朝鮮語には
どのような音があるか?

 朝鮮人が濁音を発音できないということが、日本人からの嘲笑のもととされた不幸な時代があった。関東大震災のときには、「十五円五十銭」と言わせて、「チューコエンコチュッセン」というような発音をしたら、朝鮮人だということで殺されたなどという悲惨な歴史すらある。偏見に満ち溢れた時代には、人は相手に何がないかばかりに目を向けて、相手に何があるかに注目することはなかった。

 しかし、日本語と朝鮮語を比べて、どちらが発音が難しいかといえば、朝鮮語であることは間違いない。その理由は、以下の三つである。
  (1)母音が日本語は5種類だが、朝鮮語は7種類である。
  (2)日本語では、子音で音節が終ることはないが、朝鮮語ではごく普通にある。
  (3)朝鮮語には確かに清濁(有声無声)の区別はないが、それに代わる日本語にはない区別がある。
以下、この3点について、順を追って説明したい。ただ、発音が単純か複雑かということは、それぞれの言語の個性にすぎないのであって、決して言語間の優劣を示すものではないことは、最初に断っておきたい。

 朝鮮語には、日本語の「あいうえお」の5母音がすべて揃っている。日本語よりそれぞれの特徴を強調してはっきり発音するという違いはあるが、日本語どおりに発音しても通じないということはない。問題は、これ以外に日本語にはない母音が2種類あるということである。一つは、子供が「イーッ」と悪態をつくときのように、唇を強く横に引いて出す「ウ」のような音である。「イ」の口の形のまま「ウ」と言ってみればだいたい出せる。もう一つは、舌を宙に浮かせた感じで出す「オ」のような音である。唇を横に引いたり突き出したりせず、「ア」のように口を大きく開けることもしないという意味では、最も自然な音ともいえるが、それだけに日本人には難しい。

 やっかいなのは、この音が、韓国のローマ字表記ではu(「ウ」はoo)で示されることが多いことである。今日の韓国を代表する現代自動車、三星電子は、それぞれHyundai、Samsungと書かれる。このため、日本では「ヒュンダイ」「サムスン」と読まれるようになってしまったが、原音に近くかな表記するなら、「ヒョンデ」「サムソン」であるべきである。個人的には、こんな変な読み方をするぐらいなら、「ゲンダイ」「サンセイ」の方がよっぽどましなのに、と私は考えている。


 朝鮮語の母音も時代による変遷や方言差があり、最近まで「エ」にも広狭の2種類があったり、ドイツ語のÖやÜに当たる音があったりしたが、現在の標準的な朝鮮語は7母音とみてよい。

 朝鮮半島の人名をカナ表記すると、「ン」で終わることが多くなる。「金」という姓を「キム」と読むことは、最近日本でも知られるようになったが、[kimu]ではなく[kim]と発音されるため、日本人の耳には「キン」としか聞こえない。つまり、日本人の耳に「ン」と聞こえる音には、n,m,ngの三種類があるのである。実は、日本語にも音声としてはこの三つの「ン」が揃っているのである。「さんま」の「ん」は唇が閉じるからm、「あんた」の「ん」は舌先が歯の裏につくからn、「けんか」の「ん」は舌が宙に浮くからngの音なのだが、日本人はこの違いを意識していない。日本語の場合、「ん」がどんな音になるかは、あとに続く音によって自動的に決まるため、区別する必要がないからである。これに対して、朝鮮語では、n,m,ngは、別々の「音韻」として区別しなければならない。saramといえば「人間」だが、sarangといえば「愛」である。カナでは等しく「ソン」と書かれる四つの姓「宋」「孫」「成」「宣」(人口順)は、母音がどちらの「オ」か、「ン」がnかngかで、それぞれ別々に発音されなければならない。

Korea Photo Library より
オンドルは、床下に煙を通す暖房。そのため、真冬でも蒲団は軽いものですむ。

 3種類の「ン」のほか、朝鮮語では音節の最後に来る子音がさらに4種類ある。ハングルで書いた場合、文字の下側に記されるので、これを「パッチム」(支えるもの)という。一つは、「ハングル」などに見られる「ル」の音であるが、これが一種独得な音で、英語などのLに似て舌先を歯茎につけはするが、先端を反り返らせてつける点がLとも違う。母音の前に来た場合は、日本語のRと同じような音になるのだが、この2種類の「ル」は、別々の音とは意識されていない。つまり、音韻としての区別はないのである。なお、日本語の音読みでは「ツ、チ」で表記される漢語のT入声の音が、朝鮮語でこのLになっているのは特徴的である。「宣銅烈(ソン・ドンヨル)」「金正日(キム・ジョンイル)」「趙容弼(チョ・ヨンピル)」など、その例には事欠かない。朝鮮半島独得の床暖房装置として知られる「オンドル」も、「温突」と書く漢語である。

 さらに、パッチムには、息をとめる感じの音がp,t,kの3種類ある。それぞれ英語のship,bat,kickの最後に似ているが、息をもらさず閉鎖の段階で発声をとめてしまうところが英語とは違う。したがって、この音は、日本人の耳には聞き取りにくい。「めし」のことをpapというのだが、日本人には最後のpが聞こえないため、「ビビンパ(まぜ飯)」「クッパ(汁飯)」のような形で日本語に入ってきている。朝鮮では、サントゥという独得のまげを結う以前の未婚の若者の髪型をchonggak(総角)といい、若者という意味でも用いられた。これが日本語に入ると、最後のKが聞こえないため、「チョンガー」となったのである。p,t,kというパッチムは、語中にくると日本人の耳には促音(小さいッ)に聞こえる。むかし韓国からJリーグに来た河錫舟選手が初め「ハ・ソクジュ」と呼ばれていたのが、本人の希望で「ハ・ソッチュ」と読み変えたのもこのためである。こうしてみると、朝鮮語の発音は難しそうに聞こえるが、英語ほどではない。英語の場合は、strikeやthinksのように、母音の前後に子音が二つも三つも重なるが、朝鮮語の場合はどちらも一つだけである。

 つぎにいわゆる「清濁」の問題に移る。朝鮮語には音声としての濁音もちゃんとある。日本語の「ゲタ」を朝鮮なまりで読むと決して「ケタ」とはならず、「ケダ」となってむしろ濁らないところが濁る。これは、p,t,kなどの音が、語の頭にあるときはそのまま、語中で母音にはさまれたときなどは必ずb,d,gと有声音になる、つまり濁るからである。発音する位置によって清濁が自動的に決まるため、日本語における「ん」と同じで、違う音だとは意識されていない。

李朝時代、朝鮮は8つの道に分かたれた。京畿道以外の各道はのちにそれぞれ慶尚北道、全羅南道という具合に南北の2道に分かたれた。南北分断後、韓国は全羅南道から済州道を、北朝鮮は平安南北道から慈江道、両江道を分離したが、互いにそれを認めていない。ここでは、このような状況に配慮して、昔ながらの八道のみを記した。

 このように、朝鮮語では有声音と無声音とを別々の音韻として区別しないのだが、日本語にはない別の区別がある。それは、たとえば「カ」というとき、kとaとの間に間隔を置くと、その間にhの音がもれるため、「ク」という感じになり、強い発音という感じになる。こういう現象をアスピレーションというが、朝鮮語では「激音」と呼んで、アスピレートしない「平音」と区別される。「トッキ」の冒頭をアスピレートさせないと「斧」、させると「兎」の意味となるので、日本語の「ガラス」と「カラス」同様区別しなければならない。なお、日本語でも軽いアスピレーションが語頭でよく起こる。「高い」の場合はtが、「硬い」の場合はkがややアスピレートしているのだが、日本人は意識していない。なお、有声無声の区別がない一方で有気無気(アスピレートしているかどうか)の区別があるという点は、現代中国の共通語である北京語も同じである。インドの諸言語には有声の有気音もある。日本語でも、気持ちをこめて「でぇっけーなあ!」というときには有声有気音があらわれる。ガンジーはアルファベット表記ではGandhiと書かれるが、この中のdhの部分が有声有気音である。有気音が多いのは、古い印欧語の特徴で、古代ギリシャ語にもあった。今日の英語で、ch、th、phといった綴りを含む語にはギリシャ語から入った語が多い。chやthの場合は、別の音を示すために固有の英語の語彙にも用いられるが、phという綴りを含む語は、graph,Philippe,telephoneなど、まずギリシャ語起源と考えて間違いはない。

 朝鮮語には、「平音」「激音」とは別に、咽喉をしめつける感じで出す音があり、「濃音」と呼ばれる。日本語で似た音を探せば、「ばった」の「た」のように、促音に続く音がこれに近く、それを語の頭で言えれば、濃音をマスターしたことになる。あきれたときなどの「まったく」を「ったく」のように言うときがあるが、このときの「た」は濃音に近い。「タル」というとき、平音なら「月」、濃音なら「娘」であるから、これまた厳密に区別しなければならない。「プル」の場合は、平音なら「火」、激音なら「草」、濃音なら「角(つの)」である。

 ハングルは、15世紀という比較的遅い時代に、古代インド以来の音韻学の知識に基づいて作られただけに、朝鮮語をきわめて正確に表しているが、唯一今日のハングルによって区別されていない違いがある。それは、母音の長短である。「ヌン」というと「目」、「ヌーン」というと「雪」なのだから、これは単なる音声の違いではなく音韻の違いであるから不思議である。しかし、この区別は、ハングルが作られたときには、各文字の左側に打つ点の数(0~2)によって示されていた。しかし、これによって区別される語がさほどなかったため、この「傍点」は今日では用いられない。傍点は、母音の長短と同時に、日本語とよく似たアクセントをも表記していたと考えられる。しかし、今日の朝鮮語の基準となるソウルの言葉では、アクセントの違いは失われている。日本でも「橋」と「箸」をアクセントによって区別しない無アクセント地帯があるが少数派である。現代の朝鮮半島にもアクセントの決まりがある方言があり、釜山、大邱などの慶尚道方言や北朝鮮の咸鏡道(むかし慶尚道からの移住者が多かった)方言がそれであるが、こちらは、アクセントのある方が少数派となっている。

 朝鮮語話者の日本語のなまりによって、日本語の音声、音韻的特徴が浮き彫りになることは多い。語頭のバ行をハ行ではなく、パ行で発音することから、われわれは、「バ」を「ハ」の濁った音とするのが日本語特有の約束事に過ぎないことを知ることができる。この点は「サ行」と「ザ行」の関係についても同じである。朝鮮語のS音は、語中でもSのままである。実は、日本語の「ざじずぜぞ」は、「さしすせそ」ではなく、「ツァチツツェツォ」の濁った音なのである。このうち、「チ」の音は朝鮮語にもあるが、他の音はない。したがって、「座敷」の朝鮮語なまりは、「サシキ」ではなく、「チャシギ」という感じになる。「ツァツィツェツォ」は日本語でもほとんど外来語にしか用いられないが、日本語で頻繁に用いられる「ツ」の音が朝鮮語にはなく、なつみかん」は「ナッスミガン」となまりやすい。英語流に書けばshとなる音、つまり「シャ」「シュ」「ショ」のような発音も朝鮮語にはない。ただ、「シ」という音は朝鮮語にもあり(日本語同様「スィ」という音はない)、「シュイ」という音もある。

 古い日本語もそうだと思われているが、朝鮮語では本来語頭にrの音が立たない。そのため、ラジオを「ナディオ」というように、n音で代替される。盧、羅という姓が、「ロ、ラ」ではなく、「ノ、ナ」と読まれるのも同じである。さらに、n音は、後ろに「イ」や「ヤユヨ」のような音が来ると脱落する。本来"nitpon"というような発音になるはずの「日本」が「イルボン」になることは、ここまで述べてきたことを総合すれば納得できるであろう。「李」姓が「イ」となるのも同じ理屈である。ただ、北朝鮮では教育によって強引に語頭のR音を広めているし、韓国でも英語など外国語の習得のために、朝鮮語特有のなまりは、だいぶ消滅している。日本の地名に、「駿河」「敦賀」「播磨」「小谷(おたり)」のように、本来n音で読まれるはずのところがr音になっている例が散見されるのは興味深い。これについては、日本語の文字表記を最初に手がけた古代朝鮮からの渡来人がnとrの区別をしばしば無視ないし混同したからだという説もある。

      


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