創立の志が色褪せることはない 
 

 くらしの格差の拡大は、社会的不公正を生み出し、行きづらさを極めている。この間の社会状況の中で鬱積してきた不満は、社会を不寛容にして分断を広げていく。人権を踏みにじる意図的な差別言動も顕在化している。

 全朝教大阪(考える会)は、これまでの数多い試練に際し、反差別と在日朝鮮人の人権確立をめざし原理原則を貫き、諦めないでやってきた。在日朝鮮人教育運動を創生期から担ってきた46年である。

 中でも大阪市を舞台とした在日朝鮮人教育は、全朝教大阪(考える会)を中心とした教師たちが、被差別状況の中でこれまで教育の埒外にうち捨てられてきたマイノリティの子どもを教育対象として全力で向き合おうとした。つまりこれまでの教育の「思考停止」状態の風穴を開けるために、現在の在日朝鮮人教育実践・運動の世界を形作ったといえよう。それは、「荒れる子と荒れさせる状況という概念対を理解し、「被差別状況にある子どものもつ"差別"への即自的反発としての『荒々しさ』のもつ変革力を大切にする」/「教師に牙をむき、学校秩序を乱していく子を、かぎりなく『かわいい子』としてとらえていく」/「被差別状況の中で『荒れ』たマイノリティの子どもを丸ごと理解し、教育の埒外にあったその存在を内部化しようとする<包摂>の考えを表明した」ものとして、解放教育的な在日朝鮮人教育の世界を作り出したのではないだろうか。

 日本全国に数多くの在日朝鮮人の子どもたちが、日本の学校教育を受けているという事実を知らない日本人が多く、知っていたとしても、その事実がもつ意味を日本の社会の問題、日本の教育の問題として考えていこうとする日本人はそれほど多くはなかった。「誇りうる民族の歴史や文化や、言語を継承していく環境から隔絶され、民族をくらまして生きる。これほど非人間的な営みがあるのか!」という憤りが表出し、在日朝鮮人の子どもたちを教育の「主人公」としたいという思いで結成された、在日朝鮮人教育の実践者からなる全朝教大阪(考える会)は、今日の大阪市の在日朝鮮人教育実践を体現する市教組を中心とする教育実践運動の担い手の直接のルーツである。

 これらの生き方としての闘いは、@本名を呼び名のる実践を軸に据えた、A朝鮮を授業の中にしっかりと位置付ける、B民族同胞をつなぐ取り組みを作っていく学習権の保障<民族学級>、C実践を進める教育環境を整備していく<方針・指針策定>、D進路保障の問題、いわゆる国籍条項撤廃運動を含めた、同和教育でいうところの、進路保障は同和教育の総和であるといわれるような、子どもたちの将来をしっかりと見据える取り組みへと整理されていった。

 その後、運動のメルクマールとなったのが、「多民族・多文化共生教育」という名称に移ってきた90年代のことである。振り返ってみたい。

 

 「多文化共生」の語源は90年初頭で、社会的に認知されたのは95年阪神淡路大震災で設立した「多文化共生センター」などの市民運動であり、それが現状の日系人など外国人の激増と共に地方行政へと拡がっていった。在日外国人教育にかかわっていたものの中には、教育の分野で今この「多文化共生」の波に乗ることは、積み上げてきたものを絡みとられてしまうような危険性を感じており、「歴史も人権も抜きにして、沢山いるのですから一緒にやりましょう」というマジョリティ側を問わない発想であり、「ともに」ということばの中に潜む「わけてきた」行為がまったく問われないのなら、対処療法に終始するのではないかという懸念をもっていたといわれている。

 一方で、「多文化共生教育」は、在日朝鮮人の教育権を保障する運動をしてきた人たちが、1991年から今後増えるであろう外国人の子どもたちを想定して戦略として使用するようになったことばなのである。そのことさえも、検証できないほどの勢いで国がすすめようとしている施策とは一線を引くべきだとも指摘されていた。

 さらには、「多民族共生」という言葉が使われはじめた。これは、故小沢有作さんが使いはじめられた。小沢有作さんは、「欧米産の多文化教育ということばがよくつかわれているが、文化の基底をなす、その人の民族としての生き方を大事にし、それに文化が付随してくる意味で民族共生ということばを使ったということです。多文化化だけでは、民族の平等と共生の課題が言語や文化の問題に倭小化される」という認識であった。こうした中で初期の段階に、頻繁につかわれた用語は「多民族共生」「多民族・多文化共生」といったものであった。それは、数的にも組織的にも歴史的にも日本の中で唯一反差別の民族教育運動を培ってきた在日朝鮮人(外国人)教育に関わるものたちが、当時は数も少なかったニューカマーが、日本語という同化教育にのみ晒されないように張った最初のバリアだったといえよう。

 その後、在日朝鮮人もニューカマーも「民族」では括れないことも念頭においてか、大阪などを中心とした外国人教育にかかわる教員たちの組織が、92年以降にスローガンとして「多文化共生教育」、「ちがいを豊かさに」を唱えるようになったと、分析できる。そこで、この時代の流れに沿って、2001(平成13)年6月 大阪市教育委員会が策定した『大阪市外国人教育基本方針』の副題が―多文化共生の教育をめざして― となっているわけだ。ただ、これは取り組みの成果としてこの名称にあらわされたということである。

 ここまで全朝教大阪(考える会)運動を追懐したのは、本号が紙媒体としての『むくげ』の最終号となるからである。創設以降、運動の柱を担ってきた会誌『むくげ』であり、誠に無念であるが、印刷費や郵送費の削減など止むを得ない判断である。今後は、電子版『むくげ』として不定期で発信する予定である。

 引き続きのご協力ご支援を心よりお願い申し上げる次第である。(冨田 稔)

 
 
     
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