多民族・多文化共生の未来のために、
「本名を呼び名のる」あたりまえの教育をすべての学校で!

民族学級」をすべての学校に設置し、
「3万人の情報技術者」来日にも対応できる学校のシステム作りを!

   「民族学校・国際学校」を「一条校」に準じた学校にし、
日本の学校教育との交流を深めよう!



全朝教大阪(考える会)について

会の名称と目的・これまで会則


2002年9月1日
 2006年8月5日一部修整

名称と目的

  正式名称は「全国在日朝鮮人教育研究協議会大阪(日本の学校に在籍する朝鮮人児童・生徒の教育を考える会)」と言います。

  日本人教職員、教育関係者が中心となって、教室でいっしょに机を並べる在日朝鮮人(韓国籍・朝鮮籍・日本籍)をはじめ、外国人の児童・生徒の教育、また、日本人の児童・生徒の教育について、教育実践と教育運動を通じて研究改善をはかります。
  「本名を呼び名のる」教育と「すべての学校に民族学級を」設置することが目の前の目標です。
  また、日本の学校の中での民族学級の制度化と民族講師の身分保障、民族学校の抜本的な待遇改善を通じて「民族教育権」の確立を求めます。そのことにより、多民族・多文化共生社会の未来を学校から実現することを目指します。

 

これまで                        会則へ


  
1971年7月15日に石西尚一郎(大阪市同和教育研究協議会事務局)、市川正昭(大阪市立鶴見橋中学校)、吉田裕子(高槻市立第六中学校)三人の「呼びかけ」が行われ、7月31日大阪府教育会館で大阪教職員組合五島庸一教文部長の問題提起で討論集会を持って、会結成へ向かいました。
  同年9月24日大阪市立東中学校で最初の研究集会が開催され、集まった約400名の教育関係者によって「公立学校に在籍する朝鮮人子弟の教育を考える会」が発足しました。運営委員会が構成され、最初の代表に稲富進(大阪市立城陽中学校)が選ばれました。(その後、本会の代表は、田村孝、岡野克子、太田利信、印藤和寛を経て、現在栗田珠美です。名称の中の「公立学校」は「日本の学校」に、「子弟」は「児童・生徒」に、発足後間もなく変更されました。)

  9月24日創立集会のすべての議論をまとめて報告集『二つの名前で生きる子ら』が発行され、以後、多くの資料集が出版されました。また会誌『むくげ』が発行され(間もなく170号、現在は季刊)、さらに、シンポジウムや歴史講座を開催して、実践交流や新しい知識、観点の共有をはかってきました。学校の中の問題だけでなく、就職差別、「国籍条項」をなくすための活動もおこなってきました。
  会は当初大阪市同和教育研究協議会事務局に間借りし、短期間の大阪市内天王寺東門前を経て、天王寺区寺田町駅前石村ビル3階の朝鮮資料研究所に入りました。1996年にそこを撤収し、現在地に移っています。

  1972年「ウリマルを返せ」の子どもたちの声からはじまって、大阪市立長橋小学校で新しい民族学級設置の運動が起こりました。しかし、年末の大阪市教委との徹夜に及ぶ交渉の末に確認がなされたものの、きびしい南北対立の中で行政の姿勢は後退し,大きな困難に直面します。こうして1992年の大阪市「民族クラブ技術指導者招聘事業」発足まで20年もの間、民族講師の協力と現場教職員の支えだけをたよりに民族学級は維持されたのでした。しかし、こうして持続された教育運動は新しい発展につながり、それが大阪各地に拡大していきます。
  この民族学級運動こそ、会の根幹を作ったと言うことができます。1948年4月24日の阪神教育闘争、文部省・大阪府と朝連との間で結ばれた覚え書きに基づく民族学級の存在は、この後になってようやく認識されるようになり、「4・24」はこうして会の重要な記念日となっています。

  1979年8月29・30日、大阪市立中央青年センターに全国の仲間が集まって、第1回全国在日朝鮮人教育研究集会が開催され、数回の集会を経て、1983年4月24日に同じく大阪市立中央青年センターで全国在日朝鮮人教育研究協議会(全朝教)が結成され、稲富進が会長に選ばれました。(その後、全朝教の会長は本会の内山一雄、兵庫県の市立尼崎高校藤原史朗さんを経て(2002年10月に「全外教」と改称)、現在は神奈川県立高校の山本重耳さんです。)

  1986年4月26日に大阪府立中小企業文化会館で15周年記念集会「在日朝鮮人教育の現在」を、、1993年6月5日に浪速解放会館で22周年記念集会「いま、国際化時代の教育を問う」を開催し、また、2001年8月30日には、大阪市立中央青年センターで30周年記念集会「多民族・多文化共生社会の未来を学校から」を開きました。
  その間、1971年の
大阪市外国人教育研究協議会再発足に大きな役割を果たし、また、1992年の大阪府在日外国人教育研究協議会設立に努力をそそぎました。1989年の大阪府教職員組合再建後はその教育研究活動にも力を尽くし、日教組運動の一翼を担っています。

  1994年3月、従来の名称を変更し、「全朝教大阪(考える会)」として、5月13日、辛基秀さんの記念講演「朝鮮人の戦後在日50年」、記録フィルム上映を中心に大阪市立中央青年センターで改称記念集会を開きました。
  1998年4月25日、阪神教育闘争50周年記念集会で
民族教育権利宣言 が行われ、年末に民族教育ネットワークが発足しました。2000年からは「本名キャンペーン」が展開され、本会もその事務局の仕事を分担しています。

  2001年6月に発表された大阪市教育委員会在日外国人教育基本方針―多文化共生の教育をめざして―と、それにともなう教育施策については、私たちの教育運動と教育実践の結実の一つだと言うことができるかもしれません。


この他詳しくは

『むくげ縮刷版 大阪の在日朝鮮人教育10年の歩み』亜紀書房 1981年

  22周年記念誌『いま、国際化時代の教育を問う』1993年(第1ピンク本)

30周年記念誌『多民族・多文化共生の未来を学校から』2001年(第2ピンク本)

をご覧下さい

  「厳にいましめてきたのは、ただ酒を飲まず、どんなに苦しくとも、運営費は会員のカンパによるということである。また、いかなる運動体とも、問題ごとに共闘をくむことはあっても、その傘の下に入ることはせず、常に運営委員会にはかり、自前の運動を展開してきた。」(杉谷依子『朝鮮研究』171号)

                               

会則

1名称   この会は全朝教大阪(考える会)という。
      *正式には、全国在日朝鮮人教育研究協議会大阪(日本の学校に在
       籍する朝鮮人児童生徒の教育を考える会)という。
2事務所  大阪市天王寺区寺田町2-5-1石村ビルにおく。
      *1996年に池田市石橋2-17-12日中朝韓歴史文学センターへ
      2006年大阪市住吉区我孫子東1-4-32大阪市立我孫子中学校へ移った。
3目的   この会は全国在日朝鮮人教育研究協議会の運動を担い推進する。
4構成員  目的に賛同する個人・団体。機関誌『むくげ』購読料を負担。
5組織と活動 この会に運営委員と事務局をおく。
      運営委員は運営委員カンパを負担し、次のような活動を分担する。
      ア)シンポジウムの開催
      イ)機関誌『むくげ』の発行
      ウ)資料の作成
      エ)各部会(大阪市内・府下・高校)の活動
      オ)会計(会運営・むくげ・資料・シンポジウム等)
      カ)会計監査
6発足   1971年9月24日に発足した「日本の学校に在籍する朝鮮人児童生徒の
      教育を考える会」は、1994年3月12日をもって名称を変更し、再発足
      する。
7資料   全国在日朝鮮人教育研究協議会 会則
      全国在日朝鮮人教育研究協議会 活動方針   

1994年3月12日運営委員会決定。*は補足・変更部分。


全朝教大阪(考える会)と全朝教(2002年10月に「全外教」と改称)の関係については
こちらをご覧下さい。
私たちは、在日問題を考える人々の大同団結を求めつつ、運動と実践に励みたいと考えています。


連絡先 558-0013 大阪市住吉区我孫子東1-4-32
 大阪市立我孫子(あびこ)中学校内(栗田珠美)   TEL 06-6697-8161
全国在日朝鮮人教育研究協議会大阪
(日本の学校に在籍する朝鮮人児童・生徒の教育を考える会)


©全朝教大阪(考える会)ホームページ製作委員会
印藤和寛・冨田稔・信太一郎

  

 

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