書  評

木村幹著『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』

印藤 和寛

 木村幹さんは、神戸大学大学院国際協力研究科の新進気鋭の朝鮮学者。 かつてNIFTYにAGORAというフォーラムがあって、コンピュータ上でハングルをあつかう詳しい議論がおこなわれていて(今はハングル工房本店 )、KANさんもそこで活躍されていた。その最近の力作がこの書物である。

 最近でも、ある年齢以上の在日朝鮮人の話を聞くようなとき、「小国朝鮮」という言い方をよく耳にする。日本人自身の記憶でも、戦後1960年頃までは「アジアのスイス」というような「小国日本」の言い方が誰の耳にも残っている。日本人の朝鮮観と朝鮮人の自己意識とは必ずしも同じではないが、日本人が「大国」意識を持つようになってからも取り残されたように、朝鮮には「小国」意識がつきまとってきた。 この書物は、近代初頭の朝鮮における自国意識に切り込んだ著作である。読んでみた勝手な感想と偏見を、失礼を顧みず書いてみた。

 朝鮮の「小国」意識のもととして、著者が想定するものを整理すると、次の三つになる。

@ 中国、日本に比べて、国、人口の規模が小さいということ。日本の三分の二。
A 朝貢国であったということ
B19世紀後半において朝鮮王朝の国家財政の規模が小さいということ。徳川幕府の半分。明治新政府の十分の一以下。

 「穏健開化派」金允植や「親日売国奴」李完用の研究から、その「小国」意識を取り出して、最後には、三一独立運動の民衆の行動と対比して、彼らの意識が誤っていたとする、その結論は確かに妥当なものだろう。同様の論法を使えば、崔南善や李光洙から1930年代の意識を取り出して、解放後の民衆の行動と対比して彼らの意識が間違っていたということもできる。しかしそもそも、 金允植、李完用、李光洙が、それぞれ個別の研究に値するのは当然だとしても、朝鮮ナショナリズム研究の基本例題となりうるのはどうしてだろうか。
 彼らの中に「小国」意識があったことは確かである。しかし、同時代であっても、別の意識を持った人もいた。その人たちには「ナショナリズム」はなかったのだろうか。「朝鮮/韓国ナショナリズム」は、もっぱら「小国意識」を持った人だけのものだったのか。このような意識が一方にあったことは事実でも、それだけで朝鮮ナショナリズムを説明してしまうのはどうだろう、「小国」に対比した「大国」意識も、少なくとも一応は考慮すべきではないだろうかという、そんな疑問も残ってしまう。
 あるいは、ここで言う「小国意識」とは、「劣等国意識」というような価値判断を含む意識ではなく、ただ、現実をリアルに見る現実主義という意味なのかも知れない。

 著者の言う「小国意識」の内容について、順に考えてみる。

 上記@については、自然的条件として現在も妥当する事柄である。しかし、イギリスやイタリアとも対比してみるとどうだろう。少なくとも昨今の教育現場ではそうするだろう。イギリスやイタリアについても「小国」意識は問題となるのだろうか。

  Bについては、かつて丁茶山の「田論」などを読んだ時からの疑問が重なってくる。茶山はその中で、国家に対して十分の一しか公の租税として納めることのない「野蛮人の国」を批判している。当時疑問に思ったのは、このように国家の収入のほんの一部しか集約できない王朝国家、朝鮮王権の特徴が、封建社会の国家に固有の普遍的なものなのか、それとも、朝鮮王権の表面統一された国家体制が内包する、実は全く別の本質を暗示するものなのか、という点だった。かつて1987年に大阪で金容沃(高麗大学)の話を聞いた時、朝鮮が日本などよりも先に封建的分裂を克服して王朝による統一国家を完成した(高麗王朝)、その理由が何だろうかということが検討されていた。高麗王朝を引き継いだ朝鮮王権の本質的な性格規定についての理解が、求められるわけである。(そんなこと、日本の徳川幕府についてだって、どこまで進んでいるのか、という疑問も伴うが。)

  この本を読んで、朝鮮王朝を支える漢城(ソウル)と地方の両班のつながりについて知ったことは大きな収穫だった。旧韓末の財政規模の定量分析と日本との米価を通して換算された比較は、今まで漠然と推測していたことをはじめて正確に事実として確定したものとして画期的だった。さすが、KANさんの仕事だ。しかし、当初の疑問はまだ解決されずに残っている。

 最後にAについて。
 「伝統的な朝鮮王朝の国家とは……典型的な朝貢国家であった。」
 このような定型句がこの本では繰り返される。
 しかし、同様に、日本については、次のように言えるだろうか。
 「伝統的な日本の幕府政治の国家とは……天皇の委任を受けた武家政権による国家であった。」

 確かに、外国人が日本の(あるいは朝鮮の)歴史を表面的に整序して理解しようとする場合、こうした理解の仕方も、とりあえずは役に立つことは間違いがない。小学生が歴史を勉強するときの方便としても必ず役立つ。しかし、日本のばあいも、そうした「常識」―支配思想に根を持つイデオロギー、との対決の中から、真実の歴史研究が進んできたことも事実だろう。

 朝鮮についてはどうなのだろうか。
 中国、清王朝に依存した王朝権力のあり方は、「伝統的な」「典型的な」ものなのか。確かに、従来はそう言われ続けてきた。しかし、それ自体に歴史性はないのだろうか。
 徳川幕府の「政権委任」論と同様、そのような朝鮮王朝末期の政治思想が生じた政治的背景背景分析がなされずに、最初から前提として自明のものとされてしまうことには、今日からすれば疑問も残るのではないのだろうか。
 封建社会の独裁権力が退廃した結果の、他に責任を転嫁して自らの責任を回避しようとする腐敗した伝統的支配のありかたをそこに見ることも、可能なのではないのだろうか。また、册封体制を考えるにしても、それぞれの時期で特殊性があり、それが近代にどう接続するのかもそれ自体解明を期待したいところだろう。

 このもっとも重要な学問上の問題点において、KANさんほどの人がなぜ無条件に従来の「常識」に乗って、図式的整序で満足してしまうのか、それが疑問である。それを自明の前提としてしまうことがどうして可能なのか、読む方がちょっと途方に暮れてしまう。
  もう一つ例を挙げれば、旧韓末の関係者の最大の関心事の一つであった「間島問題」について、なぜ触れられていないのだろうか。少なくとも朝鮮のナショナリズムを論じる上で、これでよいのだろうか。なぜ、無視したのだろうか。

 最後に、散見される「威族」という言葉は、見慣れない言葉なので、「戚族」の誤植なのかもしれない。

  最近は、欧米の朝鮮学と日本のそれとを対比してみることが、インターネットの利用でたやすくできるようになった。その中で考えてみると、この著作は、内容の画期的な点にもかかわらず、やはり、日本の旧来の朝鮮学の作品の延長上に分類されるものだ。
 学ぶところは大変多い。また、この書物によって、確実に、朝鮮王朝時代の王権の性格への理解が前進した。学問としては、それ以上のことは望蜀の感と言うべきなのだろう。しかし、新しい日本の朝鮮学を、という私たち素人読者の期待は、少し裏切られる気持ちもする。

 



 
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