民族教育フォーラム2004を終えて

(8.19・20、アピオ大阪・エルおおさか、ほか)

はじめに

 行事後、ホームページ(http://kangaerukai.net)にいち早く様子が載りましたので、ご覧になっていただいた方も多いでしょう。現在、主催団体の民族教育ネットワークで総括が進められ、来年度へ向けての取り組みが始まっています。また、詳細な報告書も作成される予定だと聞いています。
 民族教育ネットワークは個人参加組織です。ここでは会員、読者の参考にと、全朝教大阪(考える会)運営委員会での議論を踏まえてまとめました。分科会の記録には当日の記録担当者の名前がありますが、ここではそのみなさんの記録を参考にして、別途整理して載せたことをご了承下さい。(編集委員会)

(1)成果と展望・反省と課題

 今回の新しい行事の目的は、民族教育権、民族学級運動を、全国の普遍的な教育課題として確立、発信させたいということ、また、新しく渡日した外国人や国内の諸民族、国際結婚による国際的な立場など、従来の在日朝鮮人の民族教育に関わる課題を越えた問題を明確に共通の土俵に乗せて、新しい教育運動への土台を作ることでした。
 そうした教育運動によってこそ、私たちの学校現場での教育実践を守り、困難を乗り越えて発展させることができるでしょうし、また、昨今の反動状況の中で、学校の中からこの民族教育権と民族学級の確立、言いかえれば「平和と人権」を目の前で実現する教育をすすめることによって、私たちの当初の目標であった教育における朝鮮植民地支配の清算、本名を呼び名のる学校、多民族・多文化共生の日本社会と東アジアの平和という未来を展望することができるのではないでしょうか。
 参加者の広がり、議論の内容、事後の報道を通じて、こうした目的への第一歩を進めることができたのではないかと思います。
 準備過程を振り返ってみると、6月下旬から参加券配布という、決定的遅れのあったことが指摘できます。それに象徴されるように、第一回目の行事として途中さまざまな困難がありました。しかし、それにもかかわらず、参加状況は予想を越え、大阪市内の総力結集の他、府下各地、兵庫等の関西圏、さらに関東から九州まで多くの仲間が期待を持って駆けつけてくださいました。
 民族教育ネット事務局を構成する各個人が大きな行事に取り組む際、それぞれ自分独自のネットワークや各自の所属する団体を通しての関わりを持つと、それが相乗効果を生んで、このようによい方向に向かう時もありますが、一方で民族教育ネットワークとしての統一された活動になりにくいこともあります。この点で、寄り合い所帯のむつかしさから、分科会の持ち方、資料集、シンポジウムの内容等、報告者やシンポジウム参加者をはじめ協力いただいたみなさんに多大な迷惑や失礼をかけました。主催団体として、民族教育ネットワークの、事務局をはじめとした組織整備が今後必要になると思います。また、行事を成功させるための母体として別の形(実行委員会など)を考える必要があるかも知れません。
 今回のような二日間の行事をどう設定するかは、むつかしい問題です。学校の教職員と、民族の当事者をふくむ市民・NGO関係者を広く対象とするこうした行事が、どのような形で発展できるのかを冷静に検討しなければなりません。今回も試行されましたが、ワークショップのような参加型形式を取り入れるなど、行事の中身もさらに工夫が必要です。また、そもそも「民族教育」という言葉を私たちがあえて使っていることについて、行政側からだけではなく、まだまだ抵抗感をもたれる場合もあります。「人権教育」「多文化教育」「国際理解教育」すべてそれぞれ大切です。私たちは、そのそれぞれを本当に実現するためにこそ、「民族教育」のために努力しようと決心しているのです。
 しかし、反面、日本人教職員やさまざまな教育関係者、市民が、在日外国人の「民族教育」という課題をを軸にして民族当事者と力を合わせて協働するこうした行事の新しさは、その内容の先進性とともに、大きな魅力に富むものです。今後多くの人々と手を携え、こうした行事を通して民族教育の前進と民族学級運動の拡大、それによる多民族・多文化共生教育の確立を目指したいと思います。

(2)民族教育フォーラム2004分科会 (8月21日)記録から

第一分科会 (記録 辰野仁美)
 大阪市立生野中学校、池田市立呉服小学校、それに兵庫の神戸市立蓮池小学校に設置された民族学級オリニソダンの神戸在日韓国・朝鮮人児童生徒保護者の会から報告があった。生野中(若江真治・岡本和也・金仁淑さん)は、民族講師がはじめて行って疑問だらけの多数在籍校の現実の中から、日本人朝鮮人生徒たちと入り混じり日本人教職員がともに協力して再建していった韓・朝文研の報告。池田(大上一枝さん)からは、教員の差別事件をきっかけに保護者・教職員・組合が一丸となってついに作り上げた「国際理解教室」の毎週定例化を推し進める中での行政の厚い壁。大阪教組教研から日教組教研へさまざまな場でヒントを得つつ日本人教職員が中心になって前進しようとする時にたち現れる困難さの現状が報告された。
 一方、神戸(金シニョンさん)からは、十年にわたる保護者会のねばり強い活動で教職員とのきずなを作り出し、小学校の中で民族学級を実現させたその苦心と、努力を重ねた根本の論理が報告された。「多文化共生教育」の表面的な風潮の中で「在日」教育・民族教育を求める論理が明らかにされた。
 朝鮮人保護者が民族学級を望んでも、えてして学校の教職員や地元日本人社会の理解を得られにくい状況は、大阪市内多住地域でさえよく見られる。今は「民族クラブ指導者派遣事業」として(東大阪市や摂津市などでもそれぞれの形態で)作られた形をどう発展させていくことができるか、また、神戸市や池田市で、どのような制度化を展望することができるのか、議論はまだこれからの段階。
何もないところから、何を手がかりにどのようにして、学校の中に民族教育を導入し民族学級を立ち上げるのか、それぞれの経験が今後各地で生かされていくことを願うにしても、また、それぞれの地域での十年、二十年にわたってなされた朝鮮人、日本人の多くの人々のさまざまな努力が、その後になってやっと実るとしたら、もうどこでもそんな努力を一から繰り返すのでは、遅すぎるのではないかという感じもする。どうすればこれを加速し普遍化することができるのか、それが課題ではないだろうか。

第二分科会(記録 李月順)
 兵庫から、1995年大震災後7月26日に7校で結成された兵庫県外国人学校協議会(朴成必さん)の報告があった。その運動の結果、外国人学校への行政の対応は補助金から助成金扱いに(1人あたり私学の4分の1の規模に)なっている。各学校の連携については日程調整の難しさと言葉の難しさとがある。協議会としても、日本の学校との交流を図っている
 チョソンハッキョを楽しく支える生野の会(長崎由美子さん)からは、在日朝鮮人の多住地域であっても、日本人と朝鮮人との出会いの機会がない(偏見の継承の結果)ために、朝鮮学校を支える日本人の活動はこれまで少なかった。現在は全国連絡会を結成して運動の拡大をめざしている、という報告があった。
 外国人学校の生徒の国籍、日本の学校との交流の現状について、また、「支える会」構成員の内訳について質問が出た。
 討論では、行政が対応しやすい枠作りの重要性、従って「協議会」は有効であり大切であることが強調された。教職員だけでなく地域の日本人がもっと関わっていくことが必要であり、日本人側の立ち上がりがなければ民族学校がおかれている現状を変えていくことは難しく、その意味で日本人の意識変革と行動が重要である。
 まとめとして、日本と朝鮮との歴史が正しく継承されているか点検する必要があること、また、多民族・多文化共生教育を社会で取り組む具体的な事例の一つとして、民族学校の問題を設定しなければならないことが確認された。

第三分科会(記録 栗田珠美)
 討論の柱として、@民族学級・地域のつどいと学校をどうつなげるか、A教育課程内で多民族・多文化共生教育をどのように位置づけるか、B本名を呼び名のる関係をどう育むか、の三つが設定され、御幸森小学校(吉野直子さん)から、1年時よりクラスで全員本名を呼び、2年間の中で本名を呼び合う数が増えたこと、北巽小学校(宮木謙吉・金ハオさん)から「ハングルに親しもう」というTT授業をもとに、単に言葉だけではなく、地域をまわって教材にする活動のようすが報告された。豊中市第一中学校(村本典子・辰巳かおるさん)からは、ハギハッキョから総合学習へ実践が受け継がれ、2時間10回の活動の後、11回目の発表会で本名宣言がなされる過程が報告された。担任と教科指導担当の二人三脚で本名にこだわる実践の様子が感動的だった。
 質問の中で総合の時間の配分について、小2では生活科3時間、小3から総合学習で設定していると回答があった。討論では、大阪で最も初期に開始された豊中ハギハッキョの持つ大きな意義とともに、民族学級がハギハッキョの時だけでなく、日常的につながれたらよいのだがという意見、本名の生徒が高校に入って野球部でがんばっているようす、5年前からの朝文研活動が紹介された。九州からの参加者が、報告内容を九州へ帰って報告したい、来年は若い先生と一緒に来たいと発言され、九州から修学旅行で京都の耳塚に来たことも報告された。また、中学校の国語科でユンドンジュの詩を教材にして朝鮮を教える様子も話された。

第四分科会(記録 郭政義)
 討論の柱として@本名で生きる意義をつかむ、A本名使用を妨げているものを明らかにする、が立てられ、報告では、保護者(高用哲さん)から、通名を抹消(四年前)した経過、保護者会活動を通して民族教育を受け、保護者会は大人の民族学級の役割を果たしていること、子どもの本名使用の前提に自身の本名原則が必要(免許証、外登証、墓)だということ、本名を使って新しく見えるものがり、楽しく過ごせる喜びが語られ、通名は差別を避ける手段ではないか、という話がされた。
 府外教事務局(安野勝美さん)からは、新渡日者に対する通名への圧力が強いこと、特に日本で出生した子どもの日本名使用が一般化しており、新渡日者の通名使用はより深刻な問題ではないか、との指摘があった。
 質問では、高校入学時に外国人登録済み証明書を求めるのは個人情報保護法に触れるのではという問いかけがあり、また、朝鮮人生徒と新渡日生徒に対する本名問題には違いがあるのではという疑問も提示された。
 討論では、学校での本名問題は、プライバシーよりも、人権の問題ではないか。必ず本名原則が必要ではないのか。新渡日者だけではなく、ダブルの子どもの名前も課題だ。アイデンティティ、国籍と名前の関係をもっと明確に整理しなければならない、などの議論がおこなわれた。
 まとめでは、本名がアイデンティティ確立に不可欠であること、プライバシーと本名の関係性の議論をより精密におこなう必要性、新渡日生徒と朝鮮人生徒の本名使用の実践的積み上げの必要性が指摘された。

第五分科会(記録 高純子・在日コリアン青年連合KEY)
 日本に在住する様々な国籍の人の立場から見た課題や展望について、を討論の柱に、報告がおこなわれた。
 トーマス・ナカムラさん。もう半分を日本で過ごしたことになる。ブラジルと日本の文化、学校制度の違い(日本では学校は朝から夕方まで、ブラジルでは朝昼夜と三部に分かれている)は慣れるのに大変。就職の悩みが深刻で、ブラジルでの中途半端な学歴、言語も不十分なので、天理大でポルトガル語を専攻している。就職活動でも、国籍のせいで、最終面接で落とされる。外見だけの会社の判断の矛盾を感じる。もっと視野を広げるべきではないか。卒業後の進路の不安とあきらめの心境だ。
 権基哲(クォン・ギチョル)さん。総連系の民族学校を出て、現在留学同で活動している。拉致問題にも自分なりの意見がある。在日コリアンとしての意識、実感はわきにくい。小学校まで日本人との交流はほとんどなく、日本人の友人はいなかった。朝鮮学校10年間で結果的に在日としての知識は薄い。日本学校の子は、名前についても自分にはなかった葛藤がある分、自ら学ぼうという姿勢がある。学べば学ぶほど、なぜこうなったんだという矛盾を感じる。無年金問題についてなど周りの人たちに自分から在日について知らせていきたい。
 藤岡勲さん。小学校時代、名前が違うという認識を持って、皆と違うことがいやだった。藤岡という名前になって、皆と同じになれると思って、とてもうれしかった。日本人になりたい、自分は日本人だ、と思い込んでいた。外国人と言われると悩んでしまう。学校にも行きたくなくなり、父に八つ当たりした。悩みから離れたいということもあり、マリストブラザーズ・インターナショナルスクールへ入った。アイルランドに初めて行っても、自分のルーツという意識はなく、アイデンティティにも変化はなかった。中学でいじめにあったが、担任の先生が協力してくれた。まだ「外人」と言われるが、それほど気にはならなくなった。父母の名前の英語発音がなかなかできないので申し訳なさを感じる。今では父を通じてアイルランドのことを知ろうという気持も生まれてきた。オモニハッキョでそこの人の役に立てたらと思う。ハーフとしてのメリットも生かしていけたらいいのだが。
 金希玲(キム・ヒリョン)さん。生野民族文化祭と母との関わりを見て、自分も刺激された。建国に通って、名前、自分のこと、在日としての違和感がなかったことが一番良かった。在日として当たり前に過ごしてこれた。反面、深く考えることもなかった。中学になって、自分からの姿勢に変化。民族文化祭も、連れられて行くのとは違い、主体的に参加するようになって、すごい感動を覚えた。人との出会い、文化を感じることが大きな意味を持つ。大学の在日韓国人学生協議会で、第二の転機があった。マイナスイメージが伴う在日についての本ではなく、もっと違う新しい面に出会った。ホームページを通して、在日としての自分をプラスとして受けとめれる人が想像以上に増えだした。育った環境や背景が違っても、さまざまな在日と交流する中で共感できる部分はこんなにあると実感する。在日一世や二世の、次世代につなげようという努力と思いがあったからこそ、私たちは存在している。在日だから見えてくること、在日としての希望を見て、生きたい。
 質問の時間には、それぞれの民族が持つメリットがテーマになった。ナカムラさん。ブラジル人でよかったところは、大学一年でポルトガル語がそこそこできるところ。権さん。ハングル、朝鮮語が話せるというメリットがある。藤岡さん。何人(なにじん)と聞かれても何ともない。ルーツのアイルランドは親の関わり。金さん。在日と関わることそのことが自分にとっての中心。
 討論で出た要点は次の通り。ブラジルは多民族・多人種で差別は目立たないが日本に来て差別を感じる。親からは「偏見を持つな」と言われて育ってきた、という点、朝鮮学校で聞いてきたことと、現在のマスコミ報道にとまどいがあること、親が「子どもが日本で行きやすいように」と育てたこと、「ハーフ」と言えば就職でもメリットがあるのではないか、という議論もあった。母親の教育へのこだわりが影響を与えていて、教科書の中の「わが国」という言葉にも矛盾を感じる。
 まとめとして、日本人はどう見えているか、課題と展望についてそれぞれの意見を述べ合った。その中で次のような発言があった。視野を広め、同じ所で生まれた者どうし共存していきたい。日本人でいいのでは、とよく言われるが、歴史があって、在日の自分が形成されている。民族がどうとは思わないので、自分によいと思うことをしていけばよいと思う。また、日本人だからわからない、ということはない。その点教育の大切さを特に感じるという指摘もあった。

第六分科会(記録 宋悟)
「在日」と「新渡日」との協働 多民族多文化共生を担うNPOからの接近

 具圭三(とよなか国際交流協会)さんから、日本の学校での国際理解教育の講師派遣に関わって、外国人に依頼される学習内容は「言葉・料理・踊り」に限定されている現状が指摘され、外国人を「消費」するのではなく、外国人自身が生き生きと活躍できる場を学校や地域に創っていくことの大切さについての問題提起がされた。
 その後、三人から意見発表があった。
 ギオマール・エリーザ(なら・シルクロード博記念国際交流財団)さんからは、最近の在日ブラジル人の医療・教育・アイデンティティなどをめぐる複雑で深刻な問題が多くなっている現状と、日本国籍を取得した自分が心はブラジル人で、国籍とアイデンティティは別のものだというお話がされた。
 肥下彰男(府立金剛高校)さんは、国際協力NGO活動に関わっての経験と、新しく渡日した中国人の子どもに、日本語に慣れさせようという「善意」から「家で中国語を使わず日本語を使うよう」強要する学校現場の事例を指摘して、多様性を認めない日本社会の現状を批判した。
 高畑幸(大阪市大COE研究員)さんは、フィリピン人とのダブルの子どもをもつ親の立場から、「外国人犯罪者」のためにかかる費用に比べれば、子どもたちへの学習支援や進路指導などに財政支援をするほうが、経済コストの点からもずっと安くつく、と指摘された。
在日朝鮮人の教育は、現在、民族集団内部の多様化するアイデンティティやエスニシティを尊重し、ていねいにつむいでいく教育実践が求められる半面、一方では、日本社会の現状に抗して集団的アイデンティティに依拠した運動構築が求められるという、一見矛盾した課題に直面している。また、新しく渡日した人々とも、国境を越えることを余儀なくされた民族的マイノリティとして日本社会から疎外差別されているという共通項に立って、ともに力を合わせる段階にきている。「在日コリアンは、在日コリアンであるという切り口だけでものごとを語る時代は終わった。ジェンダーや世界的な経済格差の問題など、多様な切り口から自分を問い直す必要がある」という具さんの発言もそのことを象徴的に示していた。

*民族教育フォーラム2004の概要がわかるように、とりあえずまとめました。完全な記録については、民族教育ネットワークで準備されている記録をお待ちください。

     
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