、今の日本文化と合わない。文化や言語は生き物だから、ブラジルに持っていった日本の文化とタイムスリップがある。
私たちは、どこかでボタンの掛違いをしているのではないか。私は通訳として、いろいろな人に付き添うが、最近多くなってきているのはDV問題だ。暴力を受けた子ども親はどこに隔離されるのか。暴力をふるった人が自由なのだ。子どもや奥さんは、外を自由に歩けない。このことは、私が日本社会に対して感じていることにつながりる。マイノリティが、模索しながら、自分たちの声を出そうとしているが、加害者である社会が何もしていない。これが、私の言うボタンの掛け違いということだ。そうした病理的な社会の関係を私たちが手を携え、連帯し、対話しながら、少しずつでも改善し変えていかなければならない。
(葉)単なる日本語学習だけでなく、渡日者たちの母国語や文化などの学習保障も民族教育の内容に含まれていると思う。多文化共生社会においては、そういう趣旨を踏まえたうえで、民族教育を行うことが在日、渡日の人たちにとっても重要だ。
日本の社会や教育に関連して、次の問題点を取り上げたい。一つは、先ほど言った小中学校で母国語や文化の学習が保障されていない問題だ。現在のカリキュラムに取り入れることは難しいと一般に言われているが、総合学習や選択学習があるのに、なかなか取り入れてくれない。二点目は、人権学習が日本の小中高で積極的に行われているが、在日や渡日者の立場に立って学ぶ体験が乏しい。例えば、外国人学校や民族学校での一日体験入学などを行っていないところが多く、人権学習が中学生にとって直接結びついていない。三点目に、日本に住めば住むほど、日本のよさを感じるが、特に日本人の子どもたちは、日本の素晴らしさを自慢しないことも問題では。日本の文化や日本語の素晴らしさなどを深く広く学習内容に取り入れなければと思う。
また、健全な多文化共生教育を推進するためには、学校だけではなく地域社会に広げていく必要がある。現在の日本では、マイノリティを受け入れる教育は学校のみで、地域社会ではマイノリティの声をなかなか出しずらい現状がある。
(野入)民族を固定的に本質主義的に考えていくのは、もう無理になってきている。アメラジアンの祖国というものは世界中どこにもない。国家を持たないマイノリティだ。両親と外見や言葉が違うこともある。出身地も沖縄で生まれた子、内地で生まれた子、アメリカで生まれた子、といろいろだ。国籍も日本国籍の子、米国籍の子、二重国籍の子、さまざまだ。本質的な、これがアメラジアンとか、アメラジアンの文化はこれこれですというものはない。またアメラジアンの誇りを持ちなさいというのもない。
では、何がダブルの教育か。それは、二つの文化や言語を学ぶ中で、二つの社会に生きることができる開かれた人間になっていくために、ありのままの自分を受け入れて積極的に発展していく肯定的な自己認識だと思う。
アメラジアンの子どもは、お前は日本人か、アメリカ人か、ということを問われつづけてきた体験がある。日本人なら公立学校に行け、日本語を学び、日本人になれ、アメリカ人なら早くアメリカに行け、またはインターナショナルスクールに行け、と言われる。国民とか、民族、日本人とはなにか、を疑う眼差しが日本社会の中には非常に弱い。これは偏見のレベルの問題だけでなく、制度的には、国籍選択の問題がある。アメラジアンの場合、これは母親を選ぶのか、父親を選ぶのかという問題につながり、どちらかを切り捨てることになり家庭内で大きな問題になる。
マイノリティの協働については、私は次の三点を提案したい。一つは先ほど言った、国籍選択の仕組みを変えていくこと、二つ目には、公立学校をより開かれた空間にしていくこと、三点目は、昨年、アメラジアン子どもサミットを関西で行い、韓国と沖縄のアメラジアン、そして日本のマイノリティの子どもたちが参加したが、今後さまざまなマイノリティの子どもたちが出会え、支えられるネットワークをより広げて作っていきたい。
(秋辺)ここに一枚のポスターがある。「アイヌ民族の誇りが尊重される社会を」という標語がある。これはアイヌにとって歴史的なポスターだ。一九九七年にアイヌ文化振興法というアイヌにとって、役に立つ法律がやっとひとつできた。日本政府が作ったアイヌに関する初めてのポスターだ。「アイヌ民族の誇りが尊重される社会を」という標語だから、逆にいえば、これまでアイヌ民族の誇りは尊重されていないことを証明しているものだ。
アイヌは日本人の言うところの未開人なのか、土人なのか、そもそも土人とは一体何なのか。先ほどから、民族という言葉が話題になっているが、日本語の中で最もあいまいな言葉の一つが民族だ。日本社会では民族、人種、種族、部族とか、勝手にいろいろ使い分けている。その上で、日本人は自分たちのことを日本民族とか、日本種族とか、日本部族とか言わない。それはすべて外に対して言う。民族学会などでも、民族、人種、種族、部族を定義できていない。それぐらいあいまいな言葉だ。アイヌ語には民族という言葉はないから、アイヌという自称で十分だ。
私の住む釧路は、鳥取県の士族開拓団と九州からの漁民開拓団と二つの大きな開拓団が入ってきた。ことあるごとに、彼らは「俺は士族の出だから」と威張る。私は「それがどうした」と言う。私に言わせれば、それは首狩り族だから。そう言うと日本人はビックリする。戦争をして首を狩ってぶら下げたのが首狩り族だ。日本人は典型的な首狩り族ではないか。そうした日本社会にあって、アイヌというアイデンティティを見つめ直したい。
私は成人して、アイヌは何を食べてきたのか、何を着てきたのか、などをいろいろ吸収し、日本人と比較した。そうすると、アイヌは日本人と比べて劣っていない、むしろはるかに人間くさい。はるかに豊かだと思う。私はアイヌ文化を自分のアイデンティティとして、とても大切なものだと知った。民族教育権とは、自分が拠って立つところの文化とは何かを取り戻すことだと思う。先ほどのブラジルでの沖縄出身の方の話があったが、そのバックボーンに、支配者意識、身分社会意識、階級社会意識の残像がいまだにある。それも、無意識で、ごくあたり前の意識として持っている。日本の学校教育の中で、それらを是正するような教育をしているか。していない。逆に、日の丸を強要するような封建社会に戻るような教育をしている。
私たちアイヌにとっては、日本国憲法も日本国籍も押し付けだ。だから日本国籍もいらないと思っている。返上したい。アイヌはアイヌの国籍を持ってもいいと思っている。だから、高度な自治を欲しいと言うことを先般、参議院憲法調査会でも言った。選挙権に関しても、アイヌは二桁以下しか人口がいない。アイヌは北海道一七〇万人のうち五万人だ。国会議員どころか、市会議員も町会議員もだせない。アイヌにはアイヌの各級議員の一定枠を下さいと言っている。
「日本人になりなさい。なりなさい」と言われ、一族郎党みんな日本人になりきろうと「頑張って」きた。しかし、なっても、後ろ指を指され、逃げ切れることもできない。県人会と言う恐ろしい組織がある。「どこの出身」「広島県のどこの町」と被差別部落出身者まで洗い出すのだから。日本人のそうしたところが日本社会の根底にいまだにくすぶっていることが、教育を根本的に変えない要因になっている。
文化に高い低いはない。異なっていてあたり前だ。それぞれの地域社会の文化が、それぞれの自然環境などの中で育まれる。封建社会も歴史的にはあたり前で、それは否定するだけでなく、見直す努力を日本社会はしていないと言うことだ。そうした日本社会に、アイヌは組みこまれたくない。
マイノリティ同士の連携は大事だ。ただ、人間と人間との関係の連携は、そろそろ卒業したほうがいい。これからの時代は人間と人間との関係にプラスして自然界との関係を考えていかなければならない。ブラジルのこともアメリカのことも即座に分かる時代だ。しかし、こうした人間社会の急速な発展は、公害や環境破壊などさまざまな不利益も生み出し、これを放置すれば人類は危うくなる。自然界に人間がどう関わるかというテーマを人間と人間との関係に加えて考えていくことが、二一世紀の人類にとって不可欠だ。きちんとネットワークをもって、さまざまな情報を交換し、意見をたたかわせ、なにかを探り出していく作業をぜひ行っていければと思う。
(榎井)いくつか感じたことについて、まとめに変えたい。李さんが言われていたが、日本社会は民族的マイノリティが必要とする「水飲み場」ともいえるものを作ってこなかった。日本の社会か作ってきた差別や排外をもっと鋭く見ていく必要もあるのではという指摘でした。
豊住さんからは、私も印象的でしたが、日本社会が病理的であると。マイノリティがすべて背負わされていると。暴力を受けたり、スクールセクハラを受けている子どもに対して「言える力を持ちましょう」と。そうではないはずだ。マイノリティがすべてを背負い、その問題を解決していこうとしている日本社会自体の病理を鋭く私たちが気づいていかないといけないと思った。葉さんが、小中学校で母語が保障されないと言われたが、やはり今後の日本社会をつくるうえで、そのことがどのような変化や影響をを生み出すのかについて、しっかり考えていくことが必要だと感じた。
野入さんの発言は、国籍も違う、国もない、子どもたちがいる中で、何がそれを作り、放置させてきたのか、について考えさせられた。日本人とは何かということについては、秋辺さんからも鋭く提起されていた。民族、国籍などの言葉自体は、すべて明治以降作られてきたものだが、五人の方の発言を聞いて、私たちは、あたり前と思っていた国民国家が現状として破綻していると思わざるをえないのではないか。そのなかで、日本が今後どういうスローガンを掲げて子どもを教育しようとしているのかについて、もう一度考えていかなければならない。日本人が日本人教育の中で、日本人にならされていくことへの鋭い批判だ。
最後に、教育権そのものについて考えて行ければと思う。教育権とは一つは、受ける権利だ。教育を受ける権利がどれほど保障されているのか。もう一つは、選ぶ権利だ。どれだけ教育を選べる権利を保障していけるのか。最後は、創る権利だ。この座談会は、大阪の地で長くこうした取り組みを行い、発信してきた私たちが、地域を含め新しい教育の場を創っていくうえでの非常に大きな契機になったと思う。
173号表紙へ
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