2003年度第1回シンポジウム    2003.6.30 大阪市中央青年センター

        「在日朝鮮人少数在籍地域で

         学校をつなぐ民族交流会」

 

 大阪市立我孫子南(あびこみなみ)中学校
藤原宣教  

 大阪市住吉区南部の少数在籍地域で奮闘する新しい仲間の様子をもとに、民族学級の今日の意義について話し合いました。会場には、かつて地域の解放教育運動の中で、共に民族学級の設立に関わった多くの人たちが集いました。その中には現在も大阪市内各地の、例えば生野区の朝鮮人多住地域で、あるいは中央区や西区の新たな渡日外国人生徒の多い地域で、それぞれの教育課題に立ち向かっている教職員の皆さんがいます。共通の問題意識で議論をたたかわせ、話しはその後の懇親会まで熱く続きました。

 このシンポジウムについて、藤原さんの報告と、司会栗田珠美(我孫子中学校)さんの問題提起を掲載します。

 ポイントの一つは、国籍など多様化する民族学級の新しい意義、もう一つは、9/17以降の「排外」状況の中での意義、最後に、保護者の側でも教職員の側でも世代を越えて受け継がれる民族学級と交流会の意義について、です。また特に、校内での発表会や地域交流会については、学校週五日制と新教育課程実施に伴う学校行事の精選見直しや教職員の勤務との関係もあり、いつどういう形で継続発展させるかも課題となっています。

 この夏も各地の学校や地域で多くの行事が取り組まれました。その中から、南大阪・北大阪それぞれの報告を、後に掲載します。会員の皆さんが、それぞれの学校、地域と重ね合わせながら熟読いただき、また、ご自分の現場の様子や問題点を本誌へ寄せていただきますようお願いします。(文責・編集委員会)

 

(はじめに)

 軽い気持で報告を引き受けましたが、まわりの人から、若いのにやるねえとか、大変やねえとか色々言われて、私は一体何を引き受けてしまったのかと思いました。

 

(1)私と在日朝鮮人の出会い

 最初に自分自身の個人的なことからお話ししますが、私が初めて在日朝鮮人に出会ったとはっきり自覚しているのは、高校の時の先生です。高校でESSという英会話クラブに入っていたのですけれど、その顧問の先生が、リ・チョルス(李哲秀)先生でした。もちろん、英会話や英語のことをたくさん習うのですけれども、この先生からは英会話以外のこともたくさん教えていただきました。「在日」の生き方とか、考え方とか、先生が桃山学院高校の在日朝鮮人の生徒とどういう関わりを持っていて、その生徒たちがどういうことを考えているのかというようなことも、よく聞かせていただきました。

 それまでも全く知らなかったわけではないのですが、その時に、初めて生にその存在に触れて、何か視界が開けたような気がします。大学時代にも、友人で「在日」の子と会い、その子とも色々話をする中で自分の中の「在日」観が作られていきました。

 もう一つ大きいのは、大学時代に、アメリカ人の先生に出会いまして、その先生がNGOをサポートする活動をしておられたのです。東チモールであるとか、ニュージーランドのマオリだとかアメリカのネイティブアメリカンの問題とか、すごく熱心に取り組んでおられる先生で、私自身が日本ではマイノリティーのクリスチャンなものですから、そうしたマイノリティーの問題を通してその先生から刺激を受けて、私もそうしたマイノリティーの人々に何かサポートできること、力になれることはないだろうかと考えるようになりました。

 教師になりまして、何の導きか、天の巡り合わせか、2年目から外担をまかされております。その頃に、中学時代の友達と色々話する機会がありまして、ある時いっしょにごはんを食べておったんですけれども、その時に、「おれたちの中学時代にも、知らんかったっただけで、絶対在日の子がおったはずや」と話したところ、突然、一番仲のよかった友だちの一人が「おれ、在日やで」と言ったんです。私はびっくりしまして、「なぜそんなん、言うてくれへんかったんや」と聞きましたら、「別に隠していたつもりはないけれども、言う機会も特になかったので言わへんかった」ということでした。外国人登録証を持っているんかと聞いて、見せてもらいましたが、身近なところにある問題やのに中学生の時には気づきもしなかったと、あらためて思い知らされた次第です。

 

(2)我孫子南に赴任して

 教師になって我孫子南中学校に赴任して、一年目の頃は、今から思えば正直何も分かっていなかったなと思うんです。授業だけで精一杯でした。民族学級も、あることは知っていたのですが、何か特別なもののように感じていて、敷居が高くてその活動を日常的に見に行くということもありませんでした。一番身近に見たのは、当時やっていました文化祭で、我孫南(あびなん)フェスタの舞台発表の練習をしているのをちょっとのぞいてみたり、発表を見て、プンムルをやっていましたが、がんばっているんだなと思ったくらいです。

 二年目から「外担」(在日外国人教育担当)になりまして、その独特なところに自分で踏み込んでやっていくことになりました。最初、結集生徒は三名だけで、中三の女の子が二人、その弟の中一の子が一人でした。

 我孫子南中学校の状況をお話しますが、少数在籍の学校です。今年の資料ですけれども、全校生徒が438名、それに対して韓国・朝鮮籍の子どもが6名、割合にしますと、1.369%です。色々なつながりのある子を含めるとさらに18名おりまして、それでも 5.5%にしかなりません。外担をした最初の年が3名、次の年が6名になりまして、今年度は三年目ですが、5名と見学が2名、5から7名ということでやっています。

 外担をやり始めますと、従来とはまた違った角度でものごとが見えてきまして、最初の一年目には正直言ってこの仕事には大きな壁があるなと思いました。教師と生徒との間にも壁がある、「在日」の生徒と日本人教師の間の壁。「おいでや」と声を掛けても来てくれなかったり、「いやや」と言う、そういう子どもとの壁がある。また、親との壁も感じることがありました。また、もう一つ、他の先生方との間にも、壁というか、温度差があるなということを感じさせられました。

 この二年目の6人ですが、その中に、中学三年生から結集するようになった生徒がいたのです。実は一年生の時に、この子はつながりがあるんやということを言ってきてわかったのですけれども、一・二年の間は民族学級に来ることはありませんでした。三年になって、私の担任のクラスになりまして、「民族学級行かなあかんやろ」という話をしていましたら、本人も三年生になったら行ってみようかなと思っていたと言うのです。それは、一・二年生の時からのさまざまな声かけや活動があって、そう思っていた。それで、「行く」と言ってすっと来ました。生徒会長もやるようなしっかりした子でしたので、それからは活動の中心となって盛り上げてくれました。

 6人いるうちで、韓国・朝鮮籍の子は二人だけ、あとの四人は日本籍の子です。また、この我孫子南中学校には二つの小学校から上がってくるのですけれども、苅田南小学校には民族学級がありません。そこ上がってくる子どもたちの中からは、民族学級に行ってみたいというキラキラした目を感じます。一方、民族学級のある依羅(よさみ)小学校から来る子どもたちは、六年間やってきて、ちょっと飽きた感じがあります。決して批判するわけじゃありませんけれども(会場爆笑)。それで、「中学校ではもうええわ」という感じで来ない子どもも多いのです。実際、活動していても、苅田南小学校からの子どもは、見るもの聞くもの何もかもみな新しいので、ユンノリを取り出しても「わあ」という具合で、私も一緒にキャアキャア言って活動しています。

 発表会の準備をしていくこともありましたが、依羅小学校からの子は何をやらしてもできる、うまいんですね。楽器やらしてもばっちりたたけるんですけれども、苅田南小学校の子はチャンゴの使い方から、そのひもを締めるところから教えなあかんとか、バチの持ち方から教えなあかんとか、右左逆やないかとかそういうところからやります。楽しくやれる反面、課題やなあと思うこともありました。

  今年も、今のところはさして盛り上がることもなく、淡々と活動が進んでいます。行きたいという気持のある一年生が二人見学に来ているので、これから料理会などをして、二学期の活動につなげていきたいと思っています。

 

(3)我孫子地区の取り組み

 我孫子地区には中学校が三つ、小学校が五つあります。地区で活動するときにはこの八校で動くんですけれども、このうち民族学級があるのは三校だけなんですね。我孫子中学校と我孫子南中学校、それに依羅小学校の三校だけなんです。主な行事として、春の歓送迎会、大阪市の南の大和川沿いにあるんですけれど、その大和川の河川敷でバーベキュー、焼き肉をします。ふだんは民族学級に来ない子も、この時は焼き肉があるというので来ます。子どもが30人くらい、大人が教職員と保護者で50人くらいの催しになります。南大阪民族交流会は、我孫子地区だけではなくて、住吉区、住之江区、西成区から集まります。去年は我孫子南が会場になりまして、500人くらいが参加する大きな交流会になりました。夏には合宿をします。秋になると、八校の民族の子どもたちが集まるヤユウフェ(野遊会)が10月にあります。2月ごろに民族交流会、これは教職員と保護者の交流の場です。参加者は50人くらいです。

 

(4)2002年度秋の出来事

 9月17日に小泉首相が朝鮮民主主義人民共和国を訪問しまして、日本人の拉致問題が大きく取り上げられました。それに続いて、日本の中でも朝鮮人学校にいやがらせがあったり、学生に石が投げられたりということがあったわけです。そうした中で、9月24日に緊急の親の会を開きました。それは、10月に予定されているヤユウフェ(野遊会)について、今この時期にするのはどうだろうか、色々な危険性をはらむのではないか、だから延期してほしいという親からの願いが出てきたからです。

 教師の側としましては、こういう時だからこそ、活動を後退させればどんどん後ろ向きになって、問題がもっと大きくなればますます引っ込んでしまうと考えて、ぜひ実施しようということで教職員と民族講師とで話をしていました。親の会での話し合いは結局平行線で終わり、親の会に押し切られる形で、ヤユウフェは延期が決まりました。非常に歯がゆいというか、悔しい思いをしたというのが実状です。

 こういう時にこそ、せなあかんと、私自身も思っていたわけですが、まあ、子を思う親の気持ちはそれにまさるなあとか、色々考えさせられました。

 我孫子地区八校合同の活動については、こうして延期になりましたが、各校それぞれの取り組みについては、各校で考えて実施しようというのがその時の結論でした。早速我孫子南中学で民族学級の活動の際にその話をしたわけです。実は、この年から新教育課程が始まっていまして、我孫子南では文化祭がなくなっていたのです。例年その文化祭の舞台発表の中で、10分、20分をもらって民族学級の発表とアピールをやっていたのですが、それがなくなってしまいました。それで、新しく、「民族学級発表会」というのをやってほしいということで、学校の中でで決めてもらいました。そこで、この民族学級発表会をやるかやらないかをめぐって議論になりました。

 これが大きな問題になったのです。教職員やソンセンニム(民族講師)の考えとしては、大人が「やれ」と言ってやるのではなく、子どもたちが「やる」という結論を出すのを待ちましょう、という話し合いをして、それをもとに子どもたちに話をしました。

 6名の生徒がいましたが、実際その6名の親の意見も色々なのです。「やめといたほうがいい」という考え、「今はあかん」という考え、「今やからこそやらなあかん」という考え、一番典型的には、一つの家庭で父母の意見が違うということもありました。アボヂは「やれ」と言いオモニは「やめとけ」と言って、「どうしたらいいかわかれへん」と言う子もいました。担任の先生が「どうする」と聞いても、「ビミョー」としか言わないのです。それでも、その子が民族学級に来ると、実はこうふうに思うてんねん、と話します。それを見ていて、本当に民族学級というのは貴重なところやなあと思います。そこにソンセンニムがいるから、そこに仲間がいるからというだけで、ふだんは「ビミョー」としか言わない内心の深いところを話してくれるのだなあと思い知らされました。

  三週間にわたって話し合い、議論をしたわけですけれども、実際子どもたちの中にも気持の揺れが大きくありまして、一週目は「そんなん言うのやったら、やめとこうか」という感じでした。そのままだったら「やめときましょう」となりそうでした。そこで、「もう一度しっかり考えておいで」と言いました。両親で意見の違うところは、「何でアボヂがやれと言うているのか」、その辺をもう一回よく考えて来週もう一度集まろうかと話し合いました。次に集まった時には、半分の子は「やろう」と言い、もう半分の子は「親が反対しているのにやるわけにはいかない」ということでした。それで、「来週もう一回考えよう」ということで、三週目に話し合いした時に、子どもたち自身が「色々不安はあるけれども、やっぱりこれはやらなあかんで」と言い、そういう結論を出しましたので、こちらもまたほっとした反面、何かあったら大変だと腹をくくることになりました。

 結果を言うと、それは確かに下手くそは下手くそだった。サムルノリをやったのですけれども、練習の時から本番もバラバラで、やっと最後の方でそろったくらいで、うまくはなかったのですけれども、私自身は大変感動を覚えました。そのことについては、あとでお話しします。

 こうして各学校でそれぞれ民族行事を検討することになって、我孫子南では「民族学級発表会」をやるという方向になりましたが、やっぱりできない、やめとこうという結論になった学校もありました。

 

(5)2002年度冬の民族交流会

 冬、2月に民族交流会がありました。それは、各学校でどのような取り組みがあるかを保護者や他校の教師にも知ってもらおうということなんです。そこで四つの学校が発表しました。民族学級のある三校と民族学級のない苅田南小学校です。

 苅田南小学校からは、資料にもあるように、総合の時間に民族の踊りを披露する児童にスポットをあてた発表がありました。オモニの指導を受けてチマチョゴリを着て舞う姿が感動的で、私も見とれてしまうようなすごい踊りやったんですね。民族学級がない学校でもここまでやれているんだなあということを思わされて、確かに少数地域ではあるけれども取り組みはだんだんと浸透していっているんではないかと思いました。

 我孫子中学校の発表は、VTRを使った「民族学級の一年」というものでした。また、依羅小学校からは、その年一年間でどんなことを勉強しているかを発表しました。我孫子南中学校からは、先ほどの子どもたちが本当に悩んだ姿というのを、私から話しました。その時の資料として、民族学級発表会の時に子どもたちが書いたものと、教師が事前指導用に用意したものがあります。子どもたちの書いたものを読みたいと思います。

 

                          *

 

  民族学級発表会に向けて―

 「この日本には韓国朝鮮にルーツを持つ人たちがたくさんいます。そして、今、特に、日本と北朝鮮の関係が悪くなっていて、以前、「ヒューマンライツインフォメーション」でも紹介した通り、日本で暮らす在日韓国朝鮮人に対してさまざまな攻撃があります。ともすると私たちはそのようなニュースを見ても自分とは無関係のことがらであるように考え、見過ごしてしまいがちですが、実は、この在日韓国・朝鮮人の問題は私たちのごく身近な問題であることを知ってほしいのです。

 この我孫子南中学校には、韓国朝鮮にルーツを持つ仲間が集まって、自分たちの祖国の事を学ぶ民族学級があります。例年は我孫南フェスタ舞台発表の部で韓国・朝鮮文化に関する事を発表していましたが、今年から舞台発表の部がなくなったので、今回このような機会を学校として持つことになりました。しかし、やろうと決めたあとも、在日韓国・朝鮮人に対する嫌がらせがあったので、集まっている仲間の中にも、「今はやめておいた方がいいのでは…?」という意見の人、「こんな時だからこそ結束を固め、我孫子南にも在日がいる事、そして僕たちが嫌がらせにあうのでは…と不安な気持ちで生活している事を知ってもらおう。」という意見の人、いろいろあり、気持の揺れがありました。

 そして毎週のように論議を重ねた結果、「やろう!」ということでみんなの気持ちが一つになり、この発表会に向けて練習を続けてきました。そして、その成果を全校生徒に見てもらい、この発表会をみんなが在日韓国朝鮮人の気持ちをよりよく理解し、お互いの違いを認め合っていく機会にしたいと思います。」

 「今、日本と朝鮮との間では、とても大きな問題が起こっています。そのことを考え、私たちも悩みました。しかし私たちは在日韓国朝鮮人として発表すると決意しました。」

 

                            *

 

 実はこの最後の文章を書いた子は、日本国籍なのです。日本籍の子が、「韓国朝鮮人として発表する」と書いたところに、私は意義があるなあということを感じました。

 この発表会のサムルノリは、先ほど言ったように、さほどうまいものではありませんでした。しかし、その中で三年生からのアピールをした時に、原稿も見ずにしっかりアピールをしたのです。その内容は、最初私と一緒に用意した原稿もあったのですけれども、全校生徒を前にしてその場でアドリブを入れまして、堂々と自分の言葉で、自分の気持ち、思いを伝えたわけです。

 まず自分のことから話し始めました。最初いろんな先生から「行け、行け」と言われたけれども自分は関心がなかった。三年になって、もうまたとないチャンスやからということで、決心したと言いました。

 私は舞台の袖で見ていて、自分のことを話してみたらとは言っていましたが本当に言うとは思っていなかったので、「おお」と、びっくりしました。

 その後は、原稿にあったこと中心に自分で付け足しながら自分の言葉で話したのです。実際自分たちは悩んだ、このような明るい発表をすることはある意味「不謹慎」ではないのかという意見もあったし、発表会の舞台に立つことで、自分たちが嫌がらせにあうのではないかという不安もあった。この舞台に出ている六人のメンバーの親の中にも止めといたほうがええんちゃうという意見の親もあった。僕らは本当に悩みました。だけど僕たち個人個人自分の体の中にその血が流れていることは事実なんだから、一個人として、在日朝鮮人として、この発表をすることを決意したんだということを言ったのです。

 私も見ていて、しっかりやるわあと涙が浮かんできました。反対側の舞台の袖を見たら、民族講師のソンセンニムも目がくしゃくしゃになっていました。この発表会までには色々あったけれども、本当にやってよかったなあと思いました。

 職員室に帰って来たら、他の先生から、民族学級の発表に感動しました、民族学級を見る見方が変わりました、と言われました。どんな見方をしてたんや、という気持も半分ありましたが、他の教師や民族講師がどんなに言っても難しいのに、子どもがひとこと言ったら簡単に状況が変わることがあるのだということを思いました。その点でも、やってよかったと思いました。

 実際、子どもたちにも「見てどうでしたか」というアンケートをとりましたが、そこにきついことが書かれていたらどうしようと思いながら見てみると、内容は、特に前に出て発表していた六人の子のクラスではしっかり書いてくれていて、「我孫子南にはそんな嫌がらせする子は一人もおれへんよ」とか「ほんまに感動しました、よくがんばってくれた」と書いていて、そんなアンケートを見ながら、また別の感動を覚えました。

 

(6)最後に

 実際はしんどいことも多いです。子どもとも、親とも、他の先生とも、大人との関係でも、疲れるなあと思うことも正直なところですけれども、やっぱりこういう子どもの姿を見たり、子どもの発表を見ると、その力をもらってできていく部分が多いと思います。

 子どもに力をもらいながら、元気をもらいながら、また、自分の方からも少しでも力になりサポートできることをやっていきたいと思います。

  

 栗田珠美「世代を越える民族学級」(討論のはじめに)に続く。 

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