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私と在日朝鮮人教育(連載第2回)
むくげ開くとき(2)

「だから炎は燃えることをやめない」

                    

法蔵美智子(大阪市教組副委員長)

 「48年<朝鮮学校閉鎖令>後、日本の学校に強制入学させられた朝鮮人の子どもたちに対して、「民族教育」の保障を求めた一世たちが命を賭して闘いとった「民族学級」の灯が、今再び行政の手で消されようとしている。35年もの間、金容海ソンセンニムによって支え、守り続けられてき「北鶴橋小民族学級」のソンセンニム退職後の後任保障に対し、府教委は何ら方針を持ち合わせておらず、後任は措置できないと回答した。

 民族学級は、単に「三階北東角にある教室」ではない。朝鮮人の子どもたちにとってまぎれもない「自分たちの教室」である。この教室で子どもたちはクゴを学んだ。自国の歴史を学んだ。そして朝鮮人として生きる自覚と誇りとを学んだ。民族学級の学びは、ハルモニ・ハラボジからオモニ・アボジへ、そして子どもたちへと引き継がれ、35年に及ぶ民族学級の修了生は1616人にのぼる。

86年3月、第34回修了生を送り出され、容海ソンセンニムは退職された。が、後任講師が措置される迄はと、今もなお「非常勤嘱託」として取り組みを続けておられる。

 民族学級の存続を強く訴えたい。」

これは87年の大教組教研「民族」分科会に提出したレポートの書き出しである。

 その頃の金容海ソンセンニムは、府教委とかけあい、日々闘っておられた。まるで、自然消滅するのを待っているかに見える府教委の対応が続き、時には憔悴した表情を見せられることもあったが、それでもなお、ソンセンニムは子らと希望を紡ぎ続けておられる。何とかしなければ。しかし、分責である私はと言えば、市教組に訴えはしたものの、交渉相手は府教委である。当時の大教組(現在の全教系)は、全く取り上げてはくれない。(私のレポートも、日教組教研へのレポートからみごと落選した。)

 私はソンセンニムや子どもたちの顔をまっすぐに見ることができず、毎日焦り、悶々としていた。そんな時、「全朝教」代表の稲富先生から電話が入る。闘いの道が開かれた。北鶴橋小民族学級と「全朝教」「考える会」が、「部落解放共闘」が、「民族団体」が、次々とつながり、市内の民族講師たちが、同胞の保護者たちが立ち上がり始める。力が結び合わされ、北鶴橋小民族学級の周りにスクラムができる。保障に向けての闘いの道が拓かれたのだ。

 私はレポートを次のように結んでいる。

「民族学級の存続の危機に際し、子ども、保護者、教職員が、初めて自分とのかかわりの中で民族学級について真剣に考えた。この意味は何よりも大きい。」と。

 北鶴橋小民族学級は、単に「三階の北東角にある教室」ではなくなった。

 (86年3月25日、府教委は私たちに回答を示す<註>。不満足ではあったが、この回答を手がかりに私たちは次の目標に向けてさらに取り組むことを確認し合う。)

 87年3月、容海ソンセンニムにとって最後となる民族学級の卒業式。

子ども、保護者、教職員に見守られ、壇上を降りられたソンセンンニムは、拍手の中を静かに歩み去られる。その顔には36年間子どもたちに民族の魂を育み続けた誇りと、「存続」を闘い取り、民族学級が後輩の手で確(しか)と継承されていく喜びで溢れていた。

 壇上には、金美優ソンセンニムが、民族学級を容海ソンセンンニムからしっかりと引き継いで、力強く立っておられる。益々明々しく燃える灯に、私は、金太一少年の命の灯を見た。「阪神教育闘争」を太一少年と共に闘った方の証言が重なったのである。

 そのとき、わたしがもし「ねえ、君」と肩に手をのばせば振り返ったであろうほどに身近にいた一人の少年が「ドオッ」とばかりにうち倒れた。その場は大阪府庁舎の正面に当たり、わたしたちのあたりには、もう人々の姿はなかった。 …中略…

”死んだのだ”と気づいて初めて私は大声で人々を呼んだ。眼を血走らせた数人が駆けつけ、彼を抱えて「殺された!殺された!」と叫びながら走った。 …中略…

 かって父や母や私たちが辱められ、蔑まれた悲憤の歴史を拒否した一人の少年は殺されたのだ。その死は静かであった。倒れた時でさえ、彼は何も叫ばなかった。それは、すべてを私たちに託したかのようであった。

 だから炎は燃えることをやめない。
<註> 
87年3月の府教委回答内容
・民族学級(大阪府下)については1948年の覚書をふまえ、その存続を認める。
・民族講師の定年退職にともなう講師の後任については措置する。
 現講師の承認が得られるならば非常勤嘱託員として引きつづき民族学級の担当をお願いしたい。
・後任講師の措置としては、教育課程外の活動ではあるが、非常勤講師を充て、民族学級の担当をおねがいしたい。なおその待遇として122,400円(1日3時間、週6日を算定基礎として)を支給する。
・民族学級の存続・発展については過去の歴史的経緯をふまえ、府教委として努力していきたい。
・後任講師は教員任用テストをクリアできるようにがんばってほしい。教員加配制度を有効にすることとあわせて民族学級の講師を措置するよう努めたい。

その後、後任講師は、幾多の交渉を経て、現在は「常勤講師」として市内に7人、(府内11人)が措置されている。

(つづく)

     
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