関東大震災:朝鮮人守った大川常吉鶴見署長に
感謝状贈った8人のその後 /神奈川

◇資料から3人判明、横浜・下瀬谷中後藤周教諭が突き止め  

  関東大震災(1923年9月1日)で暴徒による虐殺の危機にあった朝鮮人代表が、守ってくれた横浜市の大川常吉鶴見署長(当時46歳)に感謝状を贈った。そのうち3人の存在とその後の行動を、同市立下瀬谷中の後藤周教諭(59)が資料から突き止めた。

 <代表8人>

 大川署長は「デマを信じるな」と約300人の朝鮮人、中国人を暴徒から救った。ハングルで書かれた感謝状は大川署長の孫、豊さん(55)=同市=宅に保管されていた。日付は震災翌年の2月。最後に代表8人の名が書かれていた。

 <華山丸>

 後藤教諭は横浜市震災誌や海軍資料を調べた。鶴見署に保護された朝鮮人らは、次に横浜港の貨物船「華山丸」に収容された。その後に海軍工廠(こうしょう)のある横須賀収容所に引き渡され、収容名簿に「鶴見汐田町、金正大が11人を引き取る」と出てくる。11人は20歳前後で、職業は土木作業だ。

 <親睦会>

 震災の翌年3月に「鶴見鮮人親睦(しんぼく)会」が結成されている。会員183人で「会長・呉斗栄」「幹事・金浩景」の名がある。労働者団体だ。当時、親睦会の結成には警察署長の認可が必要だった。後藤教諭は「金正大ら3人の名は、感謝状の名前と一致する。土木作業の親方だったのだろう。大川署長に感謝状を出し、その1カ月後に親睦会結成の流れは、大川署長への信頼があったから」とみている。

 大川署長は警察を辞めた後、地元の町内会長をし、63歳で亡くなった。後藤教諭は「デマによる虐殺を二度と起こさないよう、若い世代に伝えたい」と冊子作りを進めている。 【網谷利一郎】

                           毎日新聞 2007年8月31日より引用

 
 
     
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