東京都知事石原慎太郎氏の  
いわゆる「三国人発言」に対する
抗 議 声 明

2000年8月15日
                   全朝教大阪(考える会)運営委員会

 
  私たちは去る7月7日大阪で「歴史認識と在日朝鮮人教育」についてのパネルディスカッションを開催した。そこでの議論をもとに、4月9日の石原東京都知事の発言に対して以下のように見解を表明し、石原氏に抗議する。 

 1 「三国人」という発言は不当な差別発言である。 

 石原氏は発言について弁明する4月10日の記者会見で次のように述べている。 

「それまでの日本にいるかっては日本人だったかもしれないが、今は国籍を違えた人々のことを私たちは三国人と呼んでました。」

 この発言に含まれる時間軸のぶれ、間違い、を認識していないために、石原氏は自分の発言が差別発言であるとは理解できなかった。その結果、石原氏の弁明は、「在日韓国・朝鮮人をはじめとする一般外国人の皆さんの心を不用意に傷つけたとしたなら、それは私の本意ではなく遺憾であります。一般の外国人の皆さんの心を傷つけるつもりはまったくないので、今後はその言葉はいっさい使わぬように致します」というように、「外国人の心を傷つける」言葉だから使わないという、心の問題、言葉のあやの問題にとどまらざるをえなかった。

 それでは、石原氏の間違いはどこにあるのか。

「かっては日本人、今は国籍を違えた人々」という発言は、日本(1947年5月2日までは帝国)の立場では前半はその通りであり、後半については、その「今」が「三国人と呼んでました」の今ならば、日本の立場からも間違いである。 1945年から1952年サンフランシスコ平和条約発効までの、石原氏の言う「戦後の混乱」「青空市場」の「当時」、朝鮮人や台湾出身の中国人は「国籍を違えた」のではなく、いまだ国籍は日本であり、かつ将来に向けてその国籍は未確定であった。

(講和会議の進み方如何によって色々な可能性はあった。日本政府は韓国の講和会議出席をおそれ、対馬の領有権についてさえ懸念していた。また、講和成立の時点での国籍選択も考慮されており、在日朝鮮人を日本の「少数民族」であるとする見解も広く行われていたことは周知の通りである。)

「戦後の混乱の中で日本人が迷惑させられた居丈高な外国人」は、日本の立場からは実は外国人ではなく、日本国籍であった。この点が石原氏の第一の間違いである。

従って、「(第)三国人」という言葉は、戦争当事者としての連合国軍と大日本帝国政府の相互の視点を前提に、日本政府当局やマスコミが流用し、日本国籍でありながら選挙権等を剥奪され外国人登録令の下で管理されるという、「日本人でありながら日本人でない」「外国人でありながらその国籍を持たない」、つきつめれば、いわば「二等日本人」または「無国籍外国人」としてのニュアンスをもって日本人の間で使用されたものである。

 この「当時」の時点においては、中国人や朝鮮人の側から当然これを不当だとする主張はなされるだろうが、日本人自身が大日本帝国による植民地支配を反省せず、そのまま連合国軍の支配に移行したその法的継承性を前提にするなら、「三国人」という言葉の存在自体を否定することはできないだろう。だから、石原氏の立場からして、その「遺憾」の言葉(当該の人々が嫌う用語はあえて使わないという)は、この1952年までの時期であれば、有効であった。

 それでは、1952年以後はどうなのか。

 大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が既に成立しており(中国、台湾の問題はここでは省略する)、かってのいわゆる「三国人」は日本国籍を失って外国人となった(「日本国籍から解放されて」なのか「日本国籍を剥奪されて」なのかはここでは問わない)。この限りで、「三国人」とは今(1952年以後の今)言う「外国人」のことだという『大辞林』の記述は正しい。「三国人」は歴史上の、過去の言葉、死語となった。。それ以降の世代がこのような言葉を知らず、何のリアリティーも持てないのは当然だ。繰り返しになるが、現に中国も台湾も、大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国もそこに存在し、かつて「三国人」と呼ばれた人々は、今、外国人として日本に存在する。

その今になって、外国人をわざわざ「三国人」と呼ぶというのが、石原氏の第二の間違いである。

それは客観的にどういうことか。

外国人を、「二等日本人」「無国籍外国人」という1952年までのあいまいな状態の存在と呼んで貶めたということである。法制度上、外国人としての当然の権利を持つ人々に対して、私はできることならあなたがたを正当な外国人としての権利を持つ人間とは見なしたくない、と、言明したことである。そういう主観的でナンセンスな差別暴言をなしたということである。

 大日本帝国が「帝国臣民、日本国籍」とし、1952年に日本国が一方的に「外国籍」となした人々を、あらためてまた一方的に「日本国籍」当時の呼び方で呼んだ、このことへの石原氏の後始末はまだなされていない。

 (石原氏は4月9日の発言の前段で「アメリカは、あのいびつな憲法に象徴されるようにこの日本の解体を図って」と述べている。この、アメリカに対して表面上ナショナリティーを発揮するかのようにみえる人が、こと朝鮮・中国に関わっては元来大日本帝国と連合国軍の相互の視点からの用語である「三国人」をそのまま流用し、大日本帝国・GHQ共同の史観に乗ってしまう。その結果として、朝鮮・中国については、大日本帝国程度、あるいはアメリカどころかそれ以下の認識しかもてない。このことは、戦後の「極東裁判史観」を表面上批判する、いわゆる「自由主義史観」とも共通する問題であり、そのような論理では自前の新しい朝鮮・中国・アジア認識を持つことすらできず、そのゆえに日本はアジアの中でも、アメリカの後ろにつくか、あるいは一国で落後するほかはない。ここでは指摘だけしておく。)  

 2 石原氏の言う「三軍」が「東京を防衛する」「大演習」に際して、「不法入国した多くの三国人、外国人」を敵として想定せよと呼びかけるのは、外国人一般への不当な差別・攻撃を都民一般に扇動する行為である。 

  外国人がもつ基本的人権は、「不法入国」であろうがなかろうが当然存在する。犯罪違法行為があればその限りでの対応措置、場合によっては処罰(行政罰あるいは刑事罰)が対応する。当たり前のことだ。

だからといってなぜ、ある種の外国人(石原氏の言う「不法入国した外国人」)が「東京を防衛する」際の主要な敵と想定されなくてはならないのか。

「軍隊」にとっての「敵」とはなんなのか。この点の認識の不足による混乱と主観的なご都合主義にもとづいて、「不法入国」(この言葉自体の定義も必要だがここでは触れない)の外国人は、想定される「敵」だそうだ。「敵」なら殺してよい。「国民」なら「軍」に協力して当然だ。こう石原氏は呼びかけたわけである。しかも、日本国憲法のもとでの自衛隊に向かって。

 なるほど「軍隊」をその本来の任務で出動させるには「敵」が必要で、東京を「防衛」する「国民にとっての軍隊の意義」は確かにそこにある。石原氏が望むような「軍」と「国民」にとってはそうである。昨年以来の「日米防衛協力のための指針」もあろう。しかし、現実には、自衛隊は「軍」ではないし、国民は石原氏のいうような「国民」ではない。

 「神戸と東京は違う」と石原氏は言うが、念のために、参考として、述べておこう。阪神淡路大震災の時の自衛隊の行動である。

 初発出動が遅れたことによって、救うべき人命が失われたことの問題は既によく論議された。その後遅れて伊丹から出動した陸上自衛隊は、銃器を携行して王子公園に進入し、神戸市民の失望と冷笑をかった。街に出た自衛隊は、戦闘用の服を着て、瓦礫の街で何をしているのかもよく見えず、やがて、臨時の「風呂(湯)」をつくることではじめて切実な市民の役に立ったのである。そのことに市民は素直に感謝した。当時は、広域暴力団山口組でさえ、救援活動につくしていたのである。また、身一つで東神戸朝鮮初中級学校校庭に避難した人々は、「国籍」「不法入国したかどうか」を予め問うことなく(当たり前の話だが)、今ある生命を互いにいたわり、守り、助けあった。

 自衛隊の出動を要請するとき、都民を代表して石原氏がまず要請しなければならないことは、一にも二にも救助、救援である。「不法入国」した外国人を含め、すべての都民を救助、救援することである。

そうではなくて、治安維持だというのであれば、石原氏はその論理的前提として、不意に起こるかもしれぬ災害に、ことあらばと何百年予め備えて待機しているような、のんびりした「国際的犯罪者集団」を主観的に想定していることになる。これが石原氏の第三の間違いである。

 不意の災害は、都民一般(外国人を含む)をも、自衛隊をも、「国際的犯罪者集団」をも、同時に、突然襲う。この「国際的犯罪者集団」(もしそれがあったとして)の構成員さえ、救助・救援しなければならないのは当然のことである。その後で、社会的混乱が起こるかどうかは、それこそ常日頃の社会基盤が露呈する問題に他ならない。その社会基盤、さまざまな社会集団の間の信頼関係を作るために、多くの人々が国籍・民族・人種を超えて努力しているのである。その上に立ってこそ「犯罪」への対処も可能となる。石原氏の発言は、この努力にたいしても、主観的な「敵」「味方」の二分法、相互の敵対関係を持ち込み、その努力自体に攻撃を加え、二分法のうち相対的多数者の相対的少数者に対する差別・攻撃を助長したわけである。石原氏はその結果、自身の言う「治安維持」の根本的な基盤を、自ら破壊するよう呼びかけていることになる。このことについて、石原氏は今のところ弁明すらしていない。

学校で目の前にいる朝鮮人生徒、外国籍生徒の教育を考える中で、この石原東京都知事の発言はどうしても見過ごすことができない問題である。なぜなら、日本の学校で、現に在籍する韓国人生徒をはじめとする外国籍生徒を、多くの日本人生徒とともに教育する、そのさまざまな努力の根本には、安心して自分を、民族を表現することのできる教室や学校全体の基盤づくりが前提としてなければならないからである。家庭や社会での安心できる基盤づくりがさらにその前提だからである。

 私たちは、学校や地域で、朝鮮人生徒が安心して自分を、民族を表現することができる場を保障するために「民族学級」、民族の集いを作り、そのことを通して日本人生徒の中にも真の国際理解を育くみ、多文化・多民族共生の学校と社会を実現することを目指してきた。現に昨年末には、大阪府内の小中学校だけを見ても、180校近くで「民族学級等」が実施され(大阪府教育委員会調べ)、大阪府下大部分の市や町、大阪市内の各地域でさまざまな民族の集いが開催されている。 私たちは、学校関係者、行政にたずさわる心ある人々とともに手を携えて、この基盤を守り、改革し、発展させていくために努力する。

 その後のテレビ朝日の放送での石原氏の「北鮮」発言については、「北鮮、北朝鮮」と繰り返し言い換えることによって、本人はこれを単に北朝鮮を省略した言葉だと主張したいようである。本人が親しい人もいるという韓国へ行って、「南鮮」と繰り返して公言することができたなら、それを信じよう。韓国は朝鮮とは違う、と言うだろうか。しかし、朝鮮も、かつての朝鮮とは違うのである。

だからもし彼が、なぜ使うことができないか、あるいは自ら意思して使わないかを考えてみれば、それが日本人一般の過去にさかのぼる朝鮮認識に関わる問題だということに思い当たるだろう。まだ在日朝鮮人が「第三国人」と呼ばれていた頃、連合国軍の占領下の日本にあって、朝鮮南北に成立した国家をいまだ承認せず、「南鮮」「北鮮」と呼んでいた頃の思想と言葉を、石原氏はあえて使うことによって、「北朝鮮」だけでなく朝鮮全体(韓国と言い換えても同じこと)を侮蔑したことになる。

 「朝鮮」や「外国人」を口先で馬鹿にすることによってしか自尊心を保つことができないような日本人にならぬよう、そして、「朝鮮」を含む国際社会で名誉ある地位を占めることができるよう、できれば石原氏とともに、自戒したいものだ。  

*文中「朝鮮」と「韓国」は同意味の言葉で、南北を総称して使っています。 

*全朝教大阪(考える会)、正式には、全国在日朝鮮人教育研究協議会大阪(日本の学校に在籍する朝鮮人児童生徒の教育を考える会)、は、1971年に大阪で設立された日本人教育関係者の団体で、代表者とその連絡先は下記の通りです。                    

全朝教大阪(考える会)     代表 印藤和寛  
    連絡先 Eメール intou@wombat.zaq.ne.jp


 


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