「子どもの権利ネットワークと国連の委員会」

                                                                  RINK事務局  草加 道常

 

 2001年にジュネーブでは、国連子どもの権利委員会へのロビー活動を行ったわけです。

 

 最初、NGOから見まして、こういう問題が大阪で発生しているということが私たちのところに届いてきたのが1999年の夏から秋にかけての頃です。一つの同じ市の複数の学校で、複数の子どもが同じ日に来なくなる、いなくなるということが起こり始めたのがこの時期でした。これ以前の出来事については単発的で、わからなかったものも多かったと思いますが、これ以後、初めて、その実態を明らかにしていこうというとりくみが行われるようになりました。

 この時には、先ほどの話にもありましたように、子どもたちを含めてすべて収容されていました。例えば、2000年1月5日の新聞記事に出ていた子どものケースでは、大阪府内の中学校で、三年生二学期の期末試験の初日から突然来なくなったのです。それで、学校の先生が家に訪ねていくと、誰もいない。その子は、試験を休むような子ではないので、心配して色々当たられたのですが、わからない。夜になって、父親の勤め先から学校の方に連絡があって、実は子どもも含めて収容されているということでした。

  三年生ですから、何とか三月まで行けたら卒業もできて、ということもあったのですが、当時の入管は今とは違います。とにかく、子どもであろうと何であろうとみんなすべて収容するんだという方針でした。その家族も、残留日本人孤児との家族関係について争いたかったようですが、子どもも含めて収容されることに耐えられないということで、事実関係について争うことはせずに帰国してしまいました。その子どもも、親しい友だちとアクリルガラスの板越しにお別れをすることになりました。

 こういう状況の中で、こうした子どもの収容は決して許されるものではないということで、とりわけ「子どもの権利条約」の中でも子どもの自由を奪うということは本当に最後の手段としてだけ許されるということもありますので、マスコミの方々のご協力もいただいてキャンペーンを張りました。その結果、2000年の3月に門真市四校で摘発がありまして、その日、子どもたちが一斉に来ないということが起こって、しかし、その日のうちに帰された。ただし父親など家族の一人を収容する、家族の一人をいわば人質に取るような形で収容するとう形です。そしてこれは、現在も続いている形です。

 

 こうして、とりあえず子どもだけは収容されなくなったのですけれど、1999年から2000年にかけて、どれくらいの子どもがそういう目にあっていたのかを数えてみました。アバウトな数値ですけれども、帰国してしまって数えることのできない場合もあるでしょうが、80数名という数です。大阪市と堺市はこのカウントから除外されています。現在でもそうですが、大阪市内や堺市内では、学校現場からこうした問題が上がってくるのが、非常に遅いのですね。そのためにカウントができなかったのです。もし、府内で一番中国人が多い大阪市と二番目の堺市で同じくらいの例があったと仮定すれば、合わせて160人くらいの子どもたちが消えていたということがあったんです。単学級の小学校なら一つなくなっているくらいの数です。それでも、誰も何も言わなかった。それが学校現場の状態だったのです。

 それが、東大阪で多発する中で、林さんのところの取り組みが進み、学校が何とかしなければという声が起こってきました。東大阪市や門真市で多発してきたものが、現在では大阪市内に移行してきている。三学期がすんだらもう帰国しようという家族もいます。私が聞いているだけで6人、そのうち大阪市内が4人、帰るあるいは帰ろうとしている。聞こえてくるだけでそんな状況なんですね。東大阪で多かったものが今そういうふうに変わってきている。にもかかわらず、学校ではそれに対応し切れていない状況があるのではないかと思います。

 実際、大阪市内で言うと、中国籍の外国人登録者数と韓国・朝鮮籍の登録者数とが近づいている地域があります。大阪府下で一番中国籍の比率が高いのが大阪市西区で、その比率は1:1.2です。その次が門真市で1:1.4、堺市で1:2、大阪府全体では1:5.5になります。  地域によってばらつきがあります。東大阪市では、韓国・朝鮮籍の数も多いので中国籍の数はあまり目立たない。そうした状況を前提にして、こういうことが多発してきたと言えます。

 私たちは、子どもの収容をやめろ、と言い、現在通っている学校での勉強をそのまま続けさせるための特別在留の許可を出せという運動を行ってきました。どこかで区切りをつける必要はあるかもしれません。しかし、ある日突然「帰れ」というような、子どもにとって将来の進路の展望が開けるところで本国へ帰るという選択をする、そういう配慮が全くないような、行政による強制送還については絶対に同意できない。また、強制送還というものは、いわば、社会的な死刑なんですね。それまで持ってきた社会的な立場をすべて奪うわけですから。そういうことを入管が平然と子どもたちに対してするというのは、全く信じられないことです。

 

  2000年8月に、中国へ帰された子どもたちに会いに行きました。そこで、学校に行けない、ついていけない厳しい状況の子どもたちの様子を目にしました。中学、高校の段階では、言葉の問題が厳しい。授業について行くだけ中国語の力がないので、やめます、やめました、という子どもたちが何人も出ていました。そういう意味では、逆にそういう子どもたちに対して日本の学校はどんな教育をやっていたのか、ということになる。彼らが本来持っていた母語を、日本語で置き換えただけなんです。トコロテンのようなものですよ、持っていた母語を日本語で押し出してしまったのです。だから、母語と第二言語の問題、日常言語と学習言語の関係、ということを考えると、現在の日本の学校教育には大きな問題点がある。それは同化を迫るものでしかないのではないか、そういう思いを強くしました。

 特に、最近の小学校低学年の中国籍の子というのは、ほとんどが日本生まれです。だから、母語は日本語です。その日本語を母語にしている中国の子が、家でどの言葉で会話ができますか。親の方は、気持ちを伝えたい時、中国語で言いたいのだけれども子どもには通じない。だから日本語で話すんだけれども思いが伝えられない。やりとりができない。家の中で、そういう会話がないような修学前の家庭状況では、当然修学後の学力の問題にもはねかえってくる。だから、そういう問題を含めて、日本の公教育がどういう取り組みを進めなければならないかという問題を、子どもたちは私たちに突きつけたのだと言えます。

 

 RINKは大阪市教委や府教委にも要望を出しています。中国語を母語にしている子どもたちについては、カリキュラムの中に、母語である中国語を保障する学習活動を入れて下さい、と言っています。週に二時間位ではなく、少なくとも四時間くらいは中国語の学習時間をとって下さいと言うんです。それくらいはしないと、母語を保障することにはならない。高校でしたら、中国語の時間がありますよ、生徒たちは行っています、それで母語の保障になっています、と府教委は言いますが、それでは全く形だけです。

 そうした取り組みを、義務教育の小中学校からきちんと行っていくことが必要ですし、高校であれば、母語による教科学習、一番すぐにできるものでは数学だと思いますが、そういうような、教科を中国語で教えるというようなことことを含めて、何か現実の第一歩を踏み出してほしい。このことを、この間大阪府教委などにお願いしてきています。

  おそらく、大阪市では日本語教室がセンター校方式で行われていますので、取り組みにくいところがありますけれども、中学校によっては二桁の子どもがいる学校もありますので、そうした在籍校を中心に、学校独自の取り組みを進めていくことが必要になってくると思います。それも、私たちは、課外でして下さいなどとはお願いしていないので、むしろ、きちんとした正規のカリキュラムとして中国語の授業があり、中国語で行う教科の授業がある、というのが当たり前なのですよ、という、このことを教育委員会に対して要望し続けているのです。

 これらは全部、国連に対するお願いと関連してくるところです。資料の中にこの問題に触れています。民族教育や母語保障について、国連では、いくつかの条約に基づく各委員会が、日本での実際の取り組みがどうなのかということを、ほぼ5年に一回審査します。その中で、人権規約に関する委員会の最終所見が出されます。日本政府がこれだけのことをやっていますよと言い、それに対する国連の方からの回答になるわけです。例えば、人種差別撤廃委員会の最終所見では、「日本に居住する外国籍の子どもに関して、委員会は初等教育及び前期中等教育が義務教育となっていないことに留意する」と書かれ、さらに「委員会は、韓国・朝鮮人マイノリティに影響を及ぼす差別を懸念する。朝鮮学校を含むインターナショナルスクールを卒業したマイノリティに属する生徒が日本の大学に入学することへの制度的な障害」、さらに「公立の学校におけるマイノリティの言語による教育を受ける機会を確保するため、適切な措置をとるよう、勧告する」と述べています。このように、国連の委員会の勧告では、義務教育の正規のカリキュラムの中で、母語による取り組みを行うべきだというところまで、はっきりと勧告がなされているのです。

 だから、子どもの権利委員会、国際人権自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会、社会権規約委員会、これら四つの委員会で既にこうしたことが言われている。来年の一月に再度国連子どもの権利委員会での審査が行われますが、私たちは現在、それに向けてのNGOからのレポートを書いているところです。日本の学校では、マイノリティの子どもたちに対する母語保障、母語による教育を全く行っていないことを明記しています。そのことの是正をを日本政府に勧告するよう要求する内容に成っています。

 だから、もう大阪市などでは、次の一歩をどう踏み出すかが、課題になっているのです。すべて理想的なことをすぐにやろうというのは不可能です。しかし、第一歩を踏み出さない限り次はない。大阪府教委も市教委も、その一歩を踏み出すことがなかなかできていません。すごく思い足かせがついているような印象を持ちます。今月末には、もう一度大阪市教委とはお話しさせていただく機会もありますので、この四月からマイノリティの子どもたちに対して具体的に母語保障を、あるいは母語によるカリキュラムを、何らかの形で取り組んで下さいというお願いを、再度しようと思っています。

 

 こうした国際的なさまざまな条約は、元来、憲法と同等の位置にありますから、これに抵触するような法律は無効なので、条約の方が上位です。しかし、現在日本政府は、現状が条約に抵触するものではない、と言い逃れているわけです。けれども、そうではないということは、先ほどの国連委員会の最終所見の中に書き込まれている。これだけあなたの国は条約に反したことをやっていますよ、と言われている。どこまでこのことを無視していけるのか。

 前に外国人登録の指紋押捺がなくなったことについても、自由権規約委員会でそのことに触れられました。それが一度ならず二度三度と重なると、もう耐えられなくなって、政府の政策が変えられるんですね。最終報告の前になると、そういうことが起こる。政府は、抜け道のようなことを探しながら、なんとか国際的な非難をかわそうとしています。そういう点から考えると、今年という年は、民族教育にとっては「いい年」なんです。今年中にそういうことを日本政府がやらなければ、来年一月には決定的なもの、最終報告が出されてそれに対する意見を浴びることになる。私たちとしてはこの機会を逃すわけには行かないと考えます。

 

 入管に収容され強制送還に直面している子どもたちについての問題も、資料に載せています。国連の委員会に突然行って、すぐには会わせてもらえないのではないかと思っていましたが、だいたい、それぞれの国で外国籍の子ども、移住労働者の子どもたちの問題というのは国際的な関心の的なのです。その国の人権がどの程度守られているかのバロメータなわけです。それだけに、多くの国の委員の方が。みな任意で残って下さって、通常の委員会の仕事が終わった直後に、残っていただいて、やりとりをしました。それが継続して、現在にまで続いています。資料の中に在留特別許可を求めている子どものリストが書かれています。ここに40人が挙がっていますが、それから3、4ヶ月して現在50人になっています。これは大阪近辺、京阪神での数です。2001年の時には、こういう子どもたち9人の手紙を持って国連の委員会に行きました。今年、おそらく10月になると思いますが、NGOのレポートを持ってジュネーブに行く予定です。子どもの権利条約には「子どもの最善の利益が主として考慮される」また、子どもの拘禁は「最後の解決手段としてもっとも短い適当な期間のみ用いる」と書かれてあり、それが当たり前なのです。現在の日本政府のやり方が、そういうことを考慮をした上で、なされているのか、そうでは全くなくて子どもの収容がなされているではないか。私たちはそいういう手紙を持って行きたいと思います。

 日本ではそれとかけ離れた現実がある。例えばフランスでは、裁判で、不法滞在の子どもについても、子どものの権利条約に基づいて滞在を認める。それだけではなくて、親については直接そこからは出てこないけれども、子どもの養育のためにはしようがないから黙認するという、相当中途半端な内容でしたけれど、そういう形です。ところが日本は反対なのです。親が強制送還される、強制送還の対象になる、すると親子を分離したらだめだから、だから子どもも強制送還です。そこには、どこにも子どもの権利を大事にするという視点はないのです。

 

 この4月から何人もの子が大学生になります。彼らも20歳になると収容されるかもしれない。収容されて7カ月にもなるのは、資料にもある男の子ですが、柳健雄君のことです。友だちは「タケオ」と呼んでいます。この子の小学校以来の同級生や友人たちはこの間3月2日にも「長期の収容をやめろ」というのでデモをやりました。その時に、同級生や友だちが40人来てくれていましたが、その時のシュプレヒコールが非常におもしろかったです。「収容ストップ、難民ウエルカム、友だち返せ、日本を変えよう」と叫びながら大阪の谷町をデモ行進していたのです。3月15日には、「柳君がこんな目にあっています、みんなで力を貸して下さい」というので、コンサートが開かれます。その同級生たちが作った手書きのビラが資料にあります。アメリカ村でビラまきをする予定になっているそうです。同級生たちはみな19歳です。そういう子たちがこういう形で立ち上がっているのです。日本も、決して捨てられたものではない、ということです。

 こういう中で、私たちもできる限りのことをして、収容されている子どもたちや強制送還に直面している子どもたちに、日本政府のすることは確かにひどいけれども、日本人の中にみんなのことを思って共に取り組んでいる者もいるということを示すことだけでも意味があるのではないかと思って、努力したいと思います。皆さんのご協力をお願いします。 

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