中国語と朝鮮語は
どう違うか?

 中国語と朝鮮語はどう違うかと聞かれることがよくある。そういうとき、私は中国語と日本語ぐらい違うと答えることにしている。まず中国語の実例から見てみよう。

上海人民美術出版社『絵画百家姓』より

これは、「呉」という姓の由来を中国簡体字で記したもので、日本の漢字に直すと、「周人還没有奪得天下的時候、周太王的児子太伯、仲雍為了把王位譲給弟弟季暦、就逃往東南沿海、在江蘇蘇州一帯建立了呉国。春秋後期、呉国被越国攻滅、呉王的子孫就以国名当了姓。呉氏後来成為中国十大姓之一」となり、「周がまだ天下を奪い取って(=中国を統一して)いなかったころ、周の太王の息子の太伯と仲雍が弟の季暦に王位を譲って、東南の沿海地方に逃げ去り、江蘇省の蘇州一帯に呉国を樹立した。春秋時代の後期に呉国は越国に責め滅ぼされ、呉王の子孫は国名を姓とした。呉氏は、のちに中国の十大姓の一つになった」。一つ一つの単語(=字)の独立性の強い中国語の特徴がよく表れており、単語の並べ方も日本語とは全然ちがっていることが分かるであろう。

 つぎに朝鮮語の例をあげる。日本語の漢字かな混じり文のように、朝鮮半島でも漢字ハングル混じり文が古くから行われてきたが、戦後はハングル専用の風潮がしだいに強まっている。日本語の場合「商」という字をかなにすると「しょう」というように3文字になるが、ハングルの場合は一つの漢字はハングルにしてもやはり1文字であることが、ハングル専用を容易にしたと考えられる。また、漢字ハングル混じり文が漢字かな混じり文と異なるのは、訓読みがないことである。つまり、漢字で書かれるのはすべて漢語であり、日本のやまとことばにあたる固有語はハングルで書くことになっている。「志」が「こころざし」となるようなことはないので、この点でも、ハングル専用にしても字数は増えない。また、漢字は中国で「繁体字」と呼ばれる昔ながらの漢字が用いられる。かつて植民地支配した日本が新たにつくった字体を採用するはずも、ながく「北」の後ろ盾となってきた中国の簡体字を採用するはずもなかったからである。台湾でも韓国同様、昔ながらの漢字が用いられている。香港やマカオはこれから簡体字になっていくのだろうが、今は繁体字を用いている。一口に漢字文化圏というが、戦後は、漢字文化圏の中で3種類の漢字が用いられることになってしまった。

『露日戦争前後日本の韓国侵略』(1986 一潮閣)より。
学術書には今も漢字の多い本が見られる。
日本語訳の正解はこちらにある。

 ここで取り上げた朝鮮語の例は、とりわけ漢語の多い文章であり、ハングル部分は主に助詞、助動詞の類である。一見して日本語そっくりであることがお分かりであろう。「ユロップ」とよむ유럽が「ヨーロッパ」のハングル表記であり、보통がすっかり朝鮮語にとけこんだ「普通」という漢語であることだけことわっておけば、朝鮮語をまったく知らない人でも、これを日本語に訳すことは難しくはない。ただし、これを耳で聞けば、漢字の読み方が日本とは違うのでまったく分からない。また、小説のようなよりやわらかい文章はずっと固有語の比率が高い。朝鮮語と日本語は文法的にはきわめてよく似ており、ともに漢語が多いが、固有語同士はほとんど似ていない。「め」は「ヌン」、「はな」は「コ」、「みみ」は「クィ」、「くち」は「イプ」という具合である。このため、固有語が多く、朝鮮人には「やさしい」と感じられる小説は、日本人にとっては、硬い論文より遥かにむずかしい。

 1950年代の李承晩時代の千ウォン札。「ウォン」は「円」の朝鮮漢字音。隅にハングルが見えるが漢字が主体。現在の韓国紙幣に漢字は全く見られない。

 欧米人には日本語を中国語の一種ぐらいに考えている人が多い。しかし、日本人はそれを笑えない。朝鮮語を中国語の一種ぐらいに思っているのなら、それと同じぐらいひどいあやまりだからである。かつて日本は朝鮮を植民地支配していた。それを正当化するためには、朝鮮文化の独自性を認めないという政治的意図のもとに作られた偏見の後遺症もあるのだが、朝鮮の固有名詞(人名、地名)がすっかり漢語になっていることも、誤解を招く一因になっている。しかし、固有名詞というものは、かつてスペインの植民地だったフィリピンの固有名詞の多くがスペイン語になっているなど、意外と借用が起こりやすい。だからといってスペインから遥かに離れ、人種的にも異なるフィリピン人が話すタガログ語などをスペイン語の一種と考える人はいないだろう。これに対して、中国と朝鮮の場合は、近くて人種的にも近いことが錯覚を引き起こしているのである。英米人の個人名の多くが、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語起源であることも考え合わせていただきたい。

 よく中国語と朝鮮語が音声的に似ているという人がいる。私には、この二つの言語は音声的にも根本的に異なっており、同じように聞こえるというのが不思議でならない。同じだという思いこみがあるからではないだろうか? 中国語は、声の上げ下げ(声調)で語を区別する言語(声調言語)である。同じmaであっても、「まあ、ひどい!」のように甲高く引っ張れば「お母さん(媽)」、「まあ、ほんとう?」のように尻上がりに言うと「麻」、「まーあ、困ったわね」のように低くうめくようにいうと「馬」、「まあ、何とかなるさ」のように高く言い始めて声を急に低めると「罵る」という意味になる。中国語のこの特徴は、東南アジアの多くの言語と共通だが、朝鮮語は日本語同様、まったく声調言語ではない。

      


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