朝鮮の姓は
なぜ種類が少ないか?

1 2 3 4 5
キム イ(リ) パク チェ チョン
6 7 8 9 10
チョ カン チャン ハン ユン
11 12 13 14 15
イム(リム) シン アン ソン
16 17 18 19 20
ファン ホン チョン クォン
21 22 23 24 25
ユ(リュ) ムン ペク ヤン(リャン)
26 27 28 29 30
ソン ユ(リュ) チョ
31 32 33 34 35
ノ(ロ) チュ シム チャ ナム
36 37 38 39 40
カン チョン イム(ニム) クヮク
41 42 43 44 45
チョン ナ(ラ) ウォン
46 47 48 49 50
ミン オム パン ソン
51 52 53 54 55
チェ シン ヒョン チン
56 57 58 59 60
ハム ピョン チョン ヨム ヤン
 朝鮮民族に多い姓の60傑であり、漢字の右にあるのが順位である。下にカタカナ表記で原音に近い読み方を記し、南北で読み方が異なる場合は、( )内に北の読み方を示した。
 漢字の字体については、「裵」「曺」は「裴」「曹」の朝鮮独特の異体字。60位までは一字姓ばかりだが、南宮、鮮于、諸葛、皇甫、独孤、司空、東方、西門などの二字姓もある。

 朝鮮民族は漢民族とは本来、まったく系統の異なる民族である。したがってその人名も古くは独特のものであり、日本書紀にも「鬼室集斯」「憶礼福留」といった朝鮮半島からの渡来人の名前が登場するが、今日ではあとかたもない。しかし、新羅では三国時代にすでに中国風の姓名が取り入れられていて、のちに王となった金春秋の名も日本書紀に登場してくる。この新羅による統一で三国時代が終わってから千年有余を経た今、朝鮮民族の人名は完全に中国風となっている。

 中国の姓は、膨大な人口にもかかわらず、きわめて種類が少ないことで知られ、まれな姓を含めても二千種あまりという程度と思われる。日常見かける姓はさらに限られ、「李張王陳劉」の5種類で人口の2割程度を占めている。朝鮮の姓は、この数少ない中国姓から、好みのようなものがあってさらに絞られ、「金」姓だけで人口の2割を占める。朝鮮の姓は、「金李朴崔鄭」の5種類だけで人口の半ばに達し、ごく稀な姓を含めても、現存の姓としては300種に達しない。その大半は中国にもある姓であるから、姓だけで朝鮮人と断定することはできない。逆に中国の姓はこれよりは多いので、姓だけで中国人とほぼ断定できる例は多い。「何謝馮于葉」などは中国ではよく見かけるが、朝鮮半島ではきわめて珍しい。

 しかし、姓だけで朝鮮人と断定することがまったくできないわけではない。中国と朝鮮の五大姓を比べてみると、共通するのは「李」だけであるが、「金崔鄭」の各姓も、ありふれているとまでは言えないとしても中国でも珍しくない。しかし、「朴」姓は中国にはほとんどおらず、まず朝鮮民族と考えてよい。一方、中国の五大姓は朝鮮半島でもよく見かける。ただ、「王」姓は比較的珍しい。これについては、高麗王朝の王室が王姓であったため、李朝時代になってから迫害を恐れ、「全」や「玉」にかえたためだとも言われる。たしかに「全」や「玉」は中国では珍しい。このほか、「何」ならば中国人、「河」ならば朝鮮人と考えてよい。また、中国で「曹、裴」と書く姓は、朝鮮では「曺(曹の縦棒が一本のみ)」、「裵(裴のなべぶたの部分が一番上に移る)」という中国では一般的でない字体で書かれるので、このような字体の姓であれば、「ペ・ヨンジュン(裵容濬または裵勇俊)」のように、朝鮮人であると考えてよい。
済州島に多い「夫(プ)」姓は、中国はもちろん、朝鮮半島でも他の地域にはほとんど見られない。

 中国姓は種類が少ないので、互いに血縁のない一族がたまたま同じ姓を名乗るということがよく生じる。そのため、その一族が始まった所の地名を姓と併せ、「隴西李氏」という具合に一族の名を称する。そのような地名を「本貫」という。中島敦の「山月記」は、「隴西の李徴」なる人物が主人公だが、「隴西」が李徴の出身地ではなく、先祖の出身地としての本貫であることは、この小説の書き出しを読めば分かる。「本貫」という習慣は朝鮮にも導入され、一般に「本」とよばれる。そして、同姓同本の男女は結婚ができない。これは単なる習慣ではなく、韓国ではなんと1999年まで民法にもそのように規定されていた。そのため、あきらめきれない男女の心中事件がときに起きるが、多くは同姓だと分かったとたんに恋愛感情がサーッと引いていくというから長い間の習慣の力と言うものは恐ろしい。

 民家に掲げられていた「漢陽趙氏扶余地区宗親会の看板。

 姓が同じでも本貫が違えば、結婚はできる。なにしろ「金」姓だけで人口の2割を超えるのだから、5人に1人の異性を恋愛の対象から外すのは若い男女にとってはたまらないことである。本貫が違えばいいということででだいぶ緩和されると思うかも知れないが、本貫もまた、限られた少数の本貫に固まる傾向がある。最大の姓である「金」の本貫は「金海」か「慶州」、それに次ぐ「李」も「全州」がきわだって多い。人口の1割ほどにも達する「朴」にいたっては、70~80%が「密陽朴氏」によって占められる。こういった大族になると、その人口は、それぞれ全体の1割前後にも達するのである(日本では第一生命が全国の契約者をコンピューター処理して最も多かった佐藤姓ですら出現率はわずか1.6%)。そして、同姓同本の一族の結束はきわめて強い。韓国を旅行中に右の写真のように「宗親会」とか「花樹会」という看板のある建物をよく見かけたが、これはこのような一族の親睦会であり、全国に支部を網の目のように張り巡らしている。金大中(キム・デジュン)元大統領は大統領選挙にあたってかつて自分を迫害した朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の右腕だった金鐘泌(キム・ジョンピル)氏と手を組んだが、二人がそれを公表したのは、二人がともに帰属する金海金氏の集まりでのことであった。

 自分がどの一族に属するかということは、韓国では単に過去のことではなく、現在の問題でもある。二つの一族の間で、ある歴史上の人物の本当の末裔がどっちかということが裁判で争われ、新聞紙上をにぎわしたのも最近のことである。各一族は、自分の一族の中から出た歴史上の人物を誇りとし、ほかの一族の人との間で、それをたたえたりけなしたりして話の種とする。では、なぜこんなに血筋にこだわるようになったのだろうか? その答のかぎは、ヤンバン(両班)、中人、常民、賎民の四つの身分に分かれていた李氏朝鮮時代の社会体制にある。しかし、トップに立つヤンバンと人口の大多数を占める常民との間の身分の規定はあまり明確ではなかった。ヤンバンとは、一定のレベル以上の官職についた者の子孫ということだが、その後何代にもわたって地位を得る者が出なければ、ヤンバンの資格は失われる。一方、常民も科挙という試験によって官職につき、ヤンバンとなる機会が開かれることになっていた。結局ヤンバンとなる道を閉ざされていたのは、厳しい差別の対象となった賎民と、さまざまな技術をもって朝廷に仕え、ヤンバンと常民の中間に置かれた中人(その人口はきわめて少ない)だけであった。こういう体制であるから、李朝時代の間に、族譜(家系図)を偽造することによってヤンバンと自称する者がどんどん増え、はじめ人口の1割にも満たなかったヤンバンが末期にはなんと人口の9割前後にも達していたのである。

 どうせ系図を偽るなのなら、寄らば大樹の陰となるのは自然の理である。全州李氏は李王家の一族と称しているし、金海金氏、慶州金氏、密陽朴氏といった大族は三国時代の王家の血を引くと称している。結局、朝鮮の姓が少数となったのは、もともと数少ない中国姓の中から選んだ上、祖先を崇拝する儒教が庶民の間にまで浸透する中で、誰もが歴史上有名な少数の一族の子孫だと称するようになったからである。同様の現象は「姓」である限り、姓を自称する人の大半が源平藤橘のどれかを名のるというように、日本にも見られた。

 また、日本の苗字の種類の多さは、朝鮮半島の姓はもちろん、中国姓と比べても何桁も桁が違う。朝鮮姓、中国姓の種類が少ないのには、きわめて簡単な理由がもう一つある。それは、そのほとんどが一字だということである。これに対し、日本の苗字は二、三字のものが大半を占める。一字なら100でもそれを二つ組み合わせれば10,000にもなるのだから、当然といえば当然だろう。

 「朝鮮の姓は、なぜ種類が少ないか?」というのは、日本の苗字のあり方を基準にした疑問だろう。日本の苗字の種類の多さは、姓ではなく苗字だという点を考えても、漢字文化圏の中では異質である。ベトナムなどは、中国ではさほど多くない「阮(グエン)」という姓が単独で人口の半数近くにまで達し、朝鮮の「金」を大きく上回っている。

      

inserted by FC2 system