基調報告(4)



(1)はじめに
(2)全朝教大阪(考える会)運動の過去と現在
 @出発点の原則とその評価
 Aこの10年間の成果と失敗

(3)課題ごとに見た過去と現在
 @教育内容
 A民族学級・民族クラブ・民族の集い
 B民族学校
 C大阪市「指針」と大阪市外教、 大阪府「指針」と大阪府外教、そして2001年7月の
  大阪市「方針」

 D進路保障
 E全朝教問題
 F民族教育ネットワーク
 G新たに渡日した生徒の教育の問題
 H理論的問題

(4)全朝教大阪(考える会)の組織方針
(5)現在の実践課題の検討と再評価、日本の教育の未来のために
(6)おわりに




(4)全朝教大阪(考える会)の組織方針 

 1994年の「改称集会」から、私たちは会の「会則」に基づき組織を整備する手はずでした。しかし、全朝教問題という組織上の活動の失敗によって十分それを固めることもできぬまま今日に至っています。 運営委員会と会員(むくげ読者)お互いが、機関誌「むくげ」を中心に、必要に応じて的確に応答しあえるよう努力する中で、これを組織整備につなげたいと思います。

 現在の運営体制は次のようになっています。
・会員(むくげ購読者。会費1年間2000円。団体会員10000円)

・運営委員会(ほぼ隔月の運営委員会で役割分担。運営委員カンパ1年間10000円) 
    シンポジウム委員会(主坦冨田稔、ほか) 
    むくげ編集委員会(編集長太田利信、稲富、信太、ほか事務局)
    事務局(局長宮木、太田、印藤、岡野) 
    代表 印藤  運営委員会会計 岡野
・年3〜4回、的確な課題をテーマにしてシ ンポジウムを開催する。
・年4回、機関誌「むくげ」を発行する。

 1975年以来の寺田町石村ビルの事務所は、1996年に撤収し、佐伯さんから稲富さんに受け継がれた朝鮮資料研究所は閉鎖されました。その資料は会で預かっています。  

(5)現在の実践課題の検討と再評価、
日本の教育の未来のために
 

<在日朝鮮人問題の今後と日本の教育の課題>
 各種集会で、21世紀における日本の人口減少の危機について言及されています。在日朝鮮人への一方的な期待や予想を言う人も絶えません。多くの人はこう言います。
 「まもなく(あるいは、やがて)、在日朝鮮人はほとんどが日本国籍となり、在日朝鮮人は集団としては消滅するでしょう。日本における在日朝鮮人問題は、「帰化」朝鮮人の問題、日本国籍の中での多文化の問題に収束することになります。その中でも韓国・朝鮮籍を保持しようとする人は立派なことです。これからもっと増加する外国人に対してのオールドカマーとして、日本社会で先駆的な役割を果たしてほしいものです。」
 「多文化教育」も「日本国籍」の内部での多文化の問題に狭められるかもしれません。しかし、例えば1930年代に「朝鮮人は日本人となるのが幸せだ」として、大多数の朝鮮人の若者が表面上皇国臣民になったとしても、教育の課題がもしすべてそのことを前提として考えられなければならないのだとしたら、高史明の小説の主人公の少年に「お前の名前は」と本名を問い続けた教師は、間違っていたのだと言うしかありません。(『生きることの意味』のこの有名な一節は、6月の大阪教組教研全体会で李仁夏さんがされた講演の最後に出てきました。「教師の本当の優しさ」とは何なのかと問いかけられたのです。)
 日本国籍になるならない、消滅するしない、立派だ立派でない、そんなことは、朝鮮人自身の問題です。私たちの教育は、朝鮮人がどうするこうするではなく、人間として当然の道理によって日本の学校をどうするのかという問題として組み立てられなければなりません。日本の教育が、本当にそうした朝鮮人の「自由」を育てているのかどうかが問われなければなりません。これまで「通名」を押しつけてきて、今は「本名」にするなら勝手にどうぞ、ではなく、せめて「本名」を積極的に問い、呼ぶことによって「教師の本当の優しさ」に近づく努力をしたいと思います。その努力を「民族学級」として形あるものに制度化します。その上で、朝鮮人自身がどう生きるかは、朝鮮人自身が考えることです。「民族学級」もそうした朝鮮人の「多様な生き方」のベースとしての普遍的な意義を確立しなくてはなりません。
 もちろん、在日朝鮮人の現状について、また、南北の現状について、私たちの認識を深める努力は払われるでしょう。国立の朝鮮学研究所も、1000人程度の朝鮮語教員も、私たちの国がいまだに必要ともしていないとされる(塚本勲)現状のもとで、困難なことには違いありませんが、努力は続けたいと思います。

 「本名を呼び名のる教育運動を、日本中すべての学校に広げよう」
 「民族学級を日本中すべての学校に設置しよう」
 (北海道の学校に、アイヌ民族学級を。ブラジル国籍の生徒のいるところすべてに民族学級を。朝鮮人のいるところすべてに朝鮮人の民族学級を。中国人、中国帰国生徒のいるところすべてに民族学級を。等々)
 「民族学級に民族講師を配置して、正当な待遇と制度的保障を確立しよう」
 「日本中すべての学校で、民族学級・民族学校との交流行事と朝鮮語授業をおこなおう」
 「民族学校、国際学校の法的位置づけ、公的援助や卒業後の資格が、一条校私立学校と同等になるような政策を実現しよう」
 「本名での就職を当たり前のものにし、就職差別を許さぬ制度的保障を確立しよう」
 「総合の時間や学校独自の科目・テーマとして、朝鮮、朝鮮語を正面から取り上げ、朝鮮を教える大運動をすすめよう」
 「民族学級を、来日する外国人技術者・労働者の子どもたちにとっての基本的インフラストラクチャー(施設、制度)として確立しよう」 

<「国民教育」を越えるもの>
 「国民教育」の中から「国民教育」を越えるものの芽を育てること、それは単なる想像の上の理念ではありません。1985年の国籍法改正以来生まれた「二重国籍」の子どもたちの、「国籍選択」の時期が近づいてきています。本国での法改正とも関係しますが、「韓国籍」保持(二重国籍保持)の運動が生まれることは必至です。「日本籍より韓国籍のほうが有利なのではないか」という声も生徒の保護者から出始めています。(だからこそ日本人の「国民の誇り」をことさらに言う人々のいらだちも生まれるのでしょう。)それとも、「韓国人で(も)いたい」という人を強制的に日本人にしてしまうことを、私たちが後押しすることになってもいいわけはありません。私たちには、「国民教育」を越える現実への、まっとうな対応を迫られているのではないでしょうか。目の前の現実に目を閉ざし、空想的神話的な「国民」観念の中に逃げ込まなければならないほど、私たちは自虐的なのでしょうか。
 私たちの社会・国家の草の根からの現実を教育の場で正面から見すえることによって、「多民族・多文化共生の未来」をきりひらくことができるよう努力したいと思います。すばらしい諸外国の実践や教育理論をも参考にしつつ、私たちの目の前に現にある未来への芽を大切にして、育てたいと思います。それは、「在日朝鮮人のため」にではなく、私たちの共通の未来のためにこそ必要なことでしょう。
 「日本人」の教育のために日本の学校の中に朝鮮文化が不可欠だ、朝鮮語や中国語のカタコトもしゃべれないような国際感覚で、どうして「日本人」はこれから生き抜いていけるのか、朝鮮人のために民族学級を、日本人のために朝鮮文化の学習を。そしてまた、「日本人」自身のためにも、朝鮮人の民族学級を。私たちは、「教育改革」と学校での裁量権の拡大、地域との連携強化、「総合の時間」や独自科目の設定と実践を通して、少しでもこれを実現できるよう努力したいと思います。そのなかで、二重国籍、ダブルの子どもたち、日本籍朝鮮人の子どもたちも輝きを増し、その時、「日本の子ども」も「日本文化」も、一層輝くことになるのではないでしょうか。  

(6)おわりに 

 全朝教大阪(考える会)の会員も、大きく世代交代の時期を迎えています。「この研究集会には主催者はありません。……この会は既成の組織・団体には全く関係ありません。まったく素人の集りであり、本日ここにおいでの皆様は個人の意志で集まっておられる方ばかりです。あえて主催者をさがしますならば、本日この会場にお見えになっている方々すべてが主催者だと私は思います。……この研究集会を発展させるか、または先細りさせるかは、先の問題意識・この連帯意識を持ち続けるかどうかにかかっていると思います。やり方によってはこの会は発展どころか、今日のうちに空中分解しないとも限りません」という1971年9月の創立集会での議長(荒川笑子さん)の言葉は今も生きています。
 なくなった朝鮮奨学会関西支部のチョ・ギヒョンさんは、かつて「考える会が旗を降ろす時、それは日本に軍国主義の嵐が吹きすさぶときでしょう」と言われましたが、私たちは、そうならないように、また次の30年先のために努力を続ける決意です。
 30年は短くはなかったけれども、36年間を克服する時間としては不十分でした。克服しなければ、問題は必ず残る。現に、残念ながら、朝鮮植民地支配の清算はまだなされていない。在日朝鮮人の教育の問題は依然として存在する。この帰趨は日本国家の、戦後日本社会の根本的弱点および将来の歴史の結末と対応しているかもしれません。見て見ぬ振りだけでは、問題は先送りされるに過ぎません。多くの方々のお力添えをお願いします。
  (私たちの力は、30年前も今も、変わらず弱体です。ここにまとめた事柄も、全朝教大阪(考える会)固有のことしてなしたことはそのうちのごく僅かです。しかし、諸先輩方をはじめ、多くの会員、運営委員がそれぞれの場で努力したことが、なにほどかここにあげた事実(成果や失敗)に反映していることも確かです。運営委員会をはじめ、多くの方のご協力を得て、また、数年来のシンポジウムで学んだことも生かしながら、まとめました。それぞれお名前は書いていませんが、感謝の気持ちは一同持ち続けています。不十分な点は何とぞご容赦下さい。また、他団体や個人など、誰とも、ともに議論し、批判し、参考にしあいたいという希望を持っています。そのための素材として見ていただければ幸いです。)

 「聖人といえども、幾千幾万の人々がともに議論して生み出すものにはかなわないし、聖人といえども、ある時突然にものごとを完成完遂させることはできない……」          (丁若  「技芸論」18世紀)

 「日本の「内部」に存在しながら「日本人」という民族の特性を共有せずに、日本語のもうひとつの苛酷な「美しさ」をかち取った人たちがいた……」(リービ英雄『日本語を書く部屋』2001年)

 「私が苦労して捨て去ろうとしたものを、この若者は、奪われまいとしてやっきになっている……」(安部公房『終りし道の標べに』1948年)

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