2011年9月24日

在日朝鮮人の本名問題について

 

*下記裁判の意見書として2011年6月に大阪地裁へ提出されたもの。

金稔万さん本名(民族名)損害賠償請求裁判【中間報告会 2011年3月4日(金)】呼びかけ文より

  私は1960年に生まれた在日コリアン2世です。名前は金稔万(キム・イムマン)といいます。神戸の長田で生まれ、両親は済州島(チェヂュド)出身です。日本の学校で教育を受けました。大学生のときに初めて同胞の民族サークルに出会い、「本名(民族名)」を名のりました。大学卒業後、就職して「通名(日本名)」にもどったりしましたが、ここ10年は「本名(民族名)」を使っていました。

 2010年5月、私は「日本国」政府ならびに「大林組」と下請けの三者に対する損害賠償請求裁判を大阪地裁にて提訴しました。それは、私が「本名(民族名)」で日雇いとして働いていた梅田阪急百貨店の解体工事の現場において、突然「通名(日本名)」を強要されたという「事件」に対する損害賠償請求です。名前を名のるというごく当たり前の日常茶飯事の「小さな出来事」をめぐっての裁判です。

 少しでも多くの在日同胞や在日外国人の若い世代が本名(民族名)を自然に名のることができる社会にするために、この裁判がひとつの問題提起の場になればと思います。

金稔万さん本名(民族名)損害賠償裁判を支援する会・弁護団

大阪市西成区太子2-1-2 釜ヶ崎医療連絡会議気付

ブログ http://d.hatena.ne.jp/irum/

内容目次

(1)はじめに

(2)前提―在日朝鮮人の名前の現状

(3)問題設定

(4)歴史的経過とその帰結―「通名」の由来とその本質

(5)教育の場での現状

(6)本件、雇用契約における「通名登録強制」事案について

(7)おわりに

○添付資料一覧と註

 

(1)はじめに

 

 本件は、金稔万(キム・イムマン)原告が雇用契約に際して、自らの意に反して就労現場における通名での登録を強いられたと主張する事案である。本件について考察するには、その背景にある日本における在日朝鮮人の通名使用の現状と本名の位置についての理解が不可欠である。その一助となることを願ってこの意見書を作成する。

  筆者は、1972年から2009年まで大阪市立および大阪府立の高等学校で教員として勤務した。以下の内容は、一校に百人前後に及ぶ朝鮮人生徒が在籍する公立高校がいくつもあった大阪の教育現場での経験にもとづくものである。そこでは、指導要録に本名を書くのは当然にしても(ただしこのことが教育委員会より指示されたのは、大阪市立学校では1973年から、府立高校では1993年から)、生徒の名前をどう呼ぶか、それをどう決定するか、進学就職時の書類ではどう書くか、生徒にはどう指導するか、求人企業とどのように話すかをめぐって議論が繰り返されてきた。

 なお、この意見書で朝鮮人、在日朝鮮人と言う場合、韓国籍・朝鮮籍・日本国籍の朝鮮半島にルーツがある人をふくめている。これは、教育の立場からの用語法である。

 

(2)前提―在日朝鮮人の名前の現状

 

 日本社会において在日朝鮮人の多くが一般に本名を名のらず通名(日本名)で、「あたかも日本人のように」して生活している(実際に日本国籍の人も少なくない)ことは、よく知られている。この事実は、広く公言して議論されることは少ないが、実は重要な場面で決定的な意味を持つことも、知る人ぞ知る事柄である。阪神淡路大震災に際して、被災者が日本国籍か外国人かすぐにはわからなかったことも記憶に新しい。東日本大震災でも同様だろう(註1)。大手新聞社の刑事事件報道を見ると、現在日本経済新聞では、在日朝鮮人の氏名は犯罪容疑者もすべて本名で記載し、朝日新聞では通名(日本名)で記載している(添付資料1)。かつては、新聞では在日朝鮮人の名前が、よいことをすれば日本名で、悪いことをすれば「日本名こと朝鮮名(本名)」のように書かれる、と言われたものだった。

 しかし、この事実は、はたして事情通がよく言うように、そのまま「通名を呼んであげるのが親切」として、在日朝鮮人自身の都合によるやむを得ぬ事態、朝鮮人の自己責任に属する問題、というようなものだろうか。だいたい、人が自分の本名がありながら、本名を名のっていないという社会は、どういう社会なのか。このこと自体が現代の国際的な人権の視点からすればとうてい許容できないような事柄ではないのか。こうした疑問は当然だろう。まして、外国人を「日本人同様に」扱うことではなく、人間としての権利は平等に、またその民族的アイデンティティを尊重する、というのが人権についての国際的な常識なのだから。

 

 この問題をもう少し調べてみると、大阪の公立学校の教育現場での様子からして、やや奇妙なことに気づく。それは、外国人の子どもが通っている学校での母国文化の教育について、「韓国・朝鮮の文化を学ぶ機会」は中国やその他の国の文化を学ぶ機会に比べて多いのに、国籍別の本名使用状況を見ると、「韓国・朝鮮籍の本名使用率」は中国やその他の国の場合に比べて極端に低いという事実である(註2)。もちろん中国やその他の国の子どもが本名(民族名)でない場合も相当に多く、半数に及ぶということにも愕然とさせられる―このこと自体、外国人一般に対して同化を強いる日本社会の規制がそれほど強い、と、一応は考えられる大きな問題である―とともに、「韓国・朝鮮籍」の場合はまたさらに、別の事情があることは明らかである。

 従って、一方において、現在大阪市の学校園において、学校経営上「本名を呼び・名のる」ことができる校園の環境づくりが推進され、日本人の子どもに対しては「韓国・朝鮮人の友だちを韓国・朝鮮人として正しく認識し本名を呼ぼうとする態度を育成する」こと、また在日朝鮮人の子どもについては「本名を大切にすることの意義と必要性を理解させ、本名を呼び・名のる集団づくりに努力」が払われ(在日外国人教育基本方針、2001年。註3)、また大阪府立学校では入学手続き時に「大阪府教育委員会では、各学校において、日本に住む外国人生徒が本名を使用することのできる環境づくりを積極的に進めています。そのため、次のような点を大切にしています。〇本名を使用することは、自分らしさを大切にし、自らに誇りをもって生きること」という呼びかけがなされている(2003年以降。註4)にもかかわらず、他方において、本名の子どもは2000年代前半において10%を少し超す程度に過ぎないという現状があったわけである。

 さらに、全国的に見れば、原告が生育した兵庫県神戸市においても同様であるが、かつては公立学校での外国人の子どもの母国文化の教育も、大阪市教育委員会のような方針も、ほとんど期待できなかったのだから、本名の子どもがいることすら稀であったのは当然だろう。

 

 

(3)問題設定

 

 ここでは、日本社会で在日朝鮮人が本名があるにもかかわらず通名を使うという状況が、なぜそうなのかについて検討する。前項で調査したように、外国人一般の問題と、在日朝鮮人特有の問題と、二つの問題が組み合わさっていることに留意しておこう。

 現状を見て、次のように考える人もいる。インターネット上の掲示板「2ちゃんねる」で飛び交う言葉から見てみる。

 

 「(在日の)既得権益。在日が要求し実現したもの 1.公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)。」「なんでチョンのくせに日本名名乗るの?それで免許とかとったら氏名詐称じゃないの?」「俺が金正日っていう通名を名乗ったらどうなるだろう?」「なんでチョンだけが通名なんて公式に使って良いの? 」「日本の法制度では1940年施行の創氏改名は有効ですので、この名前が外国人登録されていたら、これが記載されます。」「なんで通名とか創氏改名を許したんだろ。朴とか金のほうが、すぐに鮮人とわかって良いと思うけどな。もちろん、帰化しても朴。」「朝鮮人からの要望があったからと言っても、日本人と同じ名前にしてしまうというのは総督府には余程、内鮮一体の理想主義者が多かったのだろう。」

 「コロコロ名前を変えられる通名制度は廃止しよう。」「通名だから分からないんだよね。私は朝鮮人と体に墨でも入れておけば良いのにw 」「だから通名廃止しろよ、緊急時とか安否確認混乱するだろ。」(註5・註6・註7)

 (なお、「チョン」「鮮人」という差別語、過去のものとなったはずの言葉が今なお実際に多用されていることも事実として確認できる。現実認識のためにそのまま記載し、在日朝鮮人がリアルに直面する日本社会の様相に留意しておく。)

 在日朝鮮人の通名が、「在日隠蔽権」として、「在日が要求」「朝鮮人からの要望」によるものとして、日本側からすれば「創氏改名を許した」ためにできた、という考え方がそこにある。日本国総理大臣にさえそういう考え方の人はいた。また、こうした考え方が、「通名を呼んであげるのが親切」という善意の事情通の考え(その裏返しが通名を廃止して本名にして大っぴらに差別迫害したい、という考え方)と表裏のものとして対応していることは、見やすいことである。

 しかし、どんな意見の中にも真理のかけらはある。「公文書に通名を使用」することは虚偽記載にはならないのか、「氏名詐称」ではないのか、こうした正当な疑問の根本に「1940年施行の創氏改名」があることは、こうした考えの人も気づいている。

 

 一般には、「日本社会に差別があるから在日朝鮮人は通名を使う」と言われることが多い。大阪市生野区や神戸市長田区でプラスティックやサンダル加工の機械を入れて家内工業で仕事をするのに、銀行で融資を受けようとして、朝鮮名で誰が貸してくれるのか―と、ことある毎に筆者は聞いた、(註8)だから―日本名でいくのは当然ではないか。本名などでは生活していけるはずがない、在日朝鮮人自身が「差別があるから、通名を使う。本名は名のれない」とこのように言うのも一つの真実であり、従って「日本政府は日本名になることを願う朝鮮人に恩恵として通名を使うことを許している」という考え方にも一理あるわけである。善意の人は「悪いのは差別する日本社会の一部の連中だ(日本政府は悪くない)」と言う。そうでない悪意ある人は「差別するのは当然で、悪いのは日本名など使う朝鮮人の方だ(日本政府が朝鮮人の味方をするなどとんでもない)」と言うことになる。

 しかし、実は、歴史的に見れば、差別があったから、朝鮮人は差別を避けるために日本名を使うことを選んだ、のではない。

 その証拠として、かつて大阪市の学校に残されていた1940年前後の学籍簿(今で言う指導要録)がある。1990年代に個人情報保護条例が実施されるようになって、学校の公文書の保存期間も定められ、以前のものはすべて廃棄されたが、それまでは学校の古い倉庫に戦災でも焼けなかった昔の学籍簿が残っていることもあった。それを見ると、1939年まで、大阪の学校の朝鮮人生徒はみな本名で在学しており、1940年を境に一斉に日本名に変わるのが確認される。1940年以来、大阪市の学校では1972年まで(大阪府下ではそれ以降も)、基本的にはずっと通名(日本名)で在籍(公簿上)してきたのである。(註9)

 重要なことなので繰り返す。戦前、祖国を失って「日本帝国臣民」として日本に来た在日朝鮮人がさまざまな差別迫害を受けたことについては、詳説しない。ただ、どのような差別迫害を受けても、名前を変えるなど想像もできぬことだった。(ラフカディオ・ハーンや亡命期の金玉均が日本名をもった、というような特別な知識人のケースや個々の例外もあるが、それはまた別の問題である。)在日朝鮮人は、本国の朝鮮人と同様、1940年の日本帝国、朝鮮総督府の「創氏改名」政策により日本名になったのである。

 筆者が1973年春に大阪市立の高校で初めて新入生の学級担任をする際、新入生の保護者に「子どもを本名で行かせてはどうですか」と話すと「昔、日本の名前に変えさせておいて、今さらまた朝鮮の名前で、と言うのか」と食ってかかられたものである。

 

 

(4)歴史的経過とその帰結―「通名」の由来とその本質

 

 在日朝鮮人の「通名」の由来は、日本帝国による1940年の「創氏改名」政策であった。「創氏改名」そのものについても、ここでは詳説しない。ただ、朝鮮社会固有の「姓名」のシステムを強制的に日本と同様の「氏名」のシステムに変更した(「創氏」は強制、「改名」は一応任意)この政策は、すべての朝鮮人を「皇国臣民」とし、1944年の朝鮮での徴兵制施行のもとにもなったこと、また本国(連合国軍政下)では1946年の南朝鮮「朝鮮姓名復旧令」(軍政庁法令122号、1946年10月23日)等により元に復したが、日本本土ではそのまま生き続けたことに留意しなければならない。

 ここからの在日朝鮮人の状況を、時代順に整理すると以下のようになる。

 

a 1940年―1945年

 日本帝国政府、朝鮮総督府は「皇国臣民化」政策(その標語が「内鮮一体」「国語常用」)のもとで、民族としての朝鮮人を抹殺(うわべだけの日本人ではなく、心の中まで日本人にする。ただしきちんと差異は残す)、創氏改名を実行(創氏を強制)した。朝鮮独立運動と日本帝国の最終的な対決の時代。

 

b 1945年―1952年

 日本(1947年まで帝国)政府は連合国軍の占領下で在日朝鮮人を事実上外国人と同様に扱いながら(選挙権の剥奪と1947年外国人登録令(5月2日勅令207号)、他方では日本国籍を持つ者として日本の教育を強制した(1948年民族学校閉鎖令。1月24日文部省学校教育局長通達(官学5号)「朝鮮人設立学校の取扱いについて」「朝鮮人の子弟であっても、学齢に該当するものは、日本人同様、市町村立又は私立の小学校又は中学校に就学させなければならない」)。朝鮮民族運動と米軍・日本政府(皇国臣民化、のち民主日本化)の対決の時代。(註10)

 

c 1952年―1965年

 在日朝鮮人は日本国籍を知らぬ間に失った(法務府民事局長通達1952年4月19日)。その結果、在日朝鮮人は事実上の無国籍状態で、一方的な差別状況に放置された。自主的な民族運動再建と日本国の朝鮮(韓国)無視の時代。(註11)

 また、この時期の後半が、赤十字を仲介とした朝鮮民主主義人民共和国への「帰国運動」の時期に重なることの意味もここから理解されよう。

 

d 1965年日韓基本条約・1982年難民条約批准発効以後

 在日朝鮮人への外交的(日韓法的地位協定にもとづく)、次いで国際的配慮が徐々に始まる。

 

 従って、民族運動に結集しその影響下にあった人々の意識の中は別にして、日本政府の下にある朝鮮人は、1945年まで朝鮮人であることを否定した「皇国臣民」、1952年まで日本国籍でありながら公民権を制限され外国人と見なされる二級市民(日本の少数民族)、そして1965年まで全くの無権利状態で放置(外国人であって祖国との国交なし)という法的な立場を経過したことになる。

多くの在日朝鮮人、この状況に抗して自ら「朝鮮人であること」を取り戻そうとする民族教育運動(すべての在日朝鮮人は元来の名前、言葉を失い、それを取り戻すための自力の教育施設は1948年の民族学校閉鎖令から翌年にかけて、GHQと日本政府の弾圧によって破壊された)から抜け落ちた人々にしてみれば、もともとは日本人であることを強制された、名前も言葉ももたない、いわば「マイナスの朝鮮人」であったものが日本国憲法の人権保護規定からもはずされて祖国も正当に位置づけられない法律上だけの「外国人」、日本人ではない者、として捨て置かれたことになる。成長してくる子どもたちがそれをどう感じたかは、想像に難くない。(ここでは、1952年の「9月2日法律第126号2条6項」、及び「出入国管理令第4条1項16号」と「外務省令第14条1項2号」に基づく、在留資格―例えば1952年まで日本国籍であった者の、以後出生の子どもは、在留資格3年―の問題には直接は触れずにおく。)

 この間の状況(1965年まで)をいくつかの例によって確認してみよう。1952―65年の間在日朝鮮人が日本の公立学校に入学する法律的根拠はなく「なるべく便宜を供与する」こととされた(註11)。法律用語で「なるべくする」とは「しなくてよい」と同じだろう。他方、再建され始めた民族学校は、1965年日本国政府によって「各種学校としても認可すべきでない」ものとされた(1965年12月18日文部事務次官通達(文管振210号)「朝鮮人のみを収容する教育施設の取扱いについて」)。公立学校に在日朝鮮人を入学させるかどうかは全く学校側の任意、厚意、特別の恩恵であった。また、こうした状況は1965年以後公立学校入学について法的根拠が生じてからは変化したが、私立学校によっては1970年代前半まで同じ状況が続いた。

 

1 大阪市小学校教員の金(キム)さんの発言。「自分の高校入試の頃は、成績のよい勉強のできる朝鮮人もしばしば不合格になった」「教員として仕事を始めて、家庭訪問した朝鮮人の家庭では、子どもが自分が朝鮮人であることを初めて知らされて泣き出し、親も一緒になって一家で朝鮮人であることを悲しんで泣いた」(筆者が直接聞いた内容)。「担任がわたしを職員室に呼んで、希望している府立高校の受験をあきらめるように言うんです。理由を聞いてわたしは愕然としました。希望していた高校の校長がわざわざ学校に出向いてきて何年か前の高校生どうしの暴力事件に関わった朝鮮人を引き合いに出して、外国籍の生徒は採らないと明言し、出願を控えるようとの話があった、との担任の言葉だった。」(『むくげ』185号、2005年10月)

2 映画『イルム・朴秋子さんの本名宣言』( 監督滝沢林三/1983年/50分)の中の1947年生まれ朴秋子(パク・チュジャ)さん証言。小学校の時に担任の教師からビンタされて言われた言葉「お前はここ(この学校)に特別においてもらっている。」彼女にはこの「特別に」の意味がわからなかったと、映画の中で述べている。

3 大阪市立小・中学校では、1965年まで在日朝鮮人児童生徒の入学に際しては、特別に「誓約書」を取って入学させていた。(添付資料2)

4 永年大阪府立高等学校に勤めた教員の言葉。筆者が聞いた内容。「自分が最初赴任した学校では、校長に朝鮮人の生徒の指導要録の名前をどう書きましょうかと尋ねると、どうでもよろしい、そんなものなくてもよいくらいだ、と言われた。」

5  大阪市教員の先輩の証言、筆者が聞いた内容。1963年、義務教育教科書無償配布の開始に際して、大阪市生野区の学校現場では、例えば在籍の半数を占める朝鮮人児童生徒は日本国籍でないために教科書が配布できないという事態が生じた。これを打開するために、日本名(通名)であれば日本人と同様に見なして配布するという現場での便宜的な措置がとられた。

6 1968年10月大阪市立城陽中学校3年学年集会での生徒の発言。「わたしは今進学のことで大変悩んでいます。朝鮮人であるわたしは日本人とは違う大きな悩みがあります。父や母に相談すると、私立高校は受けたらあかんと言うんです。兄ちゃん姉ちゃんに問いただしてやっとわかったんですが、私立高校は、朝鮮人だとわかると受けさせてくれへん学校があるそうですね。たとえ受けさせてくれても、合格の点数に差をつける学校があるそうです。また合格しても入学金を二倍も三倍も出さんと入学させてくれない学校もあるそうです。先生はどうして一番私たちにとって身近な、そして大きな差別の問題をみんなに教えてくれなかったんですか。」同校教員であった稲富進さんの、中学担任と私立高校との事前協議についての証言。「うちは外国籍の生徒は原則として入学を許可しません」「この生徒は朝鮮人ですが、家は教育熱心だし、非常に学校に協力的ですよ、何とかお願いします」「困りましたな」「そこのところを何とか。何か条件があったら言っていただければ、保護者に言っておきます」「そのかわりもうひとりくらい成績の優秀な日本人を受験させてください。そうすれば考慮しましょう」こんなやりとりが、当時の大阪の教育界では常識的に高校と中学校間でおこなわれていた。(『むくげ』67号、1980年4月)

7 1970年、いわゆる「日立就職差別裁判」原告朴鐘碩(パク・チョンソク)さんは、相談した高校の学級担任から「お前が朝鮮人として生まれたことは残念だな、仕方がないことだ、宿命というか運命的なことだ」と、在日朝鮮人であるがために採用を取り消されたことを憤るのではなく、逆に入社を断念させられようとした。(1970(昭和45)年(ワ)第2118号 最終準備書面、横浜地裁)

8 1972年に筆者が大阪市の高校に教員として赴任した時、先輩の教員江藤純さんから言われた。「この学校は以前から入試で朝鮮人を差別せずにやっていた。だから朝鮮人が多い。」また、進路指導部長が企業の人事担当者と電話で話しているのを聞いた。「申し訳ありません、その生徒は韓国籍なんです、でもいい子なんですよ。」

9 1980年頃、樟蔭東高校(東大阪市の私立高校)教員田宮美智子さんの言葉、筆者が聞いた内容。「作文課題で自分の気持ちを書かせて、死にたい、と書いてくるのは、朝鮮人の生徒と被差別部落出身の生徒だ。」

10 1970―80年代、朝鮮人生徒の保護者はしばしば子どもに対して「日本人の中でやっていこうと思ったら、日本人といっしょではだめだ、一番になれ、それではじめて認めてもらえる」と言っていた。(当時筆者はそれを聞いて、朝鮮人の親の言うことが皆一様なのに感心し、朝鮮人の差別に負けぬがんばり精神に納得したものだった。しかし自分が公立高校の教員、当事者でありながら、高校入試での合格基準にあったかつての差別を具体的に踏まえた言葉であることには、後になるまで気づかなかった。)

11 1985年に筆者が勤務した大阪市立の高校の校長は、「公立学校に朝鮮人が入学するようになったのは1965年以後のことだ」と教員たちに説明していた。

12 大阪市立高等学校教員の言葉、筆者が聞いた内容。1980年代後半、進路指導室で朝鮮人生徒と話し始めたら、その高校生は突然背後や周囲を見回して、誰もいないのを確かめて、泣き出した。

 

 こうして、1945年ないし1952年から1965年の間に学齢期を送った―現在50歳以上の―在日朝鮮人には、子ども心に日本の教育の中で受けた日本社会のむごたらしい差別の記憶が残っている。なぜ「むごたらしい差別」と言うのか。外形的な、外からの差別迫害はまだ知れている―対抗すればよい。もっとも「むごたらしい」のは、それが人の心に内面化され自分の存在を否定するに至ることである。「朝鮮はいやだ」「朝鮮人であることは悲しい」「朝鮮人でよいことはなにもない」「教室で朝鮮と聞くとびくっとする」「朝鮮のことが授業で出てきたら顔を上げられない」等々。筆者も何度こうした言葉を聞いたことだろう。強弱はあるにしても、これがこの時代の在日朝鮮人の共通体験だった。そして日本人の意識もまた、「朝鮮」という言葉を気軽に発することができなかった。だから人は皆、「在日」や「コリア」などと言い換えた。1970年代、筆者が教員として教室で「朝鮮」という言葉を言うためにだけにでも努力が必要だった。同じ経験をした日本人教員は多い。

 しかも、この間ずっと、「創氏改名」は生き続けた。1965年日韓基本条約の「韓国併合条約はもはや無効」という条文によって、日本国内の「創氏改名」がどのような法的変更を被ったのか、あるいはそのままなのかについて、筆者にはわからない。この裁判の結果が、それを明らかにすることになるだろう。

 こうした1965年直後の日本社会の意識のあり方の断片を切り取って、寺山修司は次のように歌っている。

 

「 ロング・グッドバイ―朝鮮人のおじさん

             (作)寺山修司 1968年12月新宿蠍座 (歌)浅川マキ

 

しあわせな日は 長くない さよならだけが人生で あとはみじめな夜ばかり

 

朝鮮人だという事で誰にも名前をおしえない

お風呂屋に貼ってあった指名手配の殺人犯の長田こと韓甲晩

巨人軍に入った静岡の名投手新浦こと金

自分の名前に銃を向け叫びつづけた金嬉老

ああおじさん! いくじなしのおじさん、遺書を書かなかった

ひっそりと死んでしまった朝鮮人のぐうたらの ひとりもののおじさん

 

線路はつづくよ どこまでも 野をこえ 山こえ 谷こえて

はるかな町まで しあわせとたたかいのない日をさがすため」

 山藤章一郎と取材班「浅川マキという時代」

 『週刊ポスト』43巻2号(平成23年3月4日号)小学館

 

 上記7で触れた1970年の(株)日立製作所戸塚工場従業員採用に伴う就職差別事件で、1974年横浜地裁で原告朴鐘碩(パク・チョンソク)さん勝訴の判決がなされた。これは在日朝鮮人を排除する就職差別の存在を認めた画期的な判決であった。しかし、新井という日本名で本籍欄には出生地を書いた朴さんの履歴書を、日立が虚偽であるとして解雇の理由にしたことが認められなかったことは、逆に「通名」の履歴書も通用するという判例として引き継がれることになった。言い換えれば、「創氏改名」はこうして生き続けたのである。

 

 

(5)教育の場での現状

 

a はじまり

 子どもの教育という行為が成立する前提として、元来教える側と教えられる側の信頼関係、また教えられる側の安心と自尊感情(自分が大事にされていると感じ、自分自身や周囲を肯定的に思えること)があることは、言うまでもない。しかし、1965年以後法的な根拠を持って在日朝鮮人が日本の公立学校に入学してきても、上記のような教育の前提はほとんど存在しなかった。そこでどのような「教育」が生起したかを見よう。

 

 大阪市立中学校長会1971年3月『昭和45年度研究部のあゆみ』

 「外国人子弟の実態と問題点」より抜粋

「1.生活指導 A観察指導の観点より(1)家族から受ける社会観、道徳観の影響はきわめて大きく、ものの見方、考え方に差があり(2)一般的に利己的、打算的、せつな的、衝動的な言動多く、それが情緒不安定、わがまま勝手、ふしだらな傾向、実行のともなわないみせかけの言動(3)罪悪感に欠け、性的早熟、自己防衛的で、その場限りのウソも平然(4)しつけや社会ルールについても異なり、基本的な生活習慣がついていない。(6)能力のある児童・生徒ほど高学年になるにつれて民族意識がたかまり、他の児童・生徒・教師を批判的にみる。(7)反面、外国人ということを卑下し、無気力になったり、荒々しくなったりする。」「B生活指導の現象面より(5)ものの扱いは乱暴、公徳心、連帯感、責任感に乏しく(6)非行グループといえば、必ずその主役的な役割を果たし、日本人生徒は従的な存在となってあらわれる。」「2・家庭環境(1)一般に貧困家庭が多く、生活におわれ家庭教育にまで手がでない、また経済的に余裕のある家庭でも放任され、事実上家庭教育は能力的に不可能である。」

 

 在日朝鮮人の子どもは、日本の学校、教員からこのような眼で見られ、そういうものとして「教育」を受けていた。この中学校長会の文書を批判し実態を自己切開する中で、1971年大阪の教職員をはじめとする教育関係者により「日本の学校に在籍する朝鮮人児童生徒の教育を考える会」が発足、大阪市外国人教育研究協議会(大阪市外教)も再編され本格的活動を開始する。「自分が大事にされていると感じ、自分自身や周囲を肯定的に思えること」という教育成立の前提を在日朝鮮人の子どもにも確保するために、「本名を呼び名のる」教育が提唱されたのである。

 誤解をする向きもあるので、付け加える。この場合、「本名を呼び名のる」というのは、本名がありながらそれを呼ばれることのない子ども、朝鮮人としての自分を隠さなければならないと思い込み、自分や自分の親を否定し見失った子ども、を前提にしており、「朝鮮人の誇り」という普通の日本人がともすれば反感を持ってしまいがちな言い方も同様であって、「朝鮮人であってよいではないか、それを隠すことも、卑下することも、ことさらに無視することもない」、朝鮮人としての「自分が大事にされていると感じ、自分自身や周囲を肯定的に思えること」という教育のイロハを言っているに過ぎない。1975年、筆者が勤務していた高校で、はじめて朝鮮人生徒たちが全校生徒の前で民族舞踊を披露しそれが拍手で迎えられた時、出番が終わってからも出演した生徒たちは民族衣装を脱ごうとせず、いつまでも嬉々として校庭で踊り舞いしていた。また、はじめて校内放送で本名で呼び出された生徒は、ちょっと恥ずかしそうにしかし笑顔満面で職員室に走り込んできたものだった。(米国における黒人問題、公民権運動の過程で、自分の肌が黒いことを嫌って血が出るまで白くなりたいと顔をこすり続けていた子どもたちを前に、「Black is beautiful!」という主張が持った意味も、オバマ大統領が高校生時代にマルコムXを愛読したこととあいまって、あらためて再評価されている。)

 

b 経過、特に学校での朝鮮人の名前をめぐって

 1970年から大阪市学校教育指針には「在日外国人」の項が立てられ、「本名を呼び名のる」教育運動が始まった。1973年から大阪市立の高校では入学時に必ず「本名にするかどうかを聞く」よう、また指導要録は必ず本名で、発音通りのふりがなを振り、通名と国籍を備考欄に記入せよと指示がおり、各学校に『人名仮名表記便覧』(漢字の朝鮮語読みを調べる簡単な字典)も作成配布された(後の『韓国・朝鮮人名仮字表記字典』1984年、ブレーンセンター)。一部の高校では合格者登校時に朝鮮人合格者を集めて「本名」について学校からの話をするようになった。

 1988年、大阪府「在日韓国・朝鮮人問題に関する指導の指針」、多くの自治体でも指針、方針策定。1991年日韓外相覚書によって定住外国人の指紋押捺廃止、民族学級が公認され、朝鮮人の子どもへの就学案内が行われるようになった。1992年の大阪府立学校在日外国人教育研究会(府立外教)、大阪府在日外国人教育研究協議会(府外教)の設立、大阪市内や府内各地域で民族学級設置が広がり、「本名での就学案内」から「本名での卒業・就職・進学」に至る日本の学校での最低限の指導の基礎が実現するかに見えた。しかし、現実は違った。

 府立高校入試受検での朝鮮人の名前の取り扱いは、結局、その間にあった志願書受付時の多少のトラブルを避けるために、「志願書」を「本名のみ」か「本名(通名)」のいずれかで書くものとし、後者の場合は高校で「通名を名のりたい」意思表示と機械的に「みなす」(入学まで「指導」はできない)と指示された。このやりかたは、実際には、現に通名を持って生活している大多数の家庭の子どもたちに通名使用を誘導し、事実上本名での入学を抑える強力な梃子になった。

 就職用履歴書と調査書をめぐっては、1960年代後半に「差別を許さない」就職受験のために統一応募用紙の書式が作られた。その「履歴書」には「本籍」欄があり、大阪府などと都道府県名を記入することになっていた。従って朝鮮人生徒の場合、一応「本名(通名)」「昭和を消して西暦の生年月日」「本籍欄は韓国」などと書くことはできた。しかし1996年改定「履歴書」様式では、「本籍」欄が削除され、朝鮮人生徒に関わっては、これまで事実上の国籍欄として使われた「本籍」欄がなくなって、その結果「通名のみ」「元号の生年月日」で履歴書を書くことが一般的になってしまわないかという懸念があった。その後、生徒自身が書く「履歴書」はともかく―「本人が通称を希望する場合は、その(本名原則、筆者註)限りではない」―、学校が作成する就職用調査書については「外国人生徒は指導要録による氏名を記入することを原則とする」とし、また「生徒が記入し提出する履歴書の該当欄と相違しないように注意する」(進学用調査書については指導要録に基づく)と説明されている(近畿高等学校進路指導連絡協議会・滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県各公私立高等学校進路指導研究諸団体「就職者用近畿高等学校統一用脚について(記入上の注意事項)」、および大阪府高等学校進路指導研究会『手引き』)。従って、「本名(指導要録上の氏名)を原則とする」と言いながら、生徒の書く履歴書の名前が通名であれば、あわせて学校が作成する調査書も想定されるトラブルを避けて通名で書くことになり、大阪府教育委員会もそれを否定していない。それだけ見れば日本人と区別がつかない、通名のみを記入した学校作成の公文書が通用する!

 本名で就職をと考える生徒に、教員は、差別を受ける、トラブルが起こるかもしれないと懸念し、いざ本名で受験してうまくいかないと、本名受験を勧めた教員が、それみたことかと孤立する。よほどの場合でないと「本名受験」はむつかしく、教師も本人も「通名」へと誘導されて行く。

 実際、1994年度大阪府立学校在日外国人教育研究会(筆者は当時その運営委員長)で、府立学校在籍外国人生徒の就職についての初めての悉皆調査が行われたが、多くの企業に朝鮮人生徒が就職している現実とは別に、府立学校(当時高等学校192、養護教育諸学校23、高専1)を卒業して学校斡旋によって「本名で就職した」朝鮮人生徒は、全府立学校の中で、6社7名(研究会で把握した303名中)であった。(『1994年度 府立外教事業報告書 第3集』P24。大阪府立学校在日外国人教育研究会、1995年5月)

 

c 現在から振り返って

 その後、大阪府教育委員会は1998年上記指針を改定して「在日韓国・朝鮮人児童・生徒の実態把握に努め、これらの児童・生徒が自らの誇りと自覚を高め、本名を使用できるよう指導に努めること」と指示し、2001年には大阪市教育委員会が「在日外国人教育基本方針」(既述、本名を呼び名のる教育の原則を確認したもの)を出した。

 しかし、「本名を尊重、本名が原則」と公式には言いながら、実態は「通名を呼ぶのが普通」「本名を名のるのが難しい」状況はそのまま続いていた。「多様化した朝鮮人の、本人の生き方は元来自由であり、もし本名で民族的に生きたいというなら応援しよう」というのは、確かに日本人にとって魅力あるスタンスで、それすら「朝鮮人は民族性を主張しすぎる」との反感にさらされがちで、そのことと、「世の中の差別に対して啓発指導しつつ、差別を受けてかわいそうな朝鮮人に日本名を使わせてあげる」行政の論理が対応している。

 このことは、日本帝国以来の「創氏改名」が日本国では基本的に維持され、本名に象徴される朝鮮民族なるものを無視抑圧するシステムが今も存続していることの反映とも受け取れる。「本名で生きることを応援しよう」などと表面は言い、大林組など大手企業にもマスコミなどの世界にも本名の在日朝鮮人が見られるようになり、日本国籍になっても孫正義(ソフトバンク社長)や李忠成(Jリーグ選手)のように本名に由来する名前を名のるようになったとしても、それにもかかわらず、実はありとあらゆるところで在日朝鮮人が本名を名のりにくいような仕組みが張り巡らされているのではないか。それが、三十七年間教員として在日朝鮮人生徒を本名で呼びたいと試行錯誤を続けてきた筆者の実践上の結論である。そして、このことは、国際的な視点を入れてみれば、単に本名を呼ぶというような当たり前のことが通用しにくい、何とゆがんだ現実であることだろう。

 それが、「制度というものは、長く続いてまいりますと、それ自体としての生命を取得し、存在を続けるようになり、その基盤であった社会生活が変わってもなお存在を続け、逆に社会生活に影響を及ぼすようになるのです。このことはどんな法律制度についてもそうです」と、かつて我妻栄が述べた(「戸籍制度百周年にあたって」『日本戸籍の特質』帝国判例法規出版社、1972年)ようなものなのかどうかについては、保留しておく。

 

 最後に2008年12月大阪府立大正高校3年学年集会(筆者はその学年主任を務めていた)での生徒の発言から。(『むくげ』190号、2009年2月16日。名は仮名)

 「ぼくの本名はキム・チョルファといいます。自分の持っている国籍や名前についての悩みや出来事について話そうと思います。

  小学校4年生までぼくは生野区にある朝鮮学校に通っていました。しかし、家の事情で日本の小学校に通うことになりました。そして、ぼくのオモニと校長先生で、日本名で通うか本名で通うか話し合いが行われました。本名で通うと「いじめ」にあうかもしれない、と校長先生が言われたので、怖くなってぼくは日本名で通うことにしました。

 初めて友達と会った時に、○○くん、○○さんも付けずに呼びました。朝鮮学校にいた時は、くん、さんは付けなくてもいいので、その時の呼び方がまだ抜けていなかったせいで、みんなから「なれなれしい」「エラソウ」と言われて、結局「イジメ」にあいました。

 今では日本学校の生活に慣れてみんなから「金海」と呼ばれてますが、また本名で通って、チョソンサランとしての誇りを持って生きて行こうとも考えました。しかし、小学校の時にいじめられたトラウマや、就職差別が怖いので、まだ本名を使っていません。

 みんなにぼくの事や、ほかの在日コリアンの人達の事を知ってもらい、在日コリアンの人がもっと住みやすい環境を作りたいと思います。」

 

 

(6)本件、雇用契約における「通名登録強制」事案について

 

a 原告が本名で就労していた事実について

 原告の主張によると、原告は2000年以後、さまざまな仕事に就いたが、どんな場合にも本名で仕事をしていた。2008年末からは下請け建設会社の大石氏を通じて、「きむ」という名前で、そのシールをヘルメットにつけて、大林組などの工事現場で就労していた、という。

 この場合、原告の本名にかかわる信条や思い入れを述べることもできよう。本人はそうすべきである。しかし、ここでは、人が本名で仕事に就くという、当然のことを確認すれば足りる。

 

b  原告が「通名で就労することを強いられた」事実について

 原告の主張が事実であれば、2009年9月末、同じ建設会社の大石氏を通じて大林組の仕事を紹介された時、「通名で行ってほしい。(本名で行きたいと原告が言ったのに対して)それ(本名)やったら3〜4日時間がかかる」と言われた、という。これがもし本当に事実であれば、本名で仕事に就くという当然のこと、人権上の常識を否定し、通名での就労を今日すぐ働けて給料が入るという利益誘導によってそそのかす発言であった。日雇い労働者にとっては日々その日の仕事に就くことが生存に関わることであるのに。

 また、もう一度「そのまま本名でいいよ」と言われたとすると、大石氏は原告の本名就労について、それを通名に変えることはよいことではないと、意識していたのかも知れない。しかし結局大石氏から「やっぱり、通名で行ってくれる?」と言われ、ヘルメットのシールも「かねうみ」に変えられた、という。

 こうして原告の主張によると、原告は梅田の阪急百貨店旧館解体工事現場にあった現場事務所において、就労現場への入構手続きとして、コンピュータ上に「きむ」に代えて「かねうみ」と登録させられることになった。この工事の施工責任者が大林組であったのか、下請けの会社であったのか、どちらにしても、結果としてそこで就労する労働者の登録上の名前を、本名から通名に、変えてしまったわけである。

結果的に、本名を抹殺し、通名に変えるという重大なことが、どのような法的根拠と手続きによって可能なのかという問題がここにある。

 

 

c 厚生労働省の施策と大阪府商工労働部の手引き

  厚生労働省のHPに(http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/gaikokujin-koyou/index.html)は次のような文言がある。(2011年4月1日)

 

 「「外国人雇用状況の届出」は、全ての事業主の義務であり、外国人の雇入れの場合はもちろん、離職の際にも必要です!

 ※新規雇入れの場合のほか、施行日前(平成19年9月30日以前)から継続している外国人についても、在留資格等を確認の上、同様の届出を行うことが事業主の方に義務付けられています。

 ※届出を怠ると、30万円以下の罰金が科されます。

○ 第166回通常国会において「雇用対策法及び地域雇用開発促進法の一部を改正する法律」が成立したことに伴い、平成19年10月1日より、事業主の方に対し、外国人労働者の雇用管理の改善及び再就職支援の努力義務が課されるとともに外国人雇用状況の届出が義務化されました。」

 

 「「外国人雇用状況届出 Q&A」

 (http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/gaikokujin-koyou/05.html)(2011年4月1日)

「Q 雇入れの際、氏名や言語などから、外国人であるとは判断できず、在留資格等の確認・届出をしなかった場合、どうなりますか? A 在留資格等の確認は、雇い入れようとする方について、通常の注意力をもって、その方が外国人であると判断できる場合に行ってください。氏名や言語などから、その方が外国人であることが一般的に明らかでないケースであれば、確認・届出をしなかったからといって、法違反を問われることにはなりません。」

 

 従って、「氏名や言語などから、その方が外国人であることが一般的に明らかでないケースであれば」事業主にとって「法違反、30万円以下の罰金」によって法律上強制される「確認・届出」を、しなくてすむという大きな利益がある。言い換えれば、事業主が雇用する在日朝鮮人は、本名など名のって外国人であることがわかるよりは、日本名を名のってさえいれば日本人と同様に、確認も届出も事業主がしなくてすむわけであり、厚生労働省は、そのようにそそのかしていることになる。(それにしても、これまで何度も述べたことがまた繰り返される既視感にとらわれないだろうか。本名が大切と表面は言いながら、実際には通名へと誘導される、この日本国の仕組み!「みなす」や「通常の注意力をもって判断」「一般的に明らかでない」などなど。)

 その結果、各企業は、そうしたそそのかしに応じて、人の本名を通名に変えるという人権侵害をあえてする場合もあることになる。人権侵害だとわかっていれば、私企業と雖も上記のような、罰金の威嚇によって強制しようとする厚生労働省の指示にも、異を唱え政策の変更を訴えることもできるのだろうが。

 

また元来、法や行政、コンプライアンスの前提に、正義と道理に基づいて法を遵守することが結局その人、法人の利益になるという原則がある、なくてはならないことも常識だろう。厚生労働省は何をそそのかし、なぜそうしたことが可能なのだろうか。

 

 大阪府商工労働部発行の『採用と人権―従業員採用の手引き―』には次のような記述がある。(平成22年度版、「公正採用選考―在日韓国・朝鮮人」の項、P23)

 「就労上において通名(日本名)使用を求めることは人権侵害です」

 「在日韓国・朝鮮人に対する就職差別事例

  ◎「外国籍生徒については、日本名で働いてもらう」と発言した。

◎      「日本名なら採用してもよい」と発言した。」

 

 これを知っていたであろう建設会社の大石氏が、一度「そのまま本名でいいよ」と言ったとまどいの理由もわかる気がする。

 

 日本社会における在日朝鮮人の通名使用、本名を呼べないという国際人権条約からすればスキャンダルとも言える事態を、国(厚生労働省)が法令によってそそのかしたこと、また各企業がそれに追随する蓋然性は、単なる表面的、偶然に生起する人権侵害というよりも、かつての日本帝国の(朝鮮総督府による)創氏改名政策がどのように現在に生きているのか、また別のものになっているのかという、日本国の法体系の根本にも関わるのだろう。

 とりわけ「通常の注意力をもって、その方が外国人であると判断できる」とか「氏名や言語などから、その方が外国人であることが一般的に明らかでない」などと、いったい何を言っているのか。日本人風の名前、日本語が日本国籍推定のもとになると厚生労働省は言っているようだ。これは国際的な視点から言えばお笑いだろう。しかも「注意力を持って判断せよ」と。また、上記大阪府商工労働部発行の手引きでは、「在日韓国・朝鮮人の方々には、「特別永住」という法的地位が与えられており、わが国で就職するに際して何の制限もありません。」と言いながら「一般的に外国人の日本における就労には、制限がある場合とない場合がありますが、日本語能力や履歴書等で特別永住者であることが推察されるにも関わらず、名前だけで判断して応募もさせないことは、在日韓国・朝鮮人の方々を採用選考から排除することになります。」特別に「推察」して配慮せよ、というのである。こうして、表面「制限はありません」といいながら、事業主が、そんな「特別に「推察」して配慮せよ」という面倒なことを押しつけられるよりはと頬被りし、「氏名や言語などから、その方が外国人であることが一般的に明らかでない」ようにしようとする方向に誘導されるのも当然である。厚生労働省がそう誘導していることになる。

 

 

(7)おわりに

 

 原告が自ら本名を名のって生活するようになった経緯を勘案し、そうした事情に同情配慮して、これだけ「本名で生きたい」と熱望する原告に対して、本件がどのような意味を持ったのか考察するのは必要だろう。しかし、ここでは、この問題の背景、私たちの社会の法的秩序、圧倒的大多数の在日朝鮮人が、本名がありながら、通名(日本名)で生活するという現実(これが途方もない奇妙な現実だということは、2ちゃんねるのネット上の人々も気がついていた)について、追跡検討してみた。

 厚生労働省がまるでそそのかすかのような指示を行い、それに応じて、実行されたのかもしれない事例、ここには、私たちの社会の正義、人権についての名誉がかかっている。すなわち、「人の本名を消して通名に変えさせる」ことの是非!これは日本国において合法的なことであろうか。もし合法的であるのならば、なにゆえにそうなのか。かつての創氏改名が有効なものとして今も生きているのだろうか。

結果として本件のような事例が是認されるなら、在日朝鮮人が、またひいては外国人一般が本名を名のりにくい現実は法的に肯定され、今後も同様の問題は起こり続けるだろう。従って、この意見書で検討したように、本当は、(1952年に遡って)在日朝鮮人について創氏改名令を撤回できるのかどうかが問われているのかもしれず、こうして、在日朝鮮人の名前の問題は、日本帝国による「韓国併合」時期の朝鮮総督の施策の後始末、朝鮮植民地支配と第二次世界大戦の戦後処理にも関わる、1952年に独立した日本国がそのまま放置して今日に至った未決問題であること、が理解される。

 他方で、これも既に述べたように、多くの人々によって社会の草の根から状況を改善していこうという努力、当たり前に朝鮮人の本名を呼び、在日朝鮮人が本名で安心して生活できる日本社会(このように、当然のことをことさらに言うのも恥ずかしい気がするが)を作ろうという努力も続いている。地方自治体や各地教育委員会の中でも同様である。

 実際、2001年大阪市教育委員会によって「在日外国人教育基本方針」が策定されて以降、各方面の努力によって大阪市の学校における在日朝鮮人児童生徒の本名率は、以下のように少しずつ遅々としたものではあるが、増加してきている。(添付資料3)

 

*大阪市立の学校数は小学校299中学校130高等学校22。

               2001年度    2004年度    2007年度    2010年度

小学校        12.6        12.9         17.4        21.2(%)

中学校         13.4        13.9         16.4         20.4

高等学校    10.5        11.2         15.9         15.0

 

 日本国において外国人が当たり前のこととして本名で生活する、中でも、本名で働く、言い換えれば人格を尊重されて働く、そうした当然の正義が実現できるように、少しでもこの裁判がそれを促進する手助けになることを願うものである。

                                    以上

                                                                 (印藤和寛)

 

○      添付資料一覧と註(1〜12)

 

(添付資料)    *ここでは掲載を省略しました。

1 2008年3月11日(夕刊)大阪本社版日本経済新聞と同日の朝日新聞紙面より

2 1952〜1965年に大阪市立の学校で使われた「誓約書」

3 「市外教」No.107(2011年3月23日)および「2010年度在日外国人教育に関する状況についてのまとめ」(2010年5月現在)(大阪市外国人教育研究協議会発行)

 

 

(註1)

ソウル聯合ニュース http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/03/14/

東日本大震災から4日目の14日、福島県では50人の在日韓国人の行方が分からなくなっている。

 福島韓国人商工会議所によると、福島県には在日朝鮮人を含めて約3000人の在日コリアンが暮らしているという。戸別訪問や電話などで安否の確認を急いでいるが、約50人の在日韓国人の行方が分かっていない。(中略)

 また宮城韓国人商工会議所によると、宮城県には4500人の在日韓国人がいるという。このうち津波の被害を受けた地区には70世帯が暮らしている。うち、10世帯の無事が確認されたが、60世帯200人との連絡は不通になっている。

 同会議所の関係者は「日本名を使っている人が多く、名前だけで同胞が被害に遭ったかどうかを判断するのは難しい」と話している。

 在日本大韓民国民団(民団)の岩手本部によると、岩手では1100人の在日が暮らしているが、今のところ被害の状況を正確に把握できていないという。

 (註2)http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000004368.html  2009年3月11日

韓国・朝鮮の文化を学ぶ機会に比べ、中国や、その他の国の文化を学ぶ機会は少ない。

 ● 子どもが通っている学校での母国文化の教育の有無(全体、国籍別)

                  学ぶ機会がある学校ある  機会がある学校ない  回答なし

全体                  55.9           31.8           12.3

韓国・朝鮮籍          64.0           26.7            9.3

中国籍                23.3           52.7           24.0

その他                14.6           78.0            7.3

学校での民族名(本名)の使用状況について

 ● 学校での民族名(本名)の使用状況(全体、国籍別)

           民族名   日本名   ダブルネーム  その他  回答なし

全体                  14.0       65.5       2.7       10.3       6.5

韓国・朝鮮籍          10.2       70.2       3.1       11.1       5.3

中国籍                42.0       37.3        0         8.7       12.0

その他                41.5       36.3      0          7.3       14.6

*ダブルネーム 例「鈴木 朴 太郎」など

*国籍別に本名の使用状況を見ると、韓国・朝鮮籍の使用率が低い。

 

http://www.pref.osaka.jp/koho/kocho/h19_busho/koho/20080107minnzokukyouiku_giji.html

2008年12月28日

本名使用率については、府費民族講師配置校(府域11校)では、約38%、市費民族学級設置校では、約13%(47校)、児童生徒支援加配校(多数在籍校)では、約25%と聞いております。本年度の在日韓国・朝鮮人児童生徒を対象とした民族学級等の設置状況は、小・中学校合わせて93校(昨年度は94校)となっており、参加率は、在日韓国・朝鮮人児童生徒の22.5%(昨年度23.9%)となっております。

 

(註3)在日外国人教育基本方針―多文化共生の教育をめざして― 大阪市教育委員会

平成13(2001)年6月  (以下一部抜粋)

《方針》

1.すべての幼児・児童・生徒がちがいをちがいとして認め、人権を尊重し合いながら共に生きようとする態度をはぐくむ。

A在日外国人教育の実践、国際理解教育の実践の一層の深化と全市校園への拡大を図る。とりわけ、「本名を呼び・名のる」ことができる校園の環境づくりをはじめ、「地域間格差や学校間格差」の解消に向けた実践研究に努める。

2.日本人の幼児・児童・生徒に差別を見抜く力を養い、民族的偏見や差別をなくしていこうとする意欲と態度をはぐくむ。

A日本人の子どもが、韓国・朝鮮人の友だちを韓国・朝鮮人として正しく認識し、在日韓国・朝鮮人の子どもが本名を名のることは、アイデンティティの確立にかかわることであり、その意義を理解するとともに、本名を呼ぼうとする態度を育成する。

3.在日外国人の幼児・児童・生徒の民族的アイデンティティの確立と進路指導の充実を図る。

(1)在日韓国・朝鮮人の幼児・児童・生徒の教育の推進

D在日韓国・朝鮮人の幼児・児童・生徒の本名を大切にすることの意義と必要性に対する理解を求め、本名を呼び・名のる集団づくりに努める。また、公簿類の本名記載を徹底するとともに、卒業証書(保育修了証)においても本名を記載し、生年月日は西暦で記入することを原則とする。

 

(註4)大阪府立の学校(高等学校等)では、2003年3月以降毎年、以下のような内容が教育委員会事務局から示され、各学校での入試合格者への説明会で配布されている。以下の文面は2003年のもの。

  「  互いに違いを認めあい、共に生きる社会を築いていくために

       生徒と保護者の皆さんへ         大阪府教育委員会

 希望を胸に、新たなスタートをきられようとしている生徒と保護者の皆さん、合格おめでとうございます。

 すべての人々の尊厳が守られ、基本的人権が尊重されることは、民主的な社会の基礎をなすものであり、こうした21世紀の社会の実現のためには、豊かな国際感覚と人権感覚を身につけることが求められています。このため、大阪府教育委員会では、国際理解教育や人権教育を推進しています。

 現在、大阪府内の学校には、日本と韓国・朝鮮との歴史的経緯によって日本で生まれ育った韓国・朝鮮人の生徒や、中国、ブラジル、ベトナム、フィリピンなど様々な国にルーツをもつ生徒がたくさん学んでいます。

 日本に固有の文化があるように、それぞれの国や民族には、それぞれの異なる文化や習慣、言葉、名前などがあります。そのような中で、これからの社会を担う皆さん一人ひとりが、互いの違いを認めあい、共に生きようとする態度を身につけていくことが大切です。それはまた、一人ひとりを大切にし、自分らしさを発揮することにもつながることです。

 こうした考えから、大阪府教育委員会では、各学校において、日本に住む外国人生徒が本名を使用することのできる環境づくりを積極的に進めています。

 そのため、次のような点を大切にしています。

  〇 本名を使用することは、自分らしさを大切にし、自らに誇りをもって生きること。

  〇  一人ひとりが、互いに違いを認めあい、共に生きる態度を身につけること。

 本名の使用については、個人の意志が尊重されるべきことはいうまでもありませんが、高校進学を機に、一人ひとりを大切にし、自分らしさを発揮することなどについて、前向きに考えていただきたいと願っています。 皆さんにとって、今後の高校生活が有意義なものとなりますことを心から期待いたします。」

 

(註5)http://freett.com/iu/memo/Chapter-010607.html#010607050000

(【サイト概要】2chとか定期巡回すると「お?」とか「あ!」とか「( ・∀・)つ〃∩ ヘェー」とかいうレスに出逢う。そういうネットで見つけた情報をアウトラインプロセッサでまとめたサイトです。)

1-6-7 既得権益

在日が要求し実現したもの、まだしていないもの

○1.公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)

○2.永住資格(非権利)

○3.犯罪防止指紋捺印廃止

○4.所得税・相続税・資産税等税制優遇

○5.生活保護優遇

○6.永住資格所有者の優先帰化  (以下略)

 

(註6)

http://rkrc5w2q.dyndns.org/cache/korea/academy.2ch.net/korea/kako/1026/10260/1026092794.html

(一部抜粋)

109 名前:   投稿日: 02/07/20 18:42

なんでチョンのくせに日本名名乗るの?

それで免許とかとったら氏名詐称じゃないの?

110 名前:   投稿日: 02/07/20 18:45

俺が「金正日」っていう通名を名乗ったらどうなるだろう?

111 名前:   投稿日: 02/07/20 18:49

>>109 外国人登録証には通名と両方併記してあります。

112 名前: フム 投稿日: 02/07/20 19:07

>108 仕事の都合で通名を使ってるって人も結構多いみたいですね。自分から言うくらいなら本人はあまり気にしてないとは思いますが・・・

115 名前:   投稿日: 02/07/20 19:36

なんでチョンだけが通名なんて公式に使って良いの?

132 名前:   投稿日: 02/07/21 15:14

>>129 運転免許には外国人登録に記載された名前が載ります。通名は変更が可能なので、通名が記載されることは少ないです。1970年代後半か1980年代に、警察は免許にはできる限り本名を記載することと指導したはずです。

 しかし、全くないということはありません。外国人の名前には、日本の漢字にないものやカタカナ書きするとおかしなものがあったりするからです。この場合には本国の名前をそのまま使うのではなく、通名を登録して、これを日本における本名として使うという場合があります。

 なお日本の法制度では1940年施行の創氏改名は有効ですので、この名前が外国人登録されていたら、これが記載されます。免許の「本籍・国籍」欄が「韓国」なのに、名前が日本風であれば、この可能性が高いです。

169 名前:   投稿日: 02/07/21 19:26

なんで通名とか創氏改名を許したんだろ。

朴とか金のほうが、すぐに鮮人とわかって良いと思うけどな。もちろん、帰化しても朴。

182 名前:    投稿日: 02/07/23 22:56

>>169 ほんとだね。江戸時代だって罪を背負うと腕に墨をいれらたのは、この人物はその手の人間なんだよと判別し差別するためだった。ところが朝鮮人からの要望があったからと言っても、日本人と同じ名前にしてしまうというのは総督府には余程、内鮮一体の理想主義者が多かったのだろう。

 

(註7)http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1300084368/-100

2ちゃんねる【地震】福島でも50人の在日韓国人が行方不明 「日本名を使っている人が多く名前だけで同胞が被害に遭ったか判断するの難しい」 [3/14]

2 :さん:2011/03/14(月) 15:33:27.40

だから通名なんかやめちまえ。

4 :さん:2011/03/14(月) 15:34:13.19

これを期に 通名 を 廃止しよう!!!これを期に 通名 を 廃止しよう!!!これを期に 通名 を 廃止しよう!!!これを期に 通名 を 廃止しよう!!!

5 :さん:2011/03/14(月) 15:34:24.38

バカチョンざまあw

6 :さん:2011/03/14(月) 15:34:30.41

日本名を記録してないのか?いやマジで

7 :さん:2011/03/14(月) 15:34:44.25

てか、自業自得じゃんw

15 :さん:2011/03/14(月) 15:37:52.68

今更通名を廃止するのは遅いと思う。だが遅すぎる、という事は無いとも思う。これは差別ではなく区別だ。

19 :さん:2011/03/14(月) 15:40:04.40

迷子の迷子の在日チョン♪あなたのおうちはどこですか♪国籍聞いても話さない♪名前を聞いたら2つある♪

21 :さん:2011/03/14(月) 15:41:55.15

コロコロ名前を変えられる通名制度は廃止しよう。

23 ::2011/03/14(月) 15:44:42.55

通名だから分からないんだよね。私は朝鮮人と体に墨でも入れておけば良いのにw

25 :さん:2011/03/14(月) 15:46:01.52

だから通名廃止しろよ、緊急時とか安否確認混乱するだろ。

 

(註8)

 銀行との取引に際してのこうしたことに証明が必要だろうか。筆者の経験では、ある銀行から融資を受ける(住宅ローン)に際して、契約書に氏名を書いて、生年月日の元号が書かれているのを消すのに、わざわざ訂正印を要求された。「私が外国籍だったらどうするのか、人権侵害ではないのか」と言っても答えはうやむやだった。別の都市銀行の口座開設に際しても、最後の最後に同様のことで、契約はこちらから願い下げにした。今年2011年、新しく設立された某銀行に口座開設を勧められて、その申込書がやはり生年月日が大正昭和平成にチェックを入れる形式で、一体この銀行は今のご時世に誰を相手に商売しようとしているのかとあきれてしまった。元号法に従って公官署はこの点同情すべき余地はある。しかし、例えば大学入試センター試験志願書には元号でしか生年月日が記入できず、府立外教運営委員長の当時(1995年〜96年)東京の大学入試センターに「外国籍生徒の人権侵害ではないのか」と電話で問い合わせたら、「それなら先生が元号に書き換えたらよろしい」という係官の答えが返ってきた。生徒が書く志願書を教員が勝手に書き換える!もし朝鮮人の生徒が本名で名前を書いたとしても、生年月日は元号表記!あきれはてて府立学校の中で署名を集め国立大学協会長宛に善処を要望したこともある。東京大学も9月入学など考える前に、することがあるだろう。金融機関も、国立大学も、「国際標準」が聞いてあきれる。

 在日朝鮮人が差別を受けている、ということを言うために、あんな事件、こんな出来事と、いわゆる差別事件を探す人もいる。しかしそうではない。ありとあらゆるところで、在日朝鮮人はその存在を否定され、普通にではなく例外として特別に扱われ、結果として通名と元号生年月日に誘導される。多くの在日朝鮮人が本名を名のらず通名を使っているという現実そのものが、朝鮮人の存在を否定し続けるとんでもない差別状況だということは、ところが多くの日本人にとっては「朝鮮人に日本名を名のらしてあげている」という優位感と善意のもとで理解されにくいわけである。

 

(註9)

 この点、実は様々な学校があった。1965年以降文部省事務次官通達「法的地位協定における教育関係事項の実施について」(1965年12月18日、通達「朝鮮人のみを収容する施設の取り扱いについて」と同時)により、日本の公立学校において朝鮮人の子どもは「日本人子弟と同様に取り扱うものとし、教育課程の編成実施について特別の取り扱いをすべきではない」とされ、学校行政上放置されていた中で、大阪市生野区の中学校では出席簿に本名と通名がすべて並べて列記され、府立布施工業高校では入学時から必ず本名のみで手続きさせていた、など。

 

(註10)

 在日朝鮮人の本名・通名をめぐってここから関西と関東で若干の違いが生じた。以下筆者が聞いた李殷直(リ・ウンジク)さん、小沢有作さんの話。1948〜49年の民族学校閉鎖に伴い、在日朝鮮人の民族教育のありかたをめぐって朝鮮人の中で深刻な論争が生じた。日本国籍があることを前提に、日本の民主化のために日本の学校へ朝鮮人の子どもを入れることを認める立場と、あくまでも朝鮮人の学校を守ろうとする立場であった。大阪では前者が大勢を占め、東京では後者が勝った。その結果、大阪では民族学校を放り出されて日本の学校へも行けない子どもたちが街角にあふれてたむろした。(やがて彼らを取り込んで愚連隊、後には山口組が街を制圧した。1972年当時、朝鮮人の生徒は筆者に「わたしらのまわり、暴走族と山口組ごろごろいてる」と言っていた。大袈裟だろうが。また、やがて1980年代以降中国残留孤児の子どもたちが続々と帰国した東京でどのようなことが生じたかも周知のことだろう。昨年の歌舞伎役者をめぐる暴力事件の背景も話題になった。)他方、1949年の東京では都立朝鮮人学校を経て、1952年以後多くの民族学校が自主学校として復活存続した。そうした状況が1965年以後に引き継がれた。(朝鮮学校生徒への通学途上での暴行迫害事件は引き続き起こったが。)在日朝鮮人の本名比率は、民族学校在籍の比率と相関しており、大阪では本名比率は低く、東京では比較的高いと言われる。

 

(註11)

ちなみに元来日本国憲法10条には「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあり、1984年までの国籍法でも「自己の意思」以外で日本国籍を失う場合は規定しておらず、他国に「帰化」した者でさえ日本国籍は維持されていると見なしていたのは周知のことだろう。古くは1920年のシベリア(ロシア)や間島(中国、1932〜45年の「満州」)での朝鮮人に対する日本帝国軍の振る舞い、また、比較的最近では日系南米移民の子ども(ペルー国元大統領)の日本国籍、日本での国会議員被選挙権問題を想起せよ。従って、なぜこのような法務府民事局長通達による日本国籍変更がそもそも合法的なのか、筆者にはよくわからない。形式的にせよ日本国憲法が基本的人権を保障する日本国籍者をどのようにしてそのように扱うことができたのか。平和条約との関係で条約が優先されるからなのか、はたまた、日本国独立以前の行政指示は日本国憲法に優先するGHQの命令と自動的に見なされるからか。最近の「レッドパージ国家賠償請求訴訟」判決(2011年05月26日、神戸地裁矢尾和子裁判長)が「国は連合国最高司令官の命令指示に服従する義務があった」と述べ、レッドパージの「解雇の有効性」を認めた1952年4月の最高裁判例を踏襲した(2011年5月27日神戸新聞・毎日新聞による)ことと同様なのだろうか。それにしても、独立前の最高裁判例をそのまま独立後の裁判所が踏襲するのも、一般人の常識では奇妙には違いない。ただ、日本帝国、連合国軍の占領下、独立した日本国という国家統治形態の変遷にもかかわらず法的には首尾一貫継続しているのだからと、説明はつく。

 反面、この「日本国籍剥奪」は、朝鮮人からは「日本国籍からの解放」ともとらえられたことも事実である。しかしこの朝鮮人の立場からする法的断絶と、日本国の立場からする法的首尾一貫継続性とを相互に関わらせて混乱させてはならない。外国人、別の民族としての在日朝鮮人の尊厳と日本国のそれへの対応は、外交関係がない時点においてはそれぞれ独立した別次元のものである。

 

(註12)

文部省初等中等教育局長通達「朝鮮人の義務教育諸学校への就学について」(文初財74)1953(昭和28)年2月11日

「朝鮮人子女の就学については従来日本の法令が適用されて、すべて日本人と同様に取り扱われてきた。しかるに平和条約の発効以降は、在日朝鮮人は日本の国籍を有しないこととなり、法令の適用については一般の外国人と同様に取り扱われる。

しかし、朝鮮人については従来から特別の事情もあるので、さし当り次の措置をとることが適当と考える。

(ア)日韓友好の精神に基づき、なるべく便宜を供与することを旨とすること。

(イ)教育委員会は、朝鮮人保護者からその子女を義務教育学校に就学させたい旨の申出があった場合には、日本の法令を厳守することを条件として、就学させるべき学校の校長の意見を徴した上で、事情の許す限りなお従前通り入学を許可すること。」

 

全朝教大阪創立40周年集会資料

 

 
 
     
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