文京洙著『済州島現代史』(新幹社)
出版記念会開かれる
佐藤 典子
 去る七月九日、大阪のパル法円坂で「文京洙さんを囲む会」が開かれた。

 「ムンギョンスって、誰?」と、済州島出身のちょっと著名な某氏ですら、ぱっと思い浮かばないくらい地味な研究者である。「済州四・三事件」に関わる集会やイベントのほとんどは、彼が軸になっているし、シンポジウムの司会などは呆れるくらい引き受けてきた。しかし、明るい舞台しか見ない人には、「縁の下の力持ち」、陰の立役者のような彼の存在に目が届かないようだ。

 この会は、先ほど新幹社から出版された『済州島現代史』の出版記念の祝いではあったけれど、「派手なことは苦手だし、書評もないし」という文京洙氏を説得しての集いだった。当日集まったのは、80名あまり。

 当日の会場で参加者に配られた書評は、李芝勲氏「済州の声」の翻訳だけだった。そりゃそうだろう。著者自身が序章に「実のところ、済州島の解放後から今日への歩みを一定の視角から論じた研究や著書はほとんどない」と記さねばならないほどに、先行研究がない著作である。

 この著書は、「四・三事件」に関心をもつ人にとっては、かけがえのない一冊である。また、追悼集会などで文京洙氏が果たしてきた仕事を垣間見た者にとっては、これを機に労(ねぎら)いの集いの一つでも、という七月九日だった。

 当日の主なスピーチは、最初に姜在彦先生から。済州の観光開発や経済に触れた御大ならではのコメントであった。中半は、金時鐘先生のお話。両先生とも十七年前に始まった、「四・三を考える会」の歩み、文京洙氏の地道なしごとを痛いほどご存知の方である。彼への労いに満ちた温かいメッセージに、思わず涙ぐむ参加者もいた。



 今でこそ、数万人の犠牲者がでた一九四八年の「四・三」事件、また同じ月に「阪神教育事件」があり、それがアメリカ軍政との繋がりをもつと知る人も少なくないだろう。しかし、三十数年前に出版された在日朝鮮人教育の基本テキストですら、「四・三蜂起」の年が一年、記述が違っていたくらいに、済州島のこの出来事は少なくとも日本人には見えずに来た。

 もちろん、金民柱、金奉鉉、金石範といった方々の、著書もあるにはあったが、公の場での語らいが始まったのは、一九八八年だろう。

 この年の四月三日、東京で開かれた四十周年追悼集会である。場所は、東京神田の韓国YMCA。一九一九年「三・一」に先立って留学生による「独立宣言」がなされた会館だ。その日、会場には、刷り上ったはがりのジョン・メリル著・文京洙訳の『済州島四三蜂起』が置かれたという。出版社は高二三氏の新幹社である。もちろん、二人とも三十代半ば、甲斐甲斐しく実務をこなす若手だったのだろう。十七年前のことである。(尚、この集会記録『済州島四三事件とは何か』は、現在も入手可能。)

 大阪での「四・三」追悼集会は、一九九三年に始まった。翌年から、文京洙氏は単身赴任で立命館大学に勤務。

 前述の李芝勲の書評に「日本社会で四・三事件真相究明のために粘りつよく努めてきた」とある通り、実にこつこつと地道に活動と研究を連動させつつの歳月を、彼は過ごしてきている。その一例を挙げれば、対談集の、金石範・金時鐘 『なぜ書きつづけてきたか・なぜ沈黙してきたか』(平凡社)の編集だ。この本の表紙には、文京洙の名前がないが、実務を担っている。それどころか、二〇〇〇年四月「沈黙してきた」詩人・金時鐘の沈黙をついに破った仕掛け人だといってもいいだろう。

 生まれは、一九五〇年、外国人登録証では東京は浅草だそうだが、実際は違うとのこと・・・。同父同母の七人兄弟姉妹の下から二番目。「自分は、父に連れられて日本へ来た」が、家族は済州と日本に分かれての暮らしという。

 育ちは、荒川区の三河島だ。三河島は、東京での済州島出身者の集住地域である。学校も、東京朝鮮第一初中級学校から高級学校と、在日朝鮮人社会の中で過ごしたという。

 法政大学英文学科の夜間部。入学したとき、まるで別世界に足を踏み入れたようなカルチャーショックをうけたと、今年四月、語った。彼が日本代表をしている国際高麗学会の席である。この会で、朴一氏は「実は、英語の先生なんです」と皆の笑いをとったが、しかし卒業後、中央大学の政治学科に学士入学している。そして、法政の大学院(社会科学)で五年間。博士課程満期退学、以上が学歴である。



 今回の『済州島現代史』は、勤務先から「博士学位を取得せよ」で書き上げた論文だそうだ。よって、「それ風に書いているから」というのが、文京洙氏が出版記念会に乗り気でなかった理由・・・。一般の読者には、ちょっと小難しい著書である。どんな内容か、章立ては以下の通り。

  「序章:本書の課題と方法」
  「第一章:第二次大戦直後の済州島」
  「第二章:変貌する済州島社会」
  「第三章:韓国における市民社会の胎動」
  「第四章:済州道開発特別法問題と公共圏の創出」
  「終章:済州島の現在」

 著者自身、序章はとばして読んで、と言う。「第一章」、「四・三事件」については、個人差があるので何ともいえないが、済州島に関心のある方ならば、中公新書の『韓国済州島』(一九九六年)で、済州のミカン栽培や開発、観光について書かれた記述を併読しながら読み進めると、政治と経済の絡みがすっきり見えてくる。

 そもそも学位論文となると、長年の研究を重ねた上に書き上げられた本だ。元来さらりと読めるはずがないと考えると、ぼちぼち気楽に読むことが出来る。しかし、『済州島現代史』は、済州の歴史だけではなく、済州を通して、韓国の政治、経済をも含めた現代史を学ぶには時間をかけても一読に値しよう。訪れたとき、済州島の景色ががらりと変わって見えてくる。
『済州島現代史 公共圏の死滅と再生』文京洙著

2005年5月刊 46判 380頁 新幹社 税込:\2625 (本体:\2500)
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