印藤 和寛
木村幹さんは、神戸大学大学院国際協力研究科の新進気鋭の朝鮮学者。
かつてNIFTYにAGORAというフォーラムがあって、コンピュータ上でハングルをあつかう詳しい議論がおこなわれていて(今はハングル工房本店 )、KANさんもそこで活躍されていた。その最近の力作がこの書物である。 朝鮮の「小国」意識のもととして、著者が想定するものを整理すると、次の三つになる。 @ 中国、日本に比べて、国、人口の規模が小さいということ。日本の三分の二。
「穏健開化派」金允植や「親日売国奴」李完用の研究から、その「小国」意識を取り出して、最後には、三一独立運動の民衆の行動と対比して、彼らの意識が誤っていたとする、その結論は確かに妥当なものだろう。同様の論法を使えば、崔南善や李光洙から1930年代の意識を取り出して、解放後の民衆の行動と対比して彼らの意識が間違っていたということもできる。しかしそもそも、
金允植、李完用、李光洙が、それぞれ個別の研究に値するのは当然だとしても、朝鮮ナショナリズム研究の基本例題となりうるのはどうしてだろうか。
著者の言う「小国意識」の内容について、順に考えてみる。 上記@については、自然的条件として現在も妥当する事柄である。しかし、イギリスやイタリアとも対比してみるとどうだろう。少なくとも昨今の教育現場ではそうするだろう。イギリスやイタリアについても「小国」意識は問題となるのだろうか。 Bについては、かつて丁茶山の「田論」などを読んだ時からの疑問が重なってくる。茶山はその中で、国家に対して十分の一しか公の租税として納めることのない「野蛮人の国」を批判している。当時疑問に思ったのは、このように国家の収入のほんの一部しか集約できない王朝国家、朝鮮王権の特徴が、封建社会の国家に固有の普遍的なものなのか、それとも、朝鮮王権の表面統一された国家体制が内包する、実は全く別の本質を暗示するものなのか、という点だった。かつて1987年に大阪で金容沃(高麗大学)の話を聞いた時、朝鮮が日本などよりも先に封建的分裂を克服して王朝による統一国家を完成した(高麗王朝)、その理由が何だろうかということが検討されていた。高麗王朝を引き継いだ朝鮮王権の本質的な性格規定についての理解が、求められるわけである。(そんなこと、日本の徳川幕府についてだって、どこまで進んでいるのか、という疑問も伴うが。) 最後にAについて。 確かに、外国人が日本の(あるいは朝鮮の)歴史を表面的に整序して理解しようとする場合、こうした理解の仕方も、とりあえずは役に立つことは間違いがない。小学生が歴史を勉強するときの方便としても必ず役立つ。しかし、日本のばあいも、そうした「常識」―支配思想に根を持つイデオロギー、との対決の中から、真実の歴史研究が進んできたことも事実だろう。 朝鮮についてはどうなのだろうか。 このもっとも重要な学問上の問題点において、KANさんほどの人がなぜ無条件に従来の「常識」に乗って、図式的整序で満足してしまうのか、それが疑問である。それを自明の前提としてしまうことがどうして可能なのか、読む方がちょっと途方に暮れてしまう。
最近は、欧米の朝鮮学と日本のそれとを対比してみることが、インターネットの利用でたやすくできるようになった。その中で考えてみると、この著作は、内容の画期的な点にもかかわらず、やはり、日本の旧来の朝鮮学の作品の延長上に分類されるものだ。 学ぶところは大変多い。また、この書物によって、確実に、朝鮮王朝時代の王権の性格への理解が前進した。学問としては、それ以上のことは望蜀の感と言うべきなのだろう。しかし、新しい日本の朝鮮学を、という私たち素人読者の期待は、少し裏切られる気持ちもする。 |