五行説とハングル

五行図。相生、相克
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 五行説とは宇宙を木火土金水(もっかどごんすい)の五つの元素の組み合わせとする考え方で、すべてを陰陽に分ける考え方と組み合わされて、中国の戦国時代に陰陽五行説として流行した。日本人には曜日や惑星の名前として親しまれている。

 五行説の中で最も大切なものは、黄土を耕す漢民族が考えたものらしく、「土」である。五行説ではさまざまなものを五つに分類する。たとえば色は木火土金水の順に青赤黄白黒が割り当てられる。しかし、方角や四季をあてはめるときには、どうしても一つ足りない。方角の場合は東西南北ではなく東南西北(麻雀でおなじみのトンナンシャーペイ)の順に、四季の場合は春夏秋冬の順に木火金水が割り当てられる。土が割り当てられるのは、方角の場合は中央であり、四季の場合は土用である。

 土用というと、日本では平賀源内の発案でうなぎを食べる日として夏の土用ばかりが知られているが、本来は土の作用が強まるときということなのだから、春にも秋にも冬にも土用はある。「木」に割り当てられる色と季節を組み合わせた言葉が「青春」である。「火」の場合は「朱夏」となり、宮尾登美子の小説の題名となる。「金」の場合は「白秋」となり、有名な詩人のペンネームとなる。北原隆吉が「白秋」と名乗ったのはわずか17歳のときだったが、詩人にはませた人が多いから、もう青春を過ぎたというつもりだったのだろうか? 白は雪の色で冬ではないかと思われがちだが、冬の色は黒である。これを方角に当てはめると、東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武となる。東南西北や春夏秋冬に入らない「土」がなぜ黄色なのかというと、黄河の流れる黄土の上に住む漢民族が考えた宇宙観だからである。

PIZの宝石箱より惑星と曜日 惑星と曜日の名前は五行と同じである。しかし、惑星は水金火木土、曜日は火水木金土という順で、五行の木火土金水とは異なっている。これは、どうしたわけだろうか? 現在、中国では一週間を「星期」とよび、日曜を「星期日」、あとは月曜から順に「星期一」「星期二」と呼び、五行に由来する名は用いていない。しかし、日本の七曜は、空海が唐から持ち帰った『宿曜経』によるもので、それをもとに宮中では『具注暦』という暦が作られた。

 七曜の起源はさらに遠く古代メソポタミアに由来する。当時は、地球を中心に、その周りを月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星の順に回っていると考えられていた。そして、1時間刻みで、遠い惑星の順に時間を支配するとされていた。そのため、一日を24時間とすると、それぞれの日の第1時を支配する星が、土日月火水木金の順になるのである。

 しかし、曜日の名前のもととなった惑星に、五行と違う順番で名前がつけられた理由はよく分からない。西方あら伝わった星にもともと五行にあてはめられていた中国古来の星の名を別の基準であてはめた結果、月水金日火木土の順になったのかも知れない。この問題については、まだ明確な答は出ていないようである。
 日本での七曜の使用は古いものの、長い間それは宮中に限られており、庶民にいたるまで一般化したのは明治以降であり、西洋の習慣を取り入れたものであることは確かなようである。

 朝鮮半島で用いられるハングルも、子音の部分に関しては、この五行説を参考にして作られている。ハングルでは子音は「牙音」「舌音」「唇音」「歯音」「喉音」の五つに分けられ、順に、ㄱ、ㄴ、ㅁ、ㅅ、ㅇが割り当てられた。ㄱは[k]、ㄴは[s]、ㅁは[m]、ㅅは[s]、ㅇは子音が無いことをそれぞれ表している。これをもとにして、たとえばㄴからは響きが高くなるたびに一画を加えるという方針でㄷ[t]やㅌ(tの激音、英語のtはこれに近い)が作られた。

 朝鮮半島の文字がハングル(大いなる文字)と呼ばれるようになったのは比較的新しく、日本に併合される前後のことであり、それまでは諺文(オンムン)と呼ぶのが一般的で、日本では「おんもん」と呼ばれていた。たしか、私も高校生時代にはそのような名前で習った記憶がある。しかし、「諺」という字は、ほぼ「俗」という字と同義であり、中国にない文字を作ることに反対した朝鮮の漢学者が「いなか文字」というつもりでつけた蔑称なので、今日では用いられない。

 ハングルは、15世紀半ばに、李氏朝鮮で最大の名君とされる世宗が集賢殿という一種のアカデミーの学者(=高級官僚候補生)たちとともに作った文字である。その成果としての文字の一覧表とそれぞれの説明は、訓民正音という書として出版された。計画的に作られた文字であり、もとにしたインド、中国の音韻学のレベルも高いので、今日の言語学者がつくってもそのレベルをしのぐのは難しいほどの文字である。とくにローマ字などに少ない母音字が豊富なことがと特長である。

韓国民俗村で筆者撮影 「訓民正音」の原本(漢文)は長く失われ、そのハングルによる注釈本(諺解)だけが伝えられるという期間が長かった。そのため、字形の起源が分からず、左の写真にあるような障子の枠や丸い引き手から考え出されたなどという俗説が長く行われていた。ㄱ[k]は口の奥で息が引っかかる様子、ㄴ[n]の縦棒は上の前歯を横棒は舌の先端を示し、ㅇは子音がないことを示す字母なので、母音が出てくる気管の断面だというように、発音の際の様子をかたどったとするのが訓民正音原本の説明である。「訓民正音」の原本が慶尚北道の旧家からみつかったのはやっと1940年のことであった。ハングルの母音部分は陰陽説や「天地人」の「三才」説に基づいている。とくに陰陽説に基づき、陰か陽かで言語を二元的に分析する方法は、近代西欧の言語学の二項対立の理論ときわめてよく似ている。時代順にそえば、近代西欧言語学の手法が陰陽説に似ているのだが、それはたまたまであろう。ハングルの母音部分や陰陽説については、別稿の三才の理とハングルを参照されたい。

       


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