摂津の在日朝鮮人教育(大阪府外教報告2004.6.12)

石川正三(摂津市外教)

 昨年2003年2月の大阪府民族講師会第4回教育研究集会(大阪市長橋小学校)で第二分科会「少数在籍地域」として」摂津市味生小・鳥飼西小の報告がありました。今年6月の大阪府外教研究集会(吹田市吹田第二小学校)では、折から発行された二〇周年記念誌の内容を中心に、石川正三さんからの報告がされ、多くの人に感動と共感を与えました。

 民族主体からの直接の支援がない少数在籍地域で、また、地域に直接の部落解放運動がなく、差別反対運動の直接の支援もないところで、どのような論理と方法によって日本人教職員を主体とした「在日朝鮮人の民族教育」に関わる教育運動が成立・発展したのかを再確認し、教訓としたいと思います。

 なお、二十周年記念誌に載せられた石川さんの文章
は長文にわたるため、『むくげ』178、179号に分割掲載されましたので、本サイトでは、179号のアップロードの際に一括掲載しました。(HP編集委員会)


(1)はじめに

 摂津市外教の石川です。1984年に"民族との出会いを。そして在日の子どもをつなげよう"と第1回ハギハッキョを始めてから、昨年の夏で20回目を迎えました。20周年を記念して「ともに生きる」記念誌を作りました。
 「ハギハッキョの思い出、近況、生き方など何でもけっこうです。原稿を寄せてください」と呼びかけて、卒業生14人、アボジ・オモニ7人、教職員15人、3人のソンセンニムに書いていただきました。思いのこもったいい記念誌ができたと思っています。そして、記念誌を作ったことに終わらせずに、卒業生やアボジ・オモニたちとの共同活動を新たに作っていかなあかんなと思っています。

(2)教育運動のあゆみ

 文ソンセンニムから「摂津の民族教育の歩みは、日本の教育史の金字塔といえるものである」との賛辞をいただいた。
 摂津市人口約8万人。在日韓国・朝鮮人約千人。1.3%の町。かつての同推校のような拠点校があったわけでもない。
 在日の子どもやアボジ・オモニ、ソンセンニムに支えられての20年。
1.「先生、私を助けてください」を受け止めよう。
2.鳥飼小学校での一斉家庭訪問
3.教室に朝鮮を持ち込む授業
4.立場宣言、本名宣言の子どもたち
5.つなげていこうと第1回ハギハッキョの開催
6.夜のつどいでの熱気……日常的な民族子ども会。冬の集い。
7.その後つぎつぎと民族子ども会が誕生。12小学校の内10校。
8.日本人との関係をつくる。日本人との関係の中で、立場を明らかにし自信を得ていく。
  「韓国・朝鮮の文化にふれるつどい」
  隠れ子ども会が、学校の中で市民権を得ていく。
9.基本方針。具体的施策で「ハギハッキョ、集い、民族子ども会の必要性」が述べられ、補助金がつく。市外教の発足。
  民族子ども会にソンセンニムが派遣される。
10.「民族講師の制度保障」の運動。
  カンパ金をもとに月1回から2回へ。
11.1999年度より新規事業。

(3)課題

 こういう歩みをしてきたが、課題も多くある。特に
・設置校10校の内、3校が休会。
 子ども会に結集している子どもは、鳥飼、西、北、別府、千里丘、味生、合計15
 それにともないハギハッキョも激減している。かつては、300人。今年度33人。
・一人でも子ども会をやろうと今年、準備会として発足。
 一方で、日本籍のWの子どもたちが100人以上はいるだろう。前任校で、一人の韓国籍の子に対し、6世帯11人のつながる子。二つの民族を受け継ぐこれらの子どもたちが、自らを誇りとするアイデンティティーの確立の教育が課題。
・制度保障。
 高槻で、在日韓国・朝鮮人教育事業予算の大幅削減、指導員の学校からの引き上げという攻撃がある。摂津でも昨年度の交渉で「来年度は、予算縮小。近い将来廃止」という暴言があった。組合、市外教、かつての民促協の力も得ながら、縮小は最小限にくい止めたが、今年度もまた縮小攻撃がかけられてくることが予想される状況にある。

(4)これから

 今年、新任で赴任した学校に転勤した。そこで、ハギハッキョ1期生の子が親になりその子どもが一年生で入学してき、出会い直すことになった。
 7年前にテレビ番組「新婚さんいらっしゃい」で、妻がチョゴリを着て出演したという夫婦と一人の子の家族。妻は日本人なんですが、夫の思い、願いを受け入れ、韓国籍を取得する。だから子どもは韓国籍。在日韓国人家族として誇りを持って生きようとしている。この家族に寄り添い、学び、これからの実践をしていきたいなと思っています。
 6月4日に初めて子ども会に参加。金ソンセンニンと出会い、「キム」とハングルの名札をもらい、日本人の友だちとペンイを楽しむ。まわりの先生から「ええ名前やなあ」と言われ、お母さんから韓国の名前はと聞かされたことを話してくれた。子ども会を大変気にいって次を楽しみにしている。
 改めて、子ども会があり、ソンセンニンに来てもらえてさっとハングルの名札を作ってもらい、アンニョンハセヨ、アンニョンヒケセヨと教えてもらえる摂津はいいなあと思いました。
・この家族との出会い直しをしっかりやっていきたい。
・「ハギハッキョを巣立っていった青年が、地域の中で活動して行く」ことが、ハギハッキョ20年の一番の成果。

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