もう差別はないからこんな取り組みはしないでほしい」と生徒が書くんです!、の声にどう応えるか 教員生活三十六年間を振り返えって

            大阪市立平野北中学校、鶴橋中学校、玉津中学での在日朝鮮人教育実践

   
藤谷 悦子   

*2012年に「むくげ」掲載予定でそののままになったものです。なお
              むくげ
98号、1985年8月に掲載の実践報告「オファミって私のことやねん」(平野北中三千里の会の実践)をご参照下さい。(編集委員会) 

1 はじめに

 私は、今年2011年三月に大阪市立玉津中学(東成区)を最後に退職しました。その間に平野北中学で三千里の会、鶴橋中学で朝文研を立ち上げ、玉津中学ではウリマダンにかかわってきました。

平野北中学「三千里の会」が、今年創立三十周年を迎えると聞き、そのころの中学生の作文を読んでみると、自分が在日韓国・朝鮮人であることを深く考え、思い、悩んでいたんだなあと思います。

しかし、最近の韓流ブームの中で、韓国に対する意識は大きく変わりつつある。ある中学生は、韓国ドラマをオモニと見ているときに、「あんたもこの国とルーツがあるんやで」と突然言われて、「嬉しかった」と言っています。また、ある中学生は、離婚して別居中の父が、韓国人であることを母(日本人)が隠していたことを「許せない」と怒っています。この生徒は、ずっと民族学級に来たかったけれども、ルーツがないのでこれなかった。でも、この事実を知った翌日から、民族学級に来るようになりました。

 

2 なぜ在日韓国・朝鮮人問題にかかわるようになったのか 

この質問はよく言われます。「なんで先生は日本人なのに・・・・・・。」

私が、在日韓国・朝鮮人に関心を持ち始めたきっかけは、大学一年のとき(1972年)でした。入学式の後、クラスで自己紹介をしました。そのとき、一人だけ、黒板の前に出て、自分の名前を黒板に書いて、読み方まで紹介した人がいました。それは、その人の本名宣言だったのですが、私は、その意味がわからず、目立ちたがりで、変わった人としかとらえることができませんでした。その後、彼に何故そんな変わった名前なのか、聞きました。彼は、その日に初めて権(クォン)と言う名前を使ったことを教えてくれました。そして、その名前にたどりつくまでの苦難の歴史を話してくれました。高校の時好きだった人がいたけど、自分が韓国人だと知ると離れていったこと、サッカーをしていて、その高校が国体に出ることになったが、自分だけメンバーからはずされたこと、そして、アボジは、強制連行で九州の炭鉱で働いていて、それがもとで早くに亡くなり、オモニは、廃品回収しながら、自分を育ててくれたこと。

私は、自分の無知を恥じました。無知であることはどんなに相手を傷つけるかも知りました。

私たちが学生のころは、在日韓国・朝鮮人に関する歴史も学校で教えられることはありませんでした。そんな時、大学で、在日韓国・朝鮮人に対する差別発言が起きました。「朝鮮人は朝鮮に帰ればいい」「朝鮮人に仕事をとられる」

たぶんその発言をした人も在日韓国・朝鮮人の歴史を知らず、そんな発言になったのだろうと思い、その発言をした人と話をしました。それがきっかけで、大学に、在日韓国・朝鮮人の歴史を教える講座と朝鮮語の講座を設置させました。また、このことは私が教師になることを決意させたきっかけでもありました。

 

3   平野北中学「三千里(サムチョルリ)の会」の創設 

平野北中学に赴任したのは、ちょうど平野北中学創立の年でした。同和教育推進校として、新しい取り組みをしようと出発した学校でした。そんな取り組みの中で、在日韓国・朝鮮人の生徒と出会い、まだ未熟だった私に多くの問題提起をしてくれました。

1982年、Mが、「民族学級を作ってほしい」といってきたのをきっかけに、3年の2人と、2年の4人の韓国・朝鮮人生徒と、同和教育担当部の教師で話し合いを持った。

彼らは、「部落差別に対しては、学校は取り組むのに、朝鮮人が差別されても内輪の話だけで済まされた」

「道徳でも、朝鮮の正しい歴史を教えてくれない」

「子ども会の子らは自分たちで差別されたことを話し合えるけど、私らは朝鮮人同士で集まって話す場がない」と、問題提起していった。そして、在日韓国・朝鮮人への差別が今もあることをわかってもらうために、自分たちの被差別体験を語っていった。

「小学校のとき、仲のよかった子に自分が韓国人だといったら、そのお母さんが『朝鮮人の子と遊んだらあかん』といって、それから遊んでくれなくなった」

「みんなのいる前で『朝鮮人』と言われた」

このときの話し合いを通してはじめて、今まで表面上は「日本人」のように明るく振舞ってきた彼女らが、実は心の奥底で、こんなにも悩み、苦しんでいたことに気づき、朝鮮人生徒の集まりの場が必要であることを確認した。

こうして平野北中学「三千里の会」は、出発しました。はじめは、教室に入るのも誰にも知られないようにコソコソ入ってきました。教室の中からも鍵をかけ、カーテンを閉めて活動していました。このころの在日韓国・朝鮮人の置かれていた状況がわかると思います。在日韓国・朝鮮人だとわかるとマンションに居れなくなるとか、仕事がなくなるとか、どれだけ日本人の差別意識が強かったかわかると思います。今のような韓流ブームとは程遠い状況でした。また、このころは、中学二年生の誕生日に自分で区役所に行って、外国人登録をする制度がありました。そこで、右手人差し指の指紋をとられたのです。しかも、四年に一度。このとき、私のクラスにいた在日韓国・朝鮮人生徒は、「先生、日本人は、朝鮮人の指紋は四年に一回変わると思っているんやろうか」と言って来ました。鋭い指摘です。こんな当たり前のことに日本人が気づかないといけない。

しかし、コソコソかくれて活動していた彼らが変わるきっかけは、日本人生徒の意識だったのです。「かっこいい」「きれい」「私にも着せて」と言って、活動室を訪れる日本人生徒の意識が、「隠さなくてもいいんや」、「隠さないって楽やなあ」と、在日韓国・朝鮮人の心を変えていきました。

 

4 平野北中学「三千里の会」文集から

○私が二年のとき、卒業式で二人の人は、堂々と本名を名乗って卒業していきました。私はそのとき自分が嬉しくてたまりませんでした。なぜなのかはわかりません。でも嬉しかった。なんか朝鮮人として堂々と生きられそうな気がしました。私も卒業まであと二年。卒業式のときは絶対本名で卒業しようと思いました。だからもっともっとたくさんのことをやりたいです。そして堂々と朝鮮人としての誇りを持ち、差別をなくしていきたいです。そのためにはやっぱり一人でも勇気を出して、日本人の前で「自分が朝鮮人なんだ」といえるようにしなければならないと思います。あと一年でやってないことをいっぱいして、満足したところで卒業していきたいです。

○私は、小学校に行くときも、中学校に行くときも、就学通知書が来なかった。何人かの友達で中学校のことをしゃべっていたら、就学通知書の話になった。みんな、「来た?」「うん来た」て言い合っていた。私にも聞かれた。「ううん、まだ来てないよ」「なんで?みんな来てるのに」と言われたので「知らん、遅れてるのとちがうかな」とごまかした。外国人というだけで、就学通知書が来ないのがいやだった。私は、学校に行ったらあかんのかなと考えた。外国人だけもなぜわざわざ区役所まで行くのか、三千里の会に入るまでわからなかった。三千里の会に入って、いろいろわかってよかったと思う。

 

 5 平野北中学「三千里の会」で、韓国・朝鮮人に関するアンケート調査(全校生徒対象)

韓国・朝鮮人に関するアンケート調査(全校生徒対象)は、実施して、その回答を読んでいく中で、日本人の韓国・朝鮮人に対する意識を知り、深く考えるきっかけになったと思う。

アンケートの内容は、三千里の会で考え、実施した。

一.    現在、日本に何万人くらいの韓国・朝鮮人がすんでいると思いますか。 65万人 57%

二.    日本で韓国・朝鮮人が一番多く住んでいるところはどこだと思いますか。大阪    77%

三.    現在、日本の社会で韓国・朝鮮人に対する差別はあると思いますか。 あると思う 58%

四.    今まであなたは韓国・朝鮮人を差別したことがありますか。     ある31%  ない40%

五.    あなたは本校に「三千里の会」があることを知っていますか。   知っている 88%

 知らない    8%  

六.    あなたは「三千里の会」の新聞を読んで何についての記事が特に印象に残りましたか。

外国人登録法 52 %

七.    外国人登録法についての記事を読んでどう思いましたか。

外国人差別だ ひどい 廃止、改正すべきだ 27%

      常時携帯義務は厳しすぎる                6%

      指紋押捺は犯人扱いで差別だ            15%

      かわいそう 別にどうも思わない             6%

八.    あなたは日本にいる韓国・朝鮮人の多くの人が日本名を名のっているのはなぜだと思いますか。

・      差別されるから

・      かつて日本名を強制されたから

・      朝鮮人だと知られたくない。差別されると思っている

・      日本名を使いたいから

・      本人が朝鮮人であることを恥ずかしいと思っているから

九.    現在、日本社会で韓国・朝鮮人に対してどのような差別があると思いますか。

・      就職差別       57%

・      結婚差別       20%

・      外国人登録法   8.9%

・      陰口、見下す

アンケートに対する三千里の会の感想

・      外国人登録法についてはあまり深く考えていない人もいると思った。大部分が同情してくれてるみたいだった。それじゃあ、あまりにも軽すぎるんじゃないかと思う。「かわいそう」と書いていた人がいたが、「かわいそう」と言う言葉は、言い換えれば、自分じゃなくてよかったと言うことになると思う。                         一年

・      外国人登録法について、「日本に住む以上、外国人も従うべきだ」と言う答えがあったけど、なぜそんなことを言うのかと思った。もし、自分が韓国・朝鮮人の立場ならばそんなことはいえないと思う。また、韓国・朝鮮人でそんなことを言っているとしたら、その人はいったいどのような考えをしているのかと思う。              二年

・      「韓国・朝鮮人に差別したことがある人はどのような内容ですか。」の答えで、「小二の時いやなことを言われたので『朝鮮帰れ』と言った」とあったが、なぜそういうことを言ったのかな。言う前に相手の立場になって考えてみたのかな。今まで差別した人は、今からでもいいから考えてほしいです。外国人登録はあってもいいと思うけど、指紋をとられるのはいやです。でも押さないと罰金か、牢屋に入れられます。しかし、私はこういう差別があっても朝鮮人でよかったと思っています。自分の国を捨てるってことはよくないと思う。だから、この学校の中でも外でも本名を使って生きたいが、「やっぱり本名使いにくいなあ」と思う時がある。それを良くしていくのが私たち三千里の会と、みんなの協力なのです。だから、このアンケートをもとにしていろいろ考えていきたい。そして、この学校で、韓国・朝鮮人が本名で生きていけるようにしていきたい。平北には三千里の会があることと、韓国・朝鮮人がいることを忘れないで下さい。アンケートにご協力有難うございました。                               三年

・      「韓国・朝鮮人が日本名を使っているのはなぜですか」という質問に対して、「日本名を使いたいから」とか、「日本人になりきりたいから」と答えた人がいましたが、本当に韓国・朝鮮人は、日本名を使いたいから使っているのだと思いますか。日本人になり切りたくて日本名を使っていると思いますか。もしあなたが、韓国・朝鮮人だとして、日本人になりきりたいからといって本名を捨てたりしますか。韓国・朝鮮人になったつもりで考えてみてください。                                 三年

6 差別発言と どう向き合ったか

 生徒同士のふざけあいの中で、「チョンコ」「黙れ朝鮮人」と言う発言があり、三千里の会としてどう取り組むか話し合った。2年前、差別落書きが起こったとき、「全校生徒に知らせることでよけい差別が拡大するのではないか」という意見が圧倒的だった。しかし、今回は、朝鮮人生徒自身が「これを学級で取り上げ、徹底して討論してほしい。三千里の会としても、*抗議声明を出していく」と言えるまでに、成長した。また、生徒会執行部にも、「生徒会として差別事件に取り組んでほしい」と申し入れた。生徒会執行部は、まず自分たちで朝鮮人問題を理解していこうと、三千里の会と、生徒会執行部の話し合いを持った。それは、自分が朝鮮人であることを明らかにすることになる。ずいぶん悩んだが、差別をなくすためには自分の立場を明らかにしなければならないと、朝鮮人として意見を堂々と述べていった。その話し合いは生徒会執行部を動かし、三千里の会に対する認識を全校生徒の間に深めていこうと気運が高まった。執行部の一人は、「僕は今まで朝鮮人を日本人として同じように見ることが平等だと思っていたが、間違っていたことがわかった。普段はおとなしい彼女が、あんなに鋭い意見を持っていると思わなかった。」と言っている。

*11.5発言ついて

 11月5日月曜日、ある教室から「チョーセン」「チョンコ」などという声がしてきました。そして数人の生徒が教室から飛び出し、ふざけあいながら「チョーセン」「黙れチョンコ」などといって追いかけあいをしていました。この発言ついて三千里の会で話し合ったところ、意見が二つに分かれました。それは「チョーセン」「チョンコ」と言った子に差別意識があったかなかったかということです。あったと思う意見は「差別する気もないのに朝鮮人を見下した言葉を使って遊ばないはずだ」

 なかったと思う人の意見は、「差別しようとかそんな気持ちはなく、アホとかボケとかそんな軽い気持ちで言ったと思う」と言う意見です。でもどちらにしてもこの発言は朝鮮人を見下す言葉であることにちがいはないし、もし、その場に朝鮮人の子がいたとしたらその子はどんなに傷つくだろうと考えると、やはりこの発言は差別なんだと思います。そして、私たちは韓国・朝鮮人を見下す言葉が遊びに使われたことに腹が立ち、この学校の中でそういうことが起こった、言い換えると反差別集会であれだけやったのにわかっていない人がいるということがとても残念で怒りを覚えています。私たちはこのことをみんなに訴え、差別をなくしていきたいのです。

 

7 民族クラブでやることと課程内でやること

小学校で民族学級が充実してくるにつれて、中学校に入ってくると、「もう民族学級は小学校で卒業したから、中学は部活動にがんばるので、入らない」と言う子が多い。

しかし、課程内集中実践として、朝鮮の歴史をしたり、社会科の歴史の授業で、明治から近現代史をやる中で、「民族クラブに入りたい」と言ってくる子が多い。特に安重根や孫基禎には、「自分もそのルーツがあると思うと誇らしい」「こんなに先輩たちががんばったのに自分はこのままでいいのか」と入ってくる子が多い。また、日本人の子もともに学ぶ中で、自分の隣の子が韓国人だと知ると、自分は日本人としてこの歴史をどう受け止めていくべきかと考えるようになる。集中実践後の休み時間に、今まで「民族クラブには絶対行かない」といっていた韓国人生徒が、「私の本名は○○○やねん。」と言って小学校の民族学級で習ったハングルで黒板に書いて日本人の友達に教えたり、ダブルの生徒は、離婚別居中の父(韓国人)と久々に会って、自分の民族名は「○○○」と知ったとみんなの前でカミングアウトしたり、子どもたちの認識は日本人も韓国人も急展開する。

民族クラブでは、子どもたちの家のこと、家族のことを自由にしゃべって受け止めてもらえた。ソンセンニムも指導計画を立てて、授業を組み立てておられるが、一方通行でなく、子どもたちの声を聞きながら、ニーズにこたえて、授業を進めてもらえた。民族クラブの主人公はあくまでも子どもである。しかし、ソンセンニムが学校に来られるのは、週に1〜2時間だけである。子どもの思いを受け止め、ソンセンニムにつなぐ、教師の存在が重要である。ソンセンニムと教師の信頼関係やコンタクトが取れているかが、民族クラブを左右すると言ってもいい。

 

8  「もう差別はないからこんな取り組みはしないでほしい」

私が講師として校内研修会で話しに行った中学で、ある先生が、「集中実践後に『もう差別はないからこんな取り組みはしないでほしい』と生徒が書くんです。もう差別はないんですか。」と質問された。わたしは、この作文は、『もうこんな集中実践はしないでほしい』と言う生徒の叫びではないかと思った。集中実践は、一歩間違えば、生徒の心に土足で踏み込んでいくことになりかねない。「ここでは安心して自分のことを出してもいいんやな」「このクラスやったら本音を受け止めてもらえるな」と思ったとき、子どもは自分の本心を出す。差別がないのであれば、本名で教師になった先生が、竹島問題で傷つくこともないはず、差別がないからというのは、これが教師にとって一番効き目があると思うからではないでしょうか。

 

「ふれたい・知りたい・向き合いたい」

  子どもたちの思いを引き出す 外国人教育の取り組み

                      大阪市立玉津中学校 藤谷悦子

1. はじめに

 玉津中学校は、約3割が在日韓国・朝鮮人生徒の多数在籍校である。玉津中学校には、アボジ、オモ二たちの長年の要望があって、10年前に設立された民族学級ウリマダンがある。

本校では、学活、道徳、総合の時間に、計画的に、人権学習として、外国人教育、平和学習、障害者問題、性教育、進路学習に取り組んでいる。

とくに、外国人教育については、韓国・朝鮮人生徒の思いを引き出せる実践になっているかが大きく問われる。

2. 1年生で

 本校は、4つの小学校から入学してくる。そのうち、3小学校で民族学級があり、内、1つの小学校では、本名で呼ぶ取り組みをしている。

しかし、中学に入ると、子供たちは、自分をどう出していいのか、入学当初の頃は、様子を見ている。

 1年生は、朝鮮の文化をテーマに取り組むのだが、各小学校の民族学級に参加していた生徒や、ウリマダンに入っている生徒を小先生として、募集し、ハングル、民族衣装、遊び、楽器のリーダーとして活躍してもらうことにした。

 小先生に立候補したある生徒は、小学校では、民族学級がなかったのだが、オモニが民族学校卒業生なので、衣装の小先生に立候補し、チョゴリのオッコルンの結び方をオモニに習って、家で100回練習し、昼休みのうちにチマチョゴリに着替えて、学年集会をしているみんなの前に立ち、小先生として活躍した。

 民族学校から来た生徒は、初めのころは、友達がいなくて、自分を出せていなかったが、ハングルの小先生をして、みんなから「おまえすごいなあ」と言ってもらって、すっかり自信を持って、民族学校で学んだことを言えるようになった。

 

 実践後の感想として、

・ 僕は自分を韓国人より上だと思っているやつを見るとむかつきます。僕は韓国人の血も混ざっています。こうやって言えるのも、この学校にこういう取り組みがあるからだと思います。

・ ドイツのことは自慢するのに、なぜ韓国のことは自慢できないのか。どうして朝鮮の人はこんないい文化があるのに、隠しているのか。不思議です。朝鮮の人は、もっと前に出て欲しいです。(日本人)

・ 私は楽器を教えるのをしていた。みんなめっちゃ楽しそうやったから、見ていてうれしかった。ペンイは難しかったのに、日本人の子で、うまい子がおったから、『始めてやのに、すごいな』と思った。四組で朝鮮に関係してる子が10人以上おると聞いた。このクラスでウリマダンに入っているのは自分だけやから、入って欲しいと思う。隠している人もおるかもしれんけど、隠さんでもいいと思う。みんな差別もしないし、私はパレード(市外教の民族文化発表会)の時、日本人の友達が、『土曜日やのに大変やけど、がんばりや。自分の国を大切にするのは、いいことやで。』と言ってくれた。そのときメッチャうれしかったから、大切にしようと思う。

・  わたしは、両親どちらも韓国人です。だから小学校のときに民族学級に入っていて、いろいろ知っていたから小先生をしました。わたしはノルティギの小先生でノルティギをみんなに教えてあげた。そしてみんな予想以上にうまくてびっくりした。そしてみんな笑顔で楽しそうにノルティギをしていて、嬉しかった。ソンセンニとノルティギをしたら、すごく飛べた。めっちゃ嬉しかった。谷川先生と木村くんがノルティギをしてたら木村君がみんなが見ているところに飛んで行って、二、三人の子がキャッチしてびっくりした。ちょっとハプニングみたいなものがあったけど、私の故郷のことをみんなに知ってもらえてよかった。 

 実践後の感想を読みあう学活で、「私は帰化してるけど、朝鮮人や」とか、「法事はどんなものを食べる」とか、自分を出すのに、にぎやかだった。

 今年の実践で、実践する前と、あとで、こんなに感想が違った生徒がいた。「僕は朝鮮人だけど、ウリマダンには入りたくありません。理由は朝鮮が嫌いだからです。本名も捨てたいくらい。」といっていた生徒が、実践後、「やっぱり在日韓国・朝鮮人への差別をなくして欲しい、そのために自分もがんばりたいなあと思いました。僕も、在日韓国・朝鮮人で、差別のことを考えて、隠したほうがいいと考えたこともありました。だけど、僕も、高用哲さんみたいに、韓国・朝鮮人だということは事実だから隠さなくてもいい、と考え直して、みんなもう、僕が在日韓国・朝鮮人だということを知っています。僕は、日本名で13年間生きてきたから、今から本名に変える気はないけど、本名をなのると差別が起こるというのはちがうと思います。」

 

3. 2年生になって

 2年生は、朝鮮の歴史がテーマである。社会科で三学期は明治、大正時代をやるので、社会科とタイアップしてやるのが効果的。しかし、学級でやる場合は、単なる知識にならないように、感性に訴えることが大切。

導入として、ベルリンオリンピックのマラソンの金メダリスト、孫基禎のビデオを見る。「なぜ、金メダルを取って悲しそうなのか。」子供たちに考えさせる。特に、スポーツをしている子供たちに、共感を持って考えられる教材だと思う。

その後、朝鮮近代史のビデオ、「朝鮮と日本が友達として手をつなぐために」を見る。このビデオを作ったきっかけは、13年前、(前任校で)社会科の授業で、朝鮮近代史をしたときに、朝鮮人の子から、「朝鮮人はやられてばっかりの弱い民族なんか。」「日本人にいい人はいなかったのか」と言われた。これがきっかけになって、もう一度、朝鮮の歴史を勉強してみようと、韓国を訪れ、3人の社会科教師とプロジェクトチームを作り、歴史の舞台にいた、朝鮮人、日本人の顔が見えるような教材を作りたいと、ビデオ作りに取り組んだ。

ビデオを見ての感想として、

・朝鮮は日本に本当にひどいことをされていた。すごい人数の人が強制連行され、つらい仕事などをさせられて、殺されていた。でも、朝鮮も、独立運動などを起こし、日本人の中にも、布施辰治や柳宗悦のように、朝鮮人のために協力してくれた人がいたことを知れて、うれしかった。当時そういう日本人がもっとたくさんいたらよかったのに。(日本人)

・たくさんの人が団結して、朝鮮独立という目標に向かって、突き進んでいく。私たちが考えられないような拷問や、肉親を目の前で殺されたり、大切なものを奪われたりしても、負けずに、日本人と戦った朝鮮人の子孫であることをうれしく思い、誇りに思った。耳をそがれても、鼻をそがれても、むちでしばかれようとも、つまり、彼らは、自分の命を犠牲にしてまで、朝鮮を独立させようとした。独立した朝鮮に自分がいなくてもいいと考えたのは、独立した朝鮮を、私たち未来の朝鮮人に、立派に成長させて欲しかったからじゃないか。私はそんな気がしてならない。(朝鮮人)

・日本は本当に自己中心的過ぎると思った。戦う気のない、武力も弱い朝鮮を攻めて強くなろうとする。本当に弱肉強食な、変な時代だと思った。このビデオを見て、いまだに「謝れ」という韓国の気持ちがわかる。しかし、この真実を知らない日本人はたくさんいると思う。そういう人は「なぜ、今になって謝れというのか」と思っていると思う。なので、このことは、日本でもっと多くの人に知ってもらわないといけない。(日本人)

・私は韓国人やからとてもいやな気がした。安重根はとても立派な人だと思った。自分の母国を大切に思っている。私はお父さんもお母さんも韓国人で、韓国人に生まれてきたことを誇りに思う。努力をした韓国人たちは日本人の手で殺された。とても悲しい。そのころの日本人は、本当に許せない。でも今でも、韓国人を差別する人はいる。とても悲しい。(在日A)

・同じ朝鮮人として悲しく思った。今学校で、普通に日本人の子と遊んでいるけど、たまに友達(C)から「ほんま朝鮮人の考えやなあ」といわれたことがある。真剣に腹が立つ。その子はとっさに言ったことで何も考えてないかも知れんけど、「朝鮮人の考え方ってどんなんやねん」とか、「朝鮮人やからって何」と思う。朝鮮人の身になって物言ってと思う。このビデオを見て、少しでも日本人の考え方が変わってほしいと思った。(在日B)

 

 このあと、AとBは、日本人の子(C)に対して、わかってもらおうと、話し合いをし、何が問題かをわからせることができた。

 歴史の学習が単に、知識に終わらず、自分が日本人として、朝鮮人として、ともにわかりあえるために、なにをすればいいのかを考える課題を与えたと思う。

 

4.3年生で

 3年生は、総合学習のテーマが「進路」なので、職業についての「国籍の差別」について考える。時期的には、二学期の進路懇談が始まるころがいい。ちょうど自分の将来を真剣に考え始めるころだ。朝鮮人の子にとっては、親から国籍による差別があることを聞かされているだろう。まずはじめに、導入として、ビデオ「国籍の壁」を見る。

これは、公務員として採用されるようになった朝鮮人の人が、住民から差別を受けるが、職場の仲間に励まされ頑張っている例、保健婦として働く人が、管理職試験を国籍を理由に拒否される例、旧日本海軍の軍属で怪我をした朝鮮人が外国人を理由として補償が受けられない例が紹介されている。このテーマでは、朝鮮人が「国籍の壁」を取り除くために、どんな努力をし、日本人はどんな支援をしてきたのかを考えます。特に、就職差別の壁を始めて打ち破った、パク チョンソクさん(日立就職差別裁判)や、キム キョンドクさん(弁護士)の例は、プリントを使って紹介します。差別を無くすために、朝鮮人が自分を隠さず、本名を使い、多くの同胞や日本人も巻き込んで幅広い闘いをした結果、差別がなくなってきつつあることを学習します。

この感想は、朝鮮人、日本人それぞれの立場を明確にして、書く事が大切です。

感想として、

・ 僕は16歳になったら帰化するように父に言われている。しかし、今日ビデオを見て、帰化しなくてもいいのかなと思った。自分が韓国人であるというプライドを捨てないで何回も抗議しているのを見てすごいと思った。頑張っている人を見て勇気がもてた。僕は名前でおちょくられたりするから韓国人だということが嫌だった。差別されない日本人になったほうがいいと思っていた。でも自分のことだから自分で考えて決めようと思いました。もっと自分の人生を大切にいきたいです。」

・ 僕は公務員になりたいから帰化して試験を受けようと思っていた。けど今日のビデオを見て、自分は公務員になりたいのなら、国籍など関係なしになれるように頑張らないといけないと思った。最後に残った言葉は、『自分だけ帰化すると、帰化したら権利をあげますよ。日本人でなければあげませんよと言う差別を認めてしまう』と言う言葉だ。

・ みんなが試験を受けられないとあきらめていた中で、裁判に訴えた人は、とても勇気があって、韓国人としての誇りがあるんだなあと思いました。こういうことが増えると差別がなくなることも夢じゃないと思います。なので、韓国籍や外国籍でも、自分を隠さず、本名を隠さず、誇りをもって、自信を持って生きていってほしいです。(日本人)

・ 一部の人が差別していると言うのは大きな間違いだと思う。日本と言う国そのものが外国人を差別していると思う。そんなことをするから日本の国民が差別すると思う。国籍なんか関係ないと全員が思えるようになってほしい。そして日本にいる外国人全員が、日本で、自分の名前を名乗れる社会になれば、本当にすばらしいものになると思う。(日本人)

感想文は、名前入りで全生徒に紹介する。しかし、この感想を書くことで、はじめて、自分が韓国人であることを明らかにする生徒もいるので、一人一人に担任から確認してもらう。この確認をした後、ウリマダンに参加するようになった生徒もいた。また、この学習の後、親の反対にもかかわらず、卒業式は本名で卒業すると言い切った生徒もいた。

 

5,卒業を目前にして

 本校は、2年前から、 公立前期試験が終わったころ、卒業生に来てもらって、3年生全員に話をしてもらう機会を持っている。高校を本名で通っていた生徒、通名だったけど、これから本名にしようと思っている生徒、いずれも、朝鮮人が少数の高校で、どう自分を出していったかが最大の課題だ。朝鮮人多数在籍校で、小学校、中学校と学び、はじめて外の社会に触れる子どもたちは、「高校では本名は無理やろ」と思っている者が多い。では、実際、先輩たちはどうなのか、先輩の話が一番子どもたちには響く。

卒業生の一人は、高校で、本名で自己紹介した後に、「なんで日本に住んでるの。」とか、「いつ韓国に帰るの。」とか、聞かれたけど、一人一人に丁寧に説明していったことを話してくれた。「説明するためには、自分を知らんとあかんで。」「本名のほうがクラブの先輩ともすぐ仲良くなれたし、自分をアピールできる。僕が本名で通ってから、自分が韓国人やという生徒が増えた。」

また、ある卒業生は、「小学校の民族学級で始めて本名を知らされたけど、それは自分の名前と違うと思ってきた。しかし、自分のルーツを考えると、それは韓国。祖先に対する尊敬、感謝、自分の国を大切に思って、高校から、本名にした。本名のほうが深い友達ができる。」

「中学の時は、クラブ活動に集中したくて、ウリマダンに入らなかったけど、高校で、『えっ韓国人なん、』と言われ、韓国人が日本に多く住んでいる理由を説明していった、そんな説明ができたのも、中学でこんな学習をしてきたから、他の中学から来た子は、ほとんど知らなかった。こんな学習ができる玉津は恵まれている」とまで、言ってくれた。

日ごろは、人の話を静かに聴けないことが多い三年生だが、卒業生の話に、かたずをのんで聴き入った。話を聞いたあとの学活で、「自分は韓国人と日本人のハーフや」と、初めて明らかにした生徒がいた。それを聞いたクラスのみんなが「かっこいい」と拍手を送ったと担任の先生から報告があった。

 卒業式の名前(呼名)をどうするかと言う話では、小学校の時に本名でからかわれ、それがトラウマになって、今まで通名で来た子が、「みんな、卒業式は、本名にしろや」と呼びかけ、「そしたら私も本名にしよう」、と言う生徒が増えた。本名で呼ばれることに親が反対した生徒も、「お母さんがどうしてもあかんといったから」と申し訳なさそうに言ってきた。また、私立高校に入学がきまり、手続きに行ったときに、「韓国人に見えない」といわれ、どういう意味やろと悩んでいた生徒は、高校も本名で行くといってきた。

 

6.さいごに

 人権学習をやるときに、その当事者が目の前にいるときは、つねに子どもの声に耳を傾け、こどもの思いを引き出す実践ができているか、教材を提供できているかを検証する必要がある。少数の場合であっても、実践の前に子どもと向き合い、子どもの意見を聞く必要がある。そうでないと、子どもは心を閉ざし、自分の意見を言ってくれないし、表面だけの実践になってしまいがちである。

 この取り組みは、6年前は、一つの学年しかできていなかった。しかし、今では、玉津中学全体の取り組みとして定着しつつある。一つ取り組みが終われば、指導案と、資料、子どもの感想をファイルに閉じていっている。その積み重ねが、次の実践を作っていっている。


  

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